縁は八月に巡る ―異世界東京 外伝―
この物語は長編小説「異世界東京」への導入となるように書いた物語です。
八月。夏が終わるたびに人は少しだけ別人になるのだと、僕はその年に初めて知った。
*
日差しはじりじりと容赦なく僕らの影を地面に縫い付ける。
「君といると暑い日ばかりだ」
隣を歩く茶髪の男に恨み言をこぼすと、小野寺は陽気に笑った。
「そりゃあ、俺は晴れ男だからなー。……あ、『晴れ男』で思い出した。そういやさー」
そのとき、目の前にバスが滑り込んできた。僕は開いていた本を閉じ、バスへと歩き出す。
「とりあえず、乗ろう」
「おう」
田舎のバスは乗客が少ない。この日も車内には冷房の音だけが流れていた。
「それで?」
「ん?」
二人掛けの座席に一人ずつ腰を下ろし、僕らは通路越しに話す。
「君がさっき言ってた『晴れ男』で思い出した話だ」
「あぁ、あれな。ばあちゃんの家に変な手紙が届いたんだよ」
小野寺の言葉に僕はページに挟んだ指を抜いて顔を上げた。
「変な手紙? それはどんな?」
「細かい文章は忘れたけど、ばあちゃんと父さんと俺に会いたいって女子高生からでさー」
「なんだそれは。新手の詐欺か? それにしても女子高生って……」
謎が多い話に僕が眉間のしわを寄せていると、小野寺は僕の方に身を乗り出して言った。
「なにやら、『晴れ男・晴れ女の一族』を探してるらしい」
晴れ男・晴れ女。出掛けるたびに晴れを呼ぶ人のことだ。
小野寺は小学三年の春、この町へ転校してきた。それ以来、僕の記憶にある彼はいつだって晴れを連れてきた。
不思議なことに彼が風邪をひくと天気は悪くなる。だから根っからの晴れ男なのである。いや、少なくとも僕はそう信じている。
「でさー……」
小野寺がニヤリと笑った。この笑顔を僕は幾度となく見てきた。この後に続く言葉はだいたい悪だくみだ。
「ばあちゃんがその女子高生と会う日を決めたんだけど、夜縋も行かねぇ?」
「なっ……なんで僕が!」
「だってどんな奴か気になるじゃん? 晴れ男の一族を探す女子高生だぜ!? なかなか居るもんじゃねぇからさー。行こーぜー」
子どものように僕の腕にしがみつく小野寺に僕はぴしゃりと言い放つ。
「行かない」
「なんでだよ!」
僕は歯切れ悪く答えた。
「それは……僕はどちらかと言えば雨男だからだ」
***
そう、言ったのに。
「はぁ……」
僕の大きなため息なんて気にもせずに、隣のこいつはもぐもぐと焼き鳥を頬張る。
「どーしたよ、夜縋ぁ」
「どうしたもこうしたも……なんで結局僕も一緒に会うことになってるんだ!」
「いーじゃん、減るもんじゃないんだし」
「僕のプライベートな時間が減ってる!」
にひひと笑う男を恨めしげに見ながら小野寺家に続く石の階段を上る。
「しかもちょっと遅刻してるし……」
「早く出たのになんでだろうなー」
「君が焼き鳥を買ってたからだ!」
ため息が再び。僕はこの男と一緒に居る限り、寿命が減っていくんじゃなかろうか。
階段を上るたびに強くなる蝉時雨。ぽた、と落ちては階段に染みていく汗。夏の午後の日差しに、自分まで溶けてしまいそうだった。
「夜縋、大丈夫か? なんかフラフラしてね?」
「大丈夫。ちょっと暑さで眩暈がしただけだから」
顔を上げると小野寺家の立派な門の前に人影が見えた。あぁ、あれは……
「あら、伊織くんじゃない! 久しぶりねぇ、こんな立派になって。大学は楽しい?」
小野寺のおばあさんだ。僕も何度世話になったかわからない。
僕は軽く会釈して笑みを浮かべた。
「お久しぶりです。大学はまぁ、それなりに忙しいですけど楽しくやってます」
「そう、よかったわぁ。……旭! あんたは家にも帰らないで伊織くんの家に上がり込んで……何やってるんだい!」
