第十四話 VS名持ち
カイトとユウが部屋の中を駆け回りながら喜んでいた。それを氷雨は胡坐をかきながら、ずっと見ている。
だが、そんな兄妹二人の微笑ましい姿に、水を差す者が現れた。
「おい! お前ら! そんな喜んでるってことは、――金ができたんだろうな?」
男であった。
三人がいる家の入り口には、分厚い鎧の上から黒色のマントで覆っている巨漢の男がいたのだ。
服の隙間から見える筋肉はゴムのような弾力があり、大木のように太い。片方の耳は千切れて無くて、鼻は潰れており、顔には傷が沢山あった。
そんな男が手に持っているのは、両刃の斧である。斧は120センチ程度の長さで、刃はとても分厚い。
まるで敵を真っ二つにするためだけに生まれたような、そんな武器であった。
「い、いやっ! あの……まだ……まだです……」
その斧を持っていた男に、カイトが頭を垂れた。唇をぐっと噛み、服を両手でぐっと掴みながら。
カイトが迷宮に行こうとした理由にお金が必要とあるが、そのお金が無くなった原因は、この男なのだ。この家に住んでいる場所代として、金を巻き上げられ、貧困生活を送っていたのである。
もし、この男がいなければ、カイトとユウは貧乏ではあったが、食べられないほどの生活ではなかっただろう。
「ふん、前に言ったよな! 金ができなかったらこの嬢ちゃんを貰ってくって? いいのか? 本当に売り捌くぞ!!」
斧を持っている男は、すぐ隣で壁に体重を預けていた氷雨にも気づかず、子供二人を怒鳴りつけた。
「すっ! すいません! 待って下さい! お金は“必ず”次回用意します! だから……どうか……どうか……」
カイトは男に対し、すぐに土下座をする。がむしゃらに謝っていたのだ。
そんな男はそんなカイトのすぐ前にまで行き、腰を下ろした。顔は醜くて厳ついが、どこか温和そうな雰囲気も感じる。
「俺もな、孤児のお前が大変なことは分かってる。だがな、俺にもコミュニティの面子があるんだよ。知ってるよな?」
「はい……」
「たしかお前、前回も前々回も払えてない。覚えているな?」
「はい……」
「だが、俺もお前達が金を納めようと、努力していることは知ってる。そこは認めるつもりだ」
「はい……」
カイトは男の言葉に、ひたすらオウム返しのように答えていた。否、それしか、できないのであた。
逆らったら殺される。
言い訳したら殺される。
口答えしたら殺される。
そんな場面を、カイトは短い間に幾度となく裏の町で目撃した。
この男に逆らった貧民達は、皆、あの斧で真っ二つになってるのだ。少年はそんな事前学習があったからこそ、自分にとっての適切な対応をしているのだ。
「俺も鬼じゃねえ。だが、そう何度も待ってると、上から色々と言われるんだ。裏にも詳しいお前なら分かるだろ?」
「はい……」
斧を地面に置いたまま、男はカイトを怒るわけでもなく、遠まわしにつらいのは一緒なんだ、と言いたいのである。
そして、カイトとユウに背後を向き、最後に二人に言い残した。
「次だ。次が最後だ。次、無かったら、嬢ちゃんを貰ってく。いいな?」
「はい……」
斧の男は、それだけで家から去ろう――とした。
しかし、とある人物が目に映たのである。
――氷雨で、あった。
ぼろい身の上からすれば、成長した孤児ともとれる。それはマントが日に日にぼろくなっていた。既に長年使ったような哀愁が、マントから滲み出ていたのだ。
「おい、お前は――誰だ?」
だが、どこか勘に触った。
視覚でも聴覚でもない男の第六感が、氷雨の存在を“異常”と感じ、“危険”と感じたのだ。
だから、目で威嚇し、肩にかけた斧の握り手に力が入った。腰も少し低くなる。男は戦闘の準備を、自然としたのである。
「けっ、しがない冒険者だよ」
「嘘――」
男は否定しようとした。
だがふと考えて、冒険者としては“常識”である相手の力量を視てみた。その力量は5。脅威などとは程遠い力量だ。だからあの“虫の知らせ”はたんなる錯覚だったと、男は結論づけた。
「――いや、俺の勘違いだった。すまんな。怒鳴って……」
「いいさ、“どうせ勘違い”だったんだろ?」
男が素直に謝っても、氷雨は不適に微笑むばかり。
ところで、男は氷雨とカイトの共通点を不思議に思った。孤児という繋がりだけなら、まずこのカイトとユウとは関わらないと思うからだ。
何故なら、孤児達はこの二人――カイトとユウにに苦汁を飲まされている。大切な金を取られたからだ。そんな人物と仲いいことが知れれば、グループからは敬遠され最悪袋叩きにあう“筈”だ。
ならば次に、二人と氷雨が、兄弟……という可能性を考えたが、ないと思った。ましてや、親子など論外だ。
何故なら、この三人が兄弟や親子など大切な人物なら、先程のユウを売ると言った時、なんらかの反応が合ったはずだ。しかし、氷雨は声すら出さなかった。
