第十七話 エピローグ
長い夜が終わった次の日、ワルツは馬車に乗っていた。空は黒くなく、晴天が広がっている。
そんな中、ワインを片手に、揺れる砂利道を進む。馬車を運転しているのは勿論ワルツで、馬から伸びる縄を片手で持っていた。
背後の馬車の中からは、悲鳴が多く聞こえるが、ワルツは気にもしない。むしろ、堂々と独り言を話し出す。
「あ~~あ、ヒサメ君勝っちゃいましたか……。それにしても……あの状況で戦況を引っ繰り返すなんて……」
どっと、重たい空気をワルツは吐く。彼等が死ぬと思っていたから、重要機密まで明かしたからである。それは、力量偽装や己の名――奇術師等だ。だから、今の彼には、陽気さが然程も感じられないのであった。
別に他人に機密情報を知られたところで、“上”から左遷や罰があるわけではない。むしろ、ワルツの性格ならありえると上司は大いに笑う――と想像できる。いや、そもそも彼には“上”がいなかった。
だが、だからといってワルツはあの時の行動は軽率だった、と反省しないわけではない。むしろ深く受け止め、今後に繋がなければ、と思っていた。
「“K”の実験結果としては良かったんですが……」
ワルツは、もやがかかったような気持ちになり、感情に任せて縄を強く振った。それにより、馬の速度は一段と速くなる。
ところで、“K”とは、ワルツが大男に使った緑色の薬のことだ。
上からどんな奴隷でもいいから、とのお達しが以前来ていた。それを使ういい場面と、絶大な力を誇る戦闘マシーンなら氷雨相手でも勝てる、と考えていたのだが――
「……はあ」
ワルツは、煙幕を出した時に、氷雨に足で傷つけられた頬を擦った。そこには、鋭い刃物で薄く皮膚を切られているような、一本の線がある。
――甘い妄想だったのだ。
おそらく、力量低く、“名”を持ってないので、どこか心の節で氷雨を弱者だと、ワルツは定義していたのだろう。
そして、こんな思い出を置いていった氷雨に油断したのが、今回の敗因だとワルツは結論した。
「次は……もっと強い手札で……エースとジョーカーが無くても! 次は殺して見せますよ、ヒサメさん!!」
ワルツは、それから嗤う。さも愉しげに、さも愉快そうに。
この日の天気は快晴。
だが――
「さて、と! では! その前に……生き残った兵士を黙らせますか!!!!」
――彼の周りだけは、何故か腐っていたのであった。
◆◆◆
同時刻。
彼等が今居るのは、エータルに存在する一角の宿。氷雨達が先日まで泊まっていた宿には、問題を色々と起こしたのでもちろん帰れない。この宿はあの宿と同じような部屋と同じようなシステムだが、値段だけは少々割高だった。生活に困るほどの値段ではなかったため、氷雨は大男を倒してすぐ、簡単にこの宿にチェックインした。
強引に血を留めた体を、休ませたいという意図もあっただろう。
「ヒサメさん、聞いてますか? レン君らが、クリカラの町に向かったって」
怪我だらけの氷雨の体に、清潔な包帯を巻くクリス。彼の背後からクリスは喋りかけているのだが、返事をしない氷雨を不可解に思い、尋ねたのであった。
「ああ、ちゃんと聞いてるよ。それから、ヴァイスの町に向かうんだろ?」
「そうだよ! おねえちゃんのはなしは、ちゃんときかないとだめだよ! せっかく、わたしのおせっきょうをやめたんだから!!」
「……へいへい」
氷雨は正面のベットの上にいたユウに、しっかりと釘を刺された。
そんなユウは、やはり手を腰にあて、胸を突き出し威張っていた。氷雨への説教に、威厳を出そうと思ったからだ。
「ええ、てっきり返事もしないもんですから、聞いていないかと思っちゃいました」
ぺろり、と舌を出してクリスは反省した。ふざけているとしか思えない態度であったが、何となくさまになっていて可愛い。
そんな二人を見て、向かいのベットに座っていたカイトが少し笑う。仲良くなったんだな~、と。奴隷と主人、本来なら相容れない存在だが、氷雨は奴隷に対して割と適当な扱いだ。だからこそ、少し、二人の距離が近くなったのだ。もっとも、クリスの心を一番溶かしたのはユウである、が。
「アニキ、ワルツの行き先を探したけど……行き先はおろか、目撃情報さえ出なかったよ。ただ、アニキを狙っていた兵士は、もうこの町に“一人残らず”いないみたいだけど……」
そんな和んだ空気で、ついさっき調べた情報をカイトは口走る。宿の外に出れない氷雨の頼みごとであった。
「そうか……報告ありがとな」
「アニキの頼みなんだ! どうってことねえよ!」
氷雨は心の中で嘆息した。せっかくこんな頼みを引き受けてくれたカイトに、嫌な思いをさせない為である。
彼は情報を得られないのは、分かっていた。だが、一縷の望みに賭けて、それが外れたと知ると、
「はあ……」
やはり、氷雨は重い息を吐いたのであった。
「おにいちゃん! もう、むちゃはしちゃだめなんだからね!!」
氷雨が黄昏ていた時、ユウの説教が再開した。
「そうだな。次回からは気をつけるようにするよ」
「それじゃあ、いみないの! いまからきをつけるの!」
ユウは、はっきりとしない氷雨の態度に、ぎゃあぎゃあと騒ぎ出す。彼は耳を小指で掻きながら、今日は平和だな、と思い、欠伸を一つ。
そして、氷雨は背後にいたクリスに振り返った。包帯を替えたのが終わったとの理由もあるが、最大の理由はレンたちの別れの言葉を聞きたかったのである。ちなみに、ユウはこの時、氷雨に「もう!」と怒ったような声を出していた。
「ありがとな。で、さあ、あいつらは何か言ってたか?」
実は氷雨、怪我が酷いとの理由で、今朝この町を旅立ったレン達とは会っていなかった。行ったのは、氷雨以外の三人である。
わざわざ早朝に起きるのも面倒だったからだ。むろん、筋肉痛と怪我が酷いというのもあったが。
「はい。“勘違いしてゴメンな。次は負けねえ!”とのことです」
「へえ、そうかよ。それは――」
「それは――一体なんですか?」
クリスが、急に言葉を止めた氷雨を不思議に思う。だが、彼は興味深そうに口元を緩めるだけであった。
「――いや、なんでもねえよ」
「おにいちゃん、なんかへんー」
「ユウ、アニキだからしょうがねえよ」
「こういうのを……私は望んでいたんですかね?」
氷雨は未来に思いを馳せていた。ユウはそんな彼を目にして、きゃっきゃとはしゃいでいた。カイトも、ユウの笑顔で顔が大きくニヤけた。クリスはそんな安らぎを感じる三人に、お日様のような微笑を向けた。
狭い宿の中、そこには氷雨が拳で掴み取った一時の幸せが、溢れていたのであった。
――彼の冒険は少し進んだ。
だが、長い道程のたった一歩。ほんの少しだけだ。
遥かなる頂にある目的地はまだ遠い。彼はそこに知らぬまま、まるで手招きされて導かれるように向かっていたのであった。
彼の現在の装備、穴の開いた灰色のマント。持ち物、特になし。
所持金、64070ギル。
力量15。
獲得技、『力量読み』。
仲間、カイト。ユウ。クリス。