僕に見せた笑顔と打って変わって小野寺には鬼のような形相でしかりつけるおばあさんに、小野寺は苦い表情をする。
「ばあちゃん、俺に当たり強すぎじゃねぇ?」
「何言ってんだい、今日も遅刻してきて……先方を待たせてるんだよ!」
おばあさんの言葉を聞いて「そーだった」とけろっとした顔でつぶやいた小野寺は、僕を支えるように肩を組んで歩き出す。
「ばあちゃん、先方待たせてるんだったらこんな所で立ち話はよくないぜ? 夜縋も体調悪そうだし、さっさと行こう」
「あら! 伊織くん体調悪いの? 奥の部屋で休んでるかい?」
おばあさんの心配もそこそこに、小野寺は僕を引っ張っていく。
なんだかんだでこの男は僕の体調や心の機微に鋭い。そういう良いところもあるから、なんだかんだ小学生から大学生になった今でも一緒につるんでいるのかもしれない。
*
「で? 女子高生とやらはなんて名前?」
「たしか『神風 瑞希』さんだったと思うよ。東京から来たんだって。美人な子だからって鼻の下伸ばさないようにね」
「ばあちゃんは一言多いんだよな……」
僕たち三人は縁側の廊下を歩く。このあたりは木々が多く、日差しが遮られてひんやりとしていた。
その先のふすまが開かれた一角、大広間の座敷に彼女は座っていた。
神風 瑞希。
乱れもなく正座する佇まいに、腰元まで伸びたさらりとしたストレートの黒髪。透き通ったような白い肌に、セーラー服についた赤いスカーフが映える。
なんだろう、この世のものではないような美しさ。それと共に感じる、違和感。
あ、そうか。冬服だ。こんなにも暑いのに彼女は黒い長そでのセーラー……冬服を着ている。確かにこの部屋は涼しいが、暑くないんだろうか。
「神風さん、うちの孫の旭が来ました。こちらです」
僕と小野寺が大広間に入って会釈をすると、彼女はスッと三つ指をついてたいそう丁寧にお辞儀をした。
「神風 瑞希と申します。本日はお時間を頂戴し、誠にありがとうございます」
凛とした声音は張り上げてるわけでもないのにその場一帯に響く。
なんなんだ、この子は。
所作のひとつひとつに迷いがない。
「そうだ、孫の隣にいるのは夜縋 伊織くん。孫の幼なじみです」
おばあさんに紹介されて、ハッとした僕は「こんにちは」ともう一度頭を下げた。すると彼女は微笑する。
「貴方様はやはりお二人でいらっしゃるのですね」
え?
僕は目を見開く。その言葉は僕ではなく、小野寺に言ったようだった。
「そうだけど。ってか親父は? 親父も呼ばれてたんだろ?」
「あぁそれが、あんたたちが来る前に正も来てたんだけど、一目見ただけで用は済んだみたいでね。あの子仕事抜け出して来てたから、まぁ好都合だったんだけど……」
「せっかくお時間いただいたのに、その節はすみませんでした」
もう一つの違和感。彼女の敬意はおばあさんや小野寺のお父さんより、小野寺が一番度合いが強いということ。
しかしその理由はすぐに明らかになった。
「それはいいんですけどね。神風さん、うちの孫に何かあるんですか? この子は見ての通りだらしのない子ですから、そんな丁寧に接しなくてもいいのに」
「いいえ、そう言うわけには。――……そちらのお方は生き神様であらせられますから」
――生き神様?
僕とおばあさんは同時に聞き返した。
「えっと……生き神様っていうのは……?」
僕の問いかけに神風さんは軽くうなずきながら答える。
「はい。文字通り、生きながらにして神様でいらっしゃる方です」
その顔は真面目な面持ちで、明らかにおかしなことを言っているはずなのに本当の事を言っているように思わされる。
隣の小野寺は少し考え込んでから、
「まぁなんか面白そーじゃん? 話くらいは聞いてやろうぜ」
と軽く二回僕の背を叩いて神風さんの前に座りだした。
「おい、……ちょっと!」
これはふざけてる場合じゃないぞ、小野寺……!
