第零話 プロローグ
上は青空。下は石畳。横は煉瓦。隣には人。
街で、あった。
それも大きな町だ。
綺麗に道が整備された大通りは人で溢れ返り、異臭もあまりしない。水道設備が整っているからだろう。街の中には透き通った水の匂いが溢れ、花のいい香りに包まれ、人の活気のいい声が溢れていた。
いい町、であった。
そこに、人で賑わっている。
殆どが黒髪の者であった。
それに肌も黄色い。中には肌が黒い者や白い者もいたが、そんなのは極少数だ。それにここを歩いている者に限っての特徴だが、大抵の人間が武器を持っていなかった。持っているのは、革の防具に身を包み、一目で冒険者と分かるものばかりである。
おそらく、平和なのだろう。
『エータル』と比べると。
平和だからか、それともここを暮すのは快適だからか、ここにいる人は笑顔だった。
食材を買いにきた主婦らしき人も、物を売る大柄な商人も、迷宮帰りの疲れた冒険者も、皆が皆、笑顔であった。
そんな中で、一人だけ厳しい目つきの者がいる。
女性だ。
彼女は大通りの真ん中の噴水を区切っている石の区切りに、堂々と大きく股を広げて座っていた。
お淑やか、という雰囲気は全くない。
彼女もやはり、黒髪であった。それは艶やかなキューティクルがかかっており、長かった。うねりも全く無い。美しいの一言であろう。
だが彼女の美貌は、それだけではなかった。
目も、二重と整っていた。
しかしそれは、氷と見間違うほど鋭い。
それに体が防具と似合わないほどに、細かった。
彼女がつけている防具は、冒険者の中では一般的ななめした革だ。特徴としては金属に比べて軽いことだが、それでも、普通の布の服と比べれば重い。そんな服を着てれば普通は筋肉がつくというのに、彼女は特別なのか、防具と下に身につける布の隙間がかなり開いていた。彼女は一般的な女性より背が高いので、鎧のサイズがなかったためと思われる。
彼女の武器は、腰にある剣と、右手につけられた円楯。
おそらく、片手に剣を持って、片手で盾を使うのが、彼女の戦闘スタイルなのだろう。
そんな彼女の名前は、雪であった。
南雲雪であった。
氷雨の姉でもある女性だ。
彼女もここに来る前は、ゲームをログアウトしてからこの変な境界に訪れる前は、新雪のように柔らかい表情をいつでもしていた。
だが、この世界に呼び出されて十一ヶ月経った今は、別人のように変わってしまった。
今の雪は、深雪のように冷たく、重苦しい表情になっている。
美しさは変わらないが、受ける印象が全く違っていた。
そんな雪なので、今の彼女にナンパをするような勇気のある者はいなかった。
いや、男どころか、同性の女でさえ彼女には近寄らない。近づけない。
だからか、彼女が座っている噴水の一角には、一種の異空間ができている。
雪の険しい表情が、周りを避けているのであった。
「雪さん! お待ちしました!」
しかしそんな雪にも、話しかける者がいた。
男であった。
彼も黒髪であった。
顔は、中々に整っていた。雪に話しかけるときの、人懐っこい笑みもきっと好印象なのだろう。
体はしっかりとしている。骨格が大きく、それに負けない筋力も兼ね備えている。
一流の冒険者なのだろう。
少なくとも、並み――ではないのは、その装備で分かった。
鈍色に光り輝く金属製の鎧に、それをしっかりと着こなす岩のような体躯。腰にある剣は、短かった。決して長剣ではない。それに太い。一般的な剣と比べると幅広で、重そうでもある。だが、おそらく、片手で使うのだろう。何故なら彼はそれを使いこなす筋力は楽に持っているし、楯も持っていて、それが左手につけられているからだ。
「昇君、やっと来たのね――」
彼は、昇だった。
雪が所属するパーティー、アンタレスのリーダーでもある人物だ。
彼も雪と同様に、この現実と仮想現実が入り混じるこの世界へと呼び出されていたのである。
そんな彼も雪同様、この世界に来てから変わってしまった。
だが、雪と違うところがある。
雪はこの世界に来てから悪い方向に変わっていったが、昇はいい方向に変わった。
