第三話 始動
学校が終わり、放課後。
氷雨と雪は急いで家に帰った。
そして着替えもせずに、自宅にある畳が敷かれた部屋に向かう。そこは、二台のノートパソコンと二つのダンボール箱がある簡素な部屋だ。
雪はダンボールを開け、中に敷き詰められた梱包材を丁寧に一つ一つ取り除きながら、“リアル・カモフラージュ”という機械を取り出す。
それは頭につける大きな丸い装置に、それに沢山のコードが繋がれた小さな丸い機械が四つある装置だ。その小さな装置は、手首と足首の四肢につけるものである。
「姉ちゃん、これでいいのか?」
氷雨はそれを体に一つ残らず身につけ、畳の上に横になった。
コードの内の一つはパソコンに繋がっており、既にパソコンには“ダンジョン・セルボニス”のソフトがダウンロードしてある。
これで、いつでもゲームを起動できた。
「ええ。でも氷雨、あっちについたらどこにも行かずその場所で待ってなさいよ。ゲームのいろはも知らないんでしょ?」
「……わかったよ」
氷雨はの頭の中は、既に興奮でいっぱいだ。
何ヶ月も待ったゲームが、いよいよ始められる、と。戦える、と。
だが、彼はどんなコネかは知らないが、今手に入れるのが最も難しいゲームを、弟の自分の為に入手してくれた姉に心から感謝している。だから、気まぐれに雪の言葉を無視できないのであった。
「――じゃ、はじめるわよ」
そして、この声を最後に氷雨の意識は失われた。
それは雪がマウスをクリックした瞬間である。
◆◆◆
指が動く。
手が動く。
腕が動く。
膝が動く。
足が動く。
口が動く。
光を感じる。
それらは同時に行われ、徐々に脳が覚醒していった。例えるなら、朝起きた時に近いだろう。そして、少し前の記憶を思い出し、ゲームの世界に来たんだ、と考えてから目を開けた。
「……!!」
その眼下に広がる光景は、まるで変わっていた。
古びた畳も、何度も張り替えられた障子もない。代わりに合ったのは、上に雲がない快晴の大空。足元は並べられた石畳。周りにはレンガで作られた町並みがあった。
「……うっわ!」
その、色が塗られた鮮やかな仮想現実の完成度に、氷雨は言葉すら遅れる。ここを現実だと思わない人は居ないと思うほど、現実に近い完成度だと彼は思った。
氷雨はそんな感動を胸に感じながら、佇んでた場所から少しだけ移動し、道の脇に並べられた区切りのような段差に座り込む。
雪を待つためであった。
先ほどの自分が立っていた場所を見ると、ぽつぽつと人が突然現れる。どうやら皆このゲームを始めた者は同じ場所から始まるからだ。
そして、彼はそれに納得すると、自分の姿を確認し始めた。
服は紺の学生服ではなく布製の簡易なズボンとシャツだったが、それ以外は明らかに“自分”だ。顔を触り目の位置や鼻の位置、口の位置などを確認しても、それも“自分”だ。手の長さや足の長さ、全て現実と遜色がない。
だが、一つだけ違う部分があった。
胸や腹などの体の中心部分の動きが少しばかり弱いのである。これは“リアル・カモフラージュ”という機械の性能上しかたがなかった。頭や四肢の先端にしかつけないので、そこから遠くなればなるほど動きが僅かだが鈍くなるのだ。
しかし、それは氷雨のように全身の感覚が非常に鋭い人間に限ってである。一般人ならこのゲームをする上で気づきもしなかったので、特に何の問題はないとゲーム会社は判断したのだ。
「よかった。氷雨、ちゃんと待ってたのね」
氷雨が考察に耽っていると、目の前から自分と似たような雪が声をかけた。やはりだが、雪の顔も現実と変わらない。
彼女は氷雨と同じ機械を付け終わると、すぐにゲームの世界に飛んだのであった。
それが、このゲームの特徴だ。
このゲームでは、仮想現実をよりよく体験してもらうため、アバターといった自分の分身のようなキャラクターを作ることが出来ない。良くも悪くも現実の顔や身体が、そのまま影響されるのだ。
