第五話 談話Ⅲ
楽しみにしていた皆さん、最新話の公開がやっとできました。
ゆっくり読んでいただけると、作者としてもとてもうれしいです。
(アニキは強い――筈だ。これまでだって勝ってきた……。噂だって有名)
カイトから見て氷雨の強さは、このエータルでも上位に入る、と思う。ベルに勝ち、冒険者の中で噂になるレンにも勝った。カイトが小耳にはさんだ情報では今やこのエータルで少し噂になるほど、氷雨の強さは一人歩きしていた。
――曰く、低力量で鬼のように強いヒサメという男がいる、と。
だから、カイトは氷雨に聞いたのだ。
「で、アニキ。なんで、修行なんかしていたの? アニキほどの強さがあったら、もう強くならなくていいだろ?」
と。
それ以上強さを求める理由が、どうしているのかと。
「ふん、俺が強いって? 何馬鹿言ってんだよ。強かったら――負けるわけねえだろが」
カイトの質問に、氷雨は口を尖らせながら答える。
「そうだよ。氷雨くんは先日負けたから、修行していたんだよ」
ハルもそれに付属するような形で、補足した。
すると、カイトとクリスは沈黙する。信じられないことを聞いたが故の、生理的行動である。
「……えっ、アニキ、負けたの?」
「……ひ、ヒサメさん、負けたんですか?」
二人の声は驚愕のあまり、か細くなった。
大声など出ない。否、そんな余裕すらなかった。目を点にし、氷雨を凝視して、次なる返答を待った。
「ああ、負けたよ――」
でも、返ってきたのは予想通りの言葉だった。
それにカイトもクリスも言葉が出ない。何を、どんな言葉をかけていいか分からないのだ。
――氷雨は、これまでただ、強かった。
どんな強敵にも勝ち、数が敵でも負けたことはない。ワルツとの時だって、結局は退けられた。そんな氷雨を二人は尊敬していたのだ。
だが、負けた。
実際に自分が負けたわけではないのに、氷雨が負けたと断言して二人の気分は落ち込む。本当は、負けた氷雨の方が辛いと、分かっているはずなのに。
「ふーん、氷雨くん、よっぽど信頼されているんだね。――その強さ。ここまで落ち込まれると、さ。まるでばらした僕が悪役みたいじゃないか」
「あっそ――」
「あー! 冷たい! やっぱり氷雨くんは、僕に対して厳しいよねっ!」
氷雨とハルは、それをどうでもいいことのように流していた。
カイトとクリスはこれにまた、いたたまれない気持ちになった。触れなければ良かった。見て見ぬ振りをすれば良かったと。
しかし聞いてしまった。
そんな罪悪感を感じていた二人は、しっとりと考え込む。そして最初に口を開いたのはクリスだ。
「――ヒサメさん、負けたんですよね? でも、次は勝ちますよね?」
後光が差すような笑顔で、クリスは笑っていた。
そう彼女はまだ信じていたのだ。
彼の、強さを。
疑うわけがない。彼がワルツから自分を救ってくれた。そのワルツを追いやった強さを、自分が信じないわけがないのだ。
「当然だろ――。二度負けるなんて、考えられねえよ」
氷雨はニヒルに笑う。
それを面白がるように、またもハルが付属した。
「へえー、自信満々だね。まあ期限はあと一週間ってことを忘れないでね?」
「どういうこと?」
「簡単だよ。僕の買った“権利”があと一週間で切れるんだ。だから、それまでに氷雨くんがあいつを斃さなければ、――僕があいつを斃すんだよ」
ハルはポカンと意味が分からない顔をする二人に、ニッコリと微笑んだ。
「まあ、分からないのも無理は無いよ。そうだね。どこから話そうか?」
「どこからでもいいよ」
カイトが相槌を打った。
「……」
だが、氷雨は何も言わなかった。元より説明が下手で、何かを語るのが嫌いな彼だ。こういった面倒なことは、全てハルに任せたらしい。
ハルもそれは分かっている。短い付き合いながら、無駄なことを喋ろうとしない彼の代弁をしようと思っているのだ。
「まずはこの町の“裏”の仕組みを話した方がいいかもね――」
そして、ハルは事の顛末を話し始めた。
◆◆◆
このエータルは治安が悪いのもそうだが、“力”がモノを言う町だ。
財力、権力、暴力など、とりあえず“力”さえあれば生きていける。逆に“力”が無ければ死ぬか、惨めな人生を送るだけだ。
その中でも、今回、ハルがモノを言わせたのは――財力だった。
金だ。圧倒的な資金力で、ハルはこのとある“権利”を買ったのである。
それが――迷宮の独占使用権だ。
ハルはとある目的から、それを手に入れた。とはいっても、永久の迷宮の使用権ではない。昔、そこを買いたい者がいたが、町の冒険者の多くの暴動が起きる可能性を危惧したため、断った。
だが、ハルが買った名無しの迷宮なら別だ。
ボスは特別に強い怪物が出るが、基本は低い力量でも立ちこなせる場所だ。だからこの町の方である騎士たちは、彼女に使用権を売った。
たった二週間の制限をするだけで5000万ギルを貰えるなら、得と考えたのである。
一部弱い冒険者はそれに文句言ったが、それは少数のこと。人数が少なかったのですぐに騎士が取り押さえ、ことなきを得た。
――その一方で、そんな文句の言う少数の冒険者の一人が、氷雨だった。
