第十一話 絶体絶命
「氷雨君さあ、本当に一人で行くの?」
カイトが喜んでいるその横で、ハルはしかめっ面をしていた。
どうやら氷雨の判断に、不満を持っているようだ。
「ああ、そうだけど。それがどうかしたのか?」
「死ぬよ、おそらく――」
ハルはカイトが泣きやむほど、衝撃な一言を放った。
氷雨はニヤリともしない。あくまで無言を貫くだけ。クリスやカイトは予想していなかったが、氷雨はある程度分かっていたらしい。
「敵は最低でも数十。しかも武器付き。それだけじゃない。罠って色々あると思うけど、一番考えられる可能性は人質だよ。――ユウちゃんを、ね。殺す気? あの子――」
氷雨は少しだけ、顔を歪めた。
カイトとクリスは安堵の気持ちも、砂の城のように崩れ去った。
ただ、ハルは真剣な顔を貫く。ユウは同じゲームプレイヤーだ。ハルはそんな彼女を、純粋な気持ちで救いたいと考えていた。同族意識もあるだろう。妹のような気持ちもあるだろう。子供だから今死ぬのは、ということもあるだろう。
でも、現実は悲惨だと考えている。
それは、氷雨とは違う考えだった。
「氷雨君は生き残るよ。多分――」
「だろうな――」
ハルのその意見には、氷雨も賛成だった。
自分には悪運がある。それも強烈な。
あのカナヒトの時もそうだった。一人では護衛たちに囲まれて、死んだだろう。でも、久遠という反逆者も現れ、多くの護衛たちを斃してもらった。
あのミノタウロスの時もそうだった。あのままではあの固い蹄に踏まれて、死んだだろう。でも、名も知らぬ冒険者が現れ、結果的に自分は助かった。
そんな悪運に頼るつもりはないが、少なくとも自分の運は、強烈だった。
「でも、ユウちゃんは死ぬ。助ける気でも、おそらく死ぬ。人質を助けるのは、それぐらい大変なことらしいよ。予想だけど――」
「だろうな――」
「それでもう一度聞くけど、殺す気なの? ユウちゃんを」
人質を助けた上で、敵を斃すのは、思ったよりも難しい。銃などの便利な飛び道具で、相手がこちらを気づく前に全員殺すのが、一番簡単な方法だが“この世界”に銃は無い。弓やボウガンはあるが、熟練した者で無い限り、それは難しい。
そして、この中にそんな者はいない。知り合いもいない。
「本当に……死ぬのですか? ユウちゃんは――」
不安そうな顔で、クリスは尋ねた。
「今は、まだ生きているだろうね。じゃないと人質にならないし。でも、事が終って解放は――万に一つもありえない」
「どうしてですか?」
「だって考えてもみなよ? 憎き氷雨君を殺したとして、ユウちゃんを解放したとする。それなら、ユウちゃんがディアブロのことを絶対に恨むでしょ? そうなれば、ディアブロに、少しでも危険が及ぶ可能性がある。例えば復讐とかね。それは――絶対に見逃せない。それが上に立つ人の選択だよ」
ぐっと、クリスは唇を噛んだ。
よく、分かった、と、思ったのだろう。
「ハルにい、ユウを、助ける方法は……ないのか?」
カイトは希望から絶望へ落とされ、そこから一筋の光を見つけようとした。
だが、
「僕も言いたくないけどさ、無いよ。捕まった時点でほぼ終わり。奴らに交渉を持ちかけることができれば、ユウちゃんは助けられるかも知れないけど、そうなると氷雨君が死ぬ。それは嫌なんでしょ?」
「うん……」
カイトは力の無い頷きをした。
「二人とも助かる可能性は、宝くじが当たる確率よりも低いね。多分。例えば、ディアブロのメンバーが、全員病気で死ぬとか?」
ハルもユウを助けたいと、あの笑顔を守りたいと、本気で思っている。