これに対して最初、発表時にはプライバシーなどの反論などが多数あった。
だが、メーカー側の身体のパーツを変えると最初のゲームの基礎的な動きが全く出来なくなり、慣れるまでに数週間の時間がかかる。それにこれに慣れたら現実に戻ったとき身体が動きずらくなる、という弊害の説明の結果、反論は殆どなくなったのだ。
「ああ。で、姉ちゃん、最初はどこに行くんだ?」
待ちくたびれたように彼は言った。
これからたくさんできる戦いに興奮してか、氷雨は貧乏ゆすりをしている。おそらく、待ちきれないのだろう。
「決まってるじゃない。――チュートリアルよ」
「チュートリアル?」
「簡単に言うと、ゲームの説明ね。ゲームの最初には必ずあるの。例外的にスキップできるゲームもあるのはあるけど、大体はこれを受けないと先には進めないわね」
「だったら、早く行こうぜ」
「フフッ、でも、もう少ししたらこの場所で説明が入ると思うわ。そうWikiに書いてあったから」
雪は笑顔の氷雨を見て、少し笑った。
彼の貧乏ゆすりの意味が、分かったのである。
『皆さん、お待たせいたしました。こちらに集まりください。チュートリアルを始めます』
そんな時だった。頭の中に電子音が響いたのは。
それと共に、そこに居た全員が、反射的に“その”声の方向へと目を向ける。
と、この時、氷雨はいつからだっただろうか、と考え始めた。この場所に存在していた人は誰一人減っていなく、増えた者もずっと居た。
なるほど、この場所に一定の人数を集めてから一斉に説明を受けさせる。ただしチュートリアルが始まるまでこの場所からは移動できないのか、と納得した氷雨である。
「氷雨、行くわよ」
氷雨がそんな考察を繰り広げて立ち止まっていると、雪が彼の行動を促した。そして、声の方向にあった一つの建物に、二人揃って入って行く。
カランカラン!
扉を開けると、甲高い鈴が鳴る。
その中はただの広い空間だった。暗く光の玉がいくつか浮かんでプレイヤーの顔を照らす地球上では、まずお目にかかれないような幻想的な空間だ。
だが、そんな場所に感動してる暇など、今はない。
『ゲームの説明はこちらで行います。画面をご覧ください』
また、頭の中に響いた。だが、不思議とその音に不快感は感じられない。
皆は突然に現れた真ん中に映し出された映像を見始めたが、その殆どのプレイヤーは一人で見ている。
どうやら、二人で行動している姉弟が、この場所では異様のようだ。
『それでは、まず……』
それから、ゲームの簡単なチュートリアルが始まった。
「……普通ね」
ゲームの説明としては、と雪は述べる。
それは数多くある武器の種類を軸に、一定の種類の武器熟練度を上げると使える技。そして、力量はどうやったら上がるか等の説明。それに付け加えるように迷宮の簡単な仕組みや、フィールドの仕組みなど。他にはログアウトの仕組みとゲームオーバー時には所持金を全て失った上で最後にいた町に戻ることや、能力値の見方など、全て合わせて説明は五分程度で終わり画面がプツンと消えた。
『最初の軍資金として、プレイヤーの方々には1,000ギルを渡します。ご自由にお使いください』
突如、目の前の空中には布袋が浮かんでいた。それはふわふわと漂っており、手に取るとジャラっと音を鳴らして、重力を取り戻す。
ゲームのパターンとしてはこれもよくあると、雪は言う。最初に手に入れたお金で装備や道具を整えるのは普通なんだ、と知った氷雨だった。
『――最後にこれは助言です。北には、まだ行かないほういいと思いますよ。そこには、迷宮でも上位に位置する危険な動物がいますから……。では、今後とも“ダンジョン・セルボニス”を宜しくお願いいたします」
この言葉を最後に、頭の中の声は消えた。