初日、あれに負けた日は普通にそこに入れたのに、二日目からは制限がかかり入れなくなった。それに氷雨は怒りを覚え、そこを守っていた兵士を八つ裂きにしてから入ろうかと思ったが、止めた。
それをすればこの町で過ごしにくくなる、と考えたのだ。
氷雨はただの馬鹿ではない。
ただのチンピラが相手ならいいが、“法”と呼ばれる騎士たちに絡まれるのは、この時は、その時ではないと思った。最も、彼にとっての都合がよくなれば、いつでも戦いを仕掛ける気であるが。
今の敵は、あのミノタウロスただ一人。
そんな熱が、心に燻っていたためだった。
そして、氷雨は何とかカイト以外の情報屋を捕まえ、ハルの位置を探しだした。
会うと、いきないこんな提案をしたのである。
「お前が、何の目的で、どんな都合で、あの迷宮の権利を買ったのかは知らない。だったら、俺にその権利を売ってくれ。金も払う。その迷宮で出たアイテムも全てやる。だから、そこにいるボスとは――戦わせろ」
随分な物言いであった。
それは、暗雲が立ち込めるとある晩の、あの氷雨が修行していた公園での、ことであった。
ハルは、最初はビックリしていた。声も出なかった。ただ目を広げ、氷雨を見ていた。
恐ろしい、数メートル離れていても、ハルはそう感じた。高圧的な目。灰色のマントで隠した肉。決して拭えない恐怖から。
「それは本気かい?」
ハルが、殺気立った氷雨へと聞く。
声は震えていた、と今では思う。それぐらいハルは、氷雨にその時は怯えていた。
「ああ、本気じゃないならこんな頼みはしない」
「もし僕がそれを受諾して、君が得るものはあるのかい?」
ハルが続くように質問した。
金も払う。報酬も、迷宮で出たアイテムの権利も、全ていらないのなら、“冒険者であろう彼”は、何も得ないではないかと思ったのだ。
もしそうなら、契約の途中で裏切られる可能性があるからだった。
「ある。ミノタウロスと戦えるだけでいい。それが、俺にとって、最高に得るものだ」
氷雨は歯を剥き出しにして、ハルへと嗤いかけた。
また、ハルの背中にどす黒いものが現れた。これが本当だと、そして本望だと分かったためである。
そう、氷雨はそれだけで満足だったのだ。精神も、肉体もそして眠る熱でさえも。
氷雨の肉は、疼いていた。
ミノタウロスに負けたそれを思い出すだけで。負けた時の悔しそうな吐息が蘇るだけで。
止まらない。
これは死んでも止まらない。氷雨の今は、ただミノタウロスと戦って、勝つことだけにあるのだった。
「……分かったよ。それは……譲るよ。金もいらない。報酬も、少しだけなら払う。でも、ミノタウロスから出るであろう“ある”アイテムは貰うよ?」
ハルは恐かった。
目の前の氷雨もそうだが、それと同じくらいミノタウロスと戦うのが怖かった。
ハルもゲームプレイヤーだ。それも、平和な国に生まれたゲームプレイヤーだ。戦闘中に湧き上がるのは、死ぬ恐怖。できれば味わいたくない感情だった。
だから、この恐怖を、誰かに譲りたかった。
「ああ、それでいい。俺にとっては好条件だ」
「分かった。ただし、僕が持っている権利は残り十二日。最後の日に斃せなければ、僕がミノタウロスを斃す。それでも、いいんだね?」
「分かった」
こうして、氷雨とハルは契約を交わした。それは今でも実行中だった。
それから数日後の今日まで、殆ど二人は時を一緒に過ごした。なんてことはない。ただ、ハルが氷雨に興味を持ったのだ。
強さに惹かれる彼の強さは、何なのだろうと。
◆◆◆
「こうして、僕と氷雨くんは今に至るのでした。チャンチャン!」
最後にちょっとボケたようにハルは締めくくった。
「それって、本当ですよね?」
「そうだよ」
戸惑いを隠せないクリスに、無邪気な笑顔をハルは見せる。
「えっとまあそれが本気とすると、ハルさんはミノタウロスより強い。とすれば、ミノタウロスに負けたアニキより強いんだろ?」
カイトはふと、思いついたようにハルに聞く。
「そうだね。氷雨くんは僕よりも弱いんだよ!」
ハルはニヤニヤと氷雨へと笑いながら、答えた。
最初はあんな関係だったが、今では軽口を言えるような仲になっていた。ちなみに、氷雨は弱いと言われて、ムスッとしていた。
「へえ~そうなのか~。でもそんなに強くは見えないよ」
カイトはじっくりと、つま先から頭の天辺まで観察した。
強そうには見えない。
身長も低い。体が薄く、筋力も少なそうだ。武器も持っていない。唯一持っているとすれば、鈍器になりそうな分厚い本だろう。
「そうだよね。まあ、僕は魔法を主に使うタイプだからしょうがないよ、それは」
そしてハルは、氷雨にも振り返った。
「氷雨くんも知らなかったよね、僕の強さ?」
「ああ」
「じゃあ丁度いい機会だし、明日は、永久の迷宮に行こうか? 僕の強さを分かってもらいたいし!」
「はっ……!?」
このハルの提案に、氷雨は情けない声が出た。
行きたくないのだ。今は修行に精を出したい時。そんな暇つぶしに付き合っている暇もなかった
「オレも行きたい!」
「私も同じ魔法タイプとして、戦い方を学びたいです」
だが、カイトとクリスは賛成しだした。
氷雨の無言の否定も気づかれぬまま。
こうして、次の日。彼らは、迷宮へと潜ることになったのだった。