黒の剣鬼と白の剣姫
「あぁ、《剣姫》様だ……」
「今日も今日とて美しい……」
そんな声が聞こえてくる。
声の方向へ視線を向ければ、そこに居るのは穢れのない白馬に乗った美しい純白の長髪を結えた少女だった。
彼女の名はアレクシア・ウィル・ハイネス。僅か十四歳にして剣士の最高峰の呼び名――《剣聖》に届き得ると呼ばれた彼女は、天才すらも超える鬼才だ。
絶世の美女でありながら、剣に飢える鬼女。
神から二物を与えられた傑物。
故に、彼女に付いた二つ名は《剣姫》。
今朝方、アレクシアは戦場より凱旋を果たした。
国一つを滅ぼすほどの力を持つとされる最強生物である《ドラゴン》の討伐に、約二十名という最小戦力で挑んでみせた。
しかし、それだけの少ない兵力で《ドラゴン》を討ち取り、兵の損壊はゼロ。そんな華々しい戦果を上げてエルニア帝国の首都『ファルネア』に帰還した。
英雄と呼ばれるとするなら、恐らくはああいう者のことを指すのだろう。
(俺もいつかあんな風に……)
アレクシアの凱旋パレード。
それを尻目に一人の少年は唇を噛み締めた。
アレクシアとは違い、燻んだ黒い髪を持った少年の名はイル。貧民街出身であり、姓を持たないのは親が物心付いた時には居なかったから。イルと言う名は、誰かが勝手に呼び始めた名前だ。
ボロボロの衣服を身に纏い、ガタガタの剣を腰に挿した少年は野心家だった。
貧民街というとてもじゃないが環境の良いとは言えない場所で育ち、生きるために、人を殺すために独学で剣を学び始めた。
それがきっかけとなり、少年は剣士の中でも最高峰の名声――《剣聖》というものに興味を持った。
理由は至ってシンプルだ。《剣聖》になりさえすれば、貧民街での極貧生活も、いつ自分が襲われるかという恐怖すらも無い豊かな生活を送れると考えたからだ。
(なにが《剣姫》だ……。良いところの生活しか知らない令嬢如きに俺が負けるはずがない)
イルには《剣姫》に勝てる確信があった。
貧民街でその日その日を意地汚く生き続けてきた自分と、屋敷でぬくぬくと優雅な貴族の暮らしを謳歌している《剣姫》。比較にならない程の地獄に身を置くイルにとって、貴族はそれだけで侮蔑の対象になる。
何度勝負したいと願ったことか。
だが、それが叶うことはない。二人の間には身分という絶対の差が存在している。
イルが《剣姫》を知っていても、《剣姫》がイルを知ることはない。
薄汚い孤児と貴族の令嬢。
隔絶された立場故に、イルが《剣姫》に勝負を挑むことなど出来はしない。
貧民街の子供が《剣姫》に刃を向ければ、それだけで付き人の人間に取り囲まれて終わり。何もできないまま、即牢獄送りになるだろう。
(あーあ……俺が貧民じゃなけりゃあ、少しは違ったのかなぁ……)
自分の立場を呪いながら、少年は《剣姫》から目線を外した。
どれだけ熱心に視線を送り続けても無駄だと知っているからだ。こんな所で時間を浪費するくらいなら、今日一日を凌ぐための食料でも探しに行った方が得策だと、イルは考えた。
凱旋パレードが行われているファルネアの大通り。そこから入り組んだ脇道を進んでいけば、ゴミの掃き溜めのような貧民街に出る。
そこは完全なる治外法権。エルニア帝国の衛兵たちも関与しない完全に見放された、街というのも烏滸がましいほどの小さな区画だ。
強盗、暴行、殺人なんでもござれのクズの肥溜め。
ここに住む人間でまともな人間は居ない。というより、ここに三日も暮らせば人の思考は正常ではなくなっていくのだ。
肉が腐敗した匂い。飛び交う虫の大群。生気のない淀んだ人間の瞳。
此処では安息の地など存在しない。
生きるか死ぬか――その為の殺し合いが日夜繰り広げられるような地獄。それは人の精神にどれだけのストレスを与えるだろうか。
いつ殺されるかも分からないこの場所で、正常な思考回路を持ち得る人間がいるとするなら、それは最早正常な思考をしていないとさえ言える。
「やっぱり、ここは嫌な空気が流れてるな……」
とてもじゃないが、人の暮らせる衛生環境ではない。
ここに戻って来て、周囲を一瞥するだけで吐き気を催すほどに汚い。
だが、それも仕方のない事だと諦めるしかない。
貧民街に暮らす人間は元々、別の国から連れて来られた奴隷たち。先代皇帝の意向で奴隷は解放されたが、それでも未だ人権はない。
だが、納得はしない。それだけは絶対に。
「こんな場所……早く抜け出してやる……」
◆
ファルネア郊外。無数に咲き誇る大輪の花畑と苔むした砦の残骸がある『ラーティア平原』。
そこの一画。ほかの城砦の残骸とは異なり、なんの残骸なのかすら定かではないものが一つだけ物寂しくあるその場所で、今日も今日とてイルは剣を振っていた。
静かな平原の中心で剣が空を切る音だけが響く。
頬を撫でる柔らかな微風も明るく空を照らす陽光も気にする事なく、ただ無我夢中になって剣を振る。
(いつか……《剣聖》になる。そして、裕福な暮らしをしてやるんだ!)
