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戦人の迷宮探索(改訂版)  作者: 乙黒
第三章 主と王
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第十二話 ディアブロ

 空は黄昏。

 大気は冷たく、地は乾いている。

 ここは大通りと違い、暗かった。周りに建物が多いためだろう。日の光が遮られ、ここまで明かりが届かない。

 鼻につくのは悪臭。肉が腐ったような、歪な臭いだった。

 音は、無かった。不気味なほど静謐に、風の流れる音がする。

 普通の人なら、決して寄り付かない場所だろう。

 いるだけで気分が悪くなり、本能がそこを避ける。

 氷雨とハルはそんな場所に来ていた。


 ユウを助けるためだ。

 目の前にあるのは、ディアブロの本拠地。最悪な立地条件にそびえたつ木製の建物を前に、二人は立っていた。

 ハルは鼻を片手で押えていた。臭いからだろう。

 一方の氷雨は、ただありのままにそこにいる。顔をしかめず、鼻も押えず、ただ前を見ていた。


 ここに案内してくれたのは、もちろんカイトだ。

 数メートル近くまで案内してくれた時に、氷雨はこれ以上は危険だから来るな、と告げ、現在は宿に帰って行っているだろう。


「さあ、入るぜ――」


 氷雨が高揚したまま、言った。

 ハルが無言で、それに頷いた。

 二人はそれから示し合わせる様に扉の前まで歩き、氷雨が足で扉を開けて、中へと入る。扉は蹴られた勢いで壁にぶつかり、大きな音を奏でた。

 中にいた者の眼が、鋭くこちらを射貫いた。

 だが氷雨は相変わらずの無表情で中に入り、ハルは少しだけ怯えながら中へと入った。


 中は、広い。無駄に空間がある。

 机は四つ。椅子は沢山。どれも長く、木製。荒くれ者が使っているのが見て分かるように、机は所々が欠け、穴が空き、さらには腐っている場所さえあった。

 だがその椅子に座っている者は一人もおらず、皆一様にして、氷雨たちが入った反対の壁に勢ぞろいしていた。その人数――ざっと二十人。誰もが冒険者にして、鋼鉄の身体を持っていた。身体に傷も多く見られる。服装も無骨な鎧と武器という、どれもこれも立派な(つわもの)だった。


「お前が――ヒサメかぁ?」


 その内の一人から、彼へと質問が飛ぶ。

 フォルカーだった。

 このコミュニティ――ディアブロの長にして、現役の冒険者。

 退けた怪物(モンスター)は数知れず、殺した同業者は数多く。幾戦の死線を越え、未だ生きている者だ。冒険者は力量(レベル)が高いのも強さの計る術だが、生きているだけで実は凄い。未熟な冒険者はレベルより上の迷宮(ダンジョン)に行ったしまって、死ぬことがある。だから自分の実力を見極め、行ける階数を見極められる冒険者の証拠は、生き残っている年数で表わされる。

