表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
戦人の迷宮探索(改訂版)  作者: 乙黒
第三章 主と王
46/88

第八話 修行

 その日の夜のことだった。

 隣のベッドでは、クリスたち三人が寝ていた。

 氷雨はやはり、この日も、ムクリと起き上がる。近くにあったマントを取った。用意していた手拭いも取った。

 ――修行のためだ。それが他の三人も分かっているため、彼には全く声をかけなかった。今日は先日とは違い、尾行するつもりなど毛頭ない。だから他の三人は、同じベッドで川の字になりながら、ぐっすりと寝息を立てているのだった。


 氷雨は穏やかな寝顔を、無防備に見せる三人を少しだけ見てから、部屋を出た。

 まず、彼が外に出て始めたのは、柔軟だ。四肢を全て柔らかくするために行い、終わると、カイトが追いかけてきた時と同様、走り出した。

 町中を、メインストリート、裏道関係なく、彼は走りまわった。


 これはスタミナ作りのためだ。

 数日後に控えたミノタウロスとの決戦。

 体力が、いる。ミノタウロスと一戦交えるだけの体力が、自分にはあるかと氷雨は問う。すぐに無い、との答えが返ってきた。


 ミノタウロスは、そこ等にいる雑魚ではない。

 戦い、生き残った氷雨だからこそ分かることだ。奴との対戦は、おそらく激戦になるだろうと悟っていた。

 となれば、激戦を耐え、勝ち抜く体力が、スタミナが、必要になる。

 修行にかけれる期間は、残り五日だ。一日は名無しの迷宮(ダンジョン)の攻略に費やし、ミノタウロスと戦う予定だ。それを過ぎたら、ほかの冒険者に獲物を横取りされる恐れがあるからだ。


 スタミナもそれまでに、どれだけつけれるかは分からない。

 今日までの期間も、数日後のミノタウロスとの決戦のためにスタミナをつけてきた。今の肉体には、自分の全盛期だと思う肉がついている。それぐらい、肉を作り、体に付けた。

 これぐらいで十分かと、氷雨は自分に問う。返答は、無かった。


 当然だ。

 戦いは、これぐらいあれば勝てる、このぐらいあったら勝てる、といった単純なものではない。

 だから人は試合の前には、まず、体作りから始める。不安なのだ。勝てるかどうか分からない、どれだけ修行しても、練習しても、これで相手に届くかどうかは、試合が始まるまで分からない。その過程には、体を潰す者もいる。


 体作りは始めたら最後、体が壊れるか、それとも体が作れるかの二択なのだ。もしくは途中で諦め、中途半端な体つきになるか。その天秤を上手に操ってこそ、いい肉体が作れる。

 そんなプレッシャーと、氷雨は走りながら戦っていた。すぐに、負けそうにもなる。心が挫けそうにもなった。


「はっ……はっ……」


 息が漏れる。

 全力で走っているので、肺が酸素を求めている証拠だ。

 不安だった。勝てるかどうか分からないから、まだ走らなければ、と氷雨は考えていた。どこで走るのを止めていいか、何日走っても、未だにそのタイミングが分からないのだ。


 やがて、休憩なしに走っていると、足が止まりそうになる。

 そこをもう一踏ん張りする。

 足がもつれそうになるまで、氷雨は走るのだ。

 そしてそこまで来ると、今度は、氷雨はいつもの広場へと移動した。


「氷雨くん、今日は何をするの? また、昨日と同じメニュー?」


 そこにはハルがいた。

 今日も、氷雨の修行の見守りに来たのだ。

 これもいつものことだった。ハルは氷雨とミノタウロスのことでとある契約を交わして以来、氷雨がどんな手段を経て、強くなるかをとても楽しみにしているのだ。

 

「一応な、ちょっとだけ変えるつもりだ」


「へえ~。楽しみだなぁ。君は、この世界に現存する他のどの冒険者とも一風違うからね! 楽しみだよっ!」


「それはどうも――」


 ハルがこれまで会ってきた冒険者の、強くなる方法は簡単だ。

 迷宮(ダンジョン)に行き、強い怪物(モンスター)を数多く狩れば、それだけで力量(レベル)が高くなり、強くなれる。この世界ならではの手段だ。


 だが、氷雨は違う。彼は、修行というあの世界の技術で、己を高める。しかも、それが、また異質だ。

 体力をつけ、筋力をつけ、技術をつけ、その上で戦うなど、そんな技術はこの世界には存在しない。消え去ったかのように、誰もそんな方法知らなかった。


(氷雨くんは……何者? もしかして……)

 

 もしかして、とハルは思う。

 だが、ハルは何も聞かなかった。

 そして、ハルは氷雨を見た。集中していた。目を瞑り、腰を低くしている。手は軽く握り、腰の位置だ。まるで波が立たない水面だった。

 ハルはそれに水を差さないよう、近くの地面に腰を下ろしていた。


「ふう……」


 氷雨は深呼吸を一回し、ランニングで乱れた息を整えた。

 体が、止まる。思考をまわす余裕が、生まれた。

 すると、雑念が浮かぶ。この複雑な世界で、力量(レベル)を上げずして、本当に上手くなるのかという疑問だ。素直に他の人間と同じように、力量(レベル)を上げた方がいいのではないか、という選択肢も彼の心の中に浮かんだ。


 雑念が、心を乱す。

 こんな修行をして何になる? もっと効率のいい伸ばし方があるのではないか?