思いが、いや野望が剣に乗る。
凄まじい気迫の込められた一振りは、途端に目の前に烈風を巻き起こす。
剣を握ってから早十年余り。最初は重くて振りにくかった剣も、今となっては軽すぎると感じてしまう。毎日欠かさず振り抜かれた剣身はところどころ錆びつき、持ち手はボロボロ。
手のひらの潰れた剣ダコの数は知れない。
何度辞めようと考えたか分からない。何度心が挫けそうになったか分からない。
それでも剣を振るい続けたのは、ただ『《剣聖》になる』という一途な野望のため。
(超えるッ! 《剣姫》を超えて、《剣聖》を超えて――俺を認めさせるッ! 貧民街から抜け出してやるッ!)
決して高尚な理由があるわけではない。
それでも振るわれる刃は裂帛の気迫を世界へと伝播させていく。
愚直に剣を振り続けて早一時間。振った回数は既に千を超えていた。それでも尚、剣圧が衰える事はない。それどころか、その勢いを更に強めていく。
イルには師と呼べる存在がいない。だからこそ、我流でただ愚直に剣を振り続けるしか無かった。
だが、継続はいずれ力となる。
積み上がった基礎の基礎はその当人の強さの土台となっていく。
「――――ッ!!!」
歯を食いしばる。
既に体力は底をついていた。
だが、限界を越えなければ意味はない。
《剣聖》という頂点を目指すと決めた時から、彼は限界を常に超克し続けなければならない宿命を背負った。
振って、振って、振って――!
愚かしくても良い! 下らなくても良い!
綺麗な剣なんて要らない! 必要なのはただひたすらに強い剣だ!
「…………っ、づぁァァァ――ッ!!!」
そうして、限界を超えた先。自身の全てを出し切った事による疲労で、ついに剣を落とした。
「ハァ……ハァ…………」
指に力が入らない。頭に酸素が回らない。四肢が上手く機能しない。
体力の限界を超えて、命の限界まで達したという実感だけが確かに残っている。
絶え間なく溢れ出す汗の潮流を手で拭いながら、イルはその場に倒れた。
――ぱちぱちぱち!
そんな乾いた音が聞こえた。
音の方向、自身の右手側に目線を振ると、そこには純白の美少女が立っていた。
少女は満面の笑みを浮かべながら、大手を振って拍手をしている。
「素晴らしい気迫と剣技でした! 一振り一振りに思いが全て乗っかっているかのような……最大限を絞り尽くした気合いと言いますか! とにかく凄かった!」
少女はまるで幼子のように興奮しながら、イルの剣を褒め称えた。
それに気恥ずかしさを覚える間もなく、イルはその少女の名前を呟いていた。
「《剣姫》……アレクシア・ウィル・ハイネス……?」
「《剣姫》と呼ばれるのは、やはり少しむず痒いですが…………。如何にも、私はハイネス家の長女! アレクシアです!」
少女は未だ成長途中の薄い胸を張りながら、そう自己紹介をした。
だが、そんな事はイルにはどうでも良い。
今、彼の目の前には《剣姫》がいる。勝手に嫌悪し、対抗心を燃やしていた『少女』がそこに立っている。
アレクシアの周囲には護衛の姿はない。側仕えの姿も見えない。アレクシアは今、一人でイルの目の前に現れた。
(チャンスなんじゃないか……?)
