第九話 次なる……
「あ、そうそう、忘れてたな」
「ヒイッ!」
突如、振り返った氷雨の発言は、貴族風の男に動揺を与えた。
さらにそれだけではなく、全身に血を浴び、ところどころ赤くなった布の服を着た氷雨を見ていて、恐怖は倍増する。
「ま、待ってください! 私を殺すと、色々とデメリットがありますよ! だから……どうかどうかお情けを……」
貴族風の男は高価な衣装を砂で汚しながら膝と手をつきながら、殺されないよう懇願していた。
この場の主導権は、完全にゲームプレイヤーにあるからだ。生きている剣士は、縄に縛られている。門を守っていた門番は、とうの昔に逃げていた。つまり、貴族風の男に味方はいないのだ。
――生きてさえいればいくらでも再起できる。
そんな野心を目に宿らせたまま、頭を地につける。これは一種の賭けであった。
氷雨はそんな男に、無表情で近づいた。
そして、男と同じ目線になる。
「じゃあ、ここはどこだ?」
「……あっ、はい。ここはクリカラの町の南部に位置するエルフィンの森の一角です」
「なら、この周りは森なんだな」
「ええ、そうです。ここから近いのは、北部はクリカラの町で、西はエータルの町になります」
男は人が変わったように、饒舌に話し出した。
氷雨はそれをうんうんと頷くように、聞いている。
これからのことを氷雨は考えていた。自分の状況がさっぱり掴めていない彼であったが、お腹は空いている。人間の三大欲求である食欲には、どうやっても勝てない。
食べていくには働かなければならない。
世界の常識だ。これだけは、時代が変わろうと国が変わろうと、常に変わらない常識である。盗みという方法もあるにはあるが、これははあまり好みではない。弱者と戦ってもなにも面白くもないからだ。しかし、自分を襲ってきた者や死んだ者からは遠慮しない。金品や売れそうな物なら遠慮なく貰う。
そして、氷雨は自分の行き先を、男の話で決めようとしていた。
「クリカラとエータルはどう違う?」
「クリカラは商業都市ですね。物の流通が盛んです。エータルはここだけの話、かなり治安が悪いので、行くのは控えたほうがいいですよ。近くに“長年攻略の出来ていない迷宮”があってがらの悪い冒険者や浮浪児も多いですからね」
決まったな。
氷雨は行く場所を、そう心の中で決めた。
ところで、次の行き先は決まったが、彼には聞きたいことがあった。
「――で、どこで俺たちを見つけた?」
――現在の立ち位置だ。
自分はゲームからログアウトしたはずなのに、現実からは程遠く、仮想現実も近くない“第三の現実”にいる。
そして、その疑問を解決するためには情報がいると考えた。
そう、聡明な姉に教えられていたからである。
「森の中です。森の中にこの全員が寝ていました。だから私は剣士に頼んで、この場所まで運んだんです」
「へえーそうかよ……」
だが、結果は不発。
頭がいい人なら、他に質問することもあるだろうが、氷雨はそれほど頭がよくなかった。
(探すか……)
騒いでいるゲームプレイヤーを遠めで見て、そこに久遠や雲林院、雛形など、自分の学校でも有名な連中を彼は見つけた。今日、学校に行くと友達は、久遠達が集まって“ダンジョン・セルボニス”をすると言っていた。
そして、もし“ダンジョン・セルボニス”のゲームプレイヤーが、この“第三の現実”に来ているなら、――居るはずである。
同じゲームをしていた彼自身の姉である雪が。
頭では逆立ちしたって勝てない彼女がいれば、この疑問が解けると彼は思った。
彼は、何か強い思いがあって帰りたいわけではないが、帰れるなら帰りたい。そして、自分の家へと帰って、祖父と戦って勝ちたいのである。
これは一種の野望であった。
祖父の老い先は自分が見ても短く、いつ立てなくなるかも分からない。ならばその前に、彼が一番強いと思う祖父と戦って勝つ、と。
「――で、これだけ話しましたよね。もしよければ彼らに私の身を安全するよう交渉してくれませんか? これでもエータルの自宅に帰れば、たっぷりと支払えるほどの財産はあります。どうでしょう? 私に協力してくれませんか?」
貴族風の男は、これでなんとかなると思っていた。ここまで話した。少しは見返りとして、親身になってくれる、と。
「――自分でなんとかしろ。俺がそこまでする義理はない」
だが、甘い。甘かった。
氷雨には最初から貴族風の男の願いに応える気などは、ない。
聞くだけ聞いただけであった。
「どうか、どうか、お願いします。どうか私にお情けを……」
男は、少し破れたマントを剣から取る氷雨の服の裾を持って、必死に願った。
しかし、その慈悲を求める手を氷雨は乱暴に払って、男に笑いかけた。
「調子乗ってると……殺すぞ?」
「ヒイッ!」
だが、その笑みは決して優しさからくるのではない。うっとおしさから来るものだ。
彼は本当なら貴族風の男をのような弱者を殺したくないし、それ以前に殺す余裕などない。表面上にある凄みと羽織ったマントの間から見える血、この二つだけで貴族風の男を圧倒したのだった。
「あ、そうそう……忘れてたな――」
氷雨は一旦カナヒトから離れ、思い出したようにまた近づいた。
「――お前への借りが、な」
「ヒイッ!! すいません……すいませ……グボッ!!」
そして能面のような無表情な顔で、貴族風の男を――蹴った。
