第十六話 そして、一週間
カイトとユウのギルド登録の翌日。
暗く閉ざされた迷宮、三人はその石床を踏みしめながら歩いていた。
光は花。壁は石。
何度ここに訪れても変わらない光景が、そこにはあった。
「アニキ、迷宮って……ここまで怪物が出ないのか?」
今、彼らが居るのは、まだ1階である。
カイトは氷雨の後を追いながら、想像していた迷宮とは勝手が違う様子に戸惑っていた。
少年の中ではこの場所を、冥府と変わらない場所だと、地獄に最も近い場所だと認識していたのだ。
だが、想像は現実とは異なっていた。怪物と全然出くわさないのだ。
この1階にいる怪物は二種類。スライムとルーだけ。両方とも力量1だ。わらわらと蛆虫のように湧き、殺しても殺しても旨みが無くきりがない、と冒険者から嫌われている種類で、どの階にも出現する怪物の代表格でもあった。
「はあ、いつもこんなもんだよ。だからお前達を雇って、もっと地下に行きたかったんだよ」
「へえー! そうなんだ! “じじつはしょーせつよりきなり”って、このことなんだね!」
「まあ、そんなとこだな」
「やったー!あたったー!」
ユウは最近覚えた言葉を発した。
数ヶ月前からこれを教える機会をずっと狙っていたが、ストリートチルドレンのチームからの脱退や、ベルの場所代などでごたごたしていたので、そうそう使うチャンスは訪れなかった言葉だ。
なので、やっと使えた喜びから、ユウはぴょんぴょん跳ねながら歓喜を表していた。
「おにいちゃん! わたしってすごい?」
「さあな、まだ子供だしな」
「むう~~! えいっ!」
ユウは子供扱いする氷雨に、ぽかっとお腹を叩いた。
服の下に幼少から鍛えられた腹筋がある氷雨にとっては、ユウの拳など痛くも痒くも無い。むしろ気持ちいいマッサージのような感じだ。
ところで、ご機嫌にユウと喋る氷雨の本日の調子は、最近の中で一番よかった。
昨日の筋肉痛は嘘のように消え、肉体の調子もここ数日で最高だ。それは、戦いの前に関節は外さず、出来た傷も全て無くなったからであった。
そんな風に、氷雨とユウの話に花が咲いていたが、カイトが一石を投ずる。
「……いや、そんなわけないじゃん! アニキ、これはおかしいよ! 普通だったら1階を通過するなら、ルーやスライムの一匹や二匹は遭遇するって!」
迷宮の中で、反響する大声を出したため、氷雨とユウの二人は後ろにいたカイトに振り返った。
ユウはその拍子に、殴っていた手を止める。
カイトは背後を怪物が狙っていると、ずっと後ろを見ながら警戒しているのだ。
凄い緊張感が少年にはあった。
初めての冒険が、カイトを臆病にさせた。危険と隣り合わせの、死と隣り合わせの冒険者になったとカイトは氷雨と違い自覚していたのだ。
「そうなのか?」
「そうだよ! ったく、アニキは冒険者になって何年なんだよ? このぐらいの情報、オレのようなガキでも知ってるぜ!」
首を傾げた彼に、カイトは酷評を述べた。
だからカイトは、冒険者の素質としては氷雨より向いているのだろう。
事前に情報をよく集め、それを活用する頭を持っている。戦い以外では常に気の抜けた氷雨とは違い、迷宮に一歩踏み入れた瞬間から、罠と敵を慎重に注意していた。
武力は及第点だが、その用心深さは冒険者に必須のモノだ。
――冒険者は、決して死んではならない。これは“当たり前”だ
その言葉通り、冒険者は常に周りを用心し、常に緊張の糸を垂らせておかなけねば、との教訓がギルドの標語として、示されている。
死ぬ者が最も多い職業、ならではの標語だった。
「なんか生意気だな」
「い、いひゃいって、あふぃき!」
言ってることはカイトが正しく、自分は気の緩みが多いと氷雨は知ってる。だからといって、年下の戯言に怒らないほど、氷雨は大人でもない。
彼はカイトの目の位置までしゃがんで、頬をこねこねと引っ張っていたのだ。