あのお腹についた脂肪は度重なるダンジョン攻略でうそのように消え、筋肉も多くついた。頬も薄くなった。そのおかげか、元々整っていた容姿が現れ、粋な男へなっていた。
「いやはや、お待たせしました。今日のダンジョンは帰ってくるのに時間がかかりましてね……」
「別に待ってはいないわよ。今日は私のわがままで休んだんだし」
ノボルは雪の隣に座って、親しげに喋りかける。
だが、あくまで雪の顔つきは厳しいままだった。
「で、ヒサメ君の情報は見つかりましたか?」
ノボルは雪の今日の調査の結果を聞く。
どうやら雪は本日のアンタレスによる冒険を休んだようだ。
「全然ね。もしかしてあいつは、この世界に来ていないのかしら?」
その原因が、氷雨、であった。
雪は氷雨を探していた。
この町――ヴァイスには、ゲームプレイヤーが沢山いる。いや、ゲームプレイヤーは故郷を求めるように、ゲームで訪れる最初の拠点地であるここに集まった。最初はゲームプレイヤー以外の人間も大勢いたが、ゲームプレイヤーが集まるにつれ、そしてこの町の町長にもゲームプレイヤーがなり、徐々にリアルと似たような場所になったことを感じた彼らは早い時期にこの町を出て行った。今でも彼らの中の少数は残っているが、それらは少ない。今のこの町は、あくまでゲームプレイヤーたちの町となっているのであった。
そんなこの町にいるゲームプレイヤーたちに、雪は自分の弟を見たことがないかと、順に聞き回っているのである。
だが、結果は不発。
ヒサメという名の響きを持つ者など、知っていない者が殆どであった。
「そう考えたほうが、幸せかもしれませんね……」
昇は、雪の質問にこう答えた。
彼は知っていた。
カナヒトという名の奴隷商人を。
自分とこの町にいる者は皆、運がよかった。
だから、エルフィンの森に呼び出されてカナヒトに捕まることなく、この町へと足を運べた。
運が悪い者は――考えるのも嫌だった。
「それもそうね――」
雪も、その事実は知っていた。
そして運よく奴隷商人を逃れた者は、殆どの者がクリカラの町を目指す。それから聞き覚えのある、ここ――ヴァイスを目指すのだ。エータルの町に行くという、運の悪い者は極少数なのである。
「雪さん、エルフィンの森での、僕たちと同じ者の召喚は既に終わっております。ほんの一か月ほど前に。どうやら“ヒカル”君たちが最後の召喚されたゲームプレイヤーということもあり、その中にもヒサメ君はいませんでした。だからもうこれ以上探しても……」
「つまり、昇君は、氷雨がこの世界に来ていないか、もしくは既に誰かの奴隷になっていると言いたいのね?」
雪の目つきが、急に鋭くなった。
「いっ、いえ! そうではありません……!」
昇は雪の地雷を踏んだかと思い、大きく焦った。
「いえ、冗談よ。だからそう怯えないでよ――」
雪は態度を真逆に変えて、大きくうろたえる昇に優しい言葉をかけた。
彼女も本当は、心の奥底では分かっているのだ。
氷雨を探そうが、もうタイムリミットは過ぎていることを。
ゲームプレイヤーの召喚は一月前に終わった。その場にいた者にも氷雨の名前を聞いたし、別の者にも聞いた。
だがそんな言葉を聞いた者はここに一人もいなく、氷雨の姿も遂にここで見つけることはなかった。
だから、今彼女が探しているのは、単なる氷雨が生きている、という希望を何とか探しているのだ。例えそれが無駄だと気付いていても――。
「――私だって、分かっているわ」
雪は、昇に言うわけでもなく、自分を納得させるために空に向かって、そう呟いた。
昇はそんな雪に、何も言葉を浴びせなかった。
「じゃあ、食事へと行きましょうか! 今日はその約束の筈です!」
それよりも、彼女を気分転換に向かわせたほうがいい、と思ったのである。
「それもそうね――」
雪もそんな昇の気遣いを快く受け取り、立ち上がった。
昇もそんな彼女に続いて立ち上がる。
二人が向かったのは、最近、この町で話題の日本料理が食べれるということで有名な場所であった。