第六話 遠征Ⅱ
三人が立っていた大きな広間。
形としては、ぽっかりと開いた正方形だ。天井は高く、天井に咲いた多くの大輪の花によって先が見渡せた。
「もうすぐ……ね」
マミがぽつりと言った。
彼女を含めて三人とも、先程の全力疾走でぜえぜえと深呼吸している。汗は背中に滴り、服と皮膚がくっついて気持ち悪い。
この世界に快適な素材であるポリエステルはないので、彼らが鎧の下に着ている服の素材は安い麻だ。彼らの服に対する不快感は、気温や湿度よりも高かった。
「まだ……まだ油断……するなよ」
いつもは饒舌のアキラも、この時ばかりは言葉が詰まっていた。
肺が酸素を欲しがってるのだ。日本にいた頃は勉強ばかりしていたので、この三人の中でも特に体力がないアキラ。故に体が華奢であった。
「あれだな!」
レンは心肺能力が高いのか、数十秒息を整えるだけでよかった。彼はアキラとは逆に、日本にいた頃は運動部で体を鍛えていたのでこの程度の運動は楽である。
ただ、その元気により行動が先行しすぎてワンマンプレーが目立つので、アキラはもう少し抑えて欲しかった。
現在もレンが先頭を行き、この部屋にある階段へと向かっている。
「少し……少し待ってくれ」
そんなレンを、アキラが止めた。
「あーそう言えば、そうだったな。急いで死んだら洒落にならねえし、ここらで一回休もうか?」
「もちろん……賛成だ……」
「私も……もう無理……」
二人もレンの意見に賛成した。
不幸中の幸いか、この広間には怪物が“まだ”いない。ルーは、怪物同士の縄張りを忠実に守っているから来なく、討伐された怪物の復活は最低でも数十分はかかるので、三人はゆっくりと階段の近くで休憩するのだった。
「ほら、水」
アキラはレンから受け取った革の水筒を、一口だけ飲んだ。
この世界になんでも無限に入るような、便利な革袋はない。水は迷宮の中にある泉等で補給できることもあるが、食料は殆ど手に入らない。干し肉などの保存食を持ち込む者もいるが、一人だと多くは持てない。
だから冒険者は必要だと思う物資を見極め、迷宮に持ち込むのである。必要とあらば荷物運びの人間さえ、雇うことがあるぐらいだ。
物資の調達は、それ程冒険者に必要不可欠な物なのである。
「じゃ、行こっか?」
それから数分。
出発を示したのはマミだ。
時間としては短いが、既に冒険者になって一ヶ月近くになる彼らには、十分すぎる休息だった。何故なら、本来なら一休みすら与えられない方が多い。多数の怪物による連戦に次ぐ連戦など、“この中”では珍しい事ではないのだ。
「気を抜くなよ」
段へと足を踏み入れる少し前、アキラが囁いた。
「ったく、アキラは俺の母親かよ?」
「ふん、そうしなければレンはすぐ無茶をするだろ?」
二人は一旦目を交わし、ふっと笑った。
小さき頃からの幼馴染ゆえのアイコンタクトだった。
三人は、まずレンから段に足を入れた。
――深淵へ、また一歩近づいたのである。
◆◆◆
――黎明時。
朝方の、夜と昼が混じった時間の事である。
黄昏時と対をなす黎明時だが、こちらもやはり危険であった。迷宮の怪物達は、何故か昼と夜の中間は気が高ぶるのだ。
この時、黄昏時の“赤い”眼とは違って、反対に黎明時は眼が“青い”のである。
理由は不明。原因は不明。
悠久の間、様々な研究者や冒険者が調べたが、有力な仮説すら生まれなかった世界七不思議の一つである。
出来た仮説と云えば、その二つの時間帯は怪物に影響を与える秘的なパワーが出るや、生物としての本能など、胡散臭いものばかり。
どれ一つとして、確証のある仮説は無かった。
――命を賭ける冒険者に就く者は、この時の冒険を“必ず”避ける。
例え後少しで最下層でも、例え冒険が快調に進んでいても、この時間帯は絶対に“冒険”しない。
ここでの冒険は、危険に身を晒すことだ。常に安全を心がけることの反対を総称して“冒険”と云うのである。
「――ねえ、目が青くない?」
20階層。
あれから三人は何時間も迷宮を突き進んで、やっと5階も進んでだ。その間、殆どの敵とは戦わず、殆ど逃げながら進んできた。
そして、20階層の中間に差し当たったころ、三人は大きな広間にいた。横幅は十五メートル程度。形としては立方体である。
天井で光り輝く花によって、遠くの視界が見渡せた。
マミはそんな時、遠くにいる怪物の瞳が、通常の黒や茶色ではなく、“青色”であった。
残酷なまでに冷徹で、一度見たら恐怖で目が話せないそんな眼だった。
「青い……そんなわけないだろ! これまで“一度”もそんな眼見たこと無――」
グルルル!