「カイにい、きたよ! これでふつーだよね! ほら!」
そんな時、彼女は遠くの目の前を指差した。
彼女だけ、物音が聞こえたようだ。
「なんだ?」
「やっぱり……!?」
目を凝らし、暗闇の先を見た。
その先には、半透明なゲル状の――スライムがいた。氷雨が好敵手だと思っていて、唯一逃げ出した最恐の怪物である。
「おっ……!」
氷雨は喜びの声を上げた。
夢にまで出てきたスライムに仕返しするチャンスが、やっと回ってきたのだ。
戦闘準備を即座に開始した。
片手の指をわきめきと動かし、全身の筋を程よく伸ばす。スライムに関する情報も頭の中で確認し、最適の行動を考え始めた。
「――スライム程度ならオレに任せてくれ!」
だが、そんな彼の復讐が実現することはない。
氷雨が動くよりも先にカイトが走り出し、持っていたナイフで縦に一閃したからだ。
スライムは形を保持する力がなくなり、ぐにっと地面に広がった。そして煙となって消える。カイトの手によって、死んだのである。
――ピコーン、力量が6になりました。
そして、少年の右手についた『デバイス』から、音が鳴った。スライムを斃したことにより、力量アップをしたのだ。
魂の昇華とも云われる力量アップ。
この時、カイトは少しだけ強くなったのだった。
「アニキ、見てくれた……」
「けっ、いい気になるなよ」
カイトは褒められようとスライムを討伐したのだが、氷雨にとっては大きなお世話だ。
むすっとしたしかめっ面のまま、彼は落ちた結晶石の横を通り過ぎた。折角のスライムを横取りされて、どこまでも機嫌が悪かったのである。
「あーあ、おこらせちゃった~!」
ユウは慌てるカイトを面白そうにからかって、氷雨の後を追った。彼女の足取りは軽く、スキップまでしている。
その際、彼女が結晶石を拾うのは忘れなかった。
「オレが、オレが、何したって言うんだよぉ~~!!」
少年は遠く過ぎていった彼の背中を見つめ、叫びながら追いかけた。
氷雨の機嫌を損ねた理由が、いまいち分からないカイトなのだった。
◆◆◆
6階。
これまでの階に出現した怪物は、氷雨がほぼ全て斃してきた。ギルドで手に入れた情報と、カイトが持っていた肉声による情報。
この二つの情報が合わさった結果、氷雨は楽勝とまでは行かなかったが、掠り傷程度の怪我で出遭った全ての怪物を斃せた。
――ちなみに、スライムはまだである。
三人が歩いていたエリアは、先が見通せず暗い。どうやら、この階の構造は壁がないようだ。
迷宮は階層ごとに、構成がガラッと変わる。壁や床の素材から、出る怪物の種類まで、千差万別であるのだ。
そんな6階の景色は、1階となんら変わらなかった。
だが、1階と比べると簡単に息が切れる。この迷宮は下に伸びているため、下に行けば行くほど基本的に空気が薄くなり、体力が無くなりやすいのである。
「おにいちゃん、カイにい、疲れた……」
だからユウは腰を大きく曲げながら、深呼吸ばかりしていた。未発達な身体に、地下型の迷宮はつらいのであった。
「じゃあ、カイト。おぶってやれ。お前は兄だろ?」
「ええ~~!? アニキ、やだよぉ! オレだってしんどいんだよ?」
そこで氷雨はカイトにユウを背負うよう頼むが、一蹴された。カイトも心身的にまだ未熟なので、自分のことだけで精一杯なのだ。
この時、雇うのを失敗したな、と氷雨は心の中で思っていた。
「つかれた、つかれた、つかれた~~!!」
「俺は……できねえよな。だって、あれ見ろよ」
駄々をこねる子供二人は、氷雨が指差すほうを見つめた。
遠い先は闇。
並みの夜目では見えないので、カイトとユウも疑惑の色を氷雨に向けた。
「アニキ、なに言ってんだ?」
「おにいちゃん、なにもいないよ?」
しかしそれは、すぐに間違いだったと気づく。
キーーーー、ガッシャン!
