第十話 経緯
あれから翌日のことだった。
「おにいちゃん! はんせいしてるの!!」
「はいはい……」
青年が腰掛けるベットの向いがわにあるベットの上に立ち、腕を組みながら青年に目くじらを立てる者がいた。
ユウである。
小さい身長ながらも、屈強な一人の武芸者相手に精一杯怒鳴り散らしている。いや、喚き散らしていた。ゆえにユウの姿に怖さは全く無いのだった。
「ほんとに!?」
「ああ……痛っ……」
「ちょっと……動かないでください……」
そんな青年こと氷雨は、銀髪の美女に手厚い看護を受けていた。手つきとしては不器用だが、美女ことクリスは一生懸命やっていた。
健全な男なら誰でも息を飲むような光景だった。だが、灰色のマントの下に隠されていた彼の肉体を見れば、言葉を失うだろう。
並大抵の努力では成れない、細くもなく太くもない筋肉。数々の裂傷の上から巻かれる包帯。これだけでなく、氷雨には永年の鍛錬で培われた多くの傷跡まである。
――腰を抜かす。
そう表現してもおかしくない肉体だ。
現に、ユウもクリスも、初見は腰を抜かすほどの驚きようだった。辛い顔一つ見せず戦う彼に、こんな秘密があるなんて、と思ったのである。
「ふう、ここまでありがとな。後は自分でやるよ」
氷雨は片手では包帯を巻けない肩や腕などをクリスに巻いてもらうと、強引に彼女の手から包帯を奪った。
慣れない手つきのクリスより、幾度となく包帯を巻いてきた自分の方が早いと考えたからである。
「そっ、そうですか……」
クリスはそんな彼に少し寂しそうな声を出すが、
「はんせいしてるんなら、とうぶんは迷宮にいかないよね?」
幼子の諭すような声によって掻き消された。
「……」
「いかないよね?」
長い沈黙を氷雨は守っていた。
顔を下にし表情が分からないようにしながら、是と答えるか、否と答えるか悩んでいたのである。
別に、昨日迷宮で稼いだお金で数日は暮らせる。それが自分の身を案じる少女のためなら、冒険を控えるのも容易いだろう。
だが、そんな空虚な日常を、彼が望むはずはない。
せっかくの戦いに溢れた日常を送っているのに、それをわざわざ否定するほど氷雨は――大人ではなかった。
「…………分かったよ、迷宮には行かねえよ」
「ほんと!?」
「ああ、本当だ。行かなければいいんだろ? 行かなきゃ――な」
「うん!!」
かといって、氷雨は――子供でもなかった。
戦いの場所を、一つに固執するほど子供ではないのだ。戦いの場など、この不法都市エータルには、無数に存在してる。それに、彼はその“火種”を一つ持っているのだ。
バタンッ!
そんな時のことであった。
暗い空気が払拭された時にカイトは扉を勢いよく開け、部屋へと戻ってきた。
「おっ!? 話がついたんだな! アニキ! ほら、換金してきたぜ!!」
明るくなったユウや何故かほんの僅か暗いクリス。そしてマントを着た普段どおりに見える氷雨。軽くなった部屋の空気を、カイトは感じていた。
「ありがとな、カイト」
「おうよ!」
カイトは氷雨に褒められながら、ユウが未だ立っているベットに座った。その顔は褒められた嬉しさからほころんでおり、浮き浮きとしながら腰のナイフを抜き、布で磨いていた。
そのナイフは短く、薄く、刃物としては最低ランクの品である。
三人のうちの誰もが、大切そうにするカイトのナイフを一瞥していた。
「ちょっと……ちょっと、いいでしょうか?」
クリスが右手を上げたのは、丁度カイトがナイフを拭いて数秒経った時だった。
「どうしたの、おねえちゃん?」
「いえ、これまでは機会が見つからなかったので、そろそろ“あの夜”に私達が狙われた理由を説明しようかな、と思いまして」
時が止まった。
あの夜――つまりクリスが言っているのは、あの多くの兵士に襲われた夜のことだ。死ぬ気で走り、根性だけで逃げ、眠気も惜しんで黎明を待ったあの夜の事は、誰もが今でも色濃く頭の中に残っている。
「……何か知ってるのか?」
氷雨が、再度重くなった空気を取り去るように尋ねた。
「ええ、その原因は、全て私にありますから」
「どういうことなの!?」
「順を追って説明します。なんせ、私も初めてですからね! これをゆっくりと説明するのは! 長くなるかもしれませんが、ご了承下さいね!」
クリスは氷雨の横に腰掛けながら、綺麗にはにかんだ。まるで美の女神が微笑んでるように。汚らしい宿のベットの上でも、後ろに後光が差すような美貌だったという。
それを見て、カイトはにひひっと笑い、ユウはにかっと笑った。氷雨もそんな三人の釣られてか、にやっと笑ったのだった。
「始まりはあの日、名前を言うのも憎たらしい……あのワルツに私が捕まったことからでした――」
◆◆◆