そして、用の無くなったプレイヤーが次々とこの部屋から出て行くのだった。ただ、氷雨の顔だけは、なぜか少し綻んでいた。
◆◆◆
姉弟が部屋を出るとその扉は、光となって霧散する。一度出ると、二度と入れないような仕様である。
そんな外に出た光景は、ある“一つ”を除いて入った時と変わっていない。
それは“人”であった。
プレイヤー、ノンプレイヤーキャラ問わず、先刻とは打って変わって人数が増えている
「やあやあ、ユキ殿でございますか?」
そんな大勢の中、二人に喋りかけたのは似たような格好をした四人。
四人はまっすぐに雪を見つめていることから、二人をではなく、雪を待っていたようだ。
「ええ、じゃあ、もしかして貴方がノボル君かしら?」
「そうでございます! いやいや会えてよかったですなあ! それにしても美しい! こんなお方と冒険できると思うと、こちらとしても心が踊りますなあ!!」
「そう。お世辞をありがと。こちらこそ、宜しくね!」
皮の鎧に、腰に両手剣を携えた小太りのノボルと雪が笑顔で握手した。
氷雨は仲間はずれとされているが、この五人はとあるゲームで噂になるほどのパーティーである。そんな雪を除いた四人は、今日だけ学校や会社を休んでおり、家にこのゲームが届いた時から集まってゲームの攻略を目指していた。
先程、雪から今から始めるとの連絡が入ったので、ノボル達は初心者が必ず通るこの場所に集まったのである。
そんな中、ノボルは雪が連れて来た氷雨が気になっていた。
「ところでユキ殿、次はこちらの方を紹介してもらってもいいでございますか?」
「ええ、弟の氷雨よ」
「ほーう、この子がヒサメ殿ですか。いやはや、これからよろしくお願いするであります」
「は、はい、こちらこそ宜しくお願いします」
氷雨は固い感じで、差し出されたノボルの右手を握った。若干だが、頬も引きつっている。
どうやら彼は敬語がなれないようである。
「そんな緊張しなくていいでございますよ! これから仲良くしようではありませんか!」
「は、はあ……」
いや、氷雨は高テンションのノボルが苦手なのだろう。両手で握った片手をぶんぶんと大きく振り回されながら、彼は苦笑いをしていた。
「氷雨、この方は私達のゲームを入手してくれたのだから感謝するのよ」
「ああ、うん」
「いえいえ、ユキ殿。同士の頼みとあれば、断れる筈が無いではあります!」
雪のゲームの入手先はこのノボルだった。
このノボルという男は謎であったが、ゲーム会社に多数のコネがあり、それを駆使して雪の分とは言わずこのパーティーの分のゲームは、全て彼が仲間の為にと用意していた。
その時、氷雨がこのゲームをしたい、と急に言ったので無理を承知にノボルに頼んでみると、二つ返事で了承との連絡が入った。
もちろんそれぞれお金は払うのだが、それにしても六個分。へたをしたら最も多くこのゲームを手に入れている彼の素性はパーティーの誰も知らないのだった。
「オレも宜しく!」
「うちも宜しくね!」
「僕も宜しくな!」
何故だか、雪以外の全員がハイテンションのパーティーメンバーに、氷雨はまたも微妙な表情で順番に握手していく。
それは今日始めて会ったといえる雪も、同時に。
その四人は槍、弓、杖とそれぞれの武器を装備しており、鎧はノボルと一緒。
スタートダッシュを早く切れているだけあって、その四人は周りの人たちよりかは豪華な金属製の武器で、幾分か強そうだ。
それは怪物を斃すと結晶が手に入り、その結晶を売ったお金でより強い武器等が手に入ると、チュートリアルで言っていた。
それから考えると、彼等はどれだけかは分からないが怪物を少なくとも何匹かは討伐した事になる。ならば、力量も上がっているのだろう。と、氷雨は推測した。
「――で、ヒサメ君も当然我がパーティーに入るのは確定でありますよね?」
ここで、突然、氷雨にとって衝撃の言葉を、ノボルは放ったのだった。