第二話 追跡
翌日のことだった。
また、丑三つ時。氷雨は同じ部屋にいる住人が寝ていることを確認して、出て行った。そのすぐ直後、隣のベットで寝ていた三人も目を開けた。
「クリスねえ、だいじょうぶ?」
「え、ええ」
カイトは布団から飛び起きてすぐ、クリスへと労わりの声をかける。
眠れなかったクリスは目の下に大きなくまが出来ていたため、カイトにいらぬ心配をかけたのであった。
「じゃあ、オレ、行ってくるな!」
そして、カイトが氷雨を追うために扉の前に立った。
氷雨が本当に大人の歓楽街に行くのか、それとも行かないのか、を確認するからである。これは今朝、氷雨が深い眠りについていた時に三人が決めたことだ。
「カイトさん、本当にいいんですか?」
「ああ!」
クリスが心配そうに尋ねる。
この作戦、元は発案者のクリスが追跡するというのであった。自らの素性を全く明かさない氷雨が、行き先を素直に教えるわけない、と彼女は考えたのである。
だが、夜道に女性は危ない、とカイトがこれに猛反対した。その点、自分なら夜道に慣れてる。尾行に慣れてる。この町に慣れてると、クリスを凄い勢いで捲し立て――説得した。
その結果、カイトが尾行することになり、今に至るのであった。
「カイにい、しくじらないでよ!」
「お前が言うな」
ユウはお前にできるのか、と言わんばかりに胸を張っていた。
カイトはそんなユウに、デコピンをして返す。この兄弟、色々とあったので、仲は良好なようである。
そして――少年は護身用のナイフが腰にあるのを確認し、扉を開けた。
「いっちゃったね……」
「そうですね……」
ユウとクリスは二人っきりになった部屋で、不安そうな顔をお互いに見合わせた。
不法都市エータル、その名に恥じぬ治安のこの町で、たった一人で行動するカイトに、彼女たちは心がざわめいたままでいる。
なので、カイトが帰ってくるまで、ずっと眠れないでいた彼女たちであった。
◆◆◆
「……」
一方、カイト。
足音を響かせぬように、声が漏れないように、細心の注意を払いながら氷雨の後を追っている。
幸いにも、今夜は雲に隠れて月は出ていないので、黒いマントで闇夜に紛れられた。尾行するには絶好のタイミングである。
そんな犯人のような身の氷雨は、一度たりとも後ろを振り返らない。まるで誰にも追われない、と自負しているような悠然とした歩みであった。
カイトはそんな氷雨を見て、ニシシッと心の中で笑う。してやったり、とも思っていた。
(アニキ……なにしてんだ?)
宿から歩いて数分後のことである。氷雨は急に屈伸運動をし、体の筋を伸ばし始めたのだ。
当然のことながら、カイトはそれを小道に隠れながら観察していた。もちろん、背後に敵が来ないか、注意することも忘れない。
「――っ!!」
氷雨がそんな奇妙な行動をして、数十秒後、事件は起こった。手を腰の位置にあてた氷雨が――走り出したのである。
してやられた、とカイトは思った。まさか、自分に気づかない振りをして気づいており、先程の行動が準備運動で自分を巻くために行っていたとは、考えられなかったのだ。
急いでカイトはその後を追った。
氷雨はそれを見越してか、まっすぐ歓楽街に向かうのではなく、薄暗い路地へと入って行く。わざわざ目的地ではなく、全く別の方角へ行ったのである。
(待て!)
カイトは、心の中で愚痴りながら、なりふり構わず氷雨の後を走った。
彼の走るスピードは、カイトと比べても同じ成人男性と比べてもかなり速い。やはり、先日の兵士との逃走劇。氷雨はユウを背負ったこともあり、クリス達のスピードに合わせていたこともあり、本来の彼の実力ではないとカイトはこの時知ったのだった。
そして、右へ左へと入り組んだ道へと進んでいく氷雨を見失うまで、カイトはそう時間はかからなかった。
足の速さと圧倒的な勘のよさで、逃げ切った氷雨。ターゲットを見失ったので、今夜の追跡を、苦汁の思いでカイトは断念するしかなかった。
(くっそ~~!!)
だが。
素直に追跡を巻かされた。――それが悔しい。
こっちの手の内は、すべて見透かされていた。――それが悔しい。
このまま帰ったら、ユウにやっぱりといった顔をされる、という予想。――それが悔しい。
様々な悔しさが入り組んだ少年の心は、地団太を踏みながら焦燥感を味わっていた。そんな完全なる敗北感を味わって、おめおめと宿へ帰れるほどカイトは大人でもない。
(見つけてやる。ここはオレの――庭だからな!)
