第三話 談話
月がまた沈んだころ、氷雨は小さい背もたれ付きの椅子に座っていた。
安い木製なので座り心地は悪い。だが、彼はそれに何の愚痴もこぼさず、他の四人が占領するベットを遠い目で見ていた。
まず、喋り出したのは、ユウを膝の上に乗せたクリスであった。
「ヒサメさん、色々とお尋ねしたいことはありますが……まずはその男性のことを聞いても宜しいですか?」
カイトに言われ、その者に説得されて、ここに来た氷雨だが、最初にクリスとユウに驚かれたのは言うまでもない。
まさか、疑惑を抱いていた張本人と、調査一日目で対決するとはクリスも思ってなかったのである。しかも、見知らぬ人物を連れて。
「ああ、僕? 僕はハルだよ。短い付き合いだと思うけど、これから宜しくね!」
「うん! わたしはユウだよ!!」
「……私はクリスティーナです」
クリスとユウは、その者改めハルにそれぞれ簡単な自己紹介をした。
ユウはハルに全く懐疑の目も向けていないが、クリスは違う。常人ではない氷雨の知り合いなのだから、とハルに疑問の視線を送っていた。
「ん? どうしたのかな?」
「いっいえ! 何でもないです……」
ハルも、クリスからのそんな強い眼光に気づいたのだろう。
思わず、聞いてみる。
帰ってきた返答は月並みのものであったが、それから、射抜くような威圧が消えたので、ハルはそれ以上追及しなかった。
「う~んと、ええっと、ききたいことがあるんだけどいいかな?」
ユウは、ふと、思いついたようにハルに質問した。
単なる勘に近い予想であった。“ハル”という名前に、彼女は故郷の哀愁のようなふとした違和感を抱いたのである。
「うん、いいよ」
「それじゃあ、もしかして、ハルにいって――わたしとおんなじにほんじん?」
それは――ゲームプレイヤーかどうか。
“同じ”ゲームプレイヤーのユウだからこそできる質問であった。
季節は春。地元に咲く桜。父母と見た綺麗な桃色の木を、ハルという名前から、ユウは思い出したのである。
「えっ!?」
「ほんとっ!?」
そのユウの発言に、反応した者がいた。
クリスとハルである。
「ユウさん、本当に日本人――いや、ゲームプレイヤーなのですか?」
「うん! げーむぷれいやーはよく分かんないけど、わたしはにほんじんだよ!」
「馬鹿ユウ……それは黙っとけって……」
元気に片手を挙げるユウに、クリスは驚嘆し、ハルの隣に座っていたカイトは静かに嗜める。
ユウはすぐに反省したように頭をうなだれた。
「あっ……カイにい、ごめんなさい……」
「もういいけどさ……」
カイトは、自分を落ち着けるために溜息を吐いた。それには、怒ってないよ、とユウに伝えるためでもあった。
実はカイト、この不法都市エータルに住んでから、ユウと約束したことがある。無闇に、自分が地球の世界のことを言わないという約束をしたのだ。それは、新たな厄介事を起こさないためである。
「でも、それではどうして、私がゲームプレイヤーと言った時、少しも反応しなかったんですか?」
クリスが抱いた疑惑である。
数日前、確かに、自分はゲームプレイヤーだと、ユウ達の前で言った。だが、その時は、二人とも少しの反応もしなかった。だからか、この二人はゲームプレイヤーではないと思っていたのである。それは、氷雨に対しても同じである。
ちなみに、この時またハルは目を大きく見開いていた。ユウの他に、カイトとクリスが新たなゲームプレイヤーだと、知ったためである。
「おねえちゃん、げーむぷれいやーってなに?」
「クリスねえ、オレはその意味分かるけどさ、そんなこと言ったっけ?」
「えっ、でも確かに……」
と、クリスは数日前、言った事を振り返る。
(言ってなかった……)
そして、数秒後、完全に思い出した。
あの時の説明では、直接的にゲームプレイヤーだとは言ってない。
最初に、“ゲームをログアウトした直後”と流すように発言したのである。しかも、話の大部分は、ワルツのことであった。
それでは、幼い彼等が気づかないのも当然だ。
(そういや、ユウは“じじつはしょーせつよりきなり”って……)