イルはそう考えた。
決して挑む事などできないであろうと考えていた敵。それとこんな場所で、それも一対一で顔を合わせるなんて幸運、今後そうそうある訳がない。
疲弊して、倒れた体に自然と力が篭り始めていた。
気づけば、イルは剣を取り、立ち上がっていた。
「俺と……戦え……! 《剣姫》ッ!」
「…………!」
アレクシアに刃の先を向ける。
これはエルニア帝国の剣士ならば、誰もが知っている挑戦の意の表明。
攻撃する意思を示しながらも無抵抗の相手に斬りかからない自己の気高さと、相手に対して最大限の警戒と敬意を表する『刃向け』。
それに対して、アレクシアの取った行動は――
「…………喜んで」
向けられた刃に、自身の持つ剣の刃を当てた。
交差した剣。互いに差し向けられる刃。これこそが勝負成立の証左。『刃当て』と呼ばれたその行為は、『刃向け』をした剣士に向けて、自身の誇りを示す行為だ。
そう。今、この瞬間。二人の間で、勝負が成立した。
「それじゃあ、早く勝負を――」
早く勝負をしよう――そう言い掛けたイルの言葉をアレクシアは遮った。
突然なんだ、と困惑しながらアレクシアを見ていると、彼女は剣を鞘に収めてしまった。
「な、何をして……」
「だって、貴方は今疲れているでしょう? 折角の勝負なのに、疲弊しきってる人と戦っても楽しくないもの」
さっきまで死力を尽くした特訓をしていたイルは、かなりの疲弊状態にあった。
アレクシアは勝負こそ受けたが、今のイルとは戦うつもりが無いとはっきりそう告げた。
「だから、明日。明日の昼……この場所に来て。そうしたら、貴方の挑戦を受けると約束します」
試合は明日。日の高く登った昼に。
そう提案したアレクシアに向けて、イルは一度だけ静かに頷きを返した。
◆
翌日――。
嘘のように晴れ渡った雲一つない青天の下で、イルとアレクシアは向き合っていた。
「さぁ、始めましょうか」
「あぁ……」
イルが握るのは一振りのボロボロの長剣、銘はない。対するアレクシアが握るのは彼女の清廉さを良く現した白銀の長剣、銘を《エクエス・アルバ》。
無銘の剣と有銘の剣。
言葉は要らなかった。
どちらからともなく互いに歩み寄る。
――風が、吹いた。
「「ッッッ――!!!」」
相反する二つの剣が衝突した。
拮抗はほんの一瞬。鍔迫り合いは刹那。
アレクシアの握るは名剣の類。対するイルは何処の誰が作ったかも分からないボロボロの剣。まともに打ち合えば折れるのはイルの剣だ。
だからこそ、イルは刃を交えて鍔迫り合いにほんの少しだけ興じた後、刃の角度をズラしアレクシアの剣を滑らせた。
「しまっ……!?」
鍔迫り合いは力の押し合い。
自然と姿勢は前のめりになってしまっている。
そこで突然力を流されればどうなるかは明白だった。アレクシアは前傾姿勢のままバランスを崩し、イルに背後を取られてしまった。
「シッッ……!」
すかさず振り下ろされる斬撃。
完全にバランスを崩したアレクシアに防ぐ術はない。この攻撃は絶対に当たる。
イルはそう確信していた。
当然だ。誰もが、体勢を崩したアレクシアにこの攻撃が当たると考えるだろう。
だが、彼女は《剣姫》である。
その名は決して飾りなどではない。その実力は決して虚飾を張り巡らせたものではない。
圧倒的な剣才を持ちながら、己に慢心せず実力を磨いたからこそ、アレクシアは《剣姫》と呼ばれている。そして、その名に恥じぬほどに――強い。
「…………ッ、ァァアア!!」
「な……っ!?」
斜めに振り下ろされた刃。
その腹をアレクシアは体を捻って、内側に蹴り付けた。
刃の勢いを利用された。そう気づいた時には、既に刃は狙っていたアレクシアから大きく逸れ、芝生の土ごと切っていた。
「ハァッ!」
「うぐ……っ!?」
さらに体を捻る。その勢いを利用した回転蹴りが、イルの脇腹を捉えた。
肋に食い込んだ蹴りに呻き声を上げながら、イルは後ろに下がった。
だが、距離はすぐに殺された。
たった一蹴り。それだけで彼我の間合いは『剣の領域』へと変容する。
「こんの……ッ!」
「アアァァ――――ッ!」
連撃が始まる。
激しく散る火花。響く甲高い衝突音。
二人の裂帛の声を掻き消すほどの、凄絶な打ち合いが幕を開いた。
イルの頬の皮一枚を刃が裂く。アレクシアの左腕を刃が掠める。
イルの肩に刃先が掠める。アレクシアの脇腹を刃先が触れる。
イルが、アレクシアが――互いが互いに譲らない一進一退の攻防。息をする暇もない苛烈な斬り合いは、終わりの様相を見せない。
(強いっ! なんて荒々しい太刀筋なの!? どこから来るのか検討が付かない! 技なんて無いのに、ただただ速い、重いッ!)
