第十二話 怪物狩り
氷雨は二日の休息をとり、迷宮へと来ていた。
彼が今居るのは一階。景色は相変わらずの石壁で、照明は白い花である。
まだ怪物は一匹も殺していないが、殺す為の対策はきちんと考えているので、“どんな怪物”でも斃すことが出来ると、彼は敵と遭遇するのを嬉々と待っていた。
そんな彼の休息の理由は――怪我である。連日に及ぶ連戦で、体にはがたがきていた。貴族風の男の護衛を斃すときは両手首を外し、左肩に大きな損傷を。次の日に戦った四人の冒険者には右肩を外された――だけかと思いきや、次の日にその怪我の確認をするとうっ血していた。
体に負った傷はこれだけではなく、細かい切り傷などを数えれば数十にのぼる。どれもこれも戦えないほどの傷ではないが、無視できるほどの怪我でもない。焦らずとも先があると彼は考えて、二日間は休息と情報収集に力を入れたのだ。
グルルル!
迷宮を探索していると、見慣れた怪物の姿があった。
ルーだ。相変わらず狼に、よく似ている。
この階層ではルーがよく出ると、ギルドでの調べは事前についてある。ギルドでは情報提供があった怪物の生態や弱点などは、まとめて保管しているのだ。
それらが載せられた写本を貰うのに当然金は必要となるが、氷雨は必要経費と割り切って十階までの怪物資料は全て買った。
中には喉から手が出るほど欲しかったスライムの詳細も載ってあったので、――本日の目標はスライム討伐と、勝手に心の中で決めていたのである。
シュッ!
氷雨は本来なら狩らない格下の敵相手に、全力の蹴りをした。鋭い蹴りは飛び掛ってきたルーの頬にぴったりのタイミングであたる。ルーはその威力の高さのあまり、遠くの地面に転がる。
彼は手刀で、その動きが止まったルーの首を一閃した。
そして――ボキッ、とルーの首が折れたのであった。
(はあ、弱い。でも、リハビリには丁度いいな)
氷雨は嘆息を一回。
彼の性分として、弱い者虐めは基本嫌いだ。強い者と戦い勝つことが彼の至福の時間なので、不味い肉を大量に食べるような行為である弱者を斃すことには嫌悪感すら感じる。
だが、二日の間体が疼くばかりだったのと、久々の戦いで勝負勘を取り戻そうと思っていたので、今回は特別にルーを殺していたのだ。
それと怪物を殺すと金ができる、という理由もある。
迷宮で生まれ、迷宮で死んでいった怪物は黒い霧のような瘴気となって霧散し、迷宮の壁に吸収される。
その時に残った色々な色彩を放つ石、すなわち“結晶石”がこの大陸の大切な資材となり、そこそこの値段で売れるのだ。
氷雨はこれをお金が入っていた巾着に入れながら、拾うのが少し窮屈に感じていた。“結晶石”はお金となるので拾い残しはないが、これを腰に持ちながら戦うのは少し面倒だと思ったのである。
「よっと」
キャウンキャウン!
氷雨は細い通路の前方を塞いでいるルーを蹴りで飛ばす。彼は床に倒れたそれの頭を、自分の体重のみで踏み潰すと、それは呆気なく絶命した。
「はあ……」
キャウンキャウン!
氷雨は後ろから飛び掛ってきた三匹のルーの内、一匹目は頭に体を一回転させた踵落としで、二匹目の頭はただの肘撃ちで、三匹目は頭を掴み膝に打ち付けるように蹴った。
どれも頭がぱんっと弾け、“結晶石”だけが残った。
「……」
キャウンキャウン!
氷雨は走った勢いに任せて、また狭い道を防いでるルーに飛び蹴りする。彼の攻撃は胴体に当たったが、そのまま首を両手で持って、捻るように回し、――極めた。
ちなみに、この時の彼の目は笑っていない。
グルルル!
彼の進行方向に、またルーが現れた。
当然、彼の細道を塞いでおり、先程のルーを斃してからまだ一分と経っていない。
ルーの遭遇率はこの階にいる他の怪物に比べてそう高くはないのに、五分の間に六匹とは凄まじい確率であった。
「――俺に恨みでもあんのか!!!!」
氷雨は怒鳴りながらルーに近寄り、顎にアッパーをする。怒りに染まった彼の拳は岩石のように硬く、弾丸のように早かった。ルーは二メートル程しかない天井に激突し、重力によって地面にも叩きつけられ、――死亡した。
――ピコーン、力量が3になりました。
また、左腕から音が鳴った。氷雨は殺した経験のない怪物ばかりを討伐した事によって、経験値が少しだが多く入ったみたいだ。
いわゆる“初心者”だけの特権であろう。
だが、彼はその機械の音を雑音と称し、関心すら向けなかった。力量が上がったら強くなるとギルドの人は言ってたが、“機械なんかで人の強さは決められない”と思っている彼にとっては、そんなのはたわごとでしかないのだ。
それからの氷雨は、何十匹のルーを見つけても無視するか、一撃で葬って先を進んだ。ルーばかり鉢合わせしていた彼には、弱いはずのルーがとても恐ろしく感じたみたいだ。
もう、ルーの顔すら見たくないらしい。
それは彼がギルドで買った冊子の中身の内、怪物の弱点は食い入るように見ていたが、それ以外はさっぱりで食指さえ動かなかった。なので、彼は各怪物がどの階によく出没し、どの階では遭遇しにくいなどを知らない彼が、――原因なのであった。
◆◆◆
二階。
このエリアは水分が抜けきった土の壁で出来ていた。地面はさらさらした砂で、学校のグラウンドとよく似ている。
階段から登ってすぐは広い部屋のようで、オレンジ色に光っている花も壁ではなく天井にあった。
キシャシャシャ!