そう言いたかったが、神風さんが丁寧に再びお辞儀をするものだから僕もおばあさんも言葉を呑み込むしかなかった。
僕たちも遅れて座ると、神風さんはこちらの顔を一人一人ゆっくり見渡して話し始める。
「東京は今、危機に瀕しています」
誰も口を開かなかった。
風鈴が一度、小さく鳴る。
遠くでは蝉だけが何事もないように鳴き続けていた。
……何を言っているんだ、この人は。
僕が言葉を失っていると、彼女は話を別の切り口から話し始めた。
「日本は古来、八百万の神という信仰があったことはご存じですか?」
「八百万、ですか。聞いたことはありますけど……」
おばあさんは記憶を思い返しているのか宙を見ながら答えた。
八百万のことを僕は本で読んだことがある。
「たしか、自然界のあらゆるものや現象に神が宿るという信仰ではなかったですか?」
神風さんはうなずいた。
「おっしゃる通りです。古来の日本は神への信仰が篤く、身の回りにあるあらゆるものや出来事にも敬意が払われていました。しかし、文明が発展すると共に人々は神を信仰する幅が狭まっていったのです。その信仰の最後の砦は現存する神社や仏閣とされています。神は人々の信仰こそが力の源なのです」
「……信仰が減れば、神も弱る?」
「はい。信仰の薄くなった現在では、力を失った神が幾万という言葉では表せないほど多くいらっしゃいます」
「はぁ……」
たしかに神風さんの言うように、僕の日常で神様の存在を意識するときは少ない。せいぜい初詣で神社に行ってお参りをするくらいだろうか。
「八百万の神々は、人々の信仰によってその御力を保っておられます。そして、人も誰かを敬うように、神々にもまた畏敬を捧げる存在があります。それは、神々の頂点とも呼ばれる存在。日本の都の地の奥深くにおられる、龍です」
僕は、龍が想像上の生き物でないかもしれないことに驚く。でも、ということは……。
「つまり八百万の神の力が失われつつある今、その龍の力も……」
「はい。弱くなりつつあるのです。龍は、日本という国そのものを地の底から支えている存在です。龍が消滅すれば、現在の都である東京から崩れ始め、やがて日本全体が消滅します」
だから、最初に彼女は『東京は今、危機に瀕しています』と言ったのか。
ようやく、その言葉の意味がつながった。
僕は隣の小野寺を横眼で見る。この角度からでは表情は見えなかったが、めずらしく黙って話を聞いていた。
「そして今、さらに日本には『災厄の日』が迫りつつあります」
神風さんの言葉に僕は息を呑む。微動だにしない小野寺はじっと神風さんを見ているが、僕とおばあさんは不安そうに目を合わせた。
「それは、いったいいつなんです……?」
おばあさんが微かに震える声で聞くと、神風さんはおばあさんの方に顔を向けて静かに言う。
「来年の夏です。六十年に一度来る丙午の年の仏滅で新月、古来から不吉と言われていた彗星も四つ現れる夜となります。さらに百二十年に一度咲く不吉な『竹の花』も一斉開花すると見込まれており、これ以上の災厄はそうそうございません」
再び訪れる沈黙。
蝉時雨がひと際大きく聞こえた。
こういう時、「んなもん、迷信だろ」と笑い飛ばしてくれそうなのは小野寺だ。
なのに。
「それで、あんたは俺に何を頼みたいわけ?」
小野寺は笑い飛ばすでもなく、否定するわけでもなく、静かに聞く。
その反応を見て、僕は『災厄の日』とやらが本当に来てしまうのではないかと心がざわざわとし始めた。
「お話にご理解があり、ありがたく存じます。我々……神風家の一族はこの災いを阻止するため、ひとつの作戦を考えております。日照り神である小野寺 旭様にはその際にお力添えをいただきたいのです」
「具体的には何をする?」
「雨乞い神と拮抗するように力を発揮していただき、天気雨を降らせていただきたく。これにより我々には晴れの加護と雨の加護が付くようになりますので、災厄の日に降り注ぐ穢れを防ぐことができます」
天気雨?
……いや、それ以前に。
神風さんは本気で、小野寺が日照り神だと言っている。
そんな、まさか。
……でも、本当だとしたら?