 彼の心に、一滴の水が落ちた。それは波紋を生み出し、水面を大きく揺るがした。やがて波は消えるが、余韻は消えない。

 氷雨は、挫けそうになる。修行から、強くなるという手段から、ミノタウロスに勝つという目的から、まるでそんな全てから逃げ出したい気持ちに襲われた。


「ふう……」


 氷雨はもう一度深呼吸をした。今度は乱れた心を整えるためだ。

 雑念を、無くす。心に、荒波を立てない。あくまで静かな水面。それを氷雨はイメージした。今度は、何も――落ちなかった。

 彼は、それから、技の確認を開始した。


 内容は、いつもと殆ど同じだ。

 自分がいつも出す技を、一つずつ丁寧に確認していくのである。

 突き、手刀、貫き手、上段蹴り、中段蹴り、下段蹴り、『竜巻』、『驟雨(しゅうう)

など、体が淀みなく動くように、それぞれ10セットずつ行っていく。


 どれも綺麗だった。

 だが、これはあくまで確認だ。ミノタウロスに負けた前日も、同じメニューを行っていたが、その時も十全に体は動いた。

 氷雨は一時間ほどかけて先のメニューを終わらすと、ハルから水筒に入った水を渡された。それを飲むと、また、思考をまわす余裕が生まれる。


 雑念が、また生まれた。

 これで、本当に勝てるのか? いや、勝てないはずだろう?

 ミノタウロスにかなわなかった技の数々。いや、そもそもそれを当てる技量さえ、自分には無かった。

 水滴が、また、落ちる。心を掻き乱す。ぐちゃぐちゃに。まるで透明な雫ではなく、汚れた雫が落ちたようだ。

 今度は水面ではなく、綺麗な水を汚された。


「ちっ……」


 集中できなかった。

 氷雨は邪念が生まれてしょうがなかった。

 おそらく、それは、初めて戦う敵を、明確に決めた為だろう。

 氷雨はこの世界に来てからも、そして来るまでも、敵を定かにして修行したことなどなかった。単に、ただ強く、誰でも勝てる様に、そんな考えで鍛えてきた。

 それでもいいと、思っている。その考えは今でも変わらない。現に、その考えで来たからこそ、この高みまで登れたのだ。


 だが、今はそれでは足りないと、内側が叫んでいた。

 ミノタウロスに負けたからだ。

 あれは、衝撃的だった。祖父にも負けていた。姉である雪にも負けていた。しかしあの“負け”は、祖父や姉に負けたこととは、何かが違う。根本的に違う。

 確かに、祖父や姉に負けたのも悔しかった。だから氷雨はそのことをバネにして、頑張ってきた。


 だけどミノタウロスに負けた時は、“悔しい”のではなく、“惨め”だったと氷雨は思う。

 負けただけならいい。だが、殺すのを後回しされる程の強さだった。殺さなくても、脅威にならないと思われた実力だった。

 それが、雫となり、心に落ちて仕方がない。

 喉を潤す今も、それは変わらなかった。


「どうかしたの? 氷雨くん」


「……」


 技の型の確認を終わらせた氷雨が、続きを何もしないことに疑問を持ったハルが声をかける。そんな氷雨は、口角の端を少しだけ上げていた。

 だが、そんな言葉は、氷雨の奥底までは響かない。

 彼は戦っていた。

 何と?

 欲望と、だ。この修行を無茶苦茶にして、あの自分より高見にいるミノタウロスから逃げる。そんな恐怖から逃げる欲望から、氷雨は真っ向から戦っていた。


 確かに、氷雨はミノタウロスと戦いたい。だが、それと同じくらい戦いたくなかった。

 次は、勝てるかもしれない。だが、次も、負けるかもしれない。

 彼はもう、負けたくなかった。だからミノタウロスと戦いたくない。このまま地の果てまで、自分を知る者がいない地平線まで逃げたい、という思いも、少なからずだが心の中にある。


