第十一話 ネズミ狩り
それは晴天だった日の夜。
三日月が頭上に輝く、綺麗な晩のことだ。
「全員敬礼っ!!」
とある広場で、多くの兵士が碁盤のように規則正しく並んでいた。そんな兵士の数は数十にも及び、一つの軍隊と云っていもいいだろう。
闇夜で見つからないように、月光でも光らない黒く塗りつぶされた鎧。
腰には剣があった。ただし、手にも数メートルの槍――パルチザンも持っている。剣はあくまで予備のようだ。
顔は兜で見えないが、おそらく脂汗をかいてるだろう。
数日前、彼らは始めての失態を犯した。これまで幾度となく行われてきたクリスの奪還を、しくじったのである。
これではワルツから、首に付けられた『スレーブ』によって、どんな非道な命令が降されるかも知れない。自害や仲間殺しなどの命令でも、『スレーブ』をつけていたら逆らえないのである。
「では! お仕置き……のその前に、件の彼のことはどこまで分かりましたか???」
全ての兵士の前に存在するふざけた男であるワルツが、この隊の最高司令官のようだ。
ワルツは売れ残った戦奴隷を、自分の手ごまに使っていた。
彼らは、未だ売れてないので税金は払わなくていいし、日中は国からの審査を抜けられるよう牢の中に入れて奴隷としても販売している。
要するにワルツは、在庫の有効利用としてこれらの奴隷を毎晩使っているのであった。
「はっ……! 仇敵である彼の名は……ヒサメ。一介の冒険者……であり、ギルドに訪れた……最終記録では、力量は……7。武器は……無し。パーティーは……子供二人であります。現在とある宿屋に潜伏中で、その他経歴は……一切不明であります」
兵士たちの中でも、一歩前に進んだ兵士がワルツの問いに答える。彼が兵士の中でも一番偉いというのは、兜についている羽飾りの枚数で分かる。他の兵士は一枚であるのに対し、彼だけが二枚なのだ。
そんな彼の声は、ワルツへの畏怖からか、少し掠れていた。
「それって!! 本当なんですか??? もし嘘でしたら……殺しますよ?」
ワルツの語尾は低かった。
それにより、兵士達には急に体が寒くなる。
「いっ、いえ、本当です!」
「そうだぜ! 隊長言うとおりだ!」
「隊長の発言に間違いねえ!」
ワルツを説得しようと、様々な兵士が隊長の意見に同意した。
その声は野太く、音があまりない深夜のエータルではとてもよく響く。まるで、田舎の田んぼで聞こえるカエルの合唱のようでもあった。
「冗談に決まってるじゃありませんか! 私の子飼いの情報屋と全く同じですしね!!」
「で、では……」
「ですが……煩いですねえ。これでは近所迷惑です。『黙りなさい』」
ぐっ、という呻き声の後、兵士全員の口が開かなくなった。
『スレーブ』から発信した電気信号によって、強制的に言葉を発せなくなったのである。
「では、貴方達に命じます! 『綺麗な綺麗な私のお姫様を奪還しなさい!』 もし、しくじれば……殺しちゃうかもしれませんからね! 貴方方全員!!」
一方的なワルツの命令に、兵士達は首をぶんぶんと縦に振る。
そして、すぐにその場から立ち去った。
兵士達は知っていた。――ワルツは気分屋だと。
いつ言っていたことを覆すのか分からないので、早々とこの場から逃げ出したのだった。
「さて!」
ワルツはどこからかナイフを一本取り出した。
それを空中に投げると、二本、三本と増えていき、やがてジャグリングをやっているかのように、ナイフは手と空中を行き交いした。
「どうなることやら……! 非常に楽しみです!! さて、私はお空からの観察と参りましょうか!!!!」
しゅん、とナイフは全て消え、ワルツは広場から動き出した。
景色は黒い。顔色も黒い。だが、何故かワルツの服は白で、それが返って凄く不気味に見えた。
――今宵は、とても長そうであった。
◆◆◆
同時刻。宿。
数日前からずっと付いている、ねっとり絡みつくような不穏な視線。カイトも、ユウも、クリスも、誰一人感じていないようだったが、彼にはそれが色濃く思えた。
だから、彼は、こんな深い夜でも起きているのだった。
「へえ、奴らも馬鹿ではないんだな……」
氷雨はベットに座ったまま、窓の外を見ている。
彼が部屋をとってる場所は地上から三階に位置しており、そこからは奴らの動向がよく見えた。
窓の下では黒い鎧に身を包んだゴキブリのような奴らが、できるだけ足音を潜めて動いている。そのどれもが揃った足並みで、乱れ一つ無い。
ふと、彼は仲良く並んで同じベットで寝ている三人に目を向ける。危険など無いかのように、ぐっすりと寝息だけ立てていたのだった。
(どうするかな?)
