第十四話 ネズミ狩りⅣ
「どこへって? ――決まってるだろ。ワルツを殴りに行くんだろうが」
氷雨が戦っていた上。
またも別の屋根の上で美味しそうにワインを飲んでいたワルツは、彼の自分に対する宣戦布告に、思わずグラスを落としそうになった。
今度は椅子には座っていない。ただ、立って、四人を見下ろしながら、ワインを飲んでいたのである。
「くくっ! 笑いを堪えるので精一杯ですよ! ヒサメ君!!」
ワルツは腹が捩れそうなほどの爆笑を、体の震えで表していた。
もし、笑い声のせいで氷雨達に姿を見つかるのを危惧して、大きな声は上げなかったが、顔には嘲笑が見える。
四人が向かっているのが、ユビキタス商会のエータル支部奴隷部門のあの店だったからだ。
彼は酷く彼に近い位置でこうして見守っているのに、それに気づかず、あの店を目指した彼等を酷く滑稽だと感じたがゆえに、氷雨をせせら笑ったのだ。
「さて、と、そろそろ私も動きましょうか! このまま盤上を見ている“だけ”ではつまらないですしね!!!!」
ワルツはグラスに入っていたワインを一気飲みし、ふっとワイングラスを消した。
そして、辺りを見回す。裸眼ではない。細長い筒のような望遠鏡をどこからか取り出し、片目に当て、探索する。
ワルツは、面白そうな動きをする“駒”を彼は探していたのだ。
人生にはスパイスが必要だ。
ワルツの座右の銘であるが、彼はそのスパイスを甘いのではなく激辛を入れなくては、と思っている。
自分の持っている兵士では足りない。これまでの幾つかの戦闘から、明らかに氷雨と陣取るには力不足と判断したのだ。
スパイスは強烈なのを、それを心に決めていたワルツは“やっと”見つけた――
「いました! いました!! この上ない逸材が!!!!」
――光輝く宝石を。
強さも申し分ない。カリスマ性も申し分ない。氷雨と戦う動機も申し分なかった。
優れた工芸品のように鈍く光のではなく、カットされたダイヤモンドのように力強く、誰もを引き付けるような人物を、ワルツは――発見したのだ。
その人物の望遠鏡で大きく拡大した様子は、赤い鎧に身を包み、これまた赤い槍を持っていた。仲間は棒を持った青年と、弓を携え色香に包まれた女性。
冒険者としては、現在有望の上昇株で、クリスを欲しがっていた者の一人。
ワルツの思い描く盤上に、最も適した人材であった。
「いいですよ! いいですよ! 非常に今後の展開が愉しそうです!!!!」
その数秒後、その屋根の上からワルツは消えたのだった。
◆◆◆
「レン、もう無茶は……しないからな……」
永久の迷宮から帰った三人のうち、ぼそっとアキラが言う。
彼等にとって、空から降り注ぐ月の光は久しく感じていた。
遠征に出て数日。一日目からハプニングがあり、続行は困難かと思われたが、レンの強い希望によって続けられた。
レンが手に入れた『勇気の種』という新たな技のおかげで、誰も死んではいないが、仲間が一人減ってもおかしくはないような遠征内容だったと、後の三人は語るだろう。
「分かってる。俺も、あれは二度としない」
レンは疲れたような声色だった。
迷宮内で数々の激戦を繰り広げたので、疲労した肉体。それを裏付けるかのように、三人の鎧はところどころが欠け、血で赤く滲んでいた。
それに、レンは槍を、アキラは棒を、杖代わりに歩いている。もう早く帰って寝たいのは、三人とも同じ気持ちであった。
バサッ!