「――いや、いたな」
マミの感情には気づかず、レンは笑った。
ただの彼女の見間違いだと思っていたが、こちらに向かってきた一匹のルーの眼を見るや否や、レンの態度は変わった。
そのルーは確かに眼が“青”かったのだ。
「青、青、青、どこかで聞いたような覚えがある」
ところで、アキラはその“青”いルーを観察していた。
――青い瞳。
聞いた覚えがあるのだ。
誰が、何を、いつ、どこで等は明らかになっていない。ただ、その一部分だけ靄がかかり、思い出せないのだ。
だが、“青”い瞳の怪物が、迷宮攻略に関わる重要なピースだとは、思い出せるのだ。
「こいつは俺が――――倒す!」
アキラが思い出す少し前、レンは既にマミの前へと出て動いていた。
ルー一匹。
力量は20なので、おそらく彼は勝てるだろうと思ったのだろう。
流れるような体捌きを彼は行った。
右が後ろになるような半身になり、下段へルーの眉間を目掛けて突こうとする。
――槍技『弐連突』。
筋肉アシストを活かした技で、二回連続で行う突きのことだ。一撃の威力は『疾槍』に劣るが、二発合計の威力で『疾槍』を越える技なのだ。
「――レン、駄目だっ!!」
ここでやっと、アキラの脳内に電撃が奔った。
“青”い瞳を思い出したのだ。忘れたらいけない特記事項だった。
青い印は――黎明時。
冒険を止めなくてはいけない時間帯なのだ。
だが、もう遅い。
技は発動したら止まるような、そんな便利な代物ではない。暴走列車のように、スタートを切ったら終わるまで止まれないのだ。
レンの赤い槍は、ルーの眉間を正確に狙う。
一発目――眉間に浅く刺さり、すんなりと抜けた。
二発目――眉間にもう一度刺さった。ただし、浅くではなく深く。貫いた槍から赤い血が流れ出た。
「お、おい、アキラなんなんだよ? 急に言っても止まれるわけないじゃねえか! それにルーだ! 何が心配なんだよ?」
「ああ、もう! 過ぎてしまったことはしょうがない。――今は、逃げるぞ!」
驚愕に染まっているレンを無視して、アキラは話を続けた。
「どうしてなの?」
「黎明時だからだよ!」
「えっ、黎明時って、あの!?」
「ああ、そうだよ! そうなんだよ! だから……!!」
マミの疑問に大急ぎでアキラは答えた。
黄昏時と二分する黎明時の名は有名だ。
「でも、アキラ――もう遅いぜ?」
二人はレンの知らせによって、背後を振り返った。
――大勢いた。
狼のようなルー、クモのようなシュピンネ、機械人間のメンシュ・アイゼン、それ以外にも沢山いた。
いずれ劣らぬ腕達者ばかりであった。
それも皆平等に、眼が青い。
三人の中に何かがざわめいた。
――恐怖だ。
恐怖が体をざわつかせたのだ。
冒険者としての冒険――すなわち生き残りを賭けたデスゲーム。
レン達三人にとって、初めての経験であった。