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戦人の迷宮探索(改訂版)  作者: 乙黒
第三章 主と王
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第十四話 ディアブロⅢ

 二つの存在の最初の火花は、当然ながら氷雨とベルの間で起こっていた。

 他のディアブロのメンバーは誰もがベルより反応が遅れ、初動が遅いたので、皆が彼の後を追う形となっていた。


 その中で唯一――フォルカーだけは、ディアブロのメンバーの中で動いていなかった。

 走らず、攻めに行かず、ただ氷雨の観察をしていたのだ。

 体勢を低くし、渾身に走る姿。宙に浮かせる灰色のマント。強く握りしめた拳。ベルを射抜く、殺気を孕んだ瞳。

 凄腕の冒険者なのはほぼ確定。

 一流の戦士なのは間違いない。


 でも、だ。フォルカーは未だに氷雨へと疑問が消えなかった。

 それが、素手。

 徒手空拳の使い手、ということである。

 フォルカーが思うに、氷雨はこの世界では存在しない幻の存在だ。

 人は、弱い。獣と比べて、何も持ち得ない。牙も、爪も、翼も、鱗も、強靭な足も、夜でもよく見える目も、全てが無かった。

 だから、武器を作った。武器を持った。それがこの世の人が誰かと戦うための、最低条件である。


 だが、氷雨は何も持っていなかった。

 剣も、槍も、斧も、弓も、盾も、どれ一つその手には携えていない。

 しかし、強かった。

 フォルカーは見ていた。

 ユウを気絶させる時の、見事な手刀を。気を失わせるための角度。必要以上に体を傷つかせない威力。それを一切の迷いのなく、行う度胸。

 あれは並みの冒険者が、出来る技では無い。

 武器だけに一生を賭けた者が、出来る技でも無かった。

 きっとあの技は、素手を、何年も鍛えた者にしか行えないとフォルカーは思っていた。


 現にフォルカーも、これまで何十年も生きていたが、あれ程見事な技巧を見たことが無かった。持っている者さえ見たことが無かった。

 剣であのような見事な振りをする者はいた。

 槍であのような見事な振りをする者はいた。

 だが、素手ではいなかった。

 そもそもそんな技術があったとしても、教えを請う者などこの世界にはいないのだ。

 フォルカーの知っているこの野蛮な世界では。


 だからフォルカーは、氷雨を異人のように感じていた。

 この世界に、この大陸に、この町にいるのに、まるで自分たちとは全く違う場所から来た存在だと、認識を変えていた。


 そんな偉人と、ディアブロの仲間がぶつかる。

 勝算は、大いにある。

 何せあの人数。あの戦力だからだ。

 だが、でも、と不安が拭いきれない。


 フォルカーはそんな不安を消すため、大剣を握った。

 見事な大剣だった。他のディアブロのメンバーが持っているような大剣とは、一味も二味も違っていた。

 一つの刃こぼれも無い刃。曇りの無い刀身。無駄な装飾がない、無骨なフォルム。

 フォルカーは、これで龍を切ったのだ。ドラゴンの強固な鱗を切り裂き、強靭な肉を切ったのだ。ルーやシュピンネとは、怪物(モンスター)としての格が違う存在に、だ。

 そう思うと、フォルカーは自身が湧いてきた。

 そしてそんな間に、氷雨とベルがぶつかった。



 ◆◆◆



 氷雨はベルへと走りながら、興奮していた。

 血が滾っていた。

 体の底から熱が湧き上がり、それが全身に回る。戦いを始める体としては、絶好調に近い。いや、絶好調だろう。

 この世界に来て、初めての感覚だった。

 オイルをしいたギアのように体が回り、一分の隙間もなく、歯車がかっちりと噛み合ったような感じだ。


 これなら体が冴えるように動く。

 ミノタウロス戦に行った準備のおかげだろうか?

