第七話 遠征Ⅲ
「逃げろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
レンが叫ぶその前に、三人の足は動いていた。
隊列は自然と決まっている。
まず機動力が一番高いアキラが先頭で、真ん中から多種多様な遠距離攻撃をするのがマミ。そして、重装備ゆえの防御力から、殿を務めるレンだ。
広間は大きい。
後ろにいる怪物をちらちらと見ながら、レンはマミの背中を追う。
三人の場所から、広間の出口まで僅か数メートルだ。その間には敵が一匹もおらず、それだけが三人にとっての逃げ切る希望だった。
「はあはあ……!!」
口から言の葉をつづる余裕さえ、三人には無い。
止まれば死は確実に向こうから襲ってきて、全力で走っても死という未来は遠のかない。この二つの現実が、彼らを自らの限界から超えさせる。
だが、限界を超えてた故に、彼は前しか注目していなかった。
キシャシャシャ!
そんなレンの無防備な背後を、まずシュピンネが透明の糸で狙った。シュピンネから出た直後は粘着性だが、絡まったら硬質化する厄介な糸である。
「レンっ! 危ないっ!」
彼に危険のシグナルを告げたのは、マミであった。
射手ゆえか、常に敵に近づかれないよう四方八方を気にする彼女。この町によって鍛えられた危険察知能力は草食獣並みに高く、レンもアキラも適わない程であった。
「……っ!?」
若干遅れたが、レンはシュピンネに反応できた。素早く見返って槍を突くように前に出し、糸を巻き付かせる。
そして、――急ブレーキをかけた。
重戦士は自らの意思で、足を止めたのだ。
「レンっ!?」
きゅっと鳴る独特の靴のブレーキに、叫んだのはアキラだ。
肩越しにレンを見て、逃げない彼を止めようとしたのだ。無駄事を言ってる暇さえ惜しい。だからアキラは、短く大声ではっきりと名前だけ言ったのだ。
「レンッ!」
同じく、マミも彼に説教を説いた。
だが返されるのは、甲冑の上からでも分かる笑み。
レンはまだ、歩みを再開してはいなかったのだ。
やがて、彼女も足を止める。レンを説得するがゆえの行動であった。
「これは俺の責任だ! だからこいつらは俺が止める! 心配すんな! 先に“泉”に行って待ってろ!」
レンはそんなマミに気づいたのだろう。
背後を振り替えろうともせず、多数の怪物を睨んだまま告げた。
彼は仲間が逃げる為の、時間稼ぎをしようと思ったのだ。
けじめではない。先程の失態であるルーを不用意に殺した責任を、取ろうとしたわけではない。ほどよい悪意に、心を焦がしたわけでもない。ましてや、目の前にいる敵を斃して、金を稼ごうと思ったわけでもない。
ただ、仲間を守るために、彼が降した決断なのだ。
「レン! でもっ!!」
「さっさと行け! 俺は大丈夫だ! “泉”には必ず行く! 絶対だ! 絶対に“泉”に行く!!」
背後からだったが、アキラにはレンの覚悟がとても理解できた。
髪が少しの風によって踊り、肉体は今後の決戦を前に熱く火照っている。槍は光によって、綺麗に赤く光る。
英姿颯爽、まるで御伽噺のような偉大な男の有様は、そこに存在した。
「くそっ! 後で責任はとってもらうからな!!」
「えっ!? 放して……放してアキラ!!」
「アキラ! 恩に着るぜ!!」
アキラは急いで今走った道を戻り、動こうとしないマミを担いだ。
日本に住んでいた頃ならこんな行為不可能だったが、力量というこの世界の万人に与える努力の結晶が、それを可能にした。
23という力量が、体力を、膂力を、上昇させたのである。
担ぎ上げられたマミは激しく揺り動いてアキラの手から抵抗するが、結局腕がその身から手放せることは無かった。
彼のレンを思いやる気持ちが、マミのレンに対する思いに打ち勝ったのだ。
そして、広場から、二人の姿は無くなった。
残ったのはただ一人。
――偉大な男だけであった。
◆◆◆
「マミさん……」
「嫌! 聞きたくない!!」
一方、それから数十分、二人は迷宮の憩いの場として知られる“泉”に着いていた。
何故か怪物達はこのエリアに足をあまり踏み入れようとしないので、給水ポイントも兼ねた休息所として、よく冒険者たちには利用されていた。
泉がある場所は、事細かに冒険者ギルドによって公開されてるが、その出来る場所はランダムだ。だから、泉を初発見をした者には奨励金が送られる事すらある。ギルド側は泉の公開情報によって、また一儲けが出来るゆえの先行投資であった。