「おい、カイト、もしかしてお前の“金のあて”はこいつか?」
だったら、と男は思った。
数分前、カイトは“金のあて”がある、と言った。浮浪児に“金のあて”など、そうそう出来るものではない。
身売りか、仲間を売るか、それとも盗みか、これらに共通するのはどれも確実性は無く、危険な手段ばかりである。
また、カイトがユウを溺愛してるのは男も知ってる。そんなカイトがユウを売るわけない。売れるような友達もいなければ、盗みの才能もない。
だったら、“彼”が“あて”なのではないか、と男は思ったのだ。
ちょっとした予感――でもあった。
「はい……そうです。この人……いえ、アニキが迷宮で、結晶石を拾うだけの仕事をしないか? って言ってくれたんです」
「……いや、カイト、お前もしかして本気で言ってんのか?」
斧を持っていた男は、カイトの“妄言”に笑った。
冒険者として稼ぎがよくなるのは、大体30階層以下に潜れる力量30以上だ。それ以下だと冒険者の間でも下位で、一寸先が闇――程度の暮らししかできない。
つまり、5という氷雨の力量だと、誰かを雇うなど、夢のまた夢なのであった。
「はい……」
「こんな力量が10にも満たないペーペーの初心者が、お前達に満足な稼ぎをくれると、思うのか? 滑稽だ。非常に滑稽だな」
「えっ!? アニキがっ、10以下っ!?」
「ああ、さっき親切心から俺が調べた。どうする他に“金のあて”はあるのか?」
「いや……ありません……」
「じゃあ、いいよな? 待っても無駄だと俺が判断する」
男はユウの腕を、強引に掴んだ。
ユウはじたばたと暴れていた。それを強引に男は引っ張った。
「す、すいませんっ!? すいません!! ユウだけは……ユウだけは……」
カイトの頭はこんがらがっていた。
氷雨が10以下で、急に斧を持っている男がユウを売り出すと言い始めた。もう混乱につぐ、混乱で意味が分からない。
「カイにい! おにいちゃん!」
ユウは男に掴まれた腕の痛みのあまりに叫んでいる。
カイトは男のあまりの急転に、動くことさえできなかった。どうすればいいか、どんな判断を下せばいいか、全く見当がつかないのだ。
「ちっ、お前は頭のいい餓鬼とは思ってたが、所詮わりのいい話で騙される餓鬼だったとはな!!」
男はユウを強引に引っ張ったまま、片膝を立てている氷雨の横を通ろうとしていた。
だが、そうは彼の問屋がおろさない。
「――おい、図体だけの馬鹿が、うちの従業員を何処に連れて行くつもりだ?」
ことあろうことか、氷雨は男に喧嘩を売ったのだ。
「アニキッ!」
「おにいちゃんっ!」
「おい、てめえ、誰に口聞いてると思ってんだ? 冒険者の素人の小僧が、溜口で話せるような存在じゃねえんだよ。俺はよお」
子供達は氷雨の名を呼び、男はドスの効いた声で氷雨を嗜めた。
だが、氷雨の態度は相変わらず飄々として変わらない。立つこともなく、攻撃の構えをするのでもない。
ただ、男を睨んでいたのだ。
「けっ、ウドの大木ごときが大層なこと言いやがる」
「おい、こら、舐めてんのかぁあ!?」
「きゃっ!?」
男はユウをカイトの方へ投げ、両手を斧へかけた。今にも氷雨へ斬りかかりそうな勢いである。
氷雨の狙い通りの展開だ。わざと挑発をし、男を怒らせる。この斧を持った強そうな男と、“戦いたい”がゆえの策であった。
ところでカイトは、ユウの体を小さな体で精一杯受け止めていた。
「待てよ。どうせ、戦るなら外で戦ろうぜ。こんな場所じゃあ、斧は不利だろ? いくらウドの大木でも、負けて言い訳されたら腹が立つしな――」
氷雨はそんな男を手だけで制止した。
だが、それは謝るためではなく、より相手を煽るための行為だった。
「へえ~~小僧、口だけは一人前だな! いいぜ、低力量ごときが、俺を愚弄したのを後悔させてやる。表へ出な!」
男はそれだけの捨て台詞を吐いて、家から出て行った。
氷雨はそれに、口角“だけ”を上げる。まさか従業員だけを雇っただけで、こんな大物まで引っかかったのが嬉しいのである。
「アニキっ!? 力量が10以下って本当なの?」
「おにいちゃん!? あいつだけはたたかったらだめ!!」
二人は思い思いの言葉を、氷雨の傍に近寄ってぶつけた。
だが、彼は不敵に笑うだけだ。
「いい機会だと思ってな。お前等も俺の“強さ”を知らないだろ? ちなみに今の俺の力量は5だ。普通なら――弱いだろうな」
そして、彼は立ち上がった。カイトとユウは、あくまで勝つ気でいる氷雨に驚嘆の瞳を向けている。
力量が自分達と全く変わらないのに、そこまでの自信が生まれる理由が分からないからであった。
◆◆◆
それは空は太陽が隠れ、中途半端に黒と白が混ざった色をしていた時だ。雲だけがそこにあり、月も星もない。
