第零話 プロローグ
太陽の日差しが、惜しげもなく降り注がれるメインストリートには、沢山の人々で賑わっていた。
その界隈には、果物や干し肉などを売っているような露天が多数あるような町だった。
そう、ここ――無法都市エータルの表の昼間は、とても明るかったのである。
そんな町中の無数の人間の中に、一人の男がいる。
――灰色の男だ。
身を古びた灰色のマントに包み、、その隙間からは下級の町人が着るような粗い目の布の服が見える。その干からびた風貌から一風変わった空気を醸し出すが、冒険者と云う際立って異色の生業の者がこの町には溢れているので、さほど注目もされてなかった。
ただ彼の事を近くから見た幾人かの冒険者にはとても――濃く見えた。
腰に武器はなく、背中にもない。防具を装着している様子もない。身なりだけでは成長したストリートチルドレンかと思える。
だが、服からはみ出た四肢が、常人の“それ”とは違っていた。
細かな傷が多数ついており、筋肉で皮膚が隆起していたのだ。“それ”は筋肉自慢の冒険者に比べれば細いが、戦うには十分なほどの量だと感じた。太すぎず、細すぎず、まるで戦闘に特化した肉だと思えば納得できる。
瞬時に戦意を失い、恐れを抱くほどの“それ”だった。
そんな風に、一部の人間を黙らせる者の名は――南雲氷雨。
ついこの間までは、武芸を嗜んだだけの地味な青年だった。学校では勉強でもスポーツでも殆ど目立たず、友達も数人。どこにでもいる――とは云いがたいが、とにかく印象が残らないような学生だった。
それが十七日前、世界初のVRMMORPGである“ダンジョン・セルボニス”をログアウトした時、わけの分からな異世界で目覚めてしまった。
その後、沢山の紆余曲折があった後、現在氷雨は冒険者になり、このメインストリートを歩いているのだ。
そんな彼は、数多くの迷宮探索で結晶石を沢山手に入れたので、目的地は“闇の換金所”だった。
九日前、三ヶ月は結晶石を納めなくていいと、ギルドの受付員から言われた。なので、本来なら不正である“闇の換金所”を悠々と利用しているのだ。
ちなみに、カイトとユウの分の結晶石はついこの前、二人の力量が低い内に納品してる。
(あっちぃ……)
氷雨が人ごみの中を暑苦しそうに項垂れていると、少し先に丸く開いた空間があった。
その空間“だけ”、避けるように人がいないのだ。
丸く開いた場所には、二人の男女だけがいる。
「おらぁあ! どういうつもりだぁあ!!」
男は鎧で隠した肉だるまのように肥満と筋肉で強制的に大きくしたような体と、ドスの効いた低い濁声で怒鳴っている。
その相手は、簡易なエプロンドレスの少女。可愛らしく幼さが残った氷雨と同じ程度の女性に、詰め寄っていたのだ。
「えっ……いや……あの……! 申し訳ございません!!」
少女はただ、頭を下げていた
一心不乱に頭を下げ、冒険者崩れ風の男に謝っている。
他に術が無いからである。
「謝ってすむ問題じゃあねえんだよ! オレの体に当たったのはいい。それは許す。でもな! あんたのせいで武器が欠けちまったんだ! 武器は冒険者の生命線だ。どうしてくれるんだよ!!」
男は背中にかけていた剥き出しでぼろぼろの槍を、女の眼前に出していた。確かに男が指差している箇所は、ほんの少しだけ欠けている。
争いの原因は分からない。
だが、後ろで目を光らせている“騎士”が手を出さないことを見ると、冒険者崩れ風の男が正論のようだ。
“騎士”とは、貴族の中でも実力者がなれる職業で、警察のような組織のことでもある。つまり、この町の“法”なのだ。
法律などが意味をなさないこの町では、基本的に“強者”が上だ。
その“強者”の頂点に位置する人種、それが“騎士”だ。彼等は自らを“法”と称し、楯突いた者は粛清として全て殺すことができる。
これが、この町の“法”なのだ。
だから――理不尽を我で通し、わがままを我で通せる。
しかし、なんでも好き勝手出来る、というわけではない。
“法”を施行するには、大義名分が必要だ。大義名分とは、庶民が反逆を行わないようにと、作られたものだ。昔、あまりに騎士が好き勝手に行動した為に、起きた庶民による反乱。それの抑止力として大義名分という正論が必要になったのだ。
つまり、――民衆を説得できる大義名分があれば、いつでも“その”権力を行使できるのだった。
「申し訳ございません! どうか……どうか……」
「だから! そうじゃねえんだよ! こっちとしてはな誠意を見せてほしいんだよ。分かるか?」
「は、はい……」
「じゃあ、払え! ほんの10000ギルだ。高くはねえだろ?」
「で……でも……」
「どっちなんだよ! 払えるか払えないか? 払えないならお前を売っちまうぞ!!」
「払え………………ません」
男はニヤついた顔で、少女を見下ろしていた。
少女は少し顔を上げて誰かに助けを求めるが、庶民はもとより騎士でさえも野次馬根性で面白がって見ているだけ。
絶体絶命のピンチだった
(いい獲物だ……!)
