第三話『邂逅』
冒険者ギルド――依頼掲示板の前。
ティプスタンたちは、壁いっぱいに貼られた依頼書を見上げていた。
討伐依頼。
護衛依頼。
素材回収。
雑用。
遺失物捜索。
思っていた以上に種類が多い。
「いっぱいあるね……」
ティプスタンが感心したように呟く。
「冒険者の街だからな!依頼もいっぱいだゾ!」
ミミリルが胸を張った。
頭に付けたウサギ耳型の魔導具も、得意げにぴんと立つ。
その一方で、ルベッカは冷静だった。
銀縁眼鏡の奥の青い瞳で、掲示板全体を無駄なく見渡している。
「戦闘依頼は却下です」
「まだ何も言ってないけど!?」
ティプスタンが反射的に突っ込む。
ルベッカはさらりと続けた。
「言う前に却下しておきます。我々のパーティー構成は、戦闘に関して壊滅的に不向きです」
「だよねぇ……」
ミミリルは腕を組みながら、討伐依頼を眺めている。
「でもこういうの、ちょっとカッコいいゾ」
「却下」
「早いゾ!」
抗議するように、ミミリルのウサ耳がピョコピョコと跳ねる。
「前衛の戦闘職でもいれば話は別でしょうが、現状はいません。ティプスタンはまだ生まれたての、何の取り柄もないヒューマン。ミミリルは探索特化。私は……研究向きの後衛」
何の取り柄もないヒューマン……。
ティプスタンは思うところがあったが、口をつぐんだ。
確かに、今の自分が戦う姿など想像できない。
ルベッカは眼鏡を上げる。
「よって、捜索と収集系を選ぶのが最適解です」
そう言って、一枚の依頼書を迷いなく剥がした。
『薬草採取』
ククルシア南の森にて自生している薬草の採取依頼。
〝チドメ草30束、ヤスラギ草30束の採取を頼む〟
「これです」
「へぇ〜、簡単そうだね」
ルベッカは頷く。
「報酬は高くはありませんが、確実です。今の我々にはこれが最善です」
「ご飯いっぱい食べられそう?」
ミミリルが少し不安げにたずねる。
耳も心配そうにへにゃりと傾いた。
「まあ、そこそこは大丈夫でしょう。野宿にはなりますが」
「うへぇ〜」
ミミリルの耳が、露骨にしょんぼり垂れた。
さらに、ルベッカは周囲の依頼書へと視線を滑らせた。
「加えて、こちらも受けておきます」
掲示板から剥がした依頼書は三つ。
『森道で落とした猫目石の捜索』
『東の林道で失くした銀の腕輪の捜索』
『森で落とした真珠の首飾りの捜索』
「えっ、そんなに受けるの?」
ティプスタンが目を丸くする。
ルベッカは依頼書を軽く掲げた。
「薬草の採取場所へ向かう途中で、該当の森道と林道を通ります。移動経路が重なる以上、受けない理由がありません」
「なるほど……!」
「ついでに探せるってことだゾ!」
ミミリルがにっと笑う。
耳も嬉しそうにぴこっと立ち上がった。
「宝探しみたいで楽しそうだね!」
「遊びではありませんが」
「でも、ちょっとワクワクするゾ!」
耳がピョコピョコと小さく跳ねる。
ルベッカは小さくため息をついた。
受付で依頼を正式に受注し、三人はククルシア南の森へ向かった。
☆
街を出ると、石畳はやがて土の道へと変わった。
遠くには緑が揺れ、昼の陽光を受けて森の輪郭が柔らかく光っていた。
ミミリルが元気よく前を歩く。
ウサ耳も、足取りに合わせて弾むように揺れている。
森へ入ると、ルベッカは手鏡型の魔導具を取り出した。
「チドメ草は湿り気のある日陰に生えやすいはずです。川沿いに近い斜面を優先して探します」
「リフレクト・アクティベート」
ルベッカがそう唱えると、鏡面に植物の映像が映し出された。