 既に沸騰している頭の中で、氷雨はそう思っていた。

 まともな思考など、殆ど無い。

 考えているのは、血と興奮。

 氷雨の中は、この二つの思いだけだった。


 ベルは彼とは違い、斧を持っていたので足は遅いながらも氷雨へと走っていた。

 頭の底から黒い感情が湧き上がり、全身を覆う。

 復讐としては、最高の幕開けだった。大量の仲間がいて、頼れる長がいて、その相手はただ一人であった。

 憎しみが、体を支配する。


 ベルが冒険者時代には無い、体の動き方だった。

 薬も飲んでいないのに筋肉がいつも以上に膨れ上がり、関節が自分の限界を超えて動き、パワーが酷く(みなぎ)ったようだ。これまでなら両手で持たなければ持てなかった斧を、右手一本――片腕で持てたのがその証拠だ。

 まるで命と憎しみを燃料に、炉が激しく燃えているような。

 だが、それでも構わなかった。

 氷雨を殺せるなら、命など捨てるつもりでいる。

 死神がいるとするなら、魂をすぐに売ってもいい。

 ベルの中は、氷雨でいっぱいであった。


 氷雨とベルは互いを殺す戦場を、床の上では無く、長いテーブルの上と決めた。何故ならそこがお互いへの最短距離で、一番近い場所だからだ。

 テーブルは、長かった。

 一つのテーブルが何個も繋がれ、まるで一つの線路のようになっていた。


 二人は木製のそれの上を走り抜ける。

 二人の体重に木は軋み、まるで(うぐいす)張り廊下のように鳴った。

 だが、止まらない。

 音はどんどん大きくなり、テーブルの脚に亀裂が入り、だんだん裂けたとしても二人の勢いは止まらなかった。


 邂逅する。

 氷雨とベルのお互いの眼が。

 殺気を含み、憎しみを含んだ二人の双眸が、まるで他の世界が無いかのように重なり合う。

 氷雨はベルの、ベルは氷雨の、それぞれの眼を見た。いい目だと、好敵手に相応しい相手だと、お互いにお互いを褒め合うように、両者の口元が高く上がった。


 走りながら、二人の差はどんどん縮まる。

 遂に、残り四メートルになった。

 ベルは斧を持っている右手に、血管が千切れそうなぐらい強い力を込めた。彼はそのこと自体に、気づいていない。気づく余裕さえなかった。

 ベルの頭の中は、氷雨で埋め尽くされているのだ。

 完全に治った体がどれだけ悲鳴を上げていても、それ以上の狂気に彼は包まれ、ひたすら氷雨へと進み続ける。


 一方の氷雨は、走りながらも必要のない全身の力を抜いていた。

 心は燃えていても、頭は冷えているのだ。

 ただ、勝つために。この興奮を、また感じるために。

 敵を殺す。

 ただそれだけを、祖父に叩き込まれたそれだけを信念に、体が、自然と動いていた。


 それは、二人の距離が残り三メートルの時に起こる。

 まだ、どちらの武器が届く距離でもなかった。

 氷雨の拳も、ベルの斧も、まだ遠い。届かない。振ったとしても、相手に見せてはいけない隙を見せるだけ。


 なのに――氷雨は動いた。


 それは本能だった。

 考えてなどいない。

 体に染みついていたのだ。


 氷雨はその届かない距離で、体を一回転させる。

 まるで前転を行うように。

 ベルは急にボロを出した氷雨に、ニカッと嗤う。殺せるのだ。着地した後、体制を崩した彼なら、斧を落とすだけで。笑いが止まらなかった。


 だが、そんなベルの目論見も無駄だった。

 氷雨は一回転した後、右足で踵落としをするかのように、そこを地面に強く叩きつけた。最初から狙っていたのはベルではなく、古くなっていたテーブルだったのだ。

 テーブルは氷雨の攻撃によって、足を中心に亀裂が入る。

 その進行は、テーブルの比では無かった。

 亀裂は前後に向かって大きく伸び、ベルの足元も襲った。


 体勢が崩れる。

 それは氷雨ではなく、ベルだった。

 予想していなかった彼の攻撃により、ベルは体を大きく揺らした。


 そこを、逆に氷雨へと付け狙われた。