アレクシアはイルの『剣技』に驚愕していた。
あまりにも荒々しい、まるで『濁流』とでも形容したくなるほどの激烈な猛攻に。
(的確すぎるっ! 正確に俺の攻撃の隙間を縫って攻撃してくる! 強いだけじゃない! これが《剣姫》が学んできた技術なのかッ!?)
イルはアレクシアの『剣術』に驚愕していた。
あまりにも正確無比、まるで『清流』とでも形容したくなるほどの流麗な猛攻に。
「「でも、勝つ――ッ!」」
二人の声が重なる。
更に剣戟が激しさを増していく。
上限などないと言わんばかりに、互いに互いの速度を引き上げていく。
勝利を貪欲に求めながら、目の前の敵を打ち破るための力を欲する。
「「アアアアアアアアアアァ――ッ!!!」」
吠える。叫ぶ。
清麗な野原に汗と血の飛沫が飛ぶ。
互いに傷のないところを探す方が難しいほどに、その身を削り、削られ。されど、止まらない。
ガアアアァン!!!!
一際甲高い音が爆ぜた。
衝突した刃同士が悲鳴を上げた、そう錯覚させるほどの金属音と共に、二人の体は後ろへと後退した。
『剣の領域』の外。束の間の休息を得た剣たちは、刃に籠った熱を白煙として放出していた。
「はぁ……はぁ……」
「ぜぇ、ぜぇ……」
そして、その所有者たちも既に体力は限界に近い。
これはあくまで命を取り合う殺し合いではない。だが、それに近しい死闘を演じた二人はもはや立つのも精一杯なほどに消耗していた。
「まだ、やれるな……?」
「えぇ、もちろん……!」
二人の目は未だ闘志に満ち満ちていた。
決着を――。
二人は互いに、自身の死力を絞り尽くし、最強の一撃を見舞うために剣を構えた。
「残念ですが……これで終わりにします。私の最強の剣を持って、貴方を倒す!」
「望む、ところだ!」
「行きますっ!」
瞬間、《エクエス・アルバ》の剣身が揺らいだ。
(アレは魔力? まさか――)
いや、違う。アレは剣が揺らいでいるのではない。取り囲む空気が……震えている。
イルはそれを見て、確信した。
「――《魔剣技》か」!
――《魔剣技》。
人の中にある《魔力》を剣に乗せ、《魔法》よりも早く洗練された技として、放つ剣士にとって秘奥の一つとされる技術だ。
昨今、《魔法》の凶悪さは増し、戦闘はさらに高速化している。この両方に剣士は対応せねば、一流とは呼ばれない。この両方に対応するためにこそ、《魔剣技》は存在している。
「ええ。貴方に敬意を表して、全力で斬り伏せます」
「そうか……」
アレクシアの瞳には一切の迷いはない。
本気だ。本気で自分を斬るつもりでいる。
貧民である自分があの《剣姫》を本気にさせた事を知り、イルは今までにない充足感を覚えた。
「なら、俺も全力だ」
「…………うそ」
構えていたイルの剣から、黒い靄――否、全てを貪り食らう闇が溢れ出した。
驚愕に染まったアレクシアの表情は、即座に笑みへと変わり、その頬を紅潮させた。
「誰に教えてもらったんですか、それ?」
「独学で覚えた」
そう言ってのけたイルを前に、アレクシアの胸はこれ以上ないほどに高鳴っていた。
同年代では剣術に於いて自分と並び立つ者は居ないとアレクシアは自負ていた。だが、今目の前に立つ少年イルの剣技に彼女は圧倒され、使用するつもりのなかった《魔剣技》の使用を決断した。
このまま自分の圧勝だろう。漠然とそう思っていた。ただの剣技と《魔剣技》の間にはそれだけ、隔絶した差がある。だと言うのに、イルも同じく《魔剣技》を使えると知った。
その事が何より嬉しくて、何より楽しい。
「構えろ」
ただ一言。
問答は終わり、イルの纏う空気が鋭い刃の切先の如く研ぎ澄まされる。
宣戦布告と共にイルは、極限まで腰を捻った低い体勢で、剣を逆手に構えた。
「望むところです」
その構えを見て、アレクシアも応じる。
白銀の剣に、黄金の衣が纏われる。
大地は震え、風は戦慄き、草花は騒めく。
低く構えたイルに対し、アレクシアもまた腰を低く落とした。
剣を地面と並行に構え、切先を相手へ。
――ピシッ!