ここにまた一人。椅子に座っていたゲームプレイヤーがいた。腕を組み、足を組んでいる氷雨がいた。
氷雨は、クリスはゲームプレイヤーだと、“ゲームをログアウトした直後”という発言で気づいていたが、カイトとユウをゲームプレイヤーだとは考えてなかった
しかし、今思い返してみると、数十日前にユウが“しょーせつ”と口に出していた。
しょーせつとは、小説のことだ。
舌足らずだが、誰でも分かる。
(それに、誰かが紙は高いとも言ってたような……)
誰かは忘れたが、確かに――紙が高い、と耳にしたことがある。
それらを総合して考えると、紙が発達していないこの町で――どうして小説という単語を知っているという疑問に達した。
あの時は、事実は小説より希なり、という“慣れ親しんだ”ことわざに騙されたが、今ならこう分かる。
――ユウはゲームプレイヤーだと。
小説という単語を知っていることや、このことわざをを知っているのも、もちろんゲームの世界だからという説明は――つかなかった。
もし、ここがそれだとしても、仮想現実をよりよく体験して貰うために、違和感を感じさせないような作りにしている。
例えば、日本のことわざはこの世界の住民は知らないし、紙を知らない者は小説を知らないだろう。もちろん、桜や市松人形もNPCは知らないだろう。
これはゲーム会社が、全て意図してやっているので、やはり、ユウに関する氷雨の推察は正しいのであった。
(言う必要はねえよな)
だが、氷雨は、仲間の三人が“ゲームプレイヤー”だと気づいても、自分が“ゲームプレイヤーだとは告白しない。
その理由は、他の四人の話を静かに聴いている彼の心中のみが知っていた。
「君たちは、本当にゲームプレイヤーなの?」
そして、そんな考えに氷雨が浸っている時、ハルは搾り出すように声を出した。
「おう!」
「うん!」
「はい」
三人がそれぞれした返事は、どれも揃っていた。
「いや、僕もご察しの通り、ゲームプレイヤーだけどさ……まさか、この町で生きていけるなんてね……」
ハルは苦い顔をしている。
ゲームプレイヤーが全くいないと思っていた町に、まさか三人“も”いるなんて、想像すらしていなかったのである。
「それ、どういう意味だ?」
「だってさ、ここほら、治安が悪いでしょ? 平和に溢れた日本人が住んでたらさ、例えば、身包みはがれたり、奴隷にされたり、殺されたり、結果は目に見えてると思わない?」
そのハルの言葉に、反論できるものは誰もいない。
事実であるからだ。
例えば、この町に来た当初のカイトとユウは身包みはがされたり、クリスは奴隷にされたり、と散々な目に会ったことがある。
殺された者も、幾人かはいるだろう。
ただ、日本人だけとは限らない。この世界に普通に生まれた時から住んでいる者であっても、エータルに入って殺される、といったこと自体は珍しくなかった。
そう云った噂はこの町に住んでいると、時たま耳にすることがある。ただ、病的に強い者は例外に入るが。
「だから、エルフィンの森に召喚されたゲームプレイヤーの殆どは、ここではなくクリカラに行くんだよ。そして、多くのゲームプレイヤーが集まっている“ヴァイス”を目指す。僕もヴァイスから来たしね!」
笑顔でハルは言う。
それに反応した者が二人。
カイトとユウである。お互いがお互いを激しく睨み、牽制しあっていた。最初に動き出したのはユウ、クリスの膝の上から飛び出し、カイトへ跳ぶ。
「カイにい! だから、あのとき、ばぁいすにいこうっていったじゃん!!」
そして、そのまま、カイトの頬を引っ張った。
「へっ! ユウこそ、オレの意見に絶賛賛成中だったろうが!!」
カイトもそんなユウに対抗してか、彼女の頬を引っ張る。ベットの上を転がりながら、二人は激しい喧嘩をしたのである。
そんな取っ組み合いが始まる少し前、カイトの隣にいたハルはクリスの隣へと避難していた。
「ユウ、お前があの時反対しとけば!!」
「カイにいこそ、あんな案を思いつかなければ!!」
二人は騒ぎながら、お互いの主張をぶつける。