そんな光景を見て、氷雨は、いや彼の中の獣は、貌は愉悦に浸りきっている。
首を突っ込む気満々なのだ。
だが、決して勘違いをしてはいけない。
彼は少女を救うわけではなく、戦いに心を惹かれたのだ。
準備体操のため、体中の骨を鳴らす。体の筋も伸ばし始めた。
氷雨はあのベルという斧使いを斃すと、ぱったりと対人戦に遭遇しないようになった。だからこれまでの九日間怪物退治ばかりだ。それも彼にとってはそれ程強くない。
――故に餓えていた。
心の内に潜む獣は、上質な戦闘に餓えていた。
あんな冒険者崩れで獣が満足するかどうかは別だが、確かにこの時――氷雨は戦いたかったのだ。
「――止めろよ! この外道っ!!」
しかし、――氷雨は結局戦えない。
彼が準備体操をしている間に、男が少女の腕を掴もうとする凄くいいタイミングで、氷雨にとっての冒険者にとってもの“邪魔者”が現れたのだ。
「お前! 彼女をどうするつもりなんだよっ!」
その男の名は、レン。
奇しくも武器は男と同じ槍で、鎧は軽装。街中のため、がっちりとは身を固めていないようだ。
氷雨が前回出遭ったときと同様、――熱い男だった。
ただ、今回の熱さは前回とは違う。
怒りで、男に対する憤怒の感情で、心を燃やしているのだ。
「どうするって? こいつを売るんだよ! こいつが! オレの槍を! 駄目にしたんだ!!!! 慰謝料は貰って当然だろうが!!」
冒険者崩れの男は、さも当たり前とばかりに――吼えた。
だが、正義感に溢れたレンが、そんな男にとっての正論で納得するわけがない。
男の正論が、レンにとっての正論ではないからだ。
「そんないたいけな少女を“奴隷”にするのが当然だとっ! ふざけるな! お前はたんに金が欲しいだけだろうがっ! こ、このっ…………」
「レン、悪口が見つからないなら、無理に言わなくていいんだよ?」
啖呵が途中で止まるレンに、その後ろから出てきたアキラが突っ込みを入れた。
アキラも棍棒を携帯しており、服も前回と比べると軽装だ。
「……こ、この外道めっ!!」
レンは心が強かった。
いくらアキラに図星を指摘されたからだといって、途中で言葉を止めるような男ではない。
どれだけ恥ずかしくても、最後まで言い切ったのだ。
「だからなんなんだよ! これはこいつとオレの問題だ! お前に何か口答えされる覚えはねえんだよ!」
男は頭が悪くはない。
ここでレンの挑発に触発されて、激情するのではなく、ここは耐えて少女を早く奴隷商人に売ったほうが得策だと考えたのだ。
レンに勝てる勝てないの問題ではない。
どちらの方がより合理的で、より自分にとって得かを考えた結果、こういう答えが出たのである。
「く、くっそぉ~~」
彼はこの男の反応に、低く唸るばかり。レンが唯一考えていた策が、失敗したからだ。
しかし、だからといって迷宮ならまだしも、街中で急に殴ることは出来ない。
後ろで騎士の目が光ってるからだ。
騎士に捕まったら、その後の人生を左右される。
迂闊な行動はできないのだ。
「はん、他に言うことがねえな……」
「君はその槍を直して欲しいんだろ? ならこれで十分だ」
胸をはり、堂々とレンに屈辱の言葉を浴びさせようとした時、アキラが止めた。
彼は槍の材質や少女が欠けさせた量ならこの位が妥当と、銀貨を一枚男に投げる。
「どういうつもりだ? 折角、大金が手に入るんだ! こんな、はした金で足りるわけねえだろうが!!」
「フッ、拾ったな?」
男はその銀貨を拾いアキラに見せ付けながら、激高した。
だが、彼はおもしろそうに笑っている。
咄嗟に考えた“作戦”が、成功したからの、笑みだった。子供が悪戯を成功させた時の“それ”に近い。
「ああ、拾ったが……いやそうじゃねえ! どういうつもりなんだ!!」
「――拾った、ということは、その子が傷つけた武器の慰謝料を受け取ったと考える。大人しくその子を開放するんだ。それにその程度の粗悪な武器、銀貨一枚でも多いぐらいだ」
おおーーと、観衆はアキラの取って付けたような作戦に感心した。
どんな後付であっても、どんないい加減な考えでも、この町では民衆を納得させたほうが、正義なのだ。
そこに何が正しくて、何が間違ってるといった、道徳的理論は――ない。
――多数派が正しいのだ。
それを証拠に騎士は何も言ってこなかった。
悪知恵は、アキラのほうが働いたのだ。
(不味い。不味いぞ。このままじゃ、最初から欠けていた槍を使った“猿芝居”が、台無しになっちまう。ということはヤバいぞ!)