云うならば、雲が天上をとったような、そんな空模様だった。
闘技場になるべき場所は、細い路地だ。身長以上の壁が両脇を封じ、その路地の幅は僅か70センチほどで、カイトとユウの家の前に少しゆとりがある程度だ。さらに道の端には様々な大小のゴミが錯乱しているので、満足に戦える程のスペースはない――と云えるだろう。
「待たせたな」
氷雨が家を出ると、細い路地裏の数メートル先、斧の男はそこに待っていた。カイトとユウの二人も彼に続いて外へと出る。
「ふん、まだ怖気づいてないのか傲慢な小僧だ」
男は醜い顔で、苛立っていた。兜をつけてないので、鬼や悪魔と云われても違いの分からぬような恐い形相である。
それだけではなく男は、斧は刃を地面に下につき、下から上へと真っ直ぐに伸びる大きい図体を支えるように、柄を両手で持つ。
「けっ、力量で、“強さ”を計るお前のほうが傲慢だろ? そんなので人の何が分かるんだよ? それにな――」
氷雨は双眸で自分の存在を誇示し、マントを脱ぎ捨てた。
半袖の服からは、傷だらけの皮膚が見える。決して太くもなく、細くもない両腕。遠くからでは分からないほどの筋肉が、そこには詰まっていた。
「――“強さ”とはな、血と涙と汗で語るもんだ。たかだか力量程度で分る筈がねえだろ……」
氷雨は呆れたように、話を続けた。
これが彼の語る“強さ”であった。長年武術に打ち込んで鍛え上げた彼だけが、云えるだろう言葉だ。
「ふん、そんな戯言――まあ、いい。そんなびびらないお前に敬意を評して、圧倒的な“差”を教えてやる。――俺の名はベル。力量は34。戦士という“名持ち”だ」
氷雨はそんな聞いたことのない“言葉”に驚くわけもなく、びびるわけもない。
ただ、かろやかにその場に立っているように見える。
「そんなこけおどしで俺が戦いを思いとどまるわけ……」
「アニキ、やっぱり止めとこうよ! “名持ち”は駄目だって!」
「おにいちゃん! こんなとこでいのちをむだにしたらだめ!」
氷雨は自分を抑えることなどしないが、カイトとユウが氷雨に抱きついて待ったをかけた。
二人は、この町の“裏”にいたので情報通だ。
もちろんその中に、“名持ち”の情報もある。その危険性をよく知っているから、自分達の恩人と将来なる人だから、氷雨を全身で止めたのだ。
「おい、カイト! その無知な冒険者に、名持ちの意味を教えてやれ。教えれば今回“だけ”はユウを、売るのを諦めてやる。いい奴隷になりそうな獲物がいることだしなあ!!」
ベルが氷雨に“名持ち”を教えるのは、決して親切心からではない。
恐怖にのた打ち回って、全てを絶望に変えた上での氷雨を思いっきり蹂躙したいからである。それがベルの趣向で、弱い者を斃すときの楽しみであった。
「……分かった。分かったよ……。じゃあ、アニキ言うな?」
「ああ」
「名持ちとは、称号、二つ名、通り名、様々な呼び方があるけど、“力量とは違う強さを持ってる”人のことを総称して“名持ち”って言うんだ!」
「“力量とは違う強さ”ってなんだ?」
氷雨はまず力量に対して、疑問を感じていた。
彼は力量に対して、ある程度の知識はギルドなどで手に入れている。力量とは筋トレをして経験値を上げたり、人や怪物を殺した時に得る経験値で上がる。時には思春期などにある身体的な成長で、経験値が上がることも稀にある。
――そして、力量とは身体能力の合計値を一般的に視覚化したものだ。
力量が高いほうがパワーがあり、スピードがある。体格は関係ないが、細くても力量が高く、身体能力が高い者もいる。
しかし、そうだとしたら、自分はどんな存在なのだろうか、と氷雨は不思議に思ったのだ。
――自分は身体能力が低いほうではない。
これまでに何人もの人間を斃してきたが、その全てが自分より力量が高いと思う。それは、全員が自分を見下していたから、そう思ったのだ。
だが、そのどの者より、決して身体能力が劣っていると感じたことが彼にはない。むしろ、優っていると感じた部分さえある。
だから、氷雨は――力量というまやかしを、信じていないのだった。
「うん、名持ちが上げられるアドバンテージは、持ってる名の種類によって変わるけど、その全てが同力量なら、確実に名持ちが高いんだ!」
カイトは氷雨の疑問にも気づくことなく、説明は続く。その真剣な瞳は真っ直ぐに氷雨を見ていた。その内容は詳しい名持ちの詳細であった。
戦士。武器を持った時の武器の扱いや、戦いに関する当て勘避け勘などが上昇する。
闘士。素手の状態での体の動きや身体能力等が、上昇する。
騎士。気高い精神を持っていれば、武器の扱いや馬術が腕が上昇する。
魔術師。魔法を使えば、魔力の消費を抑えたり、魔法の威力を上昇させる。
どれも限度があるものの、持っていれば確実に戦いを有利に運ぶ。