覚えている最初の日、その日は生憎の雨だった。
詳しい日月は、暗い牢屋で過ごした日々が分からないので詳しくは分からないとのこと。
ただ、ゲームをログアウトした直後のことだ。暗い闇の中に意識を落とし、目を覚ますと温かい母に会えると思っていた時である。
「いやぁ~~まさか、まさかこんな美人を300ギルで!! 貴方はいい人ですねえ~~!!」
「いえいえ、礼には及びませんよ。私も奴隷の入手方法は、溢れておりますからね。これでワルツ様にも恩を売れるというところです」
「カナヒト様も貴族というのに、悪いお方ですねえ~~!!」
「そうですねえ! では今後ともよりよいお付き合いを!」
「こちらこそ! お願いいたします!!」
目覚めは妙に高い男の声であった。
その男の名は、後日知ったことだがワルツ。手品師か道化師のような奇妙で珍妙な格好をしており、その時からあんな軽快でテンションが高い喋りである。
もう一人の貴族風の衣装を着た男の名はカナヒト。奇しくも氷雨が斃した“あの男”であった。
周りは豪華な家具で囲まれた部屋だったが、そこに唯一あった窓の景色が灰色で、多数の水が地面へと落ちる音が耳に入ったので、この日の天気を雨だと判断した。
「おや! どうやら目覚めたようですね! 是非、貴女のお名前を――『教えて下さい』」
「くっ、クリスティーヌです」
クリスの体に、びりっと電流が奔った。
既に彼女の首には『スレーブ』がついており、今後一切ワルツに逆らえないのも、後日同じく牢屋に閉じ込められた女奴隷に聞いたことである。
「こんな! 美人とは! 今後の教育のしがいがありますね~~!! さて、どうやって……使いましょうか?」
彼女は、わけもわからない状況に追い込まれて、その時は怪しく笑うワルツに震えることしか出来なかった。
今置かれている事情を整理するのに、数日はかかるのであった。
「さて、今日も礼儀作法の勉強でもしましょうか! 美しさは内面から生まれるといいますし!!」
ワルツがクリスに行った教育は、殆どが礼儀作法の勉強だった。
ワルツいわく、高い水準の教育を施した奴隷ほど、高い値がつくらしい。他にも身なりや美貌、年など様々な査定要項があるらしいが、クリスの耳には奴隷という悲惨な未来を想像すると、そんなものはあまり耳に入ってこなかった。
「どうでしょうか! お値段は1000万ギルとなっております! お買いになられますか???」
そして、教育からの数日後だっただろう。
様々な客に商品として、身を晒される羽目となった。
現代の日本の教育を受けていた彼女は、ワルツからの教育は奴隷としての骨子を覚えるだけである。それも、聡明な彼女は早く覚えた。もし、覚えなかったら――という危機感が、彼女の記憶力を増進させたのだ。
「ちっ! なかなか売れませんねえ~~! やっぱり値段の設定が、このエータルでは高すぎたでしょうか? でも、もし数百で売るとしたら、こちらの手取りが少なくなりますしねえ~~!!」
クリスは来る日も来る日も様々な客に、どれも同じような緩みきった目に晒された。
だが、一向に売れることはない。
例え、騎士でも、商人でも、貴族などの特権階級の者でも、貧困と犯罪が溢れるこの町では、1000万ギルの設定金額は高かったのである。
「どうでしょう! お客様! 実は彼女は1000万ギルですが……『スレーブ』をもし外すのなら、もっとお値打ち価格となりますよ」
そして、ワルツの“策”が始まった。否、趣味が始まった。
『スレーブ』を外して、クリスを売ることにしたのだ。
ただ、だとしても彼女の値段は『スレーブ』代の税金を抜いた、500万ギルとなる。これでもまだ、エータルの町民に手を出せる金額ではなかった。
「今回だけですよ~~! お客様! 今回だけ、80万ギルにしておきますね」
だが、ワルツはそれを大きく下回った金額で、醜く豚のように太った貴族へとクリスは売られた。
最初はクリスも首輪が無くなったとしても、暴れることはなかった。
これが運命だと直感したのだ。この醜悪な男に自分の処女を、捧げたくはないが捧げるのだと、そう――思っていた。
「いや~~! よかったですね! 生娘が守られて! これも私のおかげでしょう???」
しかし、その覚悟は無駄となる。
醜悪な男に売られた数十分後、クリスはまたワルツの前にいたのだ。その首には、当たり前のように『スレーブ』が付けられている。
それは醜悪な男に売られた直後、その男や護衛数人と共に街中を歩いていた時のことだった。
急に黒づくめの兵士たちに襲われたのだ。それも、数人ではなかった。一人、二人と、どんどん数が増えていく。
男の護衛も力量の差で最初は勝っていたが、最終的には数の利に負けた。