冒険者崩れの男は、アキラの理論に焦る。
自分の所属している“闇ギルド”への滞納金が、今月分まだ払えていないのだ。迷宮で手に入れた報酬は、一時の気の迷いで酒と女に消えた。
今月は残り三日。
迷宮では滞納金の全ては稼げないし、装備を売ったら生活が出来なくなる。
だから、こんな凶行に男は及んだのだった。
「フン! そんな屁理屈が通用するかぁあああああああああああああああああ!!」
男はアキラに、欠けた槍で突こうとした。
そんな男の判断はもう正常ではなかった。
もともと、道中で多少肩がぶつかっただけで、あんないい加減なことを言ったのだ。もともと正常ではなかったのかもしれない。
「アキラっ!」
だが、その攻撃をレンが持っていた槍で弾いた。
そのまま、“防衛”として、技を放つ。
――槍技『疾槍』。
ただの早い突きだ。
「ぐばあっ!」
向かった先は男の左肩。
だが、当たったのは刃の部分ではなく、裏の棒の部分だ。
レンの攻撃は死ぬことはないが、武器を持てなくした。
肩の骨を砕いたのである。そのまま地面に転がり、男はのびていた。
「レン、恩に着るよ……」
「おうよ!!」
これで一件落着だった。
男は倒され、少女も売られることはない。
だが、問題は“他”に残っている。
「――あ、あのっ!!」
エプロンドレスの可愛らしい少女が、レンに話しかけたのだ。
誰も助けてくれないようなピンチを、王子様のように助けてくれたレンに、特別な感情を抱かないわけがない。
その少女の茶色の目は、――恋する乙女のようにキラキラと光っている。
「よかったな! 助かって!」
「はうぅぅ……」
そして、最後に、レンの少年のような瞳に少女は心をやられた。止めをさされたのだ。
その背後で、鈍感なレンに代わって、今までと同じような展開に向かってアキラが一言。
「はあ、やっぱりこうなったか……。マミさんがもう少しでここに来るというのに……」
アキラは未来を想像していた。
レンがマミに、理不尽に殴られる未来を……。
ちなみに氷雨は、この時に目の前で起こった事実からやっと回復し、目的地である“闇の換金所”へ向かっていた。
心の中ではとても、レンのことを羨ましく思っていたらしい。
◆◆◆
その日の夕方、氷雨が宿へ帰るとベットの上に二人の子供がいた。
カイトとユウだ。
服装は氷雨と同じような服の上に灰色のマントと、数日前と変わりはしないが、顔の血色はよくなっている。
ストリートチルドレン時代とは違い、栄養価の高い食事が多く取れるからだろう。
なので、カイトもユウも子供らしい丸い体つきとなっていた。
そんな二人に向かって、帰ってくるや早々、氷雨は驚愕の一言を述べた。
「――おい、“美人の奴隷”はどこに売ってるんだ?」
「はっ、本気……なのか!?」
「えっ……!?」
今日の遠くから見たレンたちの一幕を見て、彼が考え付いたことだった。
氷雨の表情は真剣で、子供たち二人を見つめる。
下劣なセリフとは正反対の、真面目な顔つきだった。
「ああ、本気だ。で、売ってるのか? “美人の奴隷”は」
氷雨は“美人の奴隷”を必ず強調する。
どうやらこれが一番大切なようだ。
「売ってると思うけ……」
「おにいちゃん! ほんとうにほんとうなの? ほんとうに“美人の奴隷”をかうの?」
カイトの肯定の言葉を遮るように、ユウが大声を出した。
だが、氷雨は毅然として態度は変えない。
当然のように彼は答えた。
「ああ、本当だ。――じゃあ、これから行こうぜ」
氷雨の懐はたっぷりと潤っている。
度重なる不正行為によって、南国が訪れているのだ。
買うならお金のある今しかないと、考えているのだ。
「うーん、分かったよ。でもさ、一日待ってくれよ。奴隷の情報は、入れ替えが激しいんだ」
「そうなのか?」
この業界にあまり詳しくない氷雨は、確認のように聞いた。
「うん。そうだよ」
「おにいちゃん、わるいものでもたべたのかな?」
カイトとユウは、氷雨を疑惑の目で見つめていた。
二人はまだ子供であるが、もと裏の世界の住人として、内容は詳しく知らないのだが、大人の男が美人な娼婦を好きなのは知っている。
氷雨が娼婦へ行ったことは――まだ一度もない。
だから、この急激な彼の要求についていけなかったのである。
「じゃあ、ユウ。オレはちょっと行ってくるな」
「うん! いってらっしゃい!!」
「気をつけろよ?」
そう言って、氷雨は金貨を一枚カイトに投げた。おそらく、いい奴隷の居場所の情報代だろう。
「分かってるよ!」
時は黄昏時。
氷雨は怪物でもないのに、興奮している。子供達二人は、氷雨の変貌に驚きとどまっていた。
――氷雨はやはり変わっていた。