そして、どの名も一番の問題は、入手方法が分からないというものなのだ。戦いの中で得たものもいれば、寝てる間に得たものもいる。その条件は不明だから、持ってる者つまり名持ちは、この世界ではエリートと云われていたのである。
「ふーん」
「アニキ! ふーんじゃないよ! どれもやっぱり危険なんだよ。オレもベル様が名持ちだったのは知らなかったけど、普通の神経を持つ人なら確実に戦いを止めてるよ! それこそ力量が高いならまだしも、アニキはベル様より力量が低いんだよ!!」
「じゃあさ、一つだけ聞くが他にも名はあるのか?」
氷雨は思わず聞いてみた。
少し興味があったからだ。自分が将来戦うかもしれない存在の名が。
「うん……あるよ……。詳しい詳細は知らないけど、さっきの名の上位種とされてる狂戦士。剣闘士。聖騎士。魔道師。そして――」
カイトの名持ち講義は、まだ続く。
そして、少年は最後の名を言う時は、微かに体が震えていた。
「――救世主。これの詳細は少しだけど、オレも知ってる。最近、巷で噂になってる大衆を救う“名持ち”と云われてる……」
「そこまでで終わりだ! どうせ死ぬ奴にそれ以上話ても無駄だろうしなあ! どうだ、小僧、震えてきたか?」
カイトの名持ちに対する簡易版の講義は、ベルの終了の声で終わった。
ベルの顔つきはニヤついていた。自分の名がいかに凄いものか、わざわざカイトに説明させたのだ。男は期待したのだ氷雨のうろたえる姿を。
「――つまり、お前は名の中でも下位ってことか」
「ああ!!」
だが、彼の行動は予想に反した。カイトとユウの手を解き、男へと一歩進む。氷雨は名の一部始終を知った上で、男を再度挑発したのだ。
「だから、お前の持ってる名は、戦士は、名の中でも一番下なんだろ? だったら何の問題もねえ。俺は……俺の持ってる力でお前という壁を壊すだけだ」
氷雨はまた一歩進んだ。
顔の笑みは止まらない。足も止まらない。
ベルにとっては、その全てが胸糞悪かった。己の思い通りにならず、断固として勝つ気でいる氷雨が。
「お前は、とことん俺を怒らせる気だなぁ! もう殺してやる! 奴隷商人にも売らねえ! ぐちゃぐちゃにして殺してやるっ!!!!!!」
氷雨の背後にいたカイトとユウはが竦みあがるほどに、ベルの声はドスがとても効いていた。
斧の持っている男の血は、怒りによって熱く沸騰している。顔が赤くなり、全身を苛立ちが巡り回った。大木のような腕は熱い血が回ったことで、準備体操の必要が無いほどに膨れ上がる。
ベルの戦闘準備は、これ以上ないほどに完了していた。
「――さあ、戦ろうぜ」
一方の氷雨も、戦闘準備は完了している。
血液は強敵という興奮によって煮え立ち、ポンプの役割を果たす心臓によって、体中を流動する。
この戦いは、カイトとユウを救うという免罪符があるので遠慮の心配もない。頭の中にあったリミッターは、既に外れている。
そして、次の瞬間、――獣達は動いた。
先に動いたのは、黒色の獣だ。
走りよってくるもう一匹の獣に向かって、持っている斧を大きく上下に振り回す。その勢いで、地面に叩きつけたのである。
ドンッ!!
斧技の一つ『衝波』だった。
『衝波』とは斧から出た大きなショックウェーブが、大地を浅く割りながら蛇のように這って直進に進む技のことだ。高さが数十センチの衝撃波は、氷雨を狙って突き進む。
「ちっ!」
氷雨は見たことのない技に、酷く戸惑った。
この技――『飛斬』ほど早くはないので、通常の縦横無尽に走り回れるような場所なら脅威でもなんでもない。
だが、ここは細い裏道だ。
左右に逃げる場所などなく、前に進んでも『衝波』にあたり、後ろに下がっても『衝波』にあたるだろう。
彼の逃げ場は“本来”なら零であった。
「おにいちゃん! うえっ!」
だが、氷雨はユウの言葉によって、九死に一生を得る結果となる。
彼はユウのアドバイスどおり、壁を蹴って高く上に飛び、男の攻撃を躱したのだ。
(あっぶねえ……)
彼は真下を通り過ぎていく『衝波』を見ながら、内臓が冷えたかと思うほどの緊張感を味わっていた。
ちなみに『衝波』は、カイトとユウの間を通り抜けて家の入り口へあたったのだった。
「くそっ! ユウの奴め、いらんことを言いやがって! ……へへっ!」
男はユウへ憎まれ口をたたくが、あくまでそれは演技。
ベルの本来の“狙い”はこれではなく、地上へと氷雨が降りる瞬間を予測して、『衝波』を今度は当てることなのだから。
ベルは三流の冒険者ではない。一発を“わざ”と外し、二発目で決めるという定石を知っている。
男がやった行動はまさに“それ”だった。
まるで詰め碁をやっているかのように上手いこと氷雨をはめて、――勝つ。狭い路地という限られた条件化ならではの、策であった。
(クソッ!)