夜中なので、宿に泊まっていた他の客からすると、とても傍迷惑な行為である。
「凄いよね。あの二人」
そんな二人の微笑ましい光景を、ハルは瞠目していた。
口が緩み、自然に笑顔へとなっている。
「何が……です?」
「だってさ、ヴァイスに住んでるゲームプレイヤーの殆どに言える事だけどさ、この世界に絶望している人は多いんだ――」
ハルは目を瞑り、あの光景を思い出した。
「――例えば、食が不味いと絶望している人――」
この世界の食事は、お金を持っていればそれなりに美味しい物を食べられるが、無ければ悲惨な物しか食べれない。
固いパン。味のしない肉。腐った野菜、などである。それらは、衛生状態のいい物ばかり食べてきたゲームプレイヤーには耐え難いものであった。
「――例えば、戻れないと絶望している人――」
他のゲームプレイヤーが、この世界に来て数ヶ月。
戻る方法を探したのは、軽く十を超える。それも様々な観点から、色々な伝承など、ゲームプレイヤーたちは日本に戻る方法を沢山探していた。
だが、見つからない。
一向に見つからない。
手がかりみたいなものは見つかったが、どれも実行不可能なものばかり。戻る希望を無くしたゲームプレイヤーは、顔色が暗い者が多かったのである。
「――例えば、死ぬ恐怖に怯えてる人――」
この世界で生きていこうと心に決めても、大きな障害がある。
冒険者になって、重大な回復薬でも治らないような致命傷を負って死ぬ者。流行り病にかかって死ぬ者。栄養失調になって死ぬ者。など、この世界では、致死率がとても高いのだ。
様々な“死”に触れてきたゲームプレイヤーは、次は自分達が死ぬのではないかと怯えていた。
「――もちろん、希望を失っていない人もいるけど、大体の人間は生きる気力を失っている。それはもう、見ていられないよ――」
ハルの声は段々小さくなっていく。
この世界に絶望しているのは、ハルも同じなのである。だからこそ、明るい彼等を羨ましそうに見ていたのである。
「――だから、僕は純粋に明るい彼等を凄いと思うんだ……」
「よく分かりますよ……」
クリスも、そんなハルの意見に同意した。
彼女自身も、“救い”が無ければ、きっとワルツに利用されていた中で潰れていた。もっとも、今は、“救い”などなくとも、カイトとユウのおかげで未来に光は溢れているが。
そんな風に、子供二人を温かい目でクリスとハルが見ていた時、一人の男が椅子から立ち上がった。
二人が騒ぎ始めて数分後のことであった。
カイト達の肩を掴み、ベットの上で暴れるのを止めてから――
「うっさい」
――小さな頭に、軽いゲンコツを落としたのである。
「いてっ!」
「いたっ!」
二人は上から訪れる衝撃に、小さく声を漏らした。痛みを訴えたのである。
ちなみにクリス達は、そんな三人を唖然とした顔で見ていた。せっかく、心がぽかぽかするような光景を、止めるとは夢にも思ってなかったのだ。
「で、でもさ、アニキ……」
「で、でもね、おにいちゃん……」
すぐにカイト達は事情を弁解しようとした。
だが、今度はデコピンをされて言葉を遮断される。二人は、赤く腫れたでこを押さえながら、目に涙を浮かべながら、目が細くなっている氷雨を
「いいじゃねえか、この町に来て……じゃないと、クリスに会えなかったんだぜ?」
そして、氷雨はクリスを心から信頼している二人が、納得できるようなセリフを吐いた。
宿に泊まっているほかの宿泊客に怒鳴られないよう、先立って手を打ったのだ。南雲氷雨――彼は、意外と常識を持っている青年なのであった。
「そうか……そうだよな……さっすが、アニキ!」
「おにいちゃん、すっご~い!!」
「だろ?」
子供達二人は、氷雨に簡単に説得された。しかも、尊敬するような眼差しを向けている。
「ヒサメさん……」
そんな三人に、クリスはそっと溜息を吐いた。隣にいたハルにはクリスの溜息が聞こえたのだが、苦笑いしかできていない。
「あっ……!?」
そして、クリスは、氷雨に聞くべきことを聞いていないのを、思い出すのであった。