第3話『邂逅』
冒険者ギルド――依頼掲示板の前。
ティプスタンたちは、壁一面に貼られた依頼書を見上げていた。
討伐。
護衛。
素材採取。
遺失物の捜索。
中には、街中の雑用まである。
「こんなにあるんだ……」
ティプスタンが感心したように呟く。
「冒険者の街だからな! 依頼だっていっぱいあるゾ!」
ミミリルが得意げに胸を張った。
頭につけたウサギ耳も、それに合わせるようにぴんと立つ。
その隣で、ルベッカだけは浮かれる様子もなく、掲示板を端から端まで見渡していた。
「戦闘依頼は却下ですよ」
「でも、こういうのカッコいいゾ」
「却下です」
「早いゾ!」
抗議するようにウサ耳が跳ねる。
「前衛を任せられる者がいれば話は別です。ですが、ティプスタンは生まれたばかりで戦闘経験なし。ミミリルは探索向き。私は研究職です」
ティプスタンは黙って自分の手を見る。
確かに、戦っている自分など想像もつかない。
つい先ほどまで、この世界に存在すらしていなかったのだ。
「ですので、今は採取か捜索が妥当でしょう」
ルベッカは迷いなく一枚の依頼書を剥がした。
『薬草採取』
ククルシア南の森に自生する、
《チドメ草》三十束。
《ヤスラギ草》三十束。
その採取。
ティプスタンが横から依頼書を覗き込む。
「これなら僕にもできそうだね」
「危険が少なく、報酬も確実です。今の我々には十分でしょう」
「ご飯は、いっぱい食べられるかの?」
ミミリルが真剣な顔で尋ねた。
「そこそこ食べられます」
「そこそこかぁ……」
「ただし、宿代までは厳しいので野宿です」
「うへぇ……」
途端にウサ耳が垂れた。
ルベッカは気にする様子もなく、再び掲示板へ視線を戻す。
「加えて、これも受けます」
一枚。
もう一枚。
さらに一枚。
『森道で落とした猫目石の捜索』
『東の林道で失くした銀の腕輪の捜索』
『森で落とした真珠の首飾りの捜索』
「えっ、四つも?」
ティプスタンが目を丸くする。
「薬草の採取場所へ向かう途中に、いずれの捜索範囲も含まれています。同じ場所を通るのであれば、まとめて受けた方が効率的です」
「なるほど……!」
「ついでに探せばいいんだな!」
ミミリルの耳が再び立ち上がる。
「宝探しみたいで楽しそうだゾ!」
「遊びではありませんよ」
「でも、ちょっとくらい楽しんでもいいゾ!」
ルベッカは小さく息をついた。
「依頼を達成できるのであれば、好きにしてください」
「うん!」
こうして四つの依頼を受注した三人は、ククルシア南の森へ向かった。
☆
城門を抜けると、石畳は次第に土の道へ変わっていった。
街の喧騒も遠ざかり、代わりに草木を揺らす風の音が聞こえてくる。
やがて三人の前に、深い緑に覆われた森が現れた。
「森だゾ!」
ミミリルが真っ先に駆け込んでいく。
「離れすぎないように!」
「分かってるゾ!」
返事はすでに少し遠い。
森へ入ると、空気がひんやりと変わった。
木々の隙間から細い光が差し込み、湿った土と青い草の匂いが漂っている。
ルベッカは懐から手鏡型の魔導具を取り出した。
「まずはチドメ草から探しましょう。湿気の多い日陰に生えやすい植物です。川沿いを中心に探します」
鏡を正面に掲げる。
「リフレクト・アクティベート」
紫色の光が走り、鏡面に植物が映し出された。
丸みを帯びた葉。
赤みのある茎。
「これがチドメ草です」
鏡面に触れると、別の植物へ切り替わる。
「そして、こちらがヤスラギ草」
「これは知らない草だゾ」
ミミリルが首を傾げた。
「そうですか? ヤスラギ香の原料ですよ」
「ヤスラギ香?」