その気持ちは今でも持っている。
だが、ハルは、現実主義者だった。
いや、現実を生きていたら、こうはならなかったかも知れない。こんな世界に来たからこそ、現実を見なければ生きられなかった。
目の前には、絶望しかなかったこの世界で。
ここは、楽園なんかではない。戻ることもできず、生きることは難しく、明日の生活もままならぬ状況の場所だった。
それに食事も不味い。娯楽も無い。裏切る仲間を作るのは容易く、信じれる仲間を作るのは難しく。
生きてても嫌なことばかりで、それでも死ぬのは嫌で。
ハルがそれでも生きていけたのは、現実を厳しく見つめていたからだ。
「氷雨君、それでもそこに行くの?」
ハルは、彼に問う。
「で、それがどうかしたのかよ? 行くぜ、俺は――」
だが、こんな話で、氷雨が行くのを止めるはずが無かった。
誰よりも自分に正直で、忠実で、短絡的な彼の、姉や祖父でもやっと抑えることのできた狂気を、会って数日のハルが止めるなど、絶対に無理なのだ。
言葉では止まらず、力でも止まらず、止めるには動けなくしなければいけない。
一度溢れだした狂気を止めるのは、それ程難しかった。
「死ぬよ?」
「誰が?」
「氷雨君かユウちゃん」
「俺は死なねえ――」
「じゃあ、ユウちゃんが死ぬ――」
「それでも行く――」
「本気?」
「嘘に見えるかよ、この顔が?」
二人の話は、水かけ論のように続いた。
「嘘には……残念ながら見えない。でも、無いよ。ユウちゃんが助かって、氷雨君が生き残る道なんて」
無理なのだ。
現実は甘くない。
何もかも、上手くいくように、この世はできていなかった。
「さっき、カイトが言ってただろ? 明日までに行かなければユウが死ぬ」
「うん……」
「行っても、ユウが死ぬとお前は言う」
「うん……」
「じゃあ、どうすればユウは助かるんだ? お前の意見では、絶対に助からないだろうが」
「……」
ハルは黙る。
そうだ。それでは、無いのだ。
ユウが未来が。
ハルの意見はとても正しい。間違ってもいない。この世界で、特にこの町で、生き残るには最善の判断だ。
でも、そうすれば、ユウが死ぬ。
幼い命が一つ摘み取られる。
カイトはどちらに転んだとしても、何も言わないだろう。カイトだって、ユウは大切だ。これからも一緒に生きたい。育ちたい。でも、行っても行かなくても死ぬと仮定するなら、カイトは諦めるしかないだろう。
ハルは、まだ黙っていた。
氷雨はそれを見つめる。カイトとクリスは、希望に縋るような眼で、ハルを見ていた。
そしてそれから数分。
やっと喋りだした。
「……考えたら、調べたら、きっといい案が浮かぶ……」
「遅えよ」
ハルの長考の後の答えを、氷雨は一刀両断した。
「今が大体夜の八時くらいだから、ユウが死ぬ夜まで、まあざっと十時間ぐらいか。それだけの時間で、何を考えるんだよ? 敵の数か? 罠か? きっと答えはすぐ出るだろうさ。――無理だって」
氷雨も、馬鹿ではない。
人質は取った者の方が有利なことぐらい、良く理解している。自分の死ぬ可能性が、高いことも。
だがそれでも、行く。
無理だと知ろうと、行く。
死ぬとしても、行く。
馬鹿ではないが、馬鹿だ。
彼の頭は考えるためにあるのではない。頭突きのためにある。
戦いに生まれ、戦いに生き、そして戦いに死んでいくことが、彼の望みだった。
「アニキ……アニキが……アニキは、本当に行ってくれるの?」
カイトが、また泣きそうな顔で聞いた。
「ああ」
「本当に?」
「ああ」
「助かるの、ユウは?」
「ああ」