そして、氷雨は今空中だ。
身動きが自由に取れる場所ではない。
さらに地面と『衝波』、両者との邂逅まで僅か一秒までに迫り、と全てが男の目論見どおりの展開だ。
そして、――氷雨は『衝波』とあたったのだった。
「アニキッ!」
「おにいちゃん!」
「ほれみろ!」
子供達はこれから起こるであろう惨劇に目を瞑り、ベルは『衝波』に激突した氷雨を鼻で嗤った。
彼は子供二人の近くまで吹き飛ばされ、地を転がる凄まじい轟音が氷雨の場所を周囲に伝え、砂煙が舞った。
「――やっぱり、低力量だったんだな! そんな雑魚が、“名持ち”の俺に逆らうからこうなったんだ!」
全ては男の想像通りに事が運んだ。
最初の『衝波』を上にしかない逃げ道に避けられ、次の『衝波』で相手を狙う。これ以上ないほどの展開であった。
「けっ、――“この程度”の威力で、何を誇ってるんだ?」
――だから、痩せ我慢を演じながらも立った氷雨に、男は驚いたのだろう。
『衝波』は『飛斬』のような斬撃ではないので、あくまで当たっても衝撃だけが体に伝わるだけだ。ゆえに、体のどこかが斬れることはない。
だがその代わりに伝わるのは、大きなハンマーで殴られた、と思うほどの大きな衝撃である。ぶつかってすぐに立てるような、やわな攻撃ではない。
「おいおい、なんで……なんで立てるんだよ!?」
男が知る限り、この攻撃を喰らってすぐに立てた者はこれまでいない。
いや立てるはずの者ならば、かなりの数がいただろう。だが、怪我は一つもなくても骨髄まで響くその痛みに、“耐えられる”者がいなかったのだ。
「けっ、――気合だよ。気合」
氷雨もやはり体のどの部分も共通して痛かった。
そして、唇を噛みながら痛みを堪え、――走った。
「次だぁああああああああああああああああああああああ!!」
男はもう一回、『衝波』を放つ。氷雨は迫ってきたそれを、右手で受けめた。激痛が奔り、拳を握れなくなった。
また、男は『衝波』を放った。氷雨は今度はそれを、左手で止める。折れてはないが神経にダメージが響き、激しい痛みによって左手も動かなくなった。
――だが、彼は止まらない。止まらなかった
最短距離で男まで距離を詰めた氷雨に、男は顔を歪めた。
もう、『衝波』を振るう余裕も無いからだ。
氷雨はこれを――好機と思った。前宙のように一回転し、そのままの勢いで右足の踵で相手の脳天を狙う。
だが、
「――甘えな。やっぱり雑魚だけあって、煮詰めすぎたジャムのように甘え」
一歩下がられて躱された。
氷雨は回った勢いを殺しきれず、無様に地面へと倒れた。それは頭から落ちることとなるが、強引に体を捻ったので、強打したのは背中だ。
「ぐっ……!」
氷雨は心臓を強く打ったので、呻き声が反射的に出る。
「――終わりだ」
ベルは腐っても“名持ち”だ。
戦いの経験は、同力量の冒険者を遥かに超える。ゆえに、この程度の予想外に慣れていた。
戦いとは、自分の予想通りに進まないもの。
だからこそ、それにどう対処するかで己の価値は決まる、とベルは思っているのだ。
男は大きく斧を振りかぶり、横たわる氷雨へ斧を――落とした。
それは『重斬』。
あの四人組の一人が行った斧技で、基本的な技の一つ。重さと硬さを最も活かした縦切りだ。縦切りという普遍的な技だからこそ、技アシストによる筋肉のリミッターを外したパワーがよく生かされる。
云うならば、巨人の一振りに近い。
パワー、スピード、どれをとっても人外の技である。
だが、それだけだ。
振りが大きいので、隙も大きい。
ドスンっ!!