「氷雨……くん?」


 ハルは獰猛な獣の眼になっている氷雨を、不安そうに見つめる。

 またも、氷雨からは返事は無い。

 代わりに彼は飲み終わった水筒を、ハルに投げる様に渡す。そのまま。心の波紋と、淀みを、強引に精神力だけで、押さえつける。


「かっっ!!」


 さらに、気合いで制した。

 そのまま氷雨は次の行動へ、移動する。

 体制は低く、手を虚空へと置くように付けた。まるで幽霊を斃すような、そんな感じだ。

 そして――拳を空に浮かせたまま――突き出す。


 踏み込んだ足で、貯める。

 捻る腰で、増幅し。

 伸縮する背筋で、集め。

 太い肩で、支え。

 強い手首で、押し出し。

 固い拳骨で、敵を狙った。


 激しい音を挙げて、空気を切り裂きながら氷雨の拳は空中を突き進む。

 

「ヒュウッ!」


 ハルはこの素晴らしい技に、感動の息を漏らす。

 だが、氷雨は拳をやがて開き、体の近くに戻しても、釈然としない顔をしていた。やっぱり納得していないようだ。

 今のは、いい一撃だろう。それは氷雨も、感じ取っている。

 だが、どこか足りない。不完全だ。氷雨はこの技を一度も成功させたことがない。だからどこが間違っているか、は分からない。しかし完全な技とは、どこか、明らかに違った。いくら彼でも、それだけは本能で感じ取れた。


 また、水滴が、心に落ちる。

 こんな成功したことがない技を練習して、本当に習得できるのか? 時間の無駄ではないのか? そもそもそれがあいつに通じるのか? 効かないのではないか?

 水滴は、氷雨の集中を騒がせる。

 先ほどの新技を行おうとした集中力は、もう、ない。あの強い精神力で押さえつける荒技をする余裕も、氷雨には無かった。

 

「俺……今日は帰るよ」


「そう? 今日はいつもと違って凄く短いんだね!」


「ああ……なんか、集中できなくてな……」


「分かった! じゃあまた明日! 時間も場所も、昨日と同じでいいよね?」


「ああ――」


 氷雨はそのまま、宿へと帰って行った。それが小さくなるまで、ハルは彼を見ていた。どこか彼の背中が猛々しく、大きくなっているような気がしたが、ハルは次の日には元に戻っているだろうと考えている。


 一方の氷雨は、ランニングをしながら宿へと戻っている。

 最低でも体を動かしておけば、余計な考えをせずに済むと思ったのだ。それは正解だった。氷雨は足が棒になるまで、走り続けた。

 クールダウンとは言い難い。明らかなオーバーワークだった。けれどもそれを止める勇気は、彼には無かった。

 今日の修行――何一つ上手くいっていないからだ。

 無駄な思考に邪魔をされ、貴重な時間を減らした。集中力が欠け、修行の質も落ちていた。さらには、ハルに心配される程の墜ちようだった。

 最悪だった。

 それを取り戻すため、氷雨はいつも以上に走っていたのだ。

 

 そして、足がフラフラになりながら宿に戻ったころ、氷雨は井戸に向かう。近くに脱いだマントと服を置いた。カランカランと、縄を引っ張り、水を木で出来た桶ですくいあげた。

 彼の体には、熱が宿っている。あれだけ、走ったからだ。

 氷雨はそれらを冷ますため、桶を両手で持ち、全身にぶちあてたのだ。

 冷たい水は、心地よく全身を冷ましてくれる。

 氷雨はそんな気持ちいい水を浴びてから、持ってきた手拭いで全身を拭いてから、服を着る。それから、宿の部屋へと戻る。


 そこでは、やはり、三人が川の字で寝ていた。

 穏やかそうな寝息を、三人とも浮かべていた。

 ふと、氷雨はその中の一人であるクリスが、目に入った。精巧な西洋人形のように整った容姿と、銀糸のような髪が目につく。


 また、心に、雫が落ちた。

 ドス黒い雫であった。冷ました体に、熱がもう一度宿る。――欲望だ。溜まり募った鬱憤が、色欲へと代わり、その矛先がクリスへと向いたのだ。絶世の美女だからであろう。

 カチカチと、氷雨は歯を鳴らした。

 このまま寝ている彼女を、力づくで抱くのは簡単だ。寝ているし、力も自分の方が強い。それに買った奴隷なので、言い訳も容易に付く。


「クソっ!!」


 近くの壁に、氷雨は軽く拳を打ちつけた。

 鈍い音が、壁を伝い宿中に響く。

 その音で氷雨は正気を取り戻せた。

 何を考えているのだ、と。

 修行が上手くいかないことに、女へと逃げそうになるのを、氷雨は恥じたのだ。決して、武人だから女を抱かない、そんな理由ではない。

 何かが予定通りに行かず、それを晴らすために女を抱こうとした自分が、とても嫌になったのだ。

 ちなみに、クリスはその音で実は起きていた。氷雨の欲望に駆られた雄の顔を、少しだけ開いた眼で見ていたのである。


 その視線に気づかぬまま、布団を頭から氷雨は被り、そのまま眠りについた。

 ミノタウロスとの決戦五日前。

 ――彼の心は、グチャグチャだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