地面に亀裂が走った。
高まり続ける《魔力》の奔流に押し出されるまま、イルとアレクシアは同時に発走。
「我流魔剣技――《竜旋影牙》」
「ハイネス流魔剣技――《聖駆一走》」
闇の大渦を纏ったイルの体は錐揉み状に回転し、地面を抉る暴牙となって突撃。
対して、一点突破を掲げたアレクシアが放つ閃光の刺突が、暴れ狂う闇の大渦を貫かんと攻める。
光と闇が激突すると同時、辺り一体に迸る衝撃。
右も左も。上も下も。自分の存在すらも分からなくなるほど、意識は白に飛び、黒に呑まれる。
次の瞬間――
「づ、ぁが………………」
――イルは自分が倒れている事を自覚した。
巻き上がる土煙の中、状況を認識できないままイルは立ちあがろうとする。
「…………ぁ?」
が、四肢に力が入らない。足は震え、腕は痺れている。
一瞬の攻防、刹那の激突。
僅か一太刀で、己の全てを使い果たしたのだと、その瞬間理解した。
「引き分け、ですね!」
そして、それは彼女も同じだった。
晴れていく土煙の先、草原の上に倒れ込んだ少女は、四肢を放り出して笑っていた。
「あぁ、楽しかった! 貴方もそう思うでしょう?」
「……楽しい? 俺は……別に楽しいなんて……」
屈託なく笑う少女に問われて、イルは戸惑った。
そう。そんなはずがない。剣を振って、戦って、楽しいと思うわけがない。
イルにとって剣術は唯一自分が生きるための術であって、そこに楽しいという感情があろうはずもない。
なのに――
「だって、あんなに楽しそうに剣を振っていたじゃないですか」
「…………っ」
真っ直ぐに自分を見つめてくる少女の目が、自分の知らない自分を見通しているような気がして、イルは思わず顔を背けてしまう。
「どこを見て……そう思ったんだよ……。俺はただ、強くなくちゃ、ダメだったから……《剣聖》になれば、裕福な暮らしから送れると思ったから、剣を取っただけだ」
そう。楽しんでいる訳ではない。ただ、生きるために仕方なく剣を取っただけ。《剣聖》になりたいと思ったのも、決して高尚な理由ではない。
アレクシアのように純粋に剣を振るのが好きな人間になれはしないのだ。
だが、イルの言葉をアレクシアは頭を振って否定した。
「気付いてなかったんですか? 私と斬り結んでる時の貴方……すごく良い顔で笑ってましたよ?」
そう言って笑うアレクシアの言葉に、イルは頭を殴られたかのような衝撃を受けた。
笑っていた? 俺が?