敵はすぐ傍まで近づいている。
こんな土壇場で、三人を起こさず、奴らだけ斃す方法を考えられるほど氷雨は頭がよくなかった。だが、今更逃げ出したとしても、できる逃亡策は限られている。
それに、氷雨もまだ調子が万全ではなかった。やはり、昨日の怪物との連戦は、身に堪えたのである。まあ、もともと彼は数十にも及ぶ軍勢など、万全な状態でも退けることはできないのだが。
バッタン……。
氷雨がそんな思考を回してる内、ついに兵士達は宿の中へ侵入してきた。入り口からの正面突破であったが、宿の従業員の叫び声をあげさせないほど手際がいい。
宿の中に侵入したのは、ほんの三人ほどだ。どうやら、他の兵士は入り口で待機しており、もしもの場面に備えている。
兵士達は、リスクマネージメントも十分に行っているのだ。
「ふう」
仕事が早い奴らに、氷雨は溜息を一回。あまりにあざやかに、素早く侵入してきたので、彼が奴らに送った賞賛でもあった。
そして、クリスを揺さぶり、
「えっ……」
「いいか? 今“奴ら”がそこまで来ている。絶対に叫ぶんじゃねえぞ」
叫びだそうとする彼女の口を手で押さえてから、小さな言葉で言い放った。
もちろん氷雨も小声である。
そんな彼に対するクリスの返事は、首を軽く縦に振るだけだ。今の状況を、瞬時に、一を聞いて十を知ったのだ。
「で、クリスは二人を起こしてベットの下に隠れてろ」
「は、はい」
物言えぬ彼の態度に、クリスは大人しく従う。もとより彼女がこの原因であるのだから、断る理由は何一つ無かった。
「しぃ~~」
クリスは氷雨の指示に従い、カイトとユウを揺さぶり起こした。
こんな夜にどうして、など二人は言いたいことは沢山あった。だが、ただ人差し指を口に当てて、喋るな、の行動を示すクリスに寝ぼけた脳で従い、従順にベットの下へ隠れる。
ゴトッゴトッ!
階段を焦らずに上る兵士達が奏でる足音に、クリスは緊張の汗をかいた。
部屋の様子は、ベットの下からは見えない。ゆえに氷雨が今、どこにいるのかさえ、彼女には分からなかった。
「おねえ……ちゃん?」
「しぃ~~喋っちゃ駄目ですよ」
首を可愛く傾げるユウに、クリスはまた指を口に当てた。
そうすると、ユウはこくりとクリスに頷く。カイトはその間、いや起きてから一度も声を発していないが、クリスの握る手が汗ばんでいたので、それだけで緊急事態だと予測していた。
ゴトッゴトッ!
いよいよ奴らは扉の前にやってきた。
そこで、これまで聞こえていた足並みは途絶える。やはり、この部屋が奴らの標的であったのである。
ガンッガンッ!
大体の良識な宿屋の話であるが、この世界では部屋の鍵を宿の従業員が持たない。
冒険者にとっての――盗難防止であった。冒険者は人によっては、自分が使わない良質な武器を部屋に置くことがある。
そんな物を盗られるのを防ぐため、宿屋もスペアキーを持たないのだ。もし、スペアキーを持っていてなにか部屋の私物を取られた場合、その盗られた物の責任は全て宿屋の主人にかかるからである。
だからといって、盗難が完璧に無くなる訳でもないのだが。
カチャカチャ!
ピッキング、こういわれる技術は、もちろんこの世界でもある。
この世界の鍵の技術は、氷雨達の故郷である日本と比べると非常に幼稚だ。ピッキングが難しい鍵の形である四方に歯のある鍵等が作れないからである。
だから努力さえすれば、たかが不法都市エータルの宿屋の鍵程度、誰でもピッキングできるのであった。
ガッチャン!