殺すつもりはなく、ただ痛いだけの蹴りローキックであった。彼は縄で縛れらた仇を、この時返したのである。この時、奇怪な目線が彼に向けられる。
やはり彼は容赦の無い男であった。
◆◆◆
氷雨は二つの門の内の一つに向かっていた。
方角は分からないが、二つある門は対になっているのではないので、その一方がクリカラにもう一方がエータルに通じてるのは何となく予想できる。
先程の戦いで、破いたマントの切れ端で強引に血を止めた左肩の血は、もう止まっていたので当てていた布をとった。この止血方法は本来は間違っていたのだが、あの時はこれしか出来なかったので我慢したのだ。本来なら水で洗ってから、綺麗なガーゼで傷口を覆いたかった。
あの時は肩しか覆えなかった。今はどこでも覆える。だが、ほかのは全て大きくはないので、そのままにしておいた。血がまだ出ている箇所もあるが、いずれかさぶたができ止まるだろうと思ったのだ。
もし、道の途中に川があれば、口を潤し傷口を洗いたい氷雨である。
「――ちょっと待ってくれ!」
「はっ?」
だが、そんな氷雨を止めた人物がいた。
「君のおかげで皆が本当に助かったよ。ありがとう!」
あの久遠であった。
久遠は氷雨の戦闘によって剣を得て、あの反乱を引き起こせた。なので、久遠は氷雨にとても感謝していた。
「私もありがとう。貴方のおかげで助かったんで、お礼は言っとくわ」
「あ、あ、ありがとうございます! 貴方がいなければ私達は反抗さえできませんでした!」
氷雨はああ、と知っている顔の久遠の隣にいた二人の女性を見た。
上から発言は雛形、雲林院だ。
雲林院と雛形で、背の高い金髪が雲林院で背の低い黒髪が雛形だ。雲林院はスタイルがよく顔も整っており、どこから見ても美人。雛形のスタイルはお世辞にもいいとは言えないが、こちらも顔が整っており美少女であった。
「本当にありがとう! おそらく、あの場に居た全員が君に感謝していると思う。ところで、どうだろう? 皆で、もとの世界へと帰る手助けをしてくれないか?」
久遠は爽やかに両手で氷雨の手を握った。その目は期待に満ち溢れ、きらきらと輝いていた。
そんな久遠の意見を、女性陣も賛成する。
「確かに光の言う通りね。彼がいれば心強いし……」
「そ、そうですね。今回も助けられましたし、今度もきっと助けてくれるはずです!」
氷雨は一回、じっくりと心の中で考えた。
(仲間になるのは……いや、やめとこう。メリットも多そうだが、デメリットが多い。自由な行動は無理そうだし、そしてなにより、“考え方”が違うからな)
ここでいうメリットは仲間だ。仲間が多ければ出来ることが増え、様々な可能性が飛躍的にアップする。氷雨一人では勝てないような強敵も、協力すれば勝てるだろう。
反対にデメリットは、好きなように戦えないだった。仲間が入れば敵は取られるし、戦いたい時に戦えない。
それにあの雰囲気を見るに、あの何十人全員が久遠の配下に加わるのだろう。“人殺し”の自分が、あの“人を殺していない”中に入るには居心地が悪いとも思った。
それに、先ほど――カナヒトを蹴った時に感じた視線である。
何故、そこまでするんだ、という視線から、彼を仲間に入れたくない、というムードが伝わってきたのだ。
そして、氷雨はこの三人と自分では、“考え方”が違うと思う。
彼等はあくまで他人の為に戦っている。それは、自分の為に戦う氷雨とは対極に位置するのだ。
久遠たちは、おそらく人を助けるならいくらでも命を賭けれるだろう。だが、氷雨は出来ない。強敵と戦うことのついでに、人を助けることなら出来るが、それは似ているようで全く違う。
背中あわせのようで、それは真逆の考えであった。
「話は以上か? 俺がそれに付き合う義理はない」
彼は、久遠の手を払って、短く淡々と三人に応えた。
呆然としている三人を見て、彼は門へとゆっくりと歩き始める。早く三人のいない町へと行って、飯をたらふく食べ、ゆっくりと休みたいのである。
金は死んだ剣士が持っていたすかすかの巾着を奪ったので、少しはある。これは戦利品としていただいた。死んだ者からは何を頂いても問題はないだろう、と氷雨は強引に納得しているからである。
こういった考えもまた、久遠たちとは相いれない考えであった。
「ああ、うん。そうだよね……ごめんね無理言って……それじゃあまた」
「ひ、光、落ち込まないでよ……」
「ひ、ひ、光君、大丈夫ですか?」
久遠は断られるなんて思っておらず、目で明らかになるほど落ち込んでいた。
だが、そんな後ろの状況など全く気にせず、氷雨は広場を出て、自分の目的地である“エータル”に向かった。
治安が悪いほうが自分に合っている、と彼は考えたのだ。戦いに餓え、戦いを求め、戦いを快楽とし、“人殺し”の業を背負っている自分には。
広場から出ると、風を感じた。
森独特の爽快な匂いと、火照った体を冷やす冷たい温度。それに丁度いい風量。
そんな全てが、心地よかった。
上にはまだ空に太陽が照っていて、真下には草が一本もない整備された道がある。
遠くには町が見えた。これなら傷ついた今の体でも、今日中にはつきそうだ。
そして、彼は次なる目的地へと、歩き出したのだった。
――やがて、氷雨と久遠は時が経つと再会する。その時、二人の立場には大きな差があった。それがまた、大きな戦いを生むのであった。