氷雨は地面を転がって、何とか『重斬』を躱した。
斧は氷雨という緩衝材が消えたので、そのまま大地を抉り、深く突き刺さる。
彼は男が斧を地面から抜いている間に飛ぶように立って、斧の二倍程度の距離に立つ。
(遅い……あいつらに比べると……)
氷雨は少し距離を空けて、静かに男の戦力を分析していた。黒色の目を凝らし、男の筋肉の細かい部分まで鮮明に。
戦いによって出る興奮を一旦とどめ、客観的に男を注視すれば様々な事が得られた。
例えば、身体能力だ。
身体能力だけは、これまで自分が戦ったあの『飛斬』を操った剣士よりも、あの不意討ち上等の四人組よりも下だろう。
この男の腕の振りは、全て見切れたからだ。それ程に、この男は遅かった。
「次だぁあああああああああああああああああああああああ!!」
(問題は――)
男は斧を抜いた後、斧を横に振った。路地の狭さを苦にもせず、周りの壁も粉砕する強烈な横振りだ。
氷雨はそれをダッキングのようにくぐりながら避け、ある“重要”な事実に気づいた。
「まだまだぁあああああああああああああああああああああ!!」
ベルは己の近くの氷雨へ、斧の性能が最もよく出る距離へ離れさせようと――蹴る。
蹴り自体は美しさのない蹴りであったが、太い筋肉がゆえの力強さがあった。
(――巧さ!)
氷雨は相手から離れないために、痛みを我慢して両腕でその蹴りを防いだ。
そう、この男の最大の持ち味は、一流の武芸者のような身のこなしだった。
これまでの敵はいくら一般人より通常の身体能力が高くても、自分よりは僅かに低い。どんな優れた技があっても、戦いの技術自体は自分とは程遠かった。
例えば、武器に応じた距離感や攻め時、守り時を全く知らない。虚実というフェイントもなかったので、類稀な運動力に任せ、技という便利なおもちゃに任せた強引な力技が多かったので、――勝てた。
だが、この男は違う。
技の使うタイミング。相手との勝負の駆け引き。それに自分の得意な戦い方。
戦闘に必要な技巧を、この男は知っているのだ。
――厄介だった。
これまでにないほどに厄介だった。
「はっ!」
氷雨は敵に近づいたので、顔に拳を突き立てるようにショートアッパーをするが、顔を捻られて躱される。
さらに、斧の刃とは逆の柄の部分で殴られそうにもなる。
氷雨はそれを一歩下がり、柄が通り過ぎ去ったのを見るとまた敵に向かって前進した。
◆◆◆
「カイにい、力量って、ぜったいだよね?」
ユウは目の前の一人の獣を見ていた。
拳という爪と、脚という牙で、戦う獣を。
その獣は一歩も引かず、遥か高みの力量差と“名持ち”という有利さを、劣勢とも見せずに戦っている。
「うん、そうだけど……そうだと思うけど……」
カイトも見ていた。力量差がないとも思えるほどの、“互角”の勝負を繰り広げる一匹の獣を。
本来なら、力量差を埋めるのは、武器か防具か“名”だ。
だが氷雨はこの内のどれかで、戦っているのではない。
武器は最弱と云われる素手と、防具は駄剣すら防がない布製の薄い服。しかも“名”は持っていない。
圧倒的な力量差を何で埋めているんだろう、とカイトは疑問に思ったのだ。
「じゃあ、あれはなんなの?」
ユウの言葉が強く胸を打った。
自分達はベルの力量を知っていたから、反抗しなかった。だが、もし力量が絶対ではないのなら、自分の耐え忍んだあの日々は何だったのだろう、と後悔に陥ったのだ。
「きっと、アニキだからだよ。ユウはあいつに勝てるか?」
でもそれは、勘違いだと少年はすぐに気づいた。
アニキだから戦える。アニキだから力量が絶対ではない。アニキだから武器も防具も必要ない、と。
「ううん」
「オレもだよ。オレも、ベル様に勝てるとは思わない。でも、アニキなら……アニキなら……なんとなくだけど“勝てる”と思える。ユウはどうだ?」
「ふしぎだね! わたしもそうおもうんだよ」
彼方では、駆け引き自体は地味ながらも激しい戦闘が繰り広げられてる。
斧が煌き、拳が舞い、空気が切り裂かれる。
それは誰が見ても泥臭い殺し合いではなく、武芸者と冒険者の同格の戦いだ。
「じゃあ、することはひとつだね!」
「だな!」
二人はこの戦いを見て、一つの結託をする。
「おにいちゃん! がんばって~~!!」
「アニキ! 負けんなよ~~!!」
カイトとユウはその戦いを見守りながら、異常な存在である氷雨だけ、を応援したのだ。
氷雨の攻防は、初心者が見れば見るほど情けない戦いだった。避けて躱すばかりで、防御もなければ攻撃もあまりない幼稚な争いに見えるだろう。
だが、二人は違った。
二人は氷雨が攻撃を出しづらいのにもかかわらず、二匹の獣を同等、いや氷雨が勝っていると思ったのだ。
カイトとユウの考えは、誰かが聞いたら嘲笑する考えだ。不利な方を勝っていると考え、有利なほうを劣っていると考えるなど、本来なら正気の沙汰ではない。
でも、氷雨だから、という理由だけで、子供達は納得したのだった。
◆◆◆
(どうなってやがる!?)