錠が――開いた。
カイトとユウの握るクリスの力がより一層強くなった瞬間でもあり、三人が息を潜める瞬間でもあった。
ギー!
やがて、扉が――ゆっくりと開いた。
ゆっくりと歩みを進める奴らは、誰もいないもぬけの空だった部屋を、敵に注意しながら探索する。槍は長いので室内戦闘では不向きと隊長が判断し、彼が握っている武器は腰の剣であった。
「……どこだ?」
ふと、兵士の一人が疑問の声を出した。
ベットの上に人はいない。部屋のどこにも人はいなかった。兵士達はもしものため、一人しか室内には入ってなかったが、疑問の声に釣られて残り二人も室内へ入る。
「もしかして……ベットの下か?」
「そうなのか?」
「じゃ、とりあえず……俺が見るよ」
クリスがいない不安を拭うため、兵士の一人は膝を折った。兵士達は誰もいなかったので、少しだが気を抜き、開きっぱなしの扉を閉める。
そんな状況では、三人の心音も最高潮に高鳴った。
バッタン!
扉が完全に閉まった時、兵士がベットの下を覗き見るその時だった。
一匹の“鬼”が動いたのだ。
「はっ!?」
叫び声を上げる暇も無く、一人の兵士は首に鋭い手刀を喰らい、――昏倒。意識を失なった。氷雨はこの兵士に付けられた首輪により、手刀を行った右手に強い痛みを感じるが、気になどしている時間が無かった。
「い、いた……ぅおぇっ!?」
次に仲間を呼ぶため、叫ぼうとした兵士がいたからだ。
だが、それが氷雨に二番目に狙われた要因となったのも事実だ。
彼は、真正面から兵士の口内に手を突っ込む。男もそれに抵抗しようと、氷雨の腕を両手で掴みながら歯で思いっきり噛んで抵抗するが、そのまま地面へと叩きつけられた。
男は頭を床にぶつけた衝撃で、歯が数本折れ、白目を向く。
「し、死……」
最後に後ろから唯一残った兵士が、剣で襲ってきたのだ。
だが、その剣の描く軌跡よりも、氷雨が描く蹴りの軌跡の方が早い。彼は兵士の位置を確認せず、後ろ蹴りを放ったのだ。
「うっ!」
蹴りは、鋭く兵士を飛ばした。
そんな兵士は部屋の端まで宙を漂い、狭い部屋の壁に激突する。
その状態ではまだその男は気を失っておらず、剣を強く握り締めている。
氷雨は壁に背中を寄りかける兵士に、一歩で距離を詰める。
次に――首を両手で挟む。
兵士も氷雨に斬りかかろうと弱弱しい力で剣を水平に薙ぎ払うが、脇腹に浅く刺さるだけ。分厚い筋肉に、反撃を阻まれたのであった。
「うっ……!?」
氷雨の呻き声が出た。
だが、彼は脇腹の痛みを堪えながら、
「や、やった?」
男の期待を砕くように、廻す。
ぼきっと、音が鳴る。
首が、不自然に折れ曲がる。
兵士は、ぴくりとも動かなくなった。
「おい、逃げるぞ」
「おう!」
「うん!」
「はい!」
氷雨は、そんな兵士達の生死を確認している暇などない。先程、二回ほど大きな物音を立てたので、兵士達が追撃を待っている理由など、どこにもないのである。
彼はその場にあった少ない荷物を全て腰につけ、三人の仲間と共に部屋を去ったのだった。
ところで話は変わるが、実は氷雨は扉を開けた時、ドアで自分の身が隠れる場所にいた。
兵士たちはクリス達が起きないようにゆっくりと、扉を開いたのが氷雨に気づかない最大の要因である。
もし、扉を勢いよく開けていれば、そこに隠れていた氷雨に気づいたであろうに。
これは氷雨の一種の賭けだった。
見つかるか見つからないか、彼は自分の運を試したのである。
もし、見つかれば即座に叫んだ兵士が駆けつけ、彼は死んでいただろう。
だが、氷雨は――勝った。持っていた強運により。
――しかし、この強運が、今回の脱走劇の最後まで続くとは限らなかった。