 ――従って、この世界では、長く生きれば生きているだけで、一目置かれるのだ。


「ああ――」


 氷雨は口角を少しだけ、上げた。

 祖父と似ていて、それより薄い雰囲気を、フォルカーから感じ取ったからだ。

 彼の嗅覚は、どうやらフォルカーの強さが分かったようだ。


「ベル坊から話は聞いている」


「何てだ?」


「何でもベル坊より、少しだけ強いらしいなぁ?」


 歯の抜けた口を、ねたぁ、っとフォルカーは開いた。


「さあな――」


 彼は相手の問いを、はぐらかした。


「フン! ベル坊の言うとおり、本当に何も持ってないようだな!」


 氷雨の余裕そうな態度が腹にきたフォルカーは、彼が何も持っていないのに見つけた。

 どうやらベルの言っていたことを信じたが、まだ疑っている。暗器を持っているのではないか、それで素手で戦っているように見せ、ベルを斃したのではないか、と。


「それが、どうかしたか?」


「何か隠し持っているんじゃねぇのかぁ?」


 フォルカーは、隻眼で彼を射抜く。


「例えば?」


「細い針みたいな武器、という可能性もあるなぁ――」


「じゃあそう思ってろよ。俺は何も使わない」


「そうかぁ――」


 氷雨の変わらない態度に、フォルカーは少しだけ感心する。


「おめぇ、凄いな」


「どういうことだ?」


「おめぇは大切な仲間を人質に取られている。その状況で、平常心を保てるのが、な」


 フォルカーの考えは、実は間違っていた。

 氷雨は平常心などではない。

 普通に見えるが、心の中では炎が燃えていた。

 怪しい炎だ。黒い炎だ。欲望の炎だ。

 戦いたかった。彼の中に生まれた鬼は、酷く戦いたかった。

 何よりも、誰よりも、何処でなどではなく、明日などではなく、今、誰かミノタウロスの代わりに、捻り潰したかった。殺したかった。


「どうだろうな? 実際は、内心でビクビクしているのかもしらねえぜ――」


 氷雨は彼に嗤いかけながら、言った。


「そう見える奴は、よっぽど頭がおめでたいんだろぉな」


「けっ――」


 挑発が通じないフォルカーに、氷雨は悪態づいた。

 そんな風に彼が敵の長と話していると、ハルが氷雨の裾を引っ張る。

 氷雨が振り返ると、異様なコミュニティの空気に呑みこまれたハルは怯えていた。

 どれだけハルは強いと言っても、日本に住んでいた平和な一般庶民だ。そんな者が、この圧倒的不利な状況に、心が勝てなかったのである。


「氷雨君……」


「何だ?」


「いや、何でもないよ」


 だがハルは発狂しそうな危うい状況であっても、彼に助けは求めなかった。むしろ無理して、笑顔を作った。

 ここに来たことを選んだのは、自分。

 だから彼の足手まといにはならないことだけを願って、必死にその場に留まっていた。


「ヒサメぇ! 俺を覚えているか!!」


 奥の部屋から、ベルが出て来た。

 氷雨が見た時とほぼ同じの、巨漢な男である。

 その者は、両腕ともゴムのような筋肉をしていた。

 斧を持っていた。

 服装は、鎧。使い込んだのだろう。金属は細かく細い傷が沢山ついていて、輝くも鈍い。そんあ金属からはみ出して見える布も、破れたりほつれたりしていた。

 戦う気力は、十分。

 殺気は、満々としていた。


「俺に敗れた負け犬のことだろ? よく覚えている――」


 氷雨は喋りかけられるとすぐに、ベルへ喧嘩を売った。


「この野郎っ!!」


 ベルは単純だった。短気だった。

 氷雨に売られたそれをすぐ買うと、斧を強く握りしめ、彼を真っ二つにしてやろうと動く。

 だが、すぐに同じコミュニティの者によって止められた。

 フォルカーはベルの前に腕を出し、他の者は数人で羽交い絞めにして。


「そう言えば、お前は俺の情報を広めたのか?」


 氷雨の静かな言葉で、ベルは身の毛もよだつ寒気を感じた。

 そのおかげか、肉体が一回震え、ベルは大人しくなった。それを見た仲間も、ベルを解放する。

 どうやら最初に染み込ませた恐怖はまだ残っているようで、氷雨の脅しは少しだけなら、まだ効力は残っていた。


「――広めた」


 少ししてから、ベルは口を開く。


「へえ、良かったな。その件で、お前を殺すことはないようだ」


 舐めたような口ぶり。

 人質を取られているのにも関わらず、この強気はどこから出てくるのかは、この場にいた氷雨以外の誰も分からなかった。

 ハルもそんな彼を、「そんなことを言っていると、ユウの命が危ないよ」などと忠告したいものだが、体が動かないので出来ないでいた。


「ちっ、おい! あいつを連れて来い!」


 やっと氷雨の恐怖から立ち直ったベルが、近くにいた仲間に命令する。


「で、でも、『スレーブ』をつけたばかりで、まだ寝ていますよ?」


「連れて来い――」


「そんな状況のあいつをどうやって……」


 中々ベルの命令を聞こうとしない仲間に、


「いいから連れて来い! じゃねえと! お前の首が吹き飛ぶぞ!」


 彼は怒鳴った。

 堪忍袋の緒が、切れたのである。

 氷雨で溜まりに溜まった鬱憤。それはあの彼に負けた日から、ずっとベルの心に注ぎ込まれていた。

 寝ても覚めても、思うは負けたのに生かされた屈辱。

 それを晴らすためだけに、今日までベルは動いた。計画を練った。準備もした。日に日に黒く増した感情を、ついに念願の氷雨に出会ったことによって、制御できなくなったのである。