ルベッカがミミリルを見る。
「精神と身体を鎮めるための香です。ネクロクレイマンが《スプリ》を行う際、痛みを和らげる目的で、よく使われるそうですが」
沈黙。
ミミリルの表情が固まった。
「……痛み、和らぐの?」
「一般的にはそのようです」
「…………」
「知らなかったのですか?」
次の瞬間。
「道理で痛かったわけだゾ!!」
「知らなかったの?」
「知らなかったゾ! ……たぶん」
ミミリルが頬を膨らませる。
ティプスタンは苦笑した。
「終わったことは仕方ありません。それより、採取を始めますよ」
三人は川の流れる方向へ進んだ。
しばらくして。
「これじゃない?」
ティプスタンが足元の草を指さす。
ルベッカは一瞥した。
「違います」
「そっかぁ……」
「葉の形も茎の色も違います」
ティプスタンが肩を落とす。
少し離れた場所では、ミミリルが茂みの中を覗き込んでいた。
「あっ!」
草むらへ手を伸ばし、一株摘み上げる。
「これは?」
ルベッカが確認する。
「正解。それがヤスラギ草です」
「やったゾ!」
ミミリルが胸を張る。
「ウチ、探索は得意だからな!」
「頼もしいね」
ティプスタンが笑った。
そこからは早かった。
ルベッカが地形と植物の生育条件から場所を絞り、ミミリルが次々と薬草を見つけていく。
ティプスタンも懸命に探した。
探したのだが――
「これは?」
「雑草です」
「じゃあ、こっちかな?」
「毒草です。触らないでください」
「危なっ!」
残念ながら、ほとんど役には立たなかった。
昼を過ぎる頃には、必要な薬草がすべて集まっていた。
「三十束ずつ。数も問題ありません」
ルベッカが採取袋の中身を確認する。
「終わったぁ……」
ティプスタンが大きく伸びをした。
ついでに森道や林道の周辺も探したが、残り三つの依頼品は見つからなかった。
「猫目石も、腕輪も、首飾りもなかったね」
「遺失物の捜索は、元々成功率が高くありません。薬草だけでも十分です」
ミミリルが身を乗り出す。
「これでやっと、ご飯が食べられるゾ!」
「宿はありませんが」
「それより、今はお腹ペコペコで倒れそうだゾ! な? ティプスタン」
「う、うん」
三人はそんな会話を交わしながら、ククルシアへの帰路についた。
☆
森を抜けるには、まだ少し距離があった。
行きとは違い、三人の足取りは軽い。
初めての依頼で、ひとまず成果は得られた。
あとは街へ戻り、報酬を受け取るだけ。
――そのはずだった。
ティプスタンが足を止める。
「……ん?」
鼻の奥に、かすかな違和感が残った。
鉄のような。
生臭いような。
「どうしました?」
ルベッカが振り返る。
「今、変な匂いがした」
ミミリルも足を止め、周囲を見回す。
頭につけたウサギ耳型の魔導具が、ぴくりと動いた。
「なんか、嫌な気配がするゾ」
ルベッカの表情から柔らかさが消えた。
「警戒してください」
三人の声が止む。
静かな森に、葉の擦れる音だけが残った。
「……うっ」
かすかな呻き声。
三人は一斉に振り向いた。
「今の……」
ティプスタンが声のした方へ目を凝らす。
木々の間。
太い木の根元に、何かが倒れている。
「獣……?」
灰色の毛が見えた。
だが、身体の形は人間に近い。
三人は慎重に距離を詰める。
灰色の狼耳。
褐色の肌。
引き締まった身体。
獣人の少女だった。
服は裂け、身体のあちこちに深い傷が刻まれている。
「ひどい……!」
ティプスタンは反射的に駆け出した。
「待ってください、ティプスタン!」
ルベッカの制止は間に合わない。
少女の傍らへ膝をつき、顔を覗き込む。
