第十話 不法都市
あれから数時間。
やっと目的地に着いた。
その町は暗い。いや、夜なので仕方がないといったら仕方がない。だが、電球で夜空を照らす日本の風景に見慣れた氷雨にとっては、とても暗く――不気味に見えた。
ゾワッ!
そして、そんな町に一歩入ると、その身の毛もよだつような異質な雰囲気に始めて気づいた。
それは一歩入ったその瞬間、町中にいた全員が灰色のマントを羽織った氷雨を目測で図ったのだ。強いのか、弱いのか。金があるか、と。
平和な日本に住んでいた氷雨にとって、感じたことのない視線であった。
常に何かに怯え、他者を出し抜こうとするような、強烈な生への執着心。平和に溢れた日本ではまず考えられない感情だ。
それが、この都市の特徴だった。
この都市では大勢の犯罪者が“とある理由”で暮らしているため、国によって定められてる法律が正常に機能しない。故に強奪、殺人、強姦などが当たり前に行われている。だから、この町では弱いものから死ぬ。
弱い者が搾取され、強い者が全てを得る。
そんな世界の縮図が色濃く出た町であった。
――そして、これが無法都市エータルの最初の洗礼となるのだった。
◆◆◆
「おばちゃん、宿屋は開いてる?」
氷雨は早く休みたかったので、三階建てぐらいであろう木造の宿屋に入った。この店を宿屋だと分かったのには理由がある。先程、金をチラつかせ薄汚い服を着ていた子供に、宿の場所を聞いたのだ。
いい宿屋はないか、と。
そしたら、その子供が指した宿屋がここだった。
宿屋の中はホテルや旅館ほどの清潔さはなく、入り口は広くもない。冒険者が泊まる為だけに作られたような泊まるためだけの宿屋であった。
入ってすぐのカウンターに位置する女主人に話しかけた。
「いらっしゃい。おや、新顔だね。宿屋の仕組みは知ってるのかい?」
「いや、“この”宿屋の仕組みは知らない」
「ちっ、そうかい、じゃあ説明するよ」
女主人は、氷雨に分からないほどの小さい舌打ちをした。“この”を付けたと言うことは、この町にある他の宿屋に泊まったことがあると考えたからだ。
もしこの町の“初心者”なら、部屋で寝た時にいくらでも金品を盗めるが、町の仕組みを知っているとそうとはいかない。
金目の物は隠すだろうし、寝る時も厳重な警戒をしてから寝る。
この町ではいかなる時も、油断も隙もあってはならない、と知っているからだった。
――こうして、氷雨は知らず知らずの偶然の内に、“戦いの種”を失っているのであった。
「以上だよ。分かったら金を払って、さっさと食堂なり部屋へと移動しておくれ」
女主人による宿屋の説明はとても簡単で、終始けだるそうに説明していた。
臨時報酬が無いのが、よっぽど堪えたのだろう。
だが、この町の宿屋はこれで普通だ。これでも良心的な宿屋である。酷いところでは、部屋だけでベットすらない店もある。木の床に眠れ、と普通にいう主人もいたのであった。
この宿の値段は夕食込みで、一泊1000ギル。
銀貨一枚分だ。氷雨はそれを今日の一日分だけ払った。
彼の残りの全財産は、残り銀貨一枚。明日、この宿に泊まるだけで終わってしまうような全財産であった。
「あんたの部屋は二階の間だ。この鍵と同じ部屋に入るんだね」
「ああ」
氷雨は女主人から乱暴に鍵を渡される。
それを受け取り、彼は奥の食堂へと消えていくのだった。
◆◆◆
氷雨は食堂でパンとスープというこの世界では普通の食事を取った後、井戸へと向かった。夕食の量は質素で、味付けはほんのり塩が効いてるだけ。
現代食に慣れた氷雨にとって、味の濃さも量も物足りない食事であった。
だが、これで我慢するしかなかった。
その食堂には、自分と同じような客が沢山いて、中には彼より二周りも大きい人間でさえ、同じ食事の量で納得していたからである。
金が出来たら、肉を腹一杯食べたいと思う彼であった。
「冷たっ!」
彼は上半身の服を脱いだ後、井戸の水で今日出来た傷口を全て綺麗に洗った。
冷たい水は体にとても染みたが、自分の未熟な武術の腕のせいでここまで体を痛めつけたと思うと、何故だか氷雨は我慢できた。
これもそうだ。
両の引き締まった腕に無数にある細い傷。これも自分の未熟さが引き起こした傷だ。この胸にある大きな切り傷も、背中にある丸い傷もそうだ。
度重なる修練の果てにできた勲章である。
氷雨はその全てが誇らしく思う。
姉は今日作った傷を見れば「また、無茶して」と怒ると思うが、これは自分の成長の証。一つ新しい傷を作る度に、反省し、強くなった努力の結晶だ。
今日、自分は初めて真剣勝負をした。武器を持った者と初めて対戦した。そして――初めての人殺しを経験した。
ほかにも、今日は様々なことが色々あった。。
そして、彼は、思う。今日、自分はまた成長した、と。
ここまで考えて、彼は宿にある自分の部屋へと戻った。
上半身裸で、夜風にあたりながら考えることではないな、と思ったのだ。下手をすれば風邪をひく。現在、体が商売道具である彼は、自分の体を労わらなければいけなかった。
「寝るか……」
彼に用意された部屋は大きくはなかった。だが、小さくもない。
一人用のシングルベットと、丸い小さな机に椅子が二個。それに壁には火の消えたランタンがあるだけだ。
そんな部屋は、窓から差す青白い月だけで照らされていた。
ベットにある布団は固く、お世辞にもよく眠れそうとは云えない。地べたで寝るよりかはまし、といった所であろう。
そんなベットに潜り込み、氷雨は目を瞑る。
明日の事を考えながら……。
彼の現在の装備、古びた灰色のマント。
所持金、1000ギル。
今日の氷雨の怪物討伐数0。――未だ、力量1。