僕は淡々と話を進める小野寺に、今まで見たことのない側面を見た気がして言葉を無くす。
ふいにおばあさんの方を見ると、小野寺を見つめるその目は大きく見開かれていた。
その眼差しには、孫を見る温かさではなく、得体の知れない何かを前にしたような恐れが浮かんでいた。
「天気雨、ねぇ……。それだけで勝てるかぁ?」
「いえ、こちらもそう思ってはいません。なので『神集め』を開始しようかと」
小野寺と神風さんの間で話がどんどん進んでいく。僕は理解を少しでもしようと話に待ったをかけた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。えっと……その前に、神風さんは何者なんですか?」
僕の方を向いた神風さんは「それもそうですね」と小さくうなずいてから、軽く頭を下げる。
「申し遅れてすみません。私は代々八咫烏を守護神に持つ家の者です」
「八咫烏って……あの足が三本ある烏のことですか?」
「その通りです。導きの神、とも言われています。そして我々神風家はこの国に危機が迫る時に立ち上がることを命じられた一族です」
僕はその言葉をなんとか理解して、頭の中で整理する。もう僕の脳内はパンク寸前だった。
「つまり、神風さんが国を救うために今回の作戦とやらを先導する、と?」
「はい。私や私の父が現在奔走しております」
「な、なるほど……」
その時、おばあさんが辛そうに頭に手をあてる様子を目の端で捉える。
「あ、おばあさん、大丈夫ですか?」
僕はそう声をかけて立ち上がると、おばあさんの隣にかがんで様子を見る。
「あぁ、ごめんね伊織くん……。ちょっと眩暈がしただけだよ」
「大丈夫かよ、ばあちゃん」
小野寺や神風さんも心配そうな顔をした。
「突然色々な話をしましたから、少し混乱してしまうのも無理ありませんね」
「僕がおばあさんを居間に連れて行くので、神風さんはお話を続けてください」
「そうですか、ありがとうございます。おばあさまもここまでお付き合いくださり、感謝いたします」
神風さんの言葉を聞いた僕はおばあさんに手を差し出して立ち上がらせ、ゆっくりと大広間の座敷から居間へと誘導する。
昔から通い慣れた家だ。冷蔵庫には、きっといつもの麦茶が入っている。
おばあさんを居間のソファに座らせた僕は冷蔵庫から麦茶のポットを取り出してコップに注ぎ、おばあさんにそっと渡す。
「ありがとう、伊織くん。……やぁね、小さい頃からあの子を見てきたのに、生き神様だったなんてとても信じられなくて。少し、怖くなってしまったの」
「それは、僕もです……。でも神風さんのあの表情は、とても嘘を言っているように見えなくて、正直動揺しています」
「そうよねぇ。はぁ……、でも伊織くんがあの場に居てくれて本当によかった。私だけだったらとても耐えられなかったわ」
その言葉を聞いて、あれ? と思った。
もし小野寺が本当に生き神で、神風さんが話す内容をだいたい予想していたとしたら。
『だってどんな奴か気になるじゃん? 晴れ男の一族を探す女子高生だぜ!? なかなか居るもんじゃねぇからさー。行こーぜー』
そう言って僕をこの場に誘った理由は、もしかしておばあさんのショックを緩和するため?