ベルは、至近距離で攻めながらも攻めあぐねている状況に、目を見開いていた。
斧を薙いでも躱され、斧が届くかどうかぎりぎりの距離を狙い定めて攻撃しても、逆にその極限の距離を逆手に取られ斧は僅かに届かない。
彼の考えなら、あの二発目の『衝波』の時点で――もう終わってる。
あの衝撃は骨にまで届くのだ。力量が低いのなら、筋肉も少ない。ならば、衝撃が骨まで貫通し、粉砕して、即死はないが戦えなくなるはずだ。
だが、だとしたら、目の前で起こっている状況はなんだ、とベルは思ったのだ。
己は有利なはずだ。力量は高いし、名も持ってる。武器も防具も装備してる。素手で碌な装備をしていない相手より、“劣る点”はなに一つも見当たらない。
「うぉおおおおおおおおおおおおおおお!!」
ベルは迷いを断ち切るように叫んだ。
袈裟切りも、逆袈裟も、避けられる。
相手の掠り傷を増やしたと思っても、決定打にはならない。
不利な点はないのに勝てないこの逆境を、打ち負かすように叫んだのだ。
喉を震わせる。
筋肉を震わせる。
斧を全力で振るう。
決死のベルの斧。
――決着は近い。
◆◆◆
「うぉおおおおおおおおおおおおおおお!!」
空気に轟く剛声。
氷雨は一メートルの距離をベルからとって身構えるほどに、強烈で殺気の篭った声だった。俺は上位種族だ。選ばれた人間なんだ。と、劣勢を跳ね返すように叫んだのでもある。
「――っ!」
氷雨はそれに対抗し、体勢を低くしながら筋繊維がぼろぼろの両腕に軽く力を篭めた。
――痛い。
ただの筋肉痛だが、予想以上に痛い。
先程まで、戦いの興奮で痛くなかったのに、今となって強烈な激痛となって氷雨を襲う。それは多量の電流が両腕に奔ったかのような、痛みであった。
そんな氷雨に、ベルは斧を振るう。
『重斬』ではなく、普通の縦切りだ。
巨躯から生み出される力と、斧本来が持つ破壊力。技ではなく、生身で上から迫るその圧力は、“本物”だった。
殺す気迫の入ったその攻撃は、これまでのどの技より、氷雨を圧巻させる。
「――!!」
彼は襲い来る斧を刹那見つめ、地面を蹴った。
数瞬の間合いを見切ったのである。
後ろに下がった氷雨と、上から下に落ちる斧の隙間。わずか一センチにも満たない隙間であった。斧によって切れた黒髪が数本、空中に漂う。前髪の一部であった。
斧が氷雨の顔の前を通り過ぎると、二人の目が黒く輝いた。
それは氷雨とベルの眼球にそれぞれに届く、お互いへの殺意。唯一の共感。絡み合う攻防の策略、である。
その時の、ぴりっと張り詰めた空気が、カイトとユウにまで届いた。
「うおりゃあああああああああああああ!!」
「はっ!」
そして、彼は走った。大いに叫ぶベルに向かって。
地面に刺さる鉄塊が、鏡のように氷雨を写す。ベルは氷雨を写している間に、斧を上にあげた。『重斬』ではないがゆえに、地面と衝突しなかったのだ。さらにベルは、斧の柄を胸まで引いて、氷雨を横薙ぎに斬ろうとしていた。
だが、もう遅い。
氷雨はそれよりも速く、大地を蹴った。今度は壁を蹴った。さながら鳥のように、空中を自由に彼は動いていた。
最初の蹴りで上に高く飛び、次の壁蹴りでベルの方向へ向かったのだ。
「クソぉおおおおおおおおおおおおおお!!」
背後に回った氷雨に、刃は振るえない。
重たい斧は、体勢を切り返すのに時間が要るのだ。だから男は、後ろに一歩跳ぶことで、氷雨を押しつぶそうとしていたのだ。
「――!!」
氷雨はくるっとその場で回る。そして、蹴る。その無防備な背中へ、回し蹴りを、であった。
ダメージにはならない。鎧の上だからだ。
もう一度、連続でその背中へ回し蹴りを放った。既に氷雨の体は二回転している。
「――!!」
彼は、回し蹴りをもう一度。
男の体重を蹴りだけで、押し返そうとしているのだ。三度目の強烈な回し蹴りが、男の背中を次々と壮絶な速さで押した。
「――!!」
三度目の回し蹴りで、体が少し浮いた。
いかに、重力が男の味方をしていようとも、諦めずただひたむきに蹴りを続ける氷雨に、天秤が少し傾いたのだ。
「重いんだよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
四度目。
氷雨の渾身の一撃が、遂に男を吹き飛ばした。
これまでこちらに傾いていた男の体が、顔から地面へと向けられたのだ。
今度はベルに、重力が牙をむいた。鎧で身を固めた男が重さに勝てるはずもなく、顔から地面へと叩きつけたからだ。
これで終われば、どれだけ楽だったろう、と氷雨は思う。
回し蹴りは、あくまで男を倒れさせただけだ。決定打には程遠い。
だから、氷雨は、無防備な右腕を――掴む。
「おい……おい……!」
ベルは痛みだけでも、自らの右腕が本来とは曲がらない方向に曲がってるのが分かる。