やがて――決めた。
カイトは人知れず、氷雨を慣れ親しんだこの町で、見つけると――決めたのだ。
タイムリミットは日の出までの数時間。それまでに、絶対に、ターゲットを見つけ出す。不可能だとは考えないのであった。
それからのカイトの行動は早い。
即座にどこへ向かうのか、広いこの町でカイトは試算し始めた。
そこに氷雨が歓楽街へ向かう、という情報は含まない。勝手な決めつけが間違った答えを生む、と知っていたカイトならではの柔軟な思考であった。
(探すのは……)
そこでカイトが目をつけたのは、クモの巣のように縦横無尽に伸びた路地――ではなく、まっすぐエータルの東西と南北の二つに伸びた大通りだ。
この大通り――実は町をぶった切るように存在しており、町の中心で二つの大通りが交わる。ゆえに、町の中心にいれば、エータルの四方が全て見渡せるのであった。
(よし……!)
カイトは行く場所が決まると、すぐにそこに向かった。
念のため、背後を、左右を、誰かに見つからないか注意しながら。幸いにも、氷雨が歩いていた方角は中心だったため、簡単に着くことが出来た。
そして、町の中心につくと、カイトは四方向を順番に見ていった。
まだ、氷雨はいない。いや、人影すら見えていなかった。小動物――ネズミのような大きさほどの影は、幾つか見えたが。
一分、二分、とカイトはただ、誰もいない大通りを眺めながら時は刻々と経っていった。月は空に出て、星も西の空へと少しずつ沈んでいく。
少し、空も明るくなった時、カイトは不安を胸中に抱いていた。――自分の試算が間違っていた、との悪感である。
そんな懸念に、唇が乾いてきた時――
(――ッ!!)
――いた。
ふいに、何の気なしに首を回したら。
東へと伸びる大通りに、体を上下に激しく動かしながら走っている背中姿が、見えたのである。遠くからでは、灰色の奇妙な物体が、跳ねているようだった。
カイトは顔が見えないので、それを氷雨だという確証は持てなかったが、灰色というどっちつかずの中途半端な色目を選んでる時点で彼だろうと思った。
「……」
足音を消し、呼吸音を消し、存在を消す。彼らしき人物を視界に納めた瞬間、既に彼の行動は始まっていた。
未だ足が止まらない氷雨を、カイトは懸命に追ったのである。
だが、速い。やはり、速い。スピードが落ちないのだ。いつまでも一定のスピードで、足を動かしている。
ふと、カイトは思った。
もし、だ。
もし、誰かに追われていると仮定して、あれからずっと走っているなら、氷雨はどれぐらいのスタミナがあるのか、と。
(いや……待てよ。アニキは確か……あの時も!!)
背筋が凍りついた。
足は、胴体は、熱く、激しく、動いているはずなのに。
ただの“身勝手な想像”が、少し前の逃走劇で人一人抱えたまま走りきったという“事実”により、肉付けされ、圧倒的な持久力の違いにより、このままでは追いつけないという――予測に達した。
そして、氷雨は大通りからフッと、姿を消す。
小脇にあった道に、逸れたのであった。
まずい、と思い、カイトは姿を隠す余裕などないまま、後を全速力で追った。
「はあ……はあ……」
吐息が白い。足が棒のように動きずらい。
氷雨らしき人物を、再度見失って数分、もはやそこにまだ彼が居るという可能性は限りなく低いのだが、カイトは追跡するのを止めなかった。
やがて、彼が消えた場所に、カイトは足を滑り込むように辿りつく。
そこには――氷雨がいた。
「アニキっ!!」
叫ぶようにカイトは名を呼ぶ。
「うるせえな。叫ぶなよ」
「ご、ゴメン……」
何故か、ただ広いだけの場所に、氷雨は佇んでいた。
相変わらずの鋭い眼光は、カイトを射抜く。まるで、蛇に睨まれたカエルのように、カイトは萎縮した。鋭い目つきを真正面から浴びせられると、いくら氷雨に慣れたカイトであっても、怯えるのである。
「氷雨くん、そう睨まないほうがいいと思うよ?」
――そんな風に、カイトが縮こまっていた時、氷雨の後ろから“助け舟”が聞こえた。
よく通るハスキーボイスである。
白いローブ。手に持ってる大きな六法全書のような本。それに肩までで切りそろえられた黒髪。薄く整った中世的な顔に、低い身長。カイトが見たことのない人物であった。
「俺って、そんなに睨んでるのか?」
「うん」
こくり、とその者は頷く。
「はあ、分かったよ。で、カイト、何しにきたんだ?」
視線を地面へと落とし、深い息を吐いた氷雨は、カイトに疑問を投げかけた。
「えっと……その……」
声が出ない。
氷雨に真相を聞きに来た。と、言いたいのだが、何から聞いていいか分からないのだ。
どうして、ここに氷雨がいる。その男は誰。誰から逃げていた。など、沢山聞きたいことがあった。
そして、カイトが選んだのは、
「アニキ――とりあえず宿に戻ってくれない?」
「はあ?」
「いや、オレが聞くよりもさ、クリスねえのほうが早いと思って」
全ての責任をクリスに投げるという、暴挙であった。
氷雨は最初、そんなカイトの意見に渋っていたが、彼の横にいた者に「氷雨君、行きなよ。僕も行くし」という発言によって、大人しく着いて来るのであった。
(何者?)
基本的に、唯我独尊の氷雨を簡単に説得できるこの者には、カイトは疑問しか残らないのであった。