カイトの質問に、氷雨は滑らかに答えていった。
カイトはまた、笑顔になった。
だが、ハルはぷるぷると震える。そして、爆発した。
「氷雨君! 君は死ぬ気なの! 行ったら死ぬから! もうちょっと調べて考えて……」
「――うるせえよ」
しかし、それに氷雨は、水をかけた。
「待っても、死ぬ。行っても、死ぬ。だったら――行くだろうが。戦わないで殺すぐらいだったら、戦って殺してやろうぜ」
「で、でも!」
「俺が行くと決めたんだ。お前は関係ないだろ――」
氷雨は言い切った。
本気だった。
声に淀みが無かった。
「氷雨君、僕なら、今のうちに侵入して、ユウちゃんを取り戻――」
ハルはユウを助けられる一縷の望みを思いついて、そう氷雨に提案するが、
「――どこにいるんだよ、ユウは? 場所が分からないだろ? もしかしたら、ディアブロのところ以外にいるのかもしれない。それにユウがいる場所は、絶対に警備が厳重だ。そいつらは、寝ずの番だろうな。だから、明日、俺はディアブロに乗り込む。一人で」
彼は断った。
狂気は蹲る。彼の中で。
鬼は悦んでいた。彼の中で。
「……ユウちゃんを、どうやって救うの?」
最後に、ハルは彼に聞いた。
「その時に、考えるさ。きっと、助けるさ――」
「それ、僕もついて行っていい?」
「ユウの面倒は見ろよ?」
「……分かったよ」
この日の夜は、これにて終わった。
獣たちが動くのは、次の日の夜であった。
◆◆◆
ユウは願っていた。
誰も来ないのを。
ディアブロの地下にある、一室の牢屋で。鉄格子の前で、意地の悪い歯を見せた冒険者の醜悪な視線に晒されながら。枯れた涙を示す赤い目で。
本当は、来てほしい。
カイトが、クリスが、ハルが、そして氷雨が来てほしい。
お姫様のように救ってほしい。
こんな暗く、冷たい牢屋になどいたくない。お菓子も食べたい。温かいスープを飲みたい。お腹が、減った。
やりたいことも、してほしいことも沢山ある。
でも、来てほしくない。
分かったのだ。
奴らの罠は、とても手が込んでいる。幾ら氷雨でも、これは突破できないということを。
何故なら、ユウの首には黒く光る金属があった。
『スレーブ』だった。
ユウは例え、氷雨に助け出されたとしても、奴らに解放されないのだ。
この首輪がある限り。
『スレーブ』は、専用のカギで外されない限り、一生その支配は続く。ユウにもその知識はあった。だから、分かってしまった。逃げる様に助け出されても、本当の意味では助からないことに。
そしてこれは、ベルにこのコミュニティに来た時に、泣いて嫌がっても付けられた物だった。
来てほしい。
来てほしくない。
その気持ちの両方が、ユウには混合している。
お姫様になりたい、とそう少し前は思っていた。でも、今は違う。お姫様は、辛いのだ。助け出されるだけで、楽だと思っていたが、実際は違う。
心が、叫ぶ。
痛い、と。
引きちぎれる、と。
矛盾した二つの思いに挟まれて、ユウは苦しかった。
「へへっ……!」
いやらしい視線にも、何も思わない。
「小さいが、中々可愛いな……!」
「だろ?」
「ああ。もしヒサメ? が来なかったら、遊ばしてくれるかな?」
「くれるさ! だって、ベルのアニキだぜ!」
意味が理解不能な言葉にも、何も思わない。
「オレさあ、今すぐ裸にしたいな。あの子――」
「馬鹿! 服を着たまま、が、いいんだろうが!」
将来に起こるだろう羞恥にも、何も思わない。
思うは、矛盾した考え。
助けてほしい。
助けてほしくない。
ただ、この二つだけだった。
この晩、ユウは眠れなかった。