「……」
ここに着いてから、もう実に数分も経っている。
アキラは連れてきたマミを、岩壁に囲まれた広間の中心にある湖のほとりへと降ろした。
マミは大人しくほとりに座ったが、ずっと暗い表情のままだった。アキラはそんな彼女の具合を、延々と伺っていた。
「ねえ、どうして……どうしてレンを置いて行ったの?」
やがて、ぽつりと、水面に向かってマミは呟いた。
「言い訳かも知れないけど、レンが大丈夫だって言ったから……だよ」
アキラもマミと並ぶように座る。
水面に浮かぶ自分の、友一人置いて逃げた顔をじっくりと見ていた。色は黎明時によって彩られた怪物と同じ、青色である。
「仮に、もし、大丈夫じゃなかったら……どうするの?」
「その時は――ボクが責任を取るさ。嫌われても……虐げられても……ボクがレンの代わりにマミさんを守る」
アキラは空ろげな表情のまま、言い切った。
“最悪の結末”の、覚悟はしている。彼はもし想像の通りに事が運んだら、自らの人生を彼女のために捨てようと思っているのだ。
「でも……それで私が納得するとでも思ってるの?」
「いいや、思わない。思わないさ。でもボクも男だ。“けじめ”はつける――」
アキラはそれだけ言って、手で水をすくう。そのまま口へと運び、喉の渇きを潤す。そのまま空になった水筒にも水を入れた。
「――でも、ただの杞憂だと信じたいけどね」
「そうなればいいけどね――」
「なるさ。絶対になるさ。だってレンは――レンだろ? あいつがきっと、巷で話題の“名”である救世主だと、ボクは信じている」
信じていた。
アキラはレンを、この“物語の主役”だと信じていた。
漫画やアニメの主人公のように、どんな強大な敵だとしても歯向かって、――勝つと信じていたのだ。
それは単なる予感でも、希望ではない。
予想である。
幼き頃からずっとレンを見続けて、アキラは感じたことがあった。
例えば昔、中学時代にレンはとある部活に入っていた。その部活は万年一回戦敗退であったが、レンが入部した時を境に次々と部員の才能が開花した。それから続く数々のドラマの果てに、やがて全国の華を咲かせた。
そして、今回。レンはたまたまこのゲーム、ダンジョン・セルボニスをプレイした。そして、ログアウトしようとすると、“ゲームに似た世界”に立っている。そんな世界は自分達に、現代に馴染んだ自分達に、とても合わなかった。
ならば、とアキラは思うのだ。
――もしも、この世界から数々のゲームプレイヤーを救う存在がいるとすれば、レンなのではないかと。
「その通りかも……しれないかもしれないね」
やっとここで、マミは笑ったのであった。
◆◆◆
レンはたった独り、孤独の戦いに挑んでいた。
敵は無数。仲間は逃げた。
後は自分がここから脱出すれば、それだけで“勝利である。
だが、それが難しかった。怪物は理性を失っている。一筋縄で勝てる相手ではないのだ。
武器はリーチが長いことから、白兵戦最強と云われる槍だ。
この世界では、『衝波』等の遠距離への攻撃方法がある。これによって、リーチの差はある程度埋まった。
だが、レンは未だに槍を最強だと思っていた。変わらないリーチは、力だと考えたのである。
「よしっ……!」
彼は足を地面に滑らしながら、ざっと腰を落とした。そのまま槍を中段に構える。
次に、技を全身に施した。
その名は、『強化』。冒険者の間では、万能で不合理だと云われている技であった。
(やっぱりきついな……!!)
『強化』が万能なのは、“全身”に筋肉アシストが起こるからだ。ただ、その時の体力の消耗が、一部分を鍛える『飛斬』等に比べると尋常ではない。
だから、冒険者たちはこれを不合理だと云って、あまり使おうとしないのである。
(でも……これで戦える……!!)
そして『強化』これには、『重斬』とも『疾槍』とも、似つかない性質があった。
武器の熟練度が必要ないのである。これは力量が20あれば誰にでも使え、その辺りは力量が10になったら使える『力量読み』に近い。
だが、他のどれのとは違い、単発型ではない。一度発動すれば永続的に効果が持続するので、今回レンが使用したのであった。
「はっ!!」
レンは『強化』を使ったまま、敵陣へと――突っ込む。
キシャシャシャ!