呼吸は浅い。
それでも、まだ生きている。
「大丈夫!? 聞こえる?」
少女の瞼がわずかに動いた。
琥珀色の瞳が、ぼんやりとティプスタンを捉える。
「……誰だ、お前」
掠れた声だった。
「冒険者だよ。今、手当てするからね」
「冒険者……」
ミミリルも駆け寄り、傷口を見て息を呑んだ。
「血がすごいゾ……!」
ルベッカはすぐに採取袋を開いた。
「チドメ草を使います」
草を潰し、傷口へ当てる。
ミミリルは自分の布を裂き、手早く患部へ巻いていった。
ティプスタンは少女の身体を支え、水筒を口元へ近づける。
「少しずつ飲んで」
少女はわずかに水を口に含んだ。
「大丈夫だからね」
「…………」
苦しそうに、少女は言った。
「変なやつだな、お前ら」
「そうかな?」
「普通……知らないやつに、そこまでしねぇだろ」
ティプスタンは少し考えた。
「生まれたばかりだから、普通がまだよく分からないよ」
少女が一瞬、黙る。
「……やっぱ変だな」
張り詰めていた空気が、ほんのわずかに緩んだ。
――ざっ。
背後で、草を踏む音がした。
少女の表情が凍りつく。
ティプスタンたちは同時に振り返った。
木々の間に、一人の男が立っていた。
二メートル近い巨体。
赤銅色の肌。
岩のように盛り上がった筋肉。
灰色の短髪と顎髭。
額には大きな傷が走っている。
そして何より異様なのは、その目だった。
黒く染まった結膜の中で、深紅の瞳だけが鈍く光っている。
ティプスタンの背筋を、冷たいものが這った。
腕の中の少女が震えている。
男は三人を見渡し――ティプスタンを見据えた。
露骨な嫌悪が、その顔に浮かぶ。
「……ヒューマンのガキか」
吐き捨てるような声。
ティプスタンの身体が勝手に強張った。
怖い。
理由など分からない。
ただ、本能が逃げろと告げている。
男は倒れている獣人の少女へ視線を移した。
「ヒューマンはどいてろ」
低い声が森に響く。
「そいつに用がある」
ティプスタンの喉が鳴った。
足が震える。
逃げたい。
今すぐ、この場から離れたい。
けれど。
腕の中には、傷だらけの少女がいる。
ここを退けば、この子はどうなる。
そう思った瞬間、震えていた足に力が戻った。
「……いやです」
小さな声だった。
男の眉が動く。
「何だと?」
ティプスタンは唾を飲み込んだ。
「この人は怪我してるんです。それに、震えてる」
男の口元が歪む。
「オレがつけた傷だからな」
「……!」
ミミリルがすぐにティプスタンの前へ出た。
「それ以上近づくな!」
ルベッカも手鏡型の魔導具を構える。
「接近は控えてください」
ルベッカが告げる。
「控えなかったら?」
「抵抗します」
男はしばらく三人を眺めていた。
やがて、心底面倒そうに息を吐く。
「……殺すか」
男が地面を蹴った。
「っ!」
姿が消えた。
そう錯覚するほどの速さだった。
ティプスタンが反応するより早く、風圧が頬を打つ。
気づけば目の前に、小さな背中が飛び込んでいた。
「ミミ――」
鈍い音。
何が起きたのか、分からなかった。
男の腕が、ミミリルの腹部を貫いている。
「…………」
ティプスタンの思考が止まった。
ミミリルの身体が、小さく揺れる。
ウサ耳が力なく震えた。
「ミミ……リル?」
ようやく声になった。
ミミリルはゆっくり振り返る。
口元が震えている。
「……無事か……?」
「なんで……」
掠れた声しか出ない。
ミミリルは笑おうとした。
いつものように。
けれど――笑顔にはならなかった。
ごぼっ。
口元から血が溢れる。
ティプスタンの目が見開かれた。
