閑話 とある男の物語
注意。
この話は若干鬱表現が入っております。見なくても大丈夫な作りにしていますので、気の弱い方は見ないようお願いしたします。
氷雨がクリスを買う前日の晩のことであった。
すなわち、カイトがユビキタス商会裏の部分であるエータ支部奴隷部門の、情報を仕入れた直後のことである。
一介の冒険者である男が、誰もいない夜の町を歩いていた。
この町では一般的な冒険者であった。長年愛用の革でできた丈夫な服。その上に鉄でできた鎧で、身を守り、背中にはより防御を強固にするための盾。
腰には、商売道具である鞘付きの片手剣が刺さっていた。
その男の無精ひげの生やした顔は、紅色に染まっており、酒の臭気を帯びている。先ほどまで歓楽街のとある店で旨い酒を呑んでいてので、ほろ酔い気分に浸っているのだった。
そんな男が夜の街を歩いているのには理由があった。
奴隷を、それも美人の奴隷を、買いに行こうとしているのである。
それは歓楽街のとある店で酒を呑んでいる途中に、一緒に呑んでいたとある女性従業員から“いい”情報を手に入れたからである。
――いわく、表通りとは別のユビキタス商会には、安価で上質な女奴隷が売っているらしい、とのことだ。
「へへっ……!」
男はその情報を思い出し、笑った。
上質な女奴隷とは、戦奴隷でもなく、家事奴隷でもない――性奴隷のことだ。男はそんな奴隷を買った後、どうやって愉しむか想像し、顔を緩めたのである。
その者は、下品で、卑しい男なのだった。
◆◆◆
男が数十分歩くと、やっと、ユビキタス商会のエータル奴隷支部に着いた。
「ようこそ、御出で下さいました! ここがユビキタス商会のエータル支部奴隷部門で~す!! わたくし、この奴隷部門の所長であるワルツと申します! 今後、お見知りおきくださ~い!!」
そこで出会ったのは、ふざけた所長であった。
なので、一瞬、帰ろうかとも思ったが、酔っていた勢いでワルツに話しかけた。
「この時間帯でも、やっているのか?」
「はい! 我が店は表通りにあるエータル支部とは違って、二十四時間営業ですからね!!!!」
「へえ――。そりゃあ、凄いな」
「ありがとうございます!! ところで! お客様達の求める商品は何ですか? 武器ですか? 防具ですか? それとも奴隷ですか? と、言ってもここじゃあ奴隷しか売ってないんですけどね!! アッハッハッハ!」
「奴隷だ。奴隷を頼む――」
そう男が頼むと、ワルツは困った顔をした。
悩むように顎鬚を撫で、俯いていたのだ。
「奴隷ですか――うーんと、そうですねえ~。奴隷――ですか――。貴方も男なんですから戦奴隷ではなく、性奴隷でしょ???」
「ああ」
男はワルツの問いに、即座に答えた。
だが余計にワルツは顔色を悪くするばかり。
「残念ですがね――。遠い噂で知ったのですが、私が御贔屓にしていた商人が亡くなりましてね――それっきり、“いい”性奴隷が入って来なくなったんですよ――」
そして、ワルツはある意味本当のことを述べた。ゆえか、表情にいつものニヤけた笑いも、人を小馬鹿にしたようなポーズも無い。
だがワルツはこうも考えていた。ここまで言ったのだから、男はそろそろ“あれ”を切り出す、と。
「嘘つけよ。とある店のユウガオっていう源氏名の女に、俺は聞いたんだぜ。――ここに美人の奴隷がいる、と」
やはり、切り出した。
と、この時、ワルツは嗤っていた。
カモ。カモ。カモ。いいカモが、自分の垂らした釣り竿にかかったと。もちろんその餌は、ユウガオであった。
「あは……は……!! なんですか!! そっちのお客でしたか!!!! いやー、最初からそう言ってくれればよかったのに!! てっきり私は貴方を、紛れこんだネズミかと思いましたよ!!!!」
ワルツは手を大きく横に出し、まるで自分の存在を大きくアピールした。
男はそんなワルツに、濁った笑顔をかけた。その歯はところどころ欠け、黒く腐っていた。歯磨きなどの概念が存在しないこの世界ならではの、歯である。
「そうかよ。そりゃあ狙った通りの客が来て、嬉しいだろう?」
「ええ! ええ!! ええ!!!! とっても!! 嬉しいです!!!! ――では、どうぞこちらへ」
ワルツは綺麗なお辞儀をした。
そして男へと、例の場所へ案内する。
その途中の牢屋には、色々な奴隷がいた。けれども殆どは野郎。それも戦奴隷にしか使えないような、不細工な者たちだ。とても売春に使えそうな美男子もいない。
それは少しだが見かけた女の奴隷も一緒だった。