「ミミリルならご存知だと思いますが、これがチドメ草です」
ルベッカは鏡面を軽くタップする。
映像が切り替わり、別の草が映し出された。
「そして、こちらがヤスラギ草です」
「……知らないゾ?」
ミミリルが首をかしげる。
耳も同じように傾いた。
「そうですか?ヤスラギ香の原料なのですが」
「ヤスラギ香?」
「身も心も落ち着かせる効果のあるお香です。ネクロクレイマンのスプリ時の痛みを緩和するので、よく使われるそうですが」
ミミリル、沈黙。
耳がぴたりと止まる。
「使わなかったのですか?」
「……道理で痛かったわけだゾ!!」
ミミリルの耳がバッと逆立つ。
ルベッカとティプスタンは、同時にため息をついた。
「知らなかったの……?」
「知らなかったゾ!」
ふてくされたように、耳がぶんっと揺れた。
「情報収集を怠りすぎです」
「だって、誰も教えてくれなかったゾ!……たぶん」
「普通は調べてから実行しますよ」
ミミリルはふてくされたように頬を膨らませた。
耳も不満げにプイッと横を向く。
☆
森の中は静かだった。
鳥のさえずりと葉の擦れる音だけが耳に届く。
「これじゃない?」
ティプスタンが草を指さす。
「違います。葉脈と茎の色が異なります」
「難しい……」
「ワクワクするな!」
ミミリルは別の場所へ移動し、草を摘み上げた。
耳もピコピコと楽しげに動く。
「こっちはどう?」
「……正解。それがヤスラギ草です」
「やった!」
ミミリルは得意げに胸を張る。
耳もぴんと高く立った。
「ウチ、探索は得意だからな!」
「助かるよ」
ティプスタンが笑う。
そこからの作業は意外なほど順調だった。
ルベッカが場所を絞り込み、ミミリルが発見する。
ティプスタンは……
役には立っていなかった。
採取は昼を過ぎる頃には終わっていた。
その合間に、森道や林道脇も気にして進んだが、探し物は見つからない。
「猫目石も腕輪も首飾りもないね」
「落とし物捜索の成功率は元々高くありません」
ルベッカは淡々と答える。
「薬草依頼を完了できただけでも十分です」
「まあ、確かに」
ティプスタンが背負った袋を見た。
チドメ草とヤスラギ草がしっかり入っている。
「やっとご飯食べられそうだゾ!」
ミミリルの耳が期待に満ちてピンッと立つ。
「そこが最重要事項ですね」
「だって食べないと死んじゃうゾ!」
「正論です」
そんな会話をしながら、三人は街への帰路についた。
☆
帰り道。
森の奥から吹いてきた風が、ほんのわずかに血の匂いを運んできた。
「……ん?」
ティプスタンが足を止める。
「どうかしましたか?」
「今、なんか……変な匂いが。血の匂い?」
ミミリルも鼻をひくつかせた。
耳がぴくりと揺れる。
「ウチも感じたゾ」
ルベッカは周囲を見回した。
「警戒してください」
その時――
「うっ……」
三人は同時に、声のする方向に視線を向けた――
木の根元に、なにかが倒れている。
「獣……?」
いや、違う。
見えたのは、灰色の狼耳だったが、人のカタチをしている。
少しずつ警戒して近づく三人。
筋肉質の身体。
褐色の肌。
腕と足は灰色の毛で覆われ、手足には鋭い爪がある。
傷だらけで、服もところどころ破れている。
獣人の少女だった。
「っ、ひどい傷だ!」
ティプスタンは思わず駆け寄った。
ルベッカが止めるよりも早かった。
「ティプスタン!」
地面に膝をつき、獣人の顔を覗き込むティプスタン。
呼吸は浅いが、まだ生きている。
「大丈夫!? しっかりして!」
獣人は薄く目を開けた。
