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戦人の迷宮探索(改訂版)  作者: 乙黒
第三章 主と王
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閑話 とある怪物の物語

 それは、同じ夜だ。

 氷雨が修行に苦労し、ベルが情報を集めに裏へと赴く日と、同じ夜であった。空に月は輝いているが、地下にあるそこに、それは輝いていなかった。


 ヴモォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!


 名無しの迷宮(ダンジョン)に、悲痛な叫び声が響く。

 まるで空腹でお腹が鳴っているような音だった。

 “それ”以外の怪物(モンスター)は、身の毛を逆立たせた。反射だ。生来の記憶である逃走本能が、その音によって刺激されたのである。


 それは、そこの、最奥から聞こえる。

 いつまでも、いつまでも消えることは無く、むしろ大きくなるばかりであった。

 出どころは、やはり、ミノタウロス。この迷宮(ダンジョン)で唯一の異常(イレギュラー)とされる怪物(モンスター)で、氷雨が負けた敵であった。

 そんなミノタウロスが叫んでいる理由は、簡単だ。

 敵がいないのだ。

 あれっきり、氷雨を助けた冒険者を殺して以来、この場所には人っ子一人現れなくなった。戦闘を貪る怪物であるミノタウロスは、戦いがないこの時を、酷く億劫だと感じている。


 ヴモォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!

 

 また、それを考えると、ミノタウロスは叫んだ。

 乾きは、消えない。

 肉の火照りは、冷めない。

 腹の虫は、収まらない。

 ミノタウロスはそれらの鬱憤を払うように、持っていた斧で、地面を叩きつけた。石を並べて作られた地面は、斧の自重とミノタウロスの剛腕により簡単に割れる。

 だが、迷宮(ダンジョン)は、生き物のように壊れた部位を直すという性質がある。ミノタウロスが壊したそれは、数十秒ですぐに直った。


 もう一度、地面を叩き割った。

 また、自浄作用で、それは直る。

 再度、地面を叩き割った。

 また、自浄作用で、それは直る。

 最後に、地面を叩き割った。

 また、自浄作用で、それは直る。


 ヴモォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!


 ミノタウロスは、また、叫ぶ。

 こんなもので、溜まりに溜まった憤りが晴れるわけがなかった。むしろ、増すばかり。

 渇きと、飢えと、火照りは、ミノタウロスの中を驚異的なスピードで浸食していった。

 血が欲しかった。肉が欲しかった。戦闘のあの興奮が欲しかった。負ける時の、金切り声が聞きたかった。ミノタウロスは血走った眼で、彼にとっての出口を見た。この部屋にある道は、そこだけだった。

 あそこを出れば何かいるだろうか?

 ミノタウロスは少ない脳で考えた。

 ミノタウロスは生まれてからずっと、ここにいた。逆に言えば、ここから出たことが無い。いい遊び相手である“虫”は、わらわらと湧くので、出たいと思ったことが無かったのだ。


 だが、今は、あの先に“虫”がいるなら、ここから出たいと思っている。

 本当にいるのだろうか?

 虫じゃ無くてもいい。生き物であればいい。

 ミノタウロスは使いなれた斧を、片手で強く握った。その斧は、乱暴に扱ったせいか血糊がへばり付き、どこの刃も欠けている。


 けれども、ミノタウロスはこれさえあれば勝てると思っていた。否、この斧を持って、負けたことが無いのだ。絶対強者として生まれたミノタウロスは、自分が負けるという想像をしなかった。負けたことがないので、出来なかったのである。

 いや、とミノタウロスは己を振り返った。

 一人だけ、これで戦おうと思わなかった者がいた。


 ――氷雨だ。

 舐めていたのだろう。素手である彼を。

 これまでの冒険者は皆一様に弱かった。それと同じく、皆一様に武器を持っていた。だから、ミノタウロスは、二十回目の戦闘で、斃した冒険者の武器である斧を手に取った。

 他にも、武器は沢山ある。剣、槍、弓、槌など、ミノタウロスが斃した者の武器が、この部屋には雑に転がっていた。その中で斧を選んだのは、これが自分に一番合っていると、本能で分かったのだ。