氷雨の指差すほうから機械音が、いや歯車の回る独特の鉄と鉄が擦れる嫌な音が聞こえたのだ。甲高く、それでいて不快な音が三人の耳に深く残る。
足音も特徴があった。
一歩動くたびに金属がぶつかるような高い大きな音を響かせる。まるで自分達が“来たぞ”と、自己顕示欲に強いかのようであった。
やがて、現れた姿は、白い鋼で包まれたボディ。二足歩行で基本的なモデルとしては、人と大きく変わらない。腕にあたる部分には四本の指があるし、関節も人とほぼ同じ場所にある。
だが、胸が大きく発達しており、“そこ”だけは一枚の鋼で覆われていた。
人にあたる関節部分から見えるのは、沢山のコード。
赤や青、緑色など沢山の線が見えている。
それ以外の箇所は、全て鋼で守られていた。
そんな怪物が持っている武器は、一本の剣。
この剣はバスタードソードと呼ばれていて、長さは1,2メートルほど。幅は狭く、両手でも片手でも扱える剣だ。
「アニキ……あれ多分、“メンシュ・アイゼン”だよ!」
カイトが言った。
氷雨もメンシュ・アイゼンという名の怪物は、強く脳内に残っている。
迷宮の中でもオークと二強と云われる人型怪物で、もしオークが生物を強調して創られたなら、メンシュは機械を強調して創られたとされている。
メンシュの後に付けられている名は、すなわち装甲の金属の名だ。
アイゼンの意味は――鉄。
メンシュの中でも最下位に位置する怪物であった。
だがメンシュの中では最弱でも、迷宮の中ではそれなりに強い。
同じ力量なら間違いなく苦戦をし、パーティーを組んでいても負ける可能性がある怪物だ。
「おにいちゃん……」
ユウは氷雨を心配した。
彼女も噂として聞いてたが、メンシュに関するのは悲惨な話ばかりだ。
力量が高い場合は何の問題も無い。しかし、近い場合やそれ以下の場合は、死ぬ可能性がギルドの統計で六割を超えている危険な怪物でもあったからだ。
「これって……俺のカモだよな」
「えっ!?」
「おにいちゃん!?」
でも、氷雨の捕らえ方は常人と違った。
メンシュの弱点は人と変わらない。心臓、頭、関節など、だ。ただし、関節以外の重要な装甲には、金属の鎧が邪魔をする。
そこが、“普通の冒険者”には苦手なのだ。
「ギルドで最初に見た時から、思ってたんだよ。お前は俺のいい“練習台”だって」
氷雨はメンシュ・アイゼンを、舌なめずりをしながら見ていた。
彼が、“人の弱点”を熟知しているからだ。
それはギルドよりも。どの冒険者よりも。
「アニキ、それ……どういう意味なんだ?」
「簡単な話さ。あいつの装備は、ベルやその他冒険者と変わんねえ。だから力量の低いあいつは、いい“踏み台”になると、な」
「あっ!? でも……」
カイトは、氷雨の言葉の意味に気がついた。
「おにいちゃん、わたし、いみわかんない。むずかしいよぉ~!」
「はあ、――簡単に言うと、そうだな。俺があいつに勝つんだよ。分かったか?」
「うん! そうなんだ~! へえ~」
ユウに氷雨はにっこりと笑った。
メンシュ・アイゼンは律儀にも、まだ襲ってこなかった。否、三人を敵視すらしていなかった。
メンシュ・アイゼンの目は、近くの高い温度のみに反応する。ヘビのピットセンサーに近かった。
そして、この怪物は他のとは違い、自らが襲うことは――無い。
だが、自らが襲うことは無いが、襲われたら抵抗する。
これまでに死んでいった者も、メンシュ・アイゼンが持つ希少なドロップアイテムを求めて戦ったのだ。
「――さあ、戦ろうぜ」
氷雨はそれだけ言うと、一気に大地を駆けた。
キリキリッ!