脳内でひとつの回路が繋がったような感覚がする。
……そうか。
もしかしたらこの状況も何もかも、小野寺の計算通りだったのかもしれない。
そう思った瞬間、背筋を冷たいものがゆっくりと這い上がっていった。
僕も傍らのソファへ腰を下ろすと、おばあさんは麦茶を一飲みして、ゆっくり僕を見据えた。
「伊織くんは、さっきの話を聞いて旭のことどう思ったかしら。もし怖くなったなら逃げてもいい。でも……、でももし、あの子のことをまだ『友人』だと思ってくれるのなら、どうかあの子の傍にいてくれないかしら」
「……!」
正直、さっきは小野寺のことを怖く思ってしまった。けれどそれは長く傍に居ても気づかなかった小野寺の一面を見てしまったからであって、小野寺は一番僕の傍にいてくれた大切な友人であることに変わりはない。一緒に笑って、一緒に馬鹿をやってきた時間が、そんな簡単に消えるはずがなかった。
おばあさんは話を続ける。
「神風さんの話が本当だとしたら、きっとこの先大変な局面があるんでしょう。その時あの子に何かあったらと思うと、心配でならないの」
おばあさんの真面目な面持ちを見たら、うなずく他なかった。
「わかりました。僕にできることがあるかはわかりませんが、小野寺の傍に居ます」
でも、そう言葉にしてみたものの。
「ばあちゃん、大丈夫か? 話終わったから俺がばあちゃんを寝室に連れてくよ」
居間に後からやってきた小野寺に対して、返事をする僕の表情はぎこちなかったと思う。
「じゃあ、僕は先に帰るよ」
そう言い残して、玄関の方へ向かった。
*
玄関に向かうと、ちょうど神風さんが靴を履いているところだった。
「あ。おばあさま、大丈夫でしたか」
「えっと……、動揺はしているけど、大丈夫です」
なんだか『靴を履く』という動作をしているだけなのに、神風さんはさっきの厳かな雰囲気と違って、どこにでもいる女子高生に見えた。
僕はそっと肩の荷を下ろす。
「あ、そうだ。神風さんはこれから東京に帰るんですか?」
「いえ、そうしたい気持ちもあるのですが、あいにく東京方面への最終バスがもう出てしまいまして……どこか宿屋を探してみます」
それもそうか。ここはバスの便も少ない田舎だ。
そう思うと同時に、日が暮れかかる田舎の道を女の子一人で歩かせるのは気が引けた。
「危ないから、宿屋まで送っていきます。ひとつ知っているところがあるので、そこでよければ」
「いいんですか? それでは……お言葉に甘えて」
神風さんが柔らかく微笑むと、僕は神風さんの大きな鞄を持ち上げた。
「あっ……」
と神風さんが小さく驚くから不思議そうにその顔を見て、
「え、重そうだから持ってあげようと思ったんだけど……」
と言うと、神風さんは声をひそめて「……その中に、何が入っていても?」と言うので僕はぎょっとして固まってしまった。
「ごめんなさい、冗談です。ありがとうございます、夜縋さん」
神風さんはくすりと笑って玄関を出ていった。
僕は一度抱えてる荷物を見てから黙り込み、「本当に妙なもの入れてないよね!?」と慌ててその後を追った。
*
「あの……気になったことをいくつか聞いてもいいかな」
「はい」
夕暮れの道を神風さんと歩く。神風さんから感じる雰囲気が軽くなったことで、僕は敬語を外した。
「神風さんは、その、暑くないの? なんか長袖を着てる意味でも……あっ、言いづらい理由なら言わなくていいよ」
「あぁ……そうですよね。実は、色んな所に神社参りをしているせいで、守護霊を多く連れていまして……その、いつでもひんやり涼しいと言いますか……」
「え」
この長袖に深い意味があると思ってた僕は肩透かしを食らう。
「それは、神風さんが『神』だから……?」
「え? 私は神ではありません。ただの人間です」
ん? なんか勘違いをしていたようだ。てっきり神風さんも『生き神』の一人かと思っていた。
「えっと、ごめん。なんかすごい計画の先導者だからそうなのかと思ってたよ……」
「なるほど、そういうことですか。私はその計画の中で言うならば『人間代表』といったところですね」
「そうなんだ……」
と、言ってみるが、やはりそう簡単には理解が追い付かない。
帰路に就く子どもたちの別れ際の声が響く。
少しの沈黙すら気まずく、僕はすぐに話題を変えた。
「そういえば、僕と小野寺が神風さんと初めて会った時『やっぱり二人でいるんですね』みたいなことを言ってたけど、あれは?」
「ああ、それは……」
神風さんは何かを言いかけて、一度黙る。少し逡巡を巡らしているのか顎元に片手を置いて考える仕草をしていた。
「勝手に言っていいものか迷いましたが、私の独断で申しあげますね」
「? はい」
「あるところに晴れ男が居ました。彼には思い合う雨女の恋人がいました。しかし、その雨女は事故に遭い、帰らぬ人となってしまいます」