一番に狙ったのは――同じく走り向かってきたシュピンネであった。
レンは刃に固まった糸を巻きつけたまま、上から下へ槍を鈍器のように叩きつける。
キシャ……!
シュピンネは少しだけ怯むが、レンはそれに止めは刺せなかった。
ガッシャン!!
厚い鉄の塊に囲まれたメンシュ・アイゼンは、これまた太く分厚い大剣を横に振り回したのだ。
躱しきれなかったレンは鎧の上から大剣を喰らい、衝撃と共に――吹っ飛ばされた。内臓まで、もっと特定すると肝臓まで、衝撃が伝わった。
より硬く身を固めた重装備のおかげで、素早く動けなかったのであった。
「うぉ……!」
膝が折れ、槍を持ったまま地面に手を着いた。ついこの前に食べた食物を、吐き出しそうになった。だが出たのは涎。同時に呼吸困難にも襲われた。
戦う気力など、たった一発の肝臓まで伝わる大剣の水平切りで削がれたのである。
しかし、まだ怪物の攻撃は終わりはしない。レンが力尽きるまで、一方的に蹂躙するつもりなのだ。
だから、上から別のメンシュ・アイゼンが、無防備な背中を大きな両刃の斧で狙った。
「がっ……!!」
――叩き潰されたのだ。
キリキリッと歯車の回る音の後、全体重を乗せた斧により、レンは四つん這いから仰向けになる。
でも、まだ、終わらなかった。
ルーが鎧の間の左肩に噛み付いた。
「ぐっ……あっ……!!」
メンシュの時とは違う激痛が走った。衝撃ではなく、牙による刺激なのだ。
口からは呻き声しか出ない。
また、――痛かった。
キー、ガッシャン!
怪物の暴走は、まだ続く。
またこれまで攻撃したとは違う、メンシュ。しかもメンシュ・アイゼンが、巨体を大きく浮かして、ルーもろともレンを押し潰した。
「あぁあああああああああああああああああああああああああ!!」
レンは眼窩から目玉が飛び出そうになった。口から絶叫が、漏れる。鎧ともども体に押し付けられた。
足音は止まない。敵の賛美歌は止まない。レンに対する宴は――止まなかった。
(俺は……俺は?)
激しい痛みによって、思考が狂いそうになった。
上からの圧迫感による呼吸が困難にもなる。
だが、まだ右拳に握った“一本の槍”だけは、手放してなどいなかった。
(今――何をやっている?)
自問自答をレンは頭の中で繰り返した。
メンシュの下という閉鎖空間。痛みによって覚醒しだす脳。頭に伝わる生暖かい血の感触。どれもがどれも、アキラやマミの泉に行くという“約束”と――違っていた。
(俺は何を――何をやっているんだ!!)
レンは槍を強く握った。唇を噛み締める。
(元の世界に返るんだろ? あの子を助けるんだろ?)
レンは丹田に気合を入れた。
眼は覚悟と共に開くと、強い意思をそこには映し出していた。
――逆転への奇跡。
それを行うのに、これらは必要不可欠なのだ。
「――だったらこんなとこで寝てる暇は無いだろうが!!!!」
そして、レンは――叫んだのだった。
――ピコーン、特殊項目条件“勇気の源”をクリア。
と、こんな時だった。
レンの左腕につけていた“デバイス”が鳴ったのは。
ピコーン、技を手に入れました。
ピコーン、技『勇気の種』を獲得しました。『勇気の種』、すなわち勇気を力に変えること。ただし、非効率。
ピコーン、『勇気の種』は特殊な“名”のプロセスへとなります。
次々と周囲に機械音が鳴り響きわたった。レンは今手に入れた新しい技を、何の疑問も持たずに使う。
と、その後、メンシュ・アイゼンが上へとぶっ飛んだ。
それを行ったのは一人の男だ。
鈍重な装備に身を包み、赤い槍を右手に持つ男。
長身で、髪が茶髪の男でもあった。
「……」
男の出す威圧感に、怪物は一歩引いた。
「……」
レンはそこから右足を踏み出した。
左足はその後、勝手に出た。
向かったのはやはり、シュピンネであった。
弱点である頭を、これまでとは違う圧倒的な速さで一突き。
技は『勇気の種』しか使っていないのに簡単に斃せ、シュピンネは瘴気となって消えた。槍に絡みついた糸も同時に消えたのであった。
次にレンが向かったのは、――多数のルーであった。
それから数十分後、この広間に――数十の結晶石が地面に転がるのに、そう大した時間はかからなかった。