まだ、安い娼婦の店に行った方がマシなレベルである。だからか男のテンションは、どんどん下がっていった。
これは期待するだけ無駄な、と。
だが、それは――杞憂であった。
ワルツに案内された奥には、クリスがいたのだ。深窓の令嬢のような彼女が。
最初、ワルツが提示した彼女の額は1000万ギルだった。しかし、高い。安いと聞いて訪れた店なのに、見つけた奴隷は実は高かったのである。
「クソ高えな。おい――」
と、男は言った。ごねよう、とも男は考える。
だが、すぐに止めた。
ワルツの隣に屈強な男がいたからだ。冒険者でも十分やっていける肉体。それを持つ男がいることにより、男は少したじろぐ。
何故なら、男は酒が入っていたからだ。酒が入っていては、満足な戦いは行えない。となれば、負けることは確実だ。
負け戦など、馬鹿がすること。そういう現実主義者であった。
「やっぱりそうですか!! いや、予想していたことです! で、どれぐらいの額をお持ちなんですか??? それによって次に紹介する奴隷も変わるので!!」
「俺が出せるのは70万ギルまでだぞ?」
「う~~ん! こうしましょう!! もし、こちらの条件を全て飲んでくれるなら! そのお金で! ――彼女を買いませんか???」
そして氷雨の時と同じような条件をワルツは男に出し、それを飲むとみるみる内に値段は下がっていった。
男は値段が下がったお得感からか、特に迷いもせず、クリスを買うことにする。
こうして、まんまと男は噂通りの美人であるクリスを買った。
それも旨い手口で。
◆◆◆
それからの男の結果は、ほぼ氷雨と同じであった。
ただ一つ違うのは、氷雨は逃げ切れて、男が逃げ切れないということ。それが両者の決定的な違いであった。
男がゴキブリのようにわらわらと湧く兵士に捕まると、買ったクリスを奪われ、両手を縛られたままワルツの前へと歩かされた。
そこは暗い部屋だ。
目隠しされてきたのでどこかは分からないが、木製の椅子がたった一つあるだけの狭い場所である。
そんな場所で正座のまま、それも両側にいる二人の兵士に首へと剣を当てられたまま、ワルツに男は挑発された。
「どうです、気分は???」
「てっめえ!! ハメやがったな!!!!」
「人聞きの悪いことをいいますねぇ~!!」
男は気が高ぶって仕方がない。
命がけの冒険である迷宮という場所に慣れたせいか、どうやら男は死への恐怖、という感情を失くしているようだった。
「お前! ユビキタス商会がこんなことをしていいのかよ? いや、いいわけねえだろうが!!」
そして叫びたいことを、思うがままに男は叫んだ。
ユビキタス商会は実はこの町だけでなく、この大陸で有名だ。どの者も、まず名前が上がる商会がユビキタス商会だというほど、有名な商会であった。
そんな大商会が、こんな悪徳商法を赦すわけがない。そう、男は思ったのである。
「いえ、いいんですよ! 私は実は、ユビキタス商会の中でも敏腕支部長と、あっ、違いました!! これは今の設定ですね!! 本当は、最高幹部の一人に数えられてる一人でしてね。そう、呼ばれているので、ある程度の行動は赦されているのですよ!!!!」
だが、違った。
目の前にいるワルツは赦されるような側の、“下”の存在ではなかったのだ。もっと“上”。しかも、赦す側の人間である。
「嘘つけっ!! そんなわけあるかっ!! なら! どうしてそんな偉いやつがこんな場所にいるんだ!!」
また、男は叫ぶ。あまりの現実に目を逸らしたかったのある。
「まあ~強いて言えば、趣味? ですかね!! 絶望する人間を見るのは愉しいですし――」
ワルツはそんな男を見ながら、嗤う。
そして、ワルツはひとしきり嗤った後、
「ああ! そうだ! そのうるさい男は奴隷としても要りませんから、早く殺してください!!!!」
「あっ――あっ――――」
周りの兵士へと、そう命令したのであった。
その瞬間、男の頭の中で巡るは記憶で、声すらもまともに出なかった。幼いころからこれまでの人生である。いわゆる走馬灯を男は刹那の時間に体験していたのだ。
――やがて、二つの剣が首を狙い、皮を裂き、身を抉り、骨を断った。
すると、自然と血が飛び出る。
もう、この時に男の命は無かった。
こうして――男は、三十六歳という短い生涯の幕を閉じる。
そんな無残な男の名は、もうこの時に知るすべは殆ど無いのであった。
第二章の第一話は変わりまして、前回には無い話です。
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