 テーブルに踵落としした後、真っ二つに割れたテーブルへと左足をつけ、――飛ぶ。氷雨はテーブルが割れるのを分かっていたので、ベルとは違い、体勢を崩すことはなかった。

 氷雨はベルへと飛ぶと、何も持っていなかった彼の左手を手に取った。

 そのまま左腕に足を絡め、慣性の法則で動く。


 ――『竜巻』だった。


 腕の関節を決めながら、自身の体重とベルの手のひらを捻ることによって、氷雨はベルを頭から落とそうとした。

 だが、止まる。

 幾ら氷雨の技が立派でも、ベルはそれを左腕を捨てることによって、強引に止めた。


 氷雨の『竜巻』に投げが含まれているのは、相手の腕を折られたくないという自然な体の自己防衛によって、起こるモノだ。

 従って、最初から折られてもいいと思う者には、投げは通じないのである。前回のメンシュ・アイゼンは機械だったため、その自己防衛が自然に働いた。

 だが、ベルは違う。氷雨を殺すという意思が、折っても構わないと思わせた。


「はっ!!」


 ベルは、覚悟を決める。

 腰をずっしりと落とし、歯を食いしばる。少しだけ慣性の法則によって左足が後ろへと行き、割れた机の木が足に刺さったが、氷雨を殺すまでは死ねない、と堪える。


「かっ!!」


 氷雨も、遠慮が無かった。

 ベルの腕にしがみ付いたまま、腕を折る。

 

 ――ずっしりと低い音が、屋敷に響きまわった。


 問題はその後だ。

 二人の行動は速い。

 氷雨は折った腕をすぐに放す。

 ベルは地面に着地した氷雨を見て、すぐに斧を落とした。

 『重斬』だった。


 それだけではない。

 氷雨の背中を、大槍で突こうとしたディアブロのメンバーもいたのだ。彼もそこまで注意が回らなかった。気づいてはいないが、絶体絶命。唯一ベルがそれを見て、微笑んだ。

 ――だが、助かる。

 氷雨は分かっていないが、その大槍の者に氷の矢と雷撃が飛んだのだ。

 ハルだった。

 ハルの魔法によって、氷雨は生き長らえていたのだ。


 氷雨はそんなハルの恩恵も知らぬまま、すぐに転がるようにベルの斧を避けた。

 そしてすぐに立ち、ベルに身を寄せる。

 右手で、ベルの首根っこを掴んだ。その間にベルの抵抗として、折った左腕で渾身の一撃が入るが、ぐっと氷雨は耐えた。骨折の痛みに耐えている奴に、たかだか素手の素人のパンチでノックダウンは、情けないと思ったのだ。

 氷雨は痛みを堪えたまま、右足でベルの片足を払って、重心を崩す。


 『驟雨(しゅうう)』だった。


 ベルも流石にこれは耐えられなかった。

 いくら鎧が軽い皮が素材であっても、流れるような動きに抵抗ができない。少しの抵抗も無駄なまま、後頭部を地面へと叩きつけられた。

 ベルの脳天が回る。

 氷雨も遠慮が無かったのか、ベルの上に馬乗りになり、トドメもそのまま行われる。


 氷雨は左の拳で、目が回っているベルを殴る。

 左足が掴まれた。憎しみによって動かされた、太い腕だった。

 氷雨はベルの強靭な握力によって足が激しく痛むが、気にせず、今度は首根っこを掴んでいた手でベルの顔面を殴った。

 何度も。何度も。

 歯が刺さろうが、血が飛ぼうが、氷雨は全力でベルの頭を殴り続ける。

 右で殴り。

 左で殴り。

 右で殴り。

 左で殴り。

 ようやくベルの手が緩んだとしても、氷雨は攻撃を止めなかった。

 そして、氷雨が殴るのを止めたのは、ベルの手が完全に止まった時だった。


 ――この世界のたった一つの法則(ルール)が、強さだ。


 氷雨はそれを持っていた。研磨してきた。

 ベルは氷雨と負けてから治療のみの毎日を費やしていたが、彼はずっと戦場に身を置き、己を高めてきた。

 それが今回の結果だった。

 あの時点で差が付いていたのに、努力をし続けた氷雨と止まったベル。どちらが勝つかなんて、一目瞭然である。


 一方、その頃、ハルの魔法によって、ディアブロのメンバーは、ほぼ壊滅しているのだった。

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