嫌な音がメンシュ・アイゼンからし、剣を両手で持って“それ”は構えている。
そして、彼が近づくと、――長い剣で突いた。
氷雨は化勁、つまり手で剣の側面を触り、逸らすようにして左に剣を凪いだのだ。
ダンッ!
剣を手で往なすと、氷雨は距離を詰める。
そのまま一歩大きく踏み込んだ勢いで、メンシュ・アイゼンが剣を掴んでいた手の部分を肘で上から下へ。
カランカラン!
彼による、重力を上手く利用した肘鉄に、メンシュ・アイゼンの握力は適わなかった。剣が手から離れたのだ。
この怪物は自身の特徴である怪力を使おうと、氷雨を包容力で潰そうとした。
「――遅いな。誰よりも」
だが、その大きく広げた腕の速さは、これまで彼が会った敵の中で最も遅い。
それはあのベルでさえも超えるほど、だ。
氷雨はその機械で創られた右手を取り、――飛んだ。
メンシュ・アイゼンではなく、――氷雨が飛んだのだ。
彼は相手の右腕に絡みつくように飛び、上腕部を自分の両脚で挟んで固定する。
同時に両手で掴んだ小手返しのように横に捻って、身体を大きく捻る。
氷雨は飛びついた慣性と自身の体重、それに小手返しによって、メンシュ・アイゼンを頭から落とすように投げ、そのまま腕を逸らせるように腕挫十字固に似たのを極めたのだ。
投げと関節の複合技である。
技名は、『竜巻』
技をかける方が、派手に身体を回すことから付けられた名であった。
ガッシャン!
メンシュ・アイゼンは頭を強く打ち、そのまま肩を関節技によって大破させられる。
頭は凹み、肩からはコードが沢山飛び出た。
そして、霧となってメンシュ・アイゼンは――死んだ。
――ピコーン、力量が8になりました。
関節技をかけていたので、仰向けに寝る体勢のままの力量アップだったが、氷雨はやはり大して関心を向けなかった。
(久々に使ったから、決まってよかった……)
それよりも関心を向けたのは安堵感。
『竜巻』は氷雨が使える中でも強力無比な技だが、その分でたらめなほど隙が多い欠陥品だ。だから、これを使うのは二年ぶりなのだ。
「アニキ、今のかっけぇ~~! オレにも教えてくれ!!」
「おにいちゃん、今のすっごぉ~~い!!」
だから、既に結晶石やドロップアイテムの回収が終わってる子供二人から、感激の目を向けられると、なんだか申し訳ないような気持ちになる。
これはまだ、氷雨の中では“不完全な技”なのだ。
――まだまだ大技すぎる、と。
「――さて、帰るぞ。今日は、この程度で十分だろ。ベルからは金を奪ってたし……」
「おう!」
「うん!」
氷雨はこの日はこれで帰った。
まだまだ、己の未熟さが見えた日だった。
例えば、技の選択肢であったり、大群との戦いで二人の守り方、などだ。
次の日も氷雨は潜っていた。
子供達には、“ある情報収集”を頼んだから、一人で迷宮に出向いたのである。
その探索の帰り道で、今日遭遇したメンシュ種の一つに出遭った。
その名は、メンシュ・ブロンズ。
銅のメンシュだ。
メンシュ・アイゼンとの違いはスピード。装甲が薄い分、ブロンズの方が早いのだ。
――そして、プロローグへと戻る。