そんな大部屋で、やっと望んでいたルー以外の怪物と遭遇とした。
シュピンネである。体長1メートルぐらいの大きさで、全体的に黒く、クモにそっくりであった。いや、間違いなく八本足のクモだった。地球上では考えられな大きなクモ。こんなのは、誰が見ても気持ちわるく思うだろうが――
「ははっ!」
――彼だけは違った。
本日最初のルー以外の怪物に喜んでいた。
しかし、この光景を少し離れた場所で見ていた冒険者達は、不人気怪物堂々の第二位を飾るシュピンネを見て笑っていた彼を、変人だと思っていたが。
シュピンネの人気がない理由は簡単だ。
クモの中でも毒の持っていない種類で、討伐するのも比較的簡単で、体長も他の怪物に比べれば大きくはない。
だが、それでも人気がないのは、シュピンネの独特の性質にある。
シュピンネの体液は、人になんの影響もないが、金属で鍛えられた武器を錆びやすくする。いくら消耗品であっても、例えば十回使える剣を二回ぐらいしか使わないのは勿体無い。とくに浪費家の冒険者にとっては、シュピンネを殺すだけで次の日の飯が食べれない、と云うほどの問題である。
――つまり、剣の寿命を犠牲にしてまで殺すような存在ではない、と思われてる怪物であった。
キシャシャシャ!
シュピンネが氷雨に襲い掛かった。彼はシュピンネが現れた事に感動していたので、対応が少し遅れる。その体当たりが“もろ”に体に当たった。
氷雨は二メートルぐらい飛び、床に転がった。
「えっ!?」
「冗談きついぜ、兄ちゃん!」
どんな者でも、この階のシュピンネ程度なら一メートルも飛べばいいほう。いや、殆どの冒険者はシュピンネ程度の攻撃には躱すか防ぐかの対処をする。まず、攻撃があたらないのだ。
だが、氷雨はあたった――
「意外と遅いな」
――かのように見えていただけだったが。
彼はシュピンネの攻撃を、紙一重で顔に直撃する寸前に、後ろに飛んで躱していのだ。その際、久しぶりにこんなスウェーに似た躱しかたをしたので、すっかり足の加減を忘れていた。だから、後ろに飛びすぎたのである。
氷雨は立ち上がるとすぐにシュピンネに近づき、柔らかい足の関節の付け根を狙って、手刀で一振り。その後、シュピンネは七本の足で旋回し、氷雨に噛み付こうと体を浮かせたので、体の下に潜り込み甲殻の間を貫き手で突いた。
キシャーーーー!!!!
――だが、皮膚が固いゆえに、氷雨の貫き手は刺さらなかった。
そればかりか、シュピンネは反撃として氷雨を押しつぶそうとする。おそらくシュピンネの体重は百キロを超えているだろう。氷雨は後ろに飛んでのしかかりをなんとか回避するが、シュピンネのほうが一枚上手だった。
立ち上がる時間も無い彼へ、透明の糸を吐いたのだ。さらに粘着性も強い糸を。
氷雨は左手を前に出し、糸をもろに食らう。幸いにも、肌に付着すると硬くなる性質の糸が巻きついたのは左腕だけだったので、犠牲はそれだけで済んだ。
だが、左手の手首から先は手を軽く握った状態で、固まって完全に動かなくなる。
(開けない……)
氷雨はシュピンネの突進を躱しながら、自身の左手を開こうとしていた。閉じようともする。
だが、皮膚に絡まった途端に硬くなった糸はとれない。右手で糸を触っても氷のようにつるつると滑る。
これが全身だったと思うと、氷雨は身震いした。おそらく全身に絡まると、体が全く動けずシュピンネの養分にされていた、という予想が簡単についたからだ。
彼は試しに反撃してみた。相手の弱点は頭だ。だから頭を執拗に狙った。右手で、足で。
しかし、あたらない。クモは意外と足が速いからであった。そしてその特性も、クモをモデルとした怪物のシュピンネにもよく活きてる。
剣や槍なら多少のリスクを侵せば、簡単に勝てる怪物なのだろう。
そうギルドで貰った冊子にも書いてあった。だが、氷雨は素手で装備も紙程度しかない。一撃でも喰らえば、いくら力量2のシュピンネでも大怪我に繋がる。
下手な失敗は“死”に繋がる。
戦いは好きだが、勝ってこその世界だ。負ければ何も残らない。
氷雨はそれをよく“理解”していた為、無闇な行動に出ない。
(で、どうする? 逃げるか?)