その晴れ男は小野寺かな、と思ったが、僕は小野寺に彼女がいたことがあっても死別した記憶がまったくないことを不思議に思っていた。
神風さんは話を続ける。
「晴れ男はひどく悲しみました。そして彼女が再び転生するまで待とうと思い、その思いだけで『生き神』となったのです。彼は何度も生きては死に際に新たに生まれる命へと魂を移し、人間の体という依り代を乗り換えていきます」
「待って。……つまり小野寺は、何百年も生きてるってこと?」
「はい。そうです」
そこまで聞いて、何か妙な予感がした。
「そしてある時、彼女が転生するという啓示を受け取ります。それを知って、彼は喜びながら若くして自死を遂げます。そうして彼女とほぼ同時期のタイミングでこの世に生まれ出でようとしたのです。しかし、ここでまさかの事態が起きます」
そこで神風さんは僕の目をまっすぐに見る。
もしかして。
「彼女は転生が決まる少し前に『あの人と結ばれないのならせめて友人として傍に居たい』と願ってしまったのでした。そしてそれは受け入れられてしまう。彼女は転生する直後、晴れ男にメッセージのようなものを残したいと思いました。それが……――あなたの苗字にあります」
「……夜縋?」
「はい。『よすが』とは『縁』とも書くことをご存じでしょうか。彼女は『生まれ変わってもあなたに縁がありますよ』というメッセージを苗字に託し、あなたという人間に転生したのです」
その事実を聞いた僕は、なぜかじんわりと目頭が熱くなった。
そうか。あいつと出会ったのは、偶然じゃなかったんだ。
でも、これでなぜ神風さんが言おうか迷ったのかなんとなく想像がついた。
「それにしても、その……なんか複雑な心境だね」
同性の友達だと思ってた人間が前世の恋人だったなんて。
「それは、そうだと思います。でも今私が告げなければ、小野寺さんの想いはあなたに伝わらないままだったと思うから」
「そう、だよね」
聞けて良かったとは思う。ただ僕の中に恋心が微塵もないのは、小野寺の恋は叶わないということ。友人として、それが心苦しくも思った。
「そういえば先ほど、小野寺さんから住所を聞いたんですが」
「? うん」
「なぜか夜縋さんの一人暮らしされてるアパートの住所でした」
「あー、あいつは僕の家に転がり込んでるからね」
それを聞いて、神風さんは微笑ましそうに笑う。
「きっと、今の小野寺さんは十分幸せなんでしょうね」
「そうかなぁ」
それは、正直よくわからない。でも、そうだったらいい。心からそう思った。
***
神風さんを宿屋に送り届けた僕は、明かりがついてる我が家に帰ってきた。
「おー、遅かったじゃん」
そこにはいつも通りの小野寺の姿。
「まぁね。はい、今日の晩飯」
小野寺と目を合わせないようにしながら、コンビニで買ってきた弁当を渡すと、小野寺は嬉しそうに受け取った。
「すげー、ちょうど腹空いてたんだよ! さすがだな、夜縋!」
そう言ってルンルンとしながら弁当をローテーブルの上に並べている小野寺を盗み見て。
『きっと、今の小野寺さんは十分幸せなんでしょうね』
そんな神風さんの言葉を思い出していた。
「そういえば、神風さんを宿まで送ってあげたんだけどさ」
「おう」
「……神風さんまだ十六だって」
「マジかよ! 若ぇー……!」
くだらないことで笑える、こんな僕らでもいいのかもしれない。
***
神風さんが東京に帰った翌週。この日は花火大会だった。
「夜縋は浴衣着んの?」
「浴衣? 君は着ないだろ? 僕も着ないよ」
「ふーん。なぁなぁどうする、今年も屋台全制覇するか!?」
「君は去年それで凄まじい腹痛になったことを忘れたのか?」
「そうだっけ?」
僕たちは変わらず一緒に居て、どうでもいい話ばかりしている。
最初のうちは、『生き神』という話を意識して避けていた。小野寺も神っぽさが少しも感じられないからそれも苦じゃないというか。
神風さんが東京の話・日本の話をしていたあの時間だけが夢の出来事のようにも感じる。
いや、むしろ神風さんの話そのものが幻想で、小野寺も『生き神』ではなくて僕の前世に恋をして転生したというのも嘘なんじゃないだろうか。
そういうことすら考えてしまうのだ。あまりに話が飛躍し過ぎていて。
「辺りも暗くなってきたし、そろそろ行こーぜ」
「あぁ」
そう、願ってすらいる。
*
「だから……」
「ん?」
「なんで君は結局『屋台全制覇』してるんだ!? こんなに買っても食いきれないだろう!」
「いーじゃん! 大丈夫だって夜縋もいるんだし!」
僕は屋台で買ったものを大量に抱える小野寺に文句を言う。
小野寺は焼き鳥をもぐもぐと食べながら、理由にしては弱すぎる理由を答えた。……って、また焼き鳥か!