あり得ない。そうあり得ないのだ。剣を楽しんでるはずがない。
だが、イルのそんな考えをアレクシアは否定する。
「私が貴方の剣を始めて見た時も、貴方は笑顔だった。まるで剣を振ることが好きな子供のようだった。私と同じ人がいると知れて、嬉しかった……」
早鐘を打つ胸を押さえるように、アレクシアは昨日のことを思い出しながら、柔和な笑みを浮かべた。
「あぁ、この人も剣が好きなんだ……。私と同じように、剣に魅せられているんだ……。そう感じたとき、胸の鼓動が早くなって…………言葉で表せないくらい、心が躍った……」
イルでさえ知らなかった――いや、見て見ぬふりをしようとした本音が、アレクシアの手で暴かれていく。
アレクシアの独白を止める事すら出来ぬまま、少年は呆然と彼女を見た。
「初めてだった……。こんなに気分が高揚したのは、きっと初めて剣を握った時以来。だから、貴方との勝負を受け入れたんです。楽しそうな貴方と、私も戦いたかったから……」
イルの瞳から、雫が一滴溢れた。
どこか、イルの心の中には諦観があった。自分は貧民街生まれの孤児で、浅ましくも醜く生きるしかできないただの愚図だと。
そんな時、初めて出会ったのが剣だった。
自分の境遇を恨み、自分の存在を嫌ったイルにとって、無我夢中で振り続けられる一振りの剣は、たとえボロボロでも英雄の持つ『聖剣』のように輝いて見えた。
剣が好きだった。《剣聖》になりたかったのは、別に裕福な暮らしがしたかった訳ではない。最初はただ……いや、今もなおその『高み』に憧憬を抱いていたから。
だが、いつしか年月を経るごとに自分には無理だと思うようになっていった。
はじめから何も持たない自分には、《剣聖》になどなれないと思い込む事にした。憧れを捨てた気で、それでも捨てきれず剣を握り、それを全く別の理由で言い訳をした。
でも、隠しきれていなかった。
溢れ出さんばかりの楽しさ嬉笑も、心の奥底で燃えたぎる憧憬も。結局は全てアレクシアにはお見通しだったというわけだ。
「そうだ……俺は、剣が好きだ……」
認めてしまえば、とても楽だった。
口に出せば、こんなにも下らない事だった。
「だから俺は……《剣聖》に、なりたいんだ……」
本音をぶつける。
夢を語ることがこんなにも楽しいとは知らなかった。
イルの胸中は謎の充足感で満ち足りていた。
「私も同じです。私も《剣聖》になりたい。こうして言葉にしてみると、つくづく私たち似てますね!」
「そうかもな」
そう言って破顔したアレクシアの笑顔は、まるで太陽に照らされた向日葵のように綺麗だった。
イルが一瞬、見惚れてしまうほどに。
暫く、二人は地面に寝転がったまま笑い合っていた。
そうしているうちになんとか体が動かせるくらいに体力が回復すると、どちらからともなく立ち上がった。
「ねぇ、知ってます? 『剣帝学院』には特待生という制度があるんです。それに選ばれると、なんとびっくり学費が全額免除される他、豪華特典も盛りだくさんなんですよ!」
「は? どうしたんだよ、急に?」
余りにも唐突な話出しに、いまいち意味を掴みきれなかったイルはそう聞き返した。
途端、露骨に顔を顰めたアレクシアは、自罰するように溜め息を吐いた。
「……私と一緒に剣帝学院で剣術を学びませんか、というお誘いです。どうです?」
「剣帝学院で、俺が……?」
「はい! 貴方となら、私はもっと強くなれる。そんな気がするんです! だから、一緒に行きませんか?」
そう言って微笑むアレクシア。
彼女は自分が――いや、イルも合格できると確信しているようだった。
だが、歩み寄り、イルに向けて差し出した掌は微かに震えていた。
「……俺が、本気で合格できると?」
「できますよ! 当然、私も!」
「その割には手が震えてるけど……」
「こ、これは……そういう震えじゃないです!」
狼狽えた様子のアレクシアを見て、思わずイルは笑みをこぼしてしまった。
そうして、差し出された手を取った。
――アレクシアが信じてくれるのなら、少しは自分を信じてみても良いのかもしれない。
その掌から伝わる熱が、不思議とイルにそう思わせてしまう。
「俺の名前はイルだ。よろしく」
「――はい! 私はアレクシア・ウィル・ハイネスです! これからよろしくお願いしますね!」
これが二人の出会い。
貧民街上がりの黒の《剣鬼》と、貴族の栄華を持つ白の《剣姫》が紡ぐ物語の、始まりの一頁。
ここまで読んでくださりありがとうございます!もし面白いと思っていただけましたら、評価やブックマーク、感想等をいただけると、モチベーションの維持に繋がりますので、是非よろしくお願いします!
今回はバトルを書けたので、かなり楽しかったんですけど、そのせいで長くなりすぎました……。もう少し加減を覚えないと……。