 それからの戦闘は、楽だった。

 “虫”の攻撃を、斧で防げば大したダメージにはならない。が、素手の時はそうとはいかなかった。防げば防ぐほど傷は増え、死ぬ前に冒険者を殺さなければならない。それは今でも、大変だっと思う。

 

 しかし、斧を持ったミノタウロスは違う。

 冒険者を一方的に蹂躙できた。

 まさしく、鬼に棍棒。もし、このことを誰かが知っていたら、ミノタウロスに斧、という言葉もできるかもしれない。

 この武器を使うだけで、一歩、ミノタウロスは強くなったのである。


 だが、氷雨を見た時は、どうも武器を使う気にはなれなかったのだ。

 彼は素手だった。昔は己も素手だったから分かる。便利な道具である武器を、何故、その“虫”が使わないのか、という疑問が浮かんだのだ。まあ、そんなモノは戦闘本能にすぐ消し飛んだが。

 ミノタウロスは武器を使わない相手に、武器を使うのは気が引けた。

 獣のプライドが働いたのだ。

 素手で戦う者には、素手で戦う。

 “虫”と自分との種族の差を、感じ取れ。

 そう考えたミノタウロスは、斧を手に取らなかった。


 そこからの戦いは、ミノタウロスにとって甘美の時間だった。

 拳を、振るう。

 “虫”が、避ける。

 拳を、振るう。

 “虫”が、避ける。

 それが最後まで続き、やっぱりミノタウロスが勝ったが、それでも愉しかった。これまでの“虫”とは、毛色が違う“虫”だ。


 その“虫”は弱い種族なのに、何も持たなかった。ギラギラと眼が輝いていた。その状態でも、最後まで勝てると信じて迷わない戦い方だった。負ける時も、一切泣き言を言わなかった。それどころか、弱い自分を悔いていた。ミノタウロスは人の言葉が分からないが、あの表情で分かる。あれは、自分と同じ“鬼”の貌だった、と。

 誇り高かったのだ。

 あの“虫”は。氷雨は。


 あれと、もう一度戦いたいとミノタウロスは思った。

 あの時、あれを殺さなかったのはミノタウロスにとって後悔していた。他の“虫”に気を取られ、あれを見逃した、と。

 だが、今はそれでいいと思っている。

 あの貌は負けたままで終わる貌ではない。むしろ、もう一度奮起し、勝てる気満々で目の前に立とうとする貌だ。

 ミノタウロスは、もう一度あの戦いが味わえると思うと、嬉しかった。

 肉が、歓喜のあまり震えたのだ。

 戦いたい、戦いたい、戦いたい。あの“虫”と、もう一度戦いたい。


 ミノタウロスは、もう一度出口を見た。

 もう、その先への興味は湧かなかった。

 いや、薄れたのだ。

 “虫”が、来る。冒険者が、来る。氷雨が、来る。

 そう思うと、ミノタウロスはその部屋の中心で、どっと胡坐をかいた。

 目移りはしない。

 ミノタウロスの頭は、もう、氷雨で埋もれている。

 恋焦がれていたと言ってもいい。

 ミノタウロスはこの時、ある意味で、氷雨に惚れていた。

 ミノタウロスに生まれた初めての感情であった。

 ミノタウロスに惚れられた氷雨は、不幸なのか、幸福なのか、それは渦中の本人でさえも分からないだろう。

 ともかく、ミノタウロスは待っていた。

 氷雨を。

 それを己の中で再確認すると、


 ヴモォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!


 ミノタウロスは、今度は喜びの叫びをあげた。

 それはまた、迷宮(ダンジョン)中の怪物(モンスター)を恐怖へと巻き込んだ。

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