 目の前の彼に、これをぶつける。

 そんな目的が無ければ、周りにぶつける心境だった。


「これで……お前は……」


 ベルは奥の部屋に、急速に消えていった仲間を見て、満足そうな顔をした。

 顔は愉悦に、染まりきっている。


「俺がどうかしたのか?」


 氷雨がこちらを見ながら、涎を垂らしているベルに聞く。


「俺の前に平伏すだろうよ!!」


 ベルは想像する。

 怯えきったユウがここへと来て、氷雨を袋叩きにする姿を。

 毎晩思い出したあの寒気が、やっと無くなる日が来るのを。

 もう、氷雨に命じられた情報の拡張を、しなくていい事を。

 そんなのが脳内を駆け回ると、冷静にいられなくなった。動物のように、氷雨への眼が餌を求める獣のようになる。


「どうしてだ?」


 氷雨は質問を追加した。


「決まっているだろうが。人質がいると、お前は手を出せないからだ」


「出したらどうなるんだ?」


 氷雨は一つも怯えていなかった。


「ユウが死ぬだけだ――」


「それ以外に、理由はあるのか?」


「はっ! それだけで十分だろうが!」


 ベルは、断言する。

 どんな人間でも、仲間が大切でない者などいない。平気で身内を裏切るような人間もいるにはいるが、そんなのは少数。いかにあくどい者であっても、身内を裏切るのはタブーとするぐらいの禁忌である。


「まあ、十分だな――」


 氷雨が顔を曇らせながら、ベルの意見に頷いた。


「そうだろうが! そうだろうが!」


 ベルは目の前の美味い物が食べたくて、待ちきれないような気持ちだった。


「じゃあ俺が抵抗しないとして、俺はどうなるんだ?」


 氷雨はあくまで道化を演じて、ベルへと尋ねる。


「死ぬに決まっている――」


「その工程は?」


「ぼろぼろに殴って、切り刻んで、散々謝らした後に、命乞いをさせた後に、殺すだろうが!」


「なるほどなあ――」


 氷雨は首を縦に振りながら、ベルの話をよく噛み砕いた。


「氷雨君……策はあるの?」


 そんな時、少しだけここに慣れたハルが、小声で氷雨に聞いた。

 彼の答えは決まったいた。


「ない――」


「本気なの?」


「ああ――」


「死ぬかも知れないんだよ!」


 ハルは頬を膨らませながら、彼を叱った。

 ありえないのだ。そんなことは。人質が取られている状態で、ノープランなどとは。

 これから起こることは、すぐに予想できる。

 相手が人質を盾にして、こちらを一方的に嬲るのだ。


 それを打開するためには、やはり一筋縄ではいかない。

 なのに、ノープラン。行き当たりばったし。

 目の前に死が近いのに、全く変わらない彼をハルは馬鹿だと思っていた。


「さあな?」


 氷雨はとぼけたような顔をする。

 さあ、解放の時は近い。

 鬼は悦んでいた。

 戦えることに。血を浴びることに。

 そして氷雨も、戦うことを望んでいた。


「さあなって……」


 ハルは氷雨に何か打開策を考えるよう言いたかったが、そんな暇はもうない。

 奥の部屋から、二人の者が現れたからだ。

 一人は、先ほどベルの命令を聞いたディアブロに所属している冒険者だ。

 もう一人は――ユウ。幼き少女だった。

 そしてその首には、キラリと黒色に光る――『スレーブ』があった。

更新が遅れて申し訳ありません。

やっと、次回で戦闘がはじまると思います。

今回は読者の要望もあって、ルビは一回だけにしております。

感想などありましたら、よろしくお願いします。

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