第一話 アンタレス
次の日のことだ。
雪はアンタレスのメンバーと、『骨の迷宮』へと来ていた。
ここはゲーム時代からあった初期『迷宮の、三つのうちの一つである。この世界に来てから迷宮は誰かがクリアすると、崩れ、消えてしまうものへと変わってしまった。現に、初期迷宮である他の二つ、『獣の迷宮』と『金の迷宮』は既に無くなっていた。だが、この『骨の迷宮』だけはいつまで経っても、誰もクリアできず、未だに残っているのであった。
本当は彼女もここになど来たくなく。氷雨を探したかったが、二日連続で迷宮探索を休めないことは分かっている。
アンタレスに、サブメンバーはいない。だから雪が休めば通常六人いるメンバーが、五人に減るのだ。 迷宮では一人減るだけで、体力の消費。一人辺りのモンスター討伐。持ち運べる荷物の量。など、様々な制限がかかる。ただでさえ、少数での行動はギルドから推奨されていないこの場所で、人が一人減ることは死活問題なのである。もちろんお金が多く手に入ることはメリットだが、そんなこと、わざわざ命を犠牲にしてまで行う冒険者など少ないのであった。
それに雪も現在の仕事が冒険者しかないので、稼がなければ日々の生活さえ怪しいのである。
「雪さん、後衛をお願いします! 僕は前衛! 他の人は僕か雪さんのサポートをお願いします!」
リーダーである昇の意見に逆らう者など、アンタレスの中にはいなかった。
今、アンタレスの者がいるのは、ダンジョンの中でも広い道だ。
幅は五メートルほど。天井も高く、大きな武器でも制限なく動けるだろう。周りは石の壁で、明かりは天井に咲いた輝く花と、この辺りは他のダンジョンと比べても大差は無い。強いて挙げるなら、その広さ、ぐらいだろう。
ダンジョンには、大きく分けて二つある。
それが空に伸びる建物か、それとも地下に伸びる洞窟かの違いだ。
空に伸びるダンジョンとしては、『ヴァイス』から北に行き、『北の森』の中央にある『蒼穹の迷宮』などが有名だ。だが、まだ誰も高レベルの動物が多数出る『北の森』を攻略できず、一人も中に入ったことは無いが、しかし、そのダンジョンの存在は天高く伸びるその高さから、『ヴァイス』でも視える。人によっては“例の石版”の一つが、『北の森』の難易度から、そのダンジョンにあるとさえ言っていた。
地下に伸びるダンジョンとしては、『エータル』に存在する『永久の迷宮』が有名である。数多くの冒険者を投与しても、最下層はおろか、その全貌さえ掴めていないという、この大陸で最大の大きさを誇るダンジョンだ。
地下に伸びるダンジョンは空に伸びるダンジョンとは違い、大きさが特徴だ。下に行くに連れ、一階が広くなり、モンスターの数が増える。
逆に空に伸びるダンジョンは登るにつれ、一階が狭くなるが、その代わりに、モンスターの“質”が高くなる。
どちらも一長一短だが、ここ――『骨の迷宮』は、地下へと伸びるダンジョンだった。
ここも『永久の迷宮』と同様、未だクリアできていなかった。
その理由としては、最下層が“無い”からである。
ここのダンジョンの構造は冒険者に網羅されていて、最下層へと続く道が発見されていない。
だから全ての宝を見つけようと、誰も踏破することができないのであった。
それでもここに人が集まるのは、高力量のモンスターが目的だからだろう。
例え財宝がなくても、モンスターから得られる結晶石だけで十分生計を立てられるからだ。
それにモンスターから得られる高い経験値も、冒険者にとって大きな魅力の一つであった。
「分かったわ――」
雪は昇の意見に従い、後ろを見据えた。
目を、凝らす。
どれだけ花の明かりがあったとしても、ここは暗いダンジョンだ。昼間の町中と比べると、いささか視界が制限される。
剣も、抜く。
右手には金属製の丸い形のしたライトシールド。左手には、女性の雪でも片手で持てる短い剣。これが雪の得物だ。服装は昨日と変わりがなく、重そうには感じさせないゆったりとした動きをしていた。
そして――構えた。
体を半身にし、上半身を盾で小さく隠す。剣は後ろに引き、いつでもモンスターを斬れるように脱力し、少しずつ後ろへと下がる。
「雪、そっちは大丈夫?」
仲間の一人である鎧を着た女性が、殿を務める彼女に現状を聞いた。
「ええ――」
だが、まだ敵が出てきていない状態では、雪は何も言えなかった。
それに、彼女は仲間に戦闘を頼るつもりなど毛頭なかった。
ここは、後ろだ。前では無い。
前方での対戦はモンスターを切り倒し、道を切り開くことが目的だが、後ろはそうではない。モンスターを斃さずとも、前での戦闘に集中している仲間に被害を出さないよう、巧くモンスターを牽制することが仕事だ。決して、モンスターを斃すのを求められているわけではないのだ。
雪は振り返っていないので詳しいことは分らないのだが、激戦の様子は轟音と金属音で感じている。
この様子では、パーティーの進む道に多くのモンスターがいるのは確実だ。
彼女は仲間の腕を疑っているわけではないので、自分までは、モンスターの牙が届かないことを確信している。何せこのパーティーの平均レベルは43。『ヴァイス』でも、上位集団に属するパーティーだ。