男が腕を引き抜く。
支えを失ったミミリルの身体が、その場へ崩れ落ちた。
「ミミリル!!」
ティプスタンの叫びが森に響いた。
小さな身体が地面の上で、微かに震えている。
男はそんなミミリルを一瞥しただけだった。
「くだらん」
興味すら失ったような声だった。
「やれやれ……」
森の奥から、しわがれた声が届いた。
「ちょっと見せてもらうだけで良かったのじゃがのぉ」
木陰から、一人の老人が姿を現した。
赤銅色の肌。
黒い結膜と深紅の瞳。
片眼鏡をかけ、白い髪と長い髭を垂らしている。
腰は曲がり、一本の杖をついていた。
見た目だけなら、ただの老人だった。
――なのに。
老人が一歩、こちらへ近づく。
それだけで、森の空気が変わった。
鳥の声が消える。
虫の羽音さえ聞こえなくなる。
獣人の少女が、歯を鳴らすほど震えている。
ルベッカの頬にも一筋の汗が流れる。
ティプスタンは、息をすることすら忘れそうになった。
顎髭の男とは違う。
何が違うのかは分からない。
ただ――関わってはならない何か。
そんな感覚だけがあった。
老人の深紅の瞳が、ゆっくりとこちらへ向く。
その視線が触れただけで、全身から嫌な汗が噴き出した。
「…………」
老人は何も言わない。
その沈黙を破ったのは、傷ついた獣人の少女だった。
震える手を腰へ伸ばす。
小さな革袋を掴むと、残った力を振り絞るように老人へ投げた。
「……これ、だろ」
老人は片手で受け取った。
それを見届けた途端、少女は糸が切れたように意識を失う。
「ふぅむ……」
老人が袋の口を開き、中身を覗き込んだ。
顎髭の男が尋ねる。
「どうです?」
しばらくして。
老人がつまらなそうに鼻を鳴らした。
「ガラクタばかりじゃのぉ」
顎髭の男は肩をすくめた。
老人は次に、地面へ倒れているミミリルへ視線を落とした。
「可哀想にのぉ」
言葉とは裏腹に、その声は冷たかった。
「無駄死にじゃったのぉ」
ティプスタンの胸の奥で、何かが軋んだ。
老人は革袋を獣人の少女の傍らへ放り投げる。
「行くぞい」
「はっ」
それだけだった。
二人は何事もなかったかのように背を向け、森の奥へ歩いていく。
追う者はいない。
追える者など、いなかった。
やがて、二人の気配が完全に遠ざかる。
森に静けさが戻った。
誰も動けなかった。
「……ミミリル」
最初に声を出したのは、ティプスタンだった。
腕の中で意識を失っている少女を、そっと地面へ横たえる。
そして、ふらつく足でミミリルへ近づき、その傍らに膝をついた。
「ミミリル……」
震える手で、その身体を抱き起こした。
返事はない。
「ミミリル!」
ルベッカも駆け寄る。
「聞こえますか! 返事をしてください! ミミリル!」
いつも淡々としている声が、わずかに揺れていた。
「ミミリル!」
反応はない。
さっきまで微かに動いていたウサ耳も、今は力なく垂れている。
ティプスタンの頭が真っ白になった。
どうすればいい。
何をすれば助かる。
何一つ分からない。
ただ、腕の中の身体から温もりが失われていくことだけは分かった。
「……嫌だ」
掠れた声が漏れる。
自分に名前をくれた。
誕生日を祝ってくれた。
ほんの少し前まで、くだらないことで笑っていた。
それなのに。
「こんなの……嫌だ」
ティプスタンはミミリルを抱きしめる。
離したくなかった。
「ミミリル……」
胸の奥が焼けるように熱い。
視界が滲む。
耳鳴りがする。
目の前の景色が、ゆっくりと遠ざかっていく。
そして――
ティプスタンの意識は、そこで途絶えた。
☆4話に続く☆