そんな風に、三人が夜道を歩いていると、目の前から“人”が落ちた。
――白い、まるで道化師のような男であった。
思わず三人の目は点になる。
「夜分遅くに申し訳ありません!!」
「……誰?」
耳が遠くなるような大きな声。
それに驚きながらも、まだ目の前の人物が分からないマミが疑問の声を上げた。
「私のことをご存じないですか??? ユビキタス商会エータル支部奴隷部門所長ワルツです!! 流石にここまで言えば分かるでしょう???」
ワルツは帽子を取ると、綺麗にお辞儀をした。右足を引き、右手を体に添え、左手を横方向へ水平に差し出す。貴族階級の者が良く使うお辞儀であった。
「で、そんなお方がボク達に何の用なんだ? 普通なら、こんな時間に、こんな場所で、一人でいないのではないか?」
「おやおや! アキラ様はお厳しいですね!!!!」
「なんとでも言え。お前のような怪しい人間を疑わなくて、一体誰を疑えと言うんだ?」
「そうですか! そうですか!! でも、念のため、話だけでも聞いていただけませんか??? それにどう行動するかは、お任せしますので!!!!」
ワルツはお辞儀を止めると、不意に背後を向いた。にたあと嗤う貌を、隠すためである。だからか、背中にはアキラの疑惑の視線が突き刺さるが、気にするわけにはいかない。
これは、ワルツの勝負なのだ。いかに相手を騙し、氷雨と戦い合わせるか。肴のためにも絶対に譲ってはならないのである。
「……聞くだけ聞こう。話はそれからだ」
「貴方たちが話の分かるお方で良かったです! 最近は人の話を聞かない若者が増えているのでね!!!!」
「それは……ボク達への褒め言葉と受け取っておくよ」
アキラはワルツに――おだてられなかった。
ここで無様に喜ぶのなら、ワルツも苦労しないだろう。相手の言葉を真に受け、裏を真意を知ろうとしない人間なら、交渉も無しに最初から本題に入ってよかった。
だが、ワルツはアキラを、初めて会った時からある種警戒していたといえる。
あれは、レンがクリスと知り合った次の日だった。
レン達はアキラのクリスの詳しい情報を知りたいと、ワルツの店へと訪れているのであった。
そこでワルツは、アキラの行動に驚いた。クリスの値段を聞いた上で、値切り始めたのである。それも、様々な視点から。
宝石を外したら安く出来るか。首輪を外したら安く出来るか。などを聞いたのである。
勿論、ワルツはそれをこれまで客に言ったことがあるので、嘘偽りなく答えた。もし、アキラが事前にクリスの黒い噂を手に入れてるとして、ワルツは嘘をつかなかったのである。だが、その上でのクリスの値段は六百万ギルだ。大幅なワルツの“良心値引き”を抜いた上での価格であった。
それを聞くと、すんなりとアキラは帰っていった。なんの駄々も捏ねずに。
アキラ達は最初から、自分達が集める目標金額を知りに来ただけ、とワルツは瞬時に悟ったのである。そして、この時アキラ達が知った情報から、粗を見つけ出しまた値引き交渉をするだろうとも。
この時から、ワルツはアキラに――一目置くようになった。下調べを行ったアキラに、関心を抱いたのである。
「では、お話しますね! 衝撃な内容ですが、あまり騒がないでくださいね!! 頼みますよ???」
「おう!」
「分かった」
「うん、分かったわ」
もったいぶる様なワルツに、三人は煩わしさを覚えていた。
だが、そんなワルツから出た言葉は、やはり衝撃であった。
「――実はクリス嬢が攫われたのです!!」
「はっ!? どうしてだよ!?」
「レン、少し黙れ」
「……分かったよ」
レンが、勢いよく食いつく。ぱくっと餌に食いついた魚のように。
そんなレンをアキラは嗜めるが、理解は出来ても納得はできない彼であった。
ワルツはこんなレンに、出だしは良好と感じた。
「すいません!! 実は誘拐犯は“悪鬼”のように強くてね!! 全力を尽くしているのは、いるんですが……」
「ふーん、その辺り、もう少し詳しく聞いていいかな?」
「ええ! 実は彼は――ここでは分かりやすく“鬼”としましょうか???」
「どうでもいい。先を聞ければ、ね」
「分かりました! では、私の独断と好みで“鬼”とします! で、その“鬼”がですね! まあ、灰色の格好をした“鬼”なんですけど……!! 彼がですね! あそうそう、その“鬼”は言ってませんけど、男性なんですよ! でも、美男子では……」
「そんなのはいい!! 簡潔に話せ!!」
焦らしに焦らすワルツに、レンは怒鳴った。
先を言わない彼のおかげで頭に血が昇り、カッとなったのだ。
ワルツも当然アキラを怒らすために、わざと行うのであった。相手を激情させ、正常な思考判断を狂わすため一種の策であった。
だが、それも不発に終わる。
アキラは大きく息を吐いて呼吸を整え、冷静さを取り戻したのだ。