だから自分の仕事に、まだ来ない敵に、雪は集中できた。
それから数十秒後、――奥から足音が聞こえた。
まるで地獄に響く兵士の鳴き声のようだ。
雪はそれが聞こえると、自身の仕事がやっと訪れたことを知る。
剣に少しだけ、力を込める。
まだ、敵は遠い。
姿は見えない。
暗闇からは出てこない。
雪は緊張しながら、そして素早く後ろへと下がりながらモンスターを待った。
やがて、現れる。
その者たちは不規則に並んだ足音をたゆませながら、ぬっ、と闇から影を伸ばした。
最初に目についたのは、白色だった。
いや、淡い白色だ。
骨の色でもあった。
その者たちは言うならば、骸骨だった。
ぼろぼろの鎧を着ていて、欠けた剣を引きずるようにして歩き、鎧がない部分はすべて骨だ。
モンスターなので、どんな基準で生きているのか分らない。いや、分かるはずが無かった。
目も、無い。
耳も、無い。
鼻も、無い。
口も、無い。
肌も、無い。
髪も、無い。
爪も、無い。
血も、無い、
生気も、無い。
何もかもが存在しなかった。
あるのは、骨だけ。
しかも人を模した形の骨だ。
モンスターと呼ぶのに相応しいほど不気味で、怪物と云われても遜色ない存在だった。
名は――ゲリッペ。
この『骨の迷宮』では、よく遭遇するモンスターであった。
このモンスターの特徴を、すぐに脳内で雪は算出した。
もうこの数カ月で何度も戦った相手だ。
よく覚えている。
彼らの特徴としてあるのは、生者に群がること。それは人もモンスターも例外ではなく、何を求めているのかは分からないが、とりあえず生者に群がり、殺す。
他に挙げるなら、その脆弱さだろう。彼らの骨は弱く、簡単に崩れさる。しかも剣を振るう威力も弱く、歩くスピードも遅く、一匹ではスライムにもかなわない。
ただ、大群になればなるほど、厄介なモンスターだ。
何故ならゲリッペはほぼ――不死だからだ。
決して死なない。
全身の骨が崩れ去ろうとも、八つ裂きになろうとも、真っ二つになろうとも、すぐに時間が再生するように蘇生し、決して死なない。
その代わりにスライムと同様、弱点がある。
それがゲリッペの場合、魔法だ。
彼らの骨は、魔法に弱い。
魔法を喰らえば、一撃で灰になり、結晶石だけを残し、塵へと変わる。
攻略法としては、至極簡単だ。
囲まれる前に、魔法で先制すればいい。
大勢が集まる前に、逃げればいい。
それが出来ない者は強者になり、それが出来る者には雑魚と変わらない敵であった。
だが、雪は、魔法を使えなかった。
才能が無いわけではない。
魔力はある。
だが、魔法を開眼するために必要な魔道書を読んだことが無いのである。
このパーティー、アンタレスでは、魔道書をこれまでに二つ手に入れた。
もちろん、迷宮探索で、だ。
しかしその二つの所有権を、雪は譲った。
争わなかった。
その時は魔法などどうでもいいと思っていたし、今もそれは変わらないからである。
グギャギャギャ!!
ゲリッペが、一人、不気味な音を立てながら雪に襲いかかった。
降りは大きく。
隙も大きい。
氷雨と同じく、祖父から武術を嗜んだ雪に避けられないわけがない。
冷静に間合いを見極め、寸での場所まで下がって躱す。
雪の長い髪が、数本斬れた。
それからすぐに二人目の剣が振り落とされる。
雪は、右手の盾を使い、その剣を横に逸らした。
筋力が足りない彼女では、真正面で受け取れば力が拮抗し、負ける可能性もあるからだ。
三人目。
こちらの剣は、彼女は、左手の武器で払った。
決して、まともには受けない。
雪はそれからも、四人目、五人目、六人目の剣がその身に襲いかかる。
だが先ほどと同じように、まるで流れる水のようにそれらを逸らしていく。
右に。左に。
雪はただの一度として、ゲリッペとまともに戦っていなかった。
これが、彼女が、魔法を必要としない理由だった。
そして昇が、雪を後衛にした理由だった。
――絶対に堕ちない不沈艦。
あらゆる状況で、あらゆる敵において、例え勝てない敵であっても、負けはしないのが雪の特徴だった。
「雪さん! 道が開けました!」
雪は未だ、傷一つ負わず、敵の攻撃を捌いていた。
右に、左に。
剣で、盾で、
すると、前方にいた昇から声がかかった。
やっと道が開かれたのである。
「分かったわ――」
雪は無駄な戦闘はしない主義だった。
昇に素早く返事し、身を翻す。
アンタレスが退けたそこには、戦の跡だけがあった。
骨。
骨。
骨。
骨。
骨
まさしく、このダンジョンに相応しい光景だった。
最早、その骨たちは砕かれ、折れ、欠け、どの部位すら分らない。
どのモンスターかも分からない。
彼女はそんな場所を、アンタレスのメンバーに追いつくために駆け抜けた。
軽やかだった。
雪の走り方は、まるで重力が無いかのようだ。
それに、油断がない。
横の分かれ道からモンスターが現れようと、剣と楯で冷静に対処して道を作り、その間を駆け抜けていく。
まるでその姿は、氷のように鋭かった。