勝手な婚約者様
ー…くれ。助けてくれ!!
誰かが叫んでいる。
必死に手を合わせ、頼み込んでいる。
しかし助けることはできなかった。
「…うう。…うう」
苦しくて唸ると、違う声が聞こえてくる。
うるさいと暴れた気がしたが、諦めずに呼ばれる。
大きく揺さぶられ、ようやく叫び声が聞こえなくなる。
「ーはっ!!」
目を覚ました男性ーロイスは勢いよく身体を起こす。
額からはすごい汗が浮かんでおり、恐怖の体験を思い出す。
ー私は…。私は…。
自分の身体を守るように、二の腕を抱きしめると、バトラーー執事のカースルが聞いてくる。
「大丈夫ですか、ロイス様?」
「…カースルか」
ロイスはランプを持ったカースルを見る。
彼のほうが年上で、幼い頃からずっと側にいる仲だった。
カースルは甘い顔をしているので、自分よりももてるのではと思うのだが、ロイスも負けじと整った顔をしていた。
ーああ、最悪だ。
夢を思い出し、ロイスはため息を吐く。
いつもゆっくり眠れないのだった。
血の香り、人肉の感触、色んなものを覚えており、自分の手をゆっくりと見る。
「…私の手は大丈夫か?」
「ロイス様、大丈夫ですよ。安心して、またお眠りになっては…?」
カースルが気を遣って言ってきたのだが、ロイスは両手で顔を隠す。
自分が醜く感じられ、汚れた物体に錯覚するのだった。
「ロイス様…。眠れないのなら、ココアでも持ってきましょうか?」
「…頼む。部屋に移動するから」
「はい。畏まりました」
カースルは深くお辞儀すると、寝室から去っていく。
ロイスは手で汗を拭うと、ゆっくりと動き、ベッドから下りる。
冬の始まりで冷えるはずが、今は暑くてたまらなかった。
ーあの時も、ものすごく暑かった…。
思い出そうとし、ロイスは首を横に振る。
思い出したくもないのに、ふとした瞬間、思い出してしまうのだ。
神の意地悪なのか、悪夢を見るのは、毎日だった。
「…そのうち、頭が狂うかもしれない」
自嘲し、部屋の椅子に座ると、ふうと息を吐く。
顔を手で覆うと、空いた手を胸に当てる。
脈は速く打ち、自分が緊張しているのが分かる。
ー毎日、毎日…もう飽きた!!
椅子を叩いたのだが、痛みを感じなかった。
ある意味、色んなことが麻痺していた。
多分、今、銃で撃たれても、何も感じずに亡くなれるかもしれない。
「…ゆっくり眠りたいのに…」
目はかっと見開いており、よく見ると血走っているのかもしれなかった。
ドアがノックされ、カースルが盆にココアを乗せてやって来る。
「ロイス様、どうぞ」
「ありがとう。すまないな」
毎日、付き合わせているので、そう口にすると、カースルが静かに口を開く。
「いいえ。私の喜びは、ロイス様の喜びですから」
「…そうか。助かる」
ふうふうと息を吐きつつ、ココアを口にする。
甘い感触に身体が反応し、弛緩する。
猫舌なのでゆっくりと味わっていると、カースルが毛布を持ってくる。
「寒いですから、膝にかけたほうが…」
「いや、いい。今、暑いから大丈夫だ」
手を上げて断ると、カースルは礼をしてくる。
「ー下がっていいぞ」
命令すると、カースルは顔を引き締める。
「いいえ。ロイス様が心配なので、側にいます」
「…そうか。…なあ」
ロイスはココアを一口飲んでから、カースルに言う。
「私は…間違っていないよな?」
「もちろんですとも。ロイス様はとても聡明な御方です」
「…。カースルがそう言うならいい」
そう言ったが、どこかでまだ緊張しているの自分がいる。ココアの効果で多少、癒やされたので、カップをテーブルに置く。
椅子に深くもたれると、カーテンの方角を見る。
外は真っ暗で、月もロイスを嫌ってか、隠れているようだった。
ー暗闇、暗闇…。ああ、嫌だ。
頭を抱えると、カースルが側で膝をつき、触れてくる。
「ロイス様…!! 安心してください。もう大丈夫ですから」
「何が大丈夫なんだ!!」
カースルに当たるのは間違っているのだが、怒鳴ると少しすっきりした。
自分は嫌な奴だと後悔すると、手を払う。
「やっぱり下がってくれ、カースル」
「ロイス様…。畏まりました」
カースルはランプを置くと、部屋を去っていく。
一人になったロイスは椅子に深くもたれ、目を閉じる。
何が正しくて、何が間違いなのか。
自問自答するが、起こってしまったことは、なしにはできない。
リセットすることなんて、できないのである。
「くそ!! くそ!! くそ!!」
椅子の縁を叩くが、痛みが麻痺しており、何も感じないのだった。
そのまま、ずるずると床に下がり、大の字となる。
天井はロイスを潰そうと迫ってきているように感じ、横を向く。
ランプの灯りが安らぎを与えようと頑張っているが、ロイスには届かなかった。
ー私は…いつになったら眠れるんだ?
少しの時間ですぐに起きてしまう自分に、この先、大丈夫なのかと心配になってしまう。
「…はは。はは」
狂ったように笑うと、ロイスは絨毯の上を、転がるのだった。
時は流れ、鶏の鳴き声がする朝。
ロイスはうっすらと目を開くと、身体を揺さぶられる。
「ーロイス様!! ロイス様!!」
「…? カースル?」
執事かと思ったのだが、どうも違うようだった。
いつの間にか眠っていたらしく、身体は健康そのものだった。
しかし頭が鈍く、どうしてドレス姿の女性が目の前にいるのか、理解できなかった。
「…誰だ、お前…?」
寝起きは機嫌が悪いので、睨みつけると、女性ーおそらく自分よりも年下だろうは、頬を膨らませ、言ってくる。
「嫌ですわ、ロイス様。私を知らないなんて」
「…は? 見覚えがないぞ?」
ロイスは周囲を見回すと、自室だと悟り、ほっとする。
異質なのは女性のほうで、何故、カースルが側にいないのか、不思議だった。
「新しいメイドか…?」
「まあ!! 失礼ですわ」
女性はロイスの言葉に腹を立て、腰に手を当てる。
こんなに明るい女性を知らないと思っていると、彼女が爆弾発言する。
「ー私、あなたの婚約者のリッツと申します」
「はい…? 婚約者…?」
言葉が硬くなり、まるで字を忘れた人間みたいになってしまった。
婚約者などいないはずなのに、この女性ーリッツは何を言っているのだろうと、ロイスのほうが頭がおかしくなりそうだった。
ー悪夢の続きか?
絨毯の上に寝転んだまま、リッツを見返すと、彼女は手を差し出してくる。
「今日からよろしくお願いいたしますわ」
「…」
黙っていると、無理矢理、握手させられる。
自分の意識がない間、何が起こったのか、巻き戻したかった。
「ーロイス様、身だしなみを整えなさって。私は先にダイニングルームに向かいますから」
リッツは太陽の光よりも明るい笑顔を浮かべると、蝶が舞うように、ひらひらと軽快に歩いていく。
あまりの純粋さに目を細めると、リッツがいなくなった。
「ーどうなっているんだ?」
ロイスは独りごちると、額に手を当て、暗闇に身を任せようとしたのだった。