これにワルツが、心の中で舌打ちをしないわけなかった。
「分かりました! で、その“鬼”は、クリス嬢を買う振りをして、真正面から連れ去ったのですよ! 肩に抱いてね!! いや~~! あれには驚きました!! まさか、私の兵を全てぶっちぎって逃げるとは思いませんでしたから!!!!」
「ふーん、そうなんだ」
マミが相槌を打った。
顎に手を当て、深く考え込んでるアキラを他所に。
「“鬼”は強かったですよ~~! こう千切っては投げ、千切っては投げてましたから!! 一騎当千――いえ――万夫不当にふさわしい怪物でした!! もうそれはそれは……私は“鬼”に、こう黒い魅力を感じましたよ!!!!」
ワルツは腕をぶんぶんと振り、“鬼”の強さを表現した。
幼稚な表現だったため、シリアスな空気なのにどこか三人はコミカルな空気を感じた。
そんな時、アキラが不意に話を切り出した。
「で、そろそろ無駄話は置いといて、本題に入ろうか? 一体、ボク達に何を望んでいるんだ。奴隷の管理官?」
「へえ~~!! 分かっていたんですか!」
「ふん、なんとなく……な」
天性の勘か、フル回転で回した頭脳で出た結果か。
どちらにしても、本意を読み取られたワルツは、また舌打ちを心の中で鳴らした。度重なる交渉で手に入れたポーカーフェイスにより、貌には何の変化も無いのであった。
「そうですね! 私からのお願いは、是非――クリス嬢を取り返して欲しいのです!!」
「分かっ……」
「なんで、ボクたちなんだ? 優秀な部下が沢山いるはずだろ? 有名なエータル商会の支部長なんだから?」
即座に頷こうとするレンを、アキラは止めた。
これからが“本番”だと、アキラは感じ取っていたのだ。
「いえ! 実はですね! 私の部下は数は多いんですがね! 質はあんまり……どの兵士も力量が25にも満たないんですよ! それなら、現在ギルドで一番の有望株の貴方達に頼んだほうが、成功率が高いと思ったんです!!」
「俺達に任せ……」
「まさか、タダ、とは言わないだろうな? ボクは、報酬としてなら――クリス嬢の値段を再考してもらおうか? できれば、100万で」
瞬時に首を縦に振ろうとするレンを、アキラは止める。
アキラの狙いは、ずばりこれであった。ワルツの提案である仕事を、タダで受け取るようなレンのような、善意の塊で出来ている人間では無いのだ。
仕事には対価を。レンはきっと嫌がるだろうが、クリスを救うためだと後に説明すれば、レンもきっと納得してくれるだろうと、アキラは考えていた。いや、納得させてみせる、と。
それに、ワルツには黒い噂が密かに流れている。クリスのためとはいえ、そうやすやすと頼みを聞くわけにはいかないのだ。
「ええ! 当然ですとも! では、クリス嬢のお値段は――500万でどうでしょうか? いくらなんでも100万はがめつきすぎです!!」
「高いな。200万。こっちは遠征の後なんだ。残業代ぐらいついて当然ではないか?」
「400万! 敵はあくまで一人なんです! 貴方達程度の“強さ”で嵌めたら簡単なはずですね!!」
「300万。深夜代として、高くないはずだ。こんな時間に依頼を受けてくれるような冒険者もいないだろうしな」
「欲張りですね~~!! 350万! これ以上下げると、私の明日の生活は危ぶまれます!」
二人の熾烈な争いは、終局へと向かっていた。
これを端から見ていたレンとマミは、なんてシビアな戦いなんだと思っている。二人は長年一緒に歩んできたアキラの、知らない一面が垣間見えた時であった。
「分かった。クリスを取り返した後、ローンで即刻売ってくれるなら、それで手を打とう。どうする?」
ニヒルに笑うアキラに、ぐぎぎ、とワルツは歯を強く噛んだ。
これがアキラの狙いだったのだ。
最初からクリスを救うことを前提に考えており、その上で救った後、すぐに自分達が購入できるように仕向ける。
(将来有望! ギルドで噂されるのは、あながち嘘ではなさそうですね!!)
分かった途端に、ワルツが想定していたアキラの考えよりも上を行かれた。自分の予想が狂ったことにより、少し悔しさを彼は覚えるが、それだけであった。
「ええ! それで手を打ちましょう!!!!」
ワルツは片手を出したアキラの手を、強く握る。ワルツとアキラの契約は、こうしてしかれたのだった。
狡猾な狐同士の騙し合いは、これで終わる。勝負の結果としては、どちらが勝ったかはわからない。
ワルツの老獪な頭脳が勝ったかもしれないし、それともアキラの早熟な知能が勝ったかもしれない。分としては、おそらく全てをさらけ出したアキラよりも、まだジョーカーを数枚隠し持っているワルツの方が有利であろう。
そして、その結果は、夜を照らす月だけが知っているのだった。