「僕だって大食漢じゃないんだ、よく考えろ!」
「あ、そろそろ花火始まるぞ! 移動しようぜ」
「話を逸らすな!」
僕たちは人込みから離れて小高い山の上を目指す。小学生から僕らだけが知っている、花火の穴場。
僕は聞かなくてもいいのに、つい小野寺にこんなことを聞いた。
「君はさ」
「ん?」
「本当に『神』なの?」
「どーだろうなー」
否定は、しないのか。
なんだか釈然とせず、小野寺が神なのかははっきりとわからない。
僕はそのことに苦し気な表情をしてしまう。
ちょうど山頂に着いたことも相まって、足も自然と止まってしまった。
それを見た小野寺はそう、……一瞬だけ切ない表情をした。すぐに顔を背けたから見えなくなってしまったが。
「夜縋、花火があがるぜ」
「なんでわかるんだ。まだ予定時刻より早いだろう……」
「さん、に、いち」
……まさか。
――ボンッ!
花火が着火する音が聞こえ、空に大きな花火がひとつあがる。
僕らがいる山の麓の方からどよめきがあがった。
だって、花火の予定時刻より十五分も早いのだから。
……まさか、君は。
次々に花火が打ちあがる。幾重にも空に、花が散る。
小野寺は楽しそうに声を上げた。その様子を眩しそうな目で僕は見つめ、いつかの日に読んだ本の一説を思い出す。
――古来の人々は、神を喜ばせるために花火をあげた。
「……」
僕は言葉を失ってからようやく一言発した。
「……本当に神、なんだな」
不思議と顔がほころぶ。毎年見ているはずの花火を楽しむ小野寺の姿に、すとんと心の中で腑に落ちる音がした。
*
花火大会が終わり、山道を引き返す僕たち。
「実は、神風さんから君がどういう経緯で『生き神』になったか聞いたよ」
前を歩く小野寺は黙ったまま、振り返りもしないからその表情は窺い知れない。
「僕が前世と違う形で生まれてしまって、君はさぞがっかりしたんだろうな」
……自分でも意地悪だなと思った。けれど、あの神風さんと別れた日からあえて触れてこなかった話や言葉は、せき止めた水が決壊したかのごとく口からこぼれ出てしまう。
「けれど君には僕の前世からのメッセージを受け取ってほしいんだ」
するとようやく歩みを止めた小野寺は振り返った。本人は笑ったつもりなんだろうが、笑いきれてない。
「メッセージ?」
「僕の苗字を知った時、感じたかもしれないが。僕の苗字の『よすが』は『縁』とも書く。『生まれ変わってもあなたに縁がありますよ』という彼女からの最後のメッセージだ」
「……!」
目を見開いた小野寺は目元を手で覆った。
「……そうかもと思ったんだよなー。でも、答え合わせが出来る日が本当に来るなんてな……」
その声は震えていた。
そうか。僕が小野寺を神かどうか悩んでいたように。
いや。それとは比べ物にならない年月を、彼も僕の苗字に隠されたメッセージで悩んでいたのか。
僕は失恋で泣く友人を励ますかのように、小野寺の背を力を少し込めて叩いた。
「帰るぞ。屋台のもの食べるんだろ」
「おう。……ははは、そうだよな」
涙をぬぐいながら歩み始める友人の背を、何度も何度もさすった。
***
八月。夏が終わるたびに人は少しだけ別人になるのだと、僕はその年に初めて知った。
そして僕らは来年の夏を待つ。
次にどんな存在になるか、予想はつかないけれど。
夏が終わるたびに、僕はまた君を知るのだろう。
-終-
読了ありがとうございました。
長編小説「異世界東京」も今後執筆していきます。どうぞこちらもよろしくお願いします。