そして、その兵士たちに連れられ、ワルツの前にクリスは戻ったのである。
「これからも貴女はこうやって働いてもらいますからね! 簡単でしょう??? ただ黙って従っていればいいのですから!!」
その日から、クリスの売られ、また黒づくめの兵士達に連れ戻される日々が始まった。
クリスを買い奪われた者から、ワルツに苦情や非難が無かったわけではない。
だが、売られた時首輪を付けていないので、買った側は所有権を主張できなかった。新たにつけられた首輪が、ワルツを主人だと認めていたとの理由もあった。
――これでは騎士に訴えても、ワルツを捕まえることは出来ない。
その為か、ワルツに直接会って武力で片付けようとした者もいたが、結果はワルツに一方的に斃されて終わりだった。
噂では“珍しい名”を持つとされるワルツに、たかだか一介の冒険者ごときが勝てるわけがないのであった。
「お客様! 今回だけ大特価! 彼女は110万ギルとなっております!!」
何回売られたかなど、彼女は一々数えていない。
ただ、十以上は確かであった。
そんな彼女も普通なら騙しつくす罪悪感と、一方的に利用され自由がない精神的重圧から押しつぶされるのだろうが、幸いにも彼女には“救い”があった。
その日は雨が振っていた。冷たく、漆黒の夜を彩る雨が。
その日もやはり彼女は売られていた。
だが、黒づくめの兵士が、その日クリスを買った者達と交戦しているその隙に、彼女は逃げ出したのである。細い、全速力などあまりしたことのない足で。
どこに向かうのか、どこに逃げるかなど全く考えていなかった。
似たような毎日が続く今の日常に嫌気が差し、ワルツに反抗しようと思ったのだ。
入り組む路地を必死に走り、大通りまで出たとき、彼女は転んだ。どうやら、ヒールの高い靴を履いてたため、そのヒールが折れていたようであった。
「大丈夫か?」
そんな優しい声を、クリスにかけたのは赤い鎧に身を包む彼であった。
その後数十分、赤い鎧に身を包んだ男――レンとの話は弾んだ。
今いるクリスの状況の小言を、レンは文句一つ言わず聞いてくれた。彼女はそんな何気ないことが、とても心に染みたのである。
やがて彼の仲間が駆けつけ、別れの時がやってきた。
街中では金属が擦りあう音が、多数の場所から聞こえてくる。自分を探してる兵士たちの音だ。
彼女は親切にしてくれたレンに自分のことで迷惑はかけたらいけないな、と大人しくワルツのもとに戻ろうと思ったのだ。
「いつか! いつか絶対に“救い”に行くから! それまで待ってろよな!」
「レン、君って奴は……」
「レーン! ちょっと嫉妬しちゃうよ!」
彼女にとっての“救い”は、この彼の“言葉”であった。
たった一日の内の何十分の一を語り合っただけなのに、“救う”といってくれたレンの淡い希望だけを支えに、これまで生き抜いてきたのだった。
その日、ワルツはクリスで数十万ギルを稼いだので、お仕置きなどはなかった。だが、「束の間の休息は楽しめましたか???」との嫌味があったのである。
そしてそれから数十日後。
彼女にまた、急遽転機が訪れた。クリスを完璧に逃がす者が現れたのだ。
それはレンではない。灰色のマントに身を包んだ冒険者――氷雨であった。
◆◆◆
「――と、軽く私の過去を振り返ってもらいましたが……」
「ぐすん……クリスねえ……大変だったんだな……急に変わる日常……良く分かるよ……」
「おねえちゃん……くろう……したんだね……」
その話に泣いていた子供二人がいた。
ちなみに氷雨は涼しい顔で、クリスの話を聞いていた。
クリスはそんな対照的な三人に苦笑いしかできず、話を先に進める。
「話にあったとおり、あの兵士は私を連れ戻そうとするワルツの手下です。もし、ご迷惑であれば……いつでも私を……」
「大丈夫だ! クリスねえ! アニキはそんな薄情じゃねえよ!! だってオレ達も助けてくれたんだからな! なあ、アニキ?」
「おねえちゃん! おにいちゃんは、いいひとだからきっとたすけてくれるよ! ねっ、おにいちゃん?」
いつでも身を引くようなクリスの発言に、子供二人が遮って否定した。
急に話を振られた氷雨は、ああ、うん、などの曖昧な相槌を打ってから、
「当然だろ。そういうのと戦うのがお前を買った理由だしな……」
発言した。どうやらクリスの説明に、少し気になるところがあったらしい。
「えっ、それはどういう意味……」
「さっすがアニキ!」
「さすがおにいちゃん!」
クリスは氷雨の発言に引っ掛かったものがあったが、結局氷雨に飛びついた子供二人によって押し流される。
「おい、抱きつくな」
「いいじゃねえか! なあユウ?」
「うん! ねえカイにい?」
本日、この日は、晴天であった。