腕が背中側に引っ張られ、捻りあげられている。氷雨は体全体を使い、“ハンマーロック”によく似た関節技を使おうとしていたのだ。
「負けを認めるから! もう手はださねえから!! だから……」
両手を使い、右腕を背中側へ“極まる”方向に曲げ、てこの原理で折れるまで曲げるのだ。
みしししっ、と関節の音がした。肘か肩かもしくはその両方か、出所は分からない。これは、関節が引きちぎれようと、外部の圧力により引き離れようと、している音だ。
左手をバンバンと地面に叩き、必死に悲鳴をあげた。
だが、氷雨は“極める”のを止めない。
「止めてくれ……! だから……止めてくれぇええええええええええええええええええ!!」
そして、ボキッと音が鳴り、男の関節は――折れた。
◆◆◆
「次は左も“極める”からな」
氷雨は斧を遠くに投げ飛ばした後、ベルを目の前で正座して座らせている。
男はもう、抵抗する気にもなれなかった。右腕はだらんと動かず、強い痛みが絶え間なく奔っている。
それに氷雨の発言で。次の恐怖も脳裏に浮かんだからだ。
「分かってるよ。それで……俺をどうするつもりだ?」
ベルは黙ったまま、冷徹に自分の今後を聞いた。
男は先程の、あの情けない悲鳴が耳に残っている。止めてくれ、止めてくれ、と叫んでいた悲鳴が。感じたことのない醜態だった。
一生の恥だ。
もし、男が生きてこの場から帰れるなら、この戦いは忘れることがないだろう。
「どうするって、とりあえず殺す気はねえよ」
「えっ!」
この発言に、ベルではなくカイトが驚いた。
氷雨はどれだけベルが悲鳴をあげても、攻撃を止めなかった、敵には容赦のない人物だと知ったのだ。
そんな彼だから、てっきり敵を殺すと思ったのである。
「そんなに俺がこいつを殺さないことが意外か?」
「い、いや、そんなわけじゃないけど……」
カイトはうろたえながらも、氷雨の軽口に返した。
「まあ、いい。今日の俺は気分がいいんだ。で、お前には命を助けてあげる代わりに、やって欲しいことがある」
一方の氷雨は愉快だとばかりに、頬が緩みきっている。
見る限りは安全そうな青年だが、近くで見ると――怖い。灰色のマントで隠してはいるが、下の服には血が滲んでおり、マントは刀傷ばかりで痛々しい。いわゆる歴戦の兵だ。
「やって欲しいことって――なんだ?」
ベルに、氷雨の提案を断る勇気はなかった。
目の前の男には情けがない。もし断りなんてすれば、きっと死ぬより非道な結末を迎えるなど、用意に想像がついたからだ。
どんな提案をされても、適当にこの場をはぐらかして逃げればいいと思ったのだ。
「――俺のことを広めてほしいんだ」
「……はっ!? いやっ、なんでもない。続きを話してくれ」
ベルは声が出てしまった。
否定をしないと思っていたはずなのに、素っ頓狂な声が出てしまった。
それほどまでに、氷雨の要求は虚をついていたのだ。
「なに、俺が低力量ってことを、広めてくれればそれでいいんだよ。このエータルには、氷雨っていう低力量で強い奴がいるってなあ」
これが、氷雨がつくづく考えていた姉の探し方――であった。
氷雨は自身に、情報を集める手段も、情報を使いこなして姉を見つける脳も、無いことをよく知っている。
だから、自分では見つけられない。故に情報の発信を選んだのだ。
自分に情報は扱えなくとも、頭のいい姉ならば自分という情報を得たら、上手く使いこなすだろうと考えた。
氷雨は、他力本願な考えだが、これが最善の方法だと思っている。
この世界にもしも姉がいるなら、きっと自分を探す、と知っているがゆえの考えであった。
(姉ちゃんは……俺の“姉”だからな)
それは、雪が氷雨の“姉”だからだ。
自分の為なら、なりふりかまわず他人を利用する。
それが、当然自分にも及ぶ、と。
「で、返事は、はいかそうですかのどっちなんだ? 速く答えろ。腕がもう一本――亡くなるぞ?」
「はい……ぐっ……分かりました」
男は悔しそうな声を上げながらも、氷雨の意見に従った。
氷雨は最後にうんうんと、満足そうに頷いている。
「ふう、じゃあ用は終わりだ。カイト、ユウ、行くぞ。飯を食わしてやる」
「おう!」
「うん!」
彼は、そして二人を呼んだ。
この場にはもう、何の用もないからだ。
そして、細い路地を通ってる途中で、気がついたようにベルに振り返った。
「あ、そうそう。もし、広めてなかったら、――殺すからな?」
瞬間のことだ。
ベルは身の毛がよだつ程の、寒気を感じた。
それは、氷雨が消えても、消えることのない寒さだった。
そして、知ったのだ。
彼が、敗者を自分を、殺さないのは――利用するため、と。
氷雨は、どこまでも慈悲のない男なのであった。
今回は名持ちとVS名持ちの二つを纏めてみました、
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