氷雨の攻撃の大半は分厚い鎧に守られて通じないし、右手一本では出来ることが限られる。足技は隙が多く、関節技は人ではないのでまず通じないだろう。
仲間がいれば、と云う想像もするが、瞬時に自分には合わないだろうと蹴った。
仲間がいらないこその“体術”なのだ。あらゆる状況で、あらゆる攻撃が出来る。どの場面でも攻撃ができ、反撃ができる。その武器を持たないことで得られる圧倒的な火力こそが、“体術”なのである。――はまれば強い、それが体術の本質だと彼は教えられた。
けれども、こんな美談を語ったところで、絶体絶命なのに変わりはしない。
予想外の苦境に冷や汗が出た彼は、酷く思い悩み、自分の頬を右手で全力で殴った。“逃げる”という考えが、少しでも頭に浮かんだからだ。
ここで逃げたらスライムの時の屈辱をもう一度味わうことになる。それだけはなんとかしても避けたかった。
だが、この状況を打破できるほどの“圧倒的な力”は持ち合わせていないし、“最良の作戦”を思いつくほどの頭脳もない。
「あの冒険者弱ええええーーーー!」
「たかだかシュピンネに苦戦してるぜ!」
「というか、糸を喰らう時点でもう駄目だな!」
ギャラリーは氷雨が悪戦苦闘しているのを見て、ここに来るような人間ではないと、十人十色の嘲笑した。
氷雨はまだ思い悩んで、
(俺も老いたな。、また――逃げるという屈辱を選択肢の中に入れるなんて)
いなかった。
彼はそんなブーイングなぞ耳にも入れず、すっきりとした顔付きとなっていた。簡単な解決方法に気がつき、これまで思いつめるほど考えた自分が馬鹿らしくなったのだ。
(集中しろ! 力を抜け。一瞬に全てを!)
そして、次の瞬間予想外の行動に出た。彼はシュピンネとの距離をつめ、糸で固まった拳を大きく振りかぶり――
ドゴン!!
「はっ!?」
「えっ!?」
――頭へ振り落とした。
シュピンネは鈍器で殴られたような衝撃が奔る。ギャラリーは、想定外の彼の行動に情けない声が出た。
(まだだ!!)
キシャ!?
氷雨の攻撃は一撃だけでない。
二撃、三撃、と相手が噛み付こうとしても、彼は無視して左手だけで、殴り続けた。
左手は固くなっている。ならば傷つかない筈だ、と彼は酷く簡潔に考えたのだ。
その間に偶然激突したシュピンネの牙は、自分の糸の固さにやられて折れていた。
キシャシャシャ……シャシャシャ……シャ……
幾つも幾つも、――殴る。そのパンチは突きだけではない。アッパーやフックなど、様々な技術を臨機応変に駆使し、シュピンネの弱点の一つである頭を集中放火した。
やがて、瘴気となって姿が消えるまで、糸というグローブのついた左手一本で戦い抜いたのだった。
周りのギャラリーは、シュピンネが死んだことによって糸が消えた氷雨の姿を呆然と見ていた。
まさか左手が固まった逆境を、チャンスだと考えたなんて。拘束具を武器と捉えるなんて。これなら武器を消費しなくて済む。と、観客達は新たなシュピンネの攻略方法に、心を躍らせた。
だが、やはり武器を消費したとしても、武器を持たないのは正気の沙汰ではないな、と記憶の中だけに留めたのだった。
(はあ、ジジイの遺言どおりだぜ)
――俺は弱い。
氷雨は予想外の逆転劇を、冒険者にぱちぱちと拍手で賛美を送られたからといって、今回の失態を帳消しにするつもりはない。
勝てたはずの敵に苦戦する。それを“弱い”からだと彼は考えたからだ。
スライムだってそうだ。あれだって“勝てた”のに、臆病風に吹かれて結果――逃げた。“勝てる敵”に“逃げる”のは自分が弱いからなのだ。
これからの上層部はもっと辛く強い敵が現れる。その度に逃げていれば、逃げ癖がつき、自分は今よりもっと弱くなる。
それだけは避けたかった。
弱くなりたくなければ逃げなければいい。強くなりたければ目の前の敵を全て斃せばいい。
そんな単純な考えに辿り着いたので、彼はすっきりしていたのだ。
(誰にも絶対言えねえ……)
だが、もし、祖父にこの事を知られたら、と彼は次の階を目指しながら顔をしかめた。それ程、自分の先程の痴態が知られるのが嫌だったみたいだ。
氷雨はこの時逃げ腰を改善した結果、――また強くなったらしい。
今回は前までの書き方に戻しました。
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