琥珀色のおぼろげな瞳がティプスタンを見つめる。
「……誰だ、お前」
「通りがかりの冒険者だよ。今、手当てするから」
ミミリルも駆け寄る。
「血がいっぱい出てるゾ!」
ルベッカは即座に採取袋を開けた。
「チドメ草を使います。止血効果があります」
「いいの?」
「命の方が優先です。却下する理由がありません」
ティプスタンはほっとしたように頷いた。
「うん!」
三人は急いで手当てを始めた。
ルベッカが薬草をすり潰して患部へ当て、ミミリルが布を裂いて包帯代わりにする。
ティプスタンは獣人の少女を支え、水筒の水を飲ませた。
「大丈夫だからね」
「……へへ」
獣人は苦しげに笑った。
「変なやつだな、お前……」
「そうかな?生まれたてだからかな」
「変だな。やっぱ……」
そんなやり取りができるくらいには、少し意識が戻ってきたらしい。
だが、その時だった。
ざっ、と背後の草を踏む音がした。
空気が変わる。
三人が振り向く。
そこにいたのは――
筋肉の固まりのような男だった。
身長は2メートル近い。
赤銅色の岩のような肌。
灰色の顎髭に短髪頭。
太い眉毛だけが白くて目立つ。
そして額には大きな傷跡。
その瞬間、ティプスタンの背筋に冷たいものが走った。
獣人の少女の肩が震えているのが、ティプスタンの手から伝わる。
男の黒く染まった結膜から光る深紅の瞳が、三人をとらえた。
男の視線がティプスタンで止まる。
露骨な嫌悪が、その顔に浮かぶ。
「ヒューマンのガキか……」
吐き捨てるような声だった。
ティプスタンは反射的に身を強ばらせる。
怖い。
理屈ではなく、本能でそう感じた。
男は獣人の少女を見下ろし、次いでティプスタンに言い放つ。
「ヒューマンはどいてろ」
低く、威圧的な声。
「そいつにようがある」
「……!」
ティプスタンの喉がひゅっと鳴る。
足が震えた。
逃げたい。
今すぐ離れたい。
けれど、目の前には傷だらけの少女がいる。
今この場で自分が離れたら、この子はどうなる。
そう思った瞬間、足は逆に地面へ縫い付けられたように動かなくなった。
「……いやだ」
自分でも驚くほど、小さな声だった。
それでも男には届いたらしい。
男の太い眉がぴくりと動く。
「何だと?」
ティプスタンは喉の震えを押さえつけるように言った。
「この人、怪我してるんだ」
男が鼻で笑う。
「オレがつけた傷だからな」
ミミリルがティプスタンの前へ出た。
ウサ耳がビシッと立ち上がる。
「ティプスタンに近づくな!」
ルベッカも鏡型の魔導具を構える。
まるで勝機が見えない。
だが、黙って見ているつもりもなかった。
ルベッカが言った。
「退いてください」
「退かなかったら?」
「……その時は抵抗します」
男はしばらく三人を見下ろしていたが、やがて心底面倒そうにため息をついた。
「殺すか……」
ギロリと男がティプスタンをにらむ。
そして次の瞬間、地を蹴った。
「っ!」
消えた?
と――
ティプスタンが思った瞬間。
ティプスタンの目前には、ミミリルが立っていた。
男の腕がミミリルの腹部を貫いている。
ミミリルの小さな身体がぐらりと揺れる。
頭の耳が、力なく震えた。
「ミミ、リル……?」
信じられない。
理解が追いつかない。
ミミリルは口元を震わせ、小さく息を漏らした。
「……無事か……?」
「なんで……」
ティプスタンの声が掠れる。
ミミリルは、いつものように無理に笑おうとした。
でもうまく笑えなかった。
耳も、弱々しく揺れるだけだった。
ゴボォッ!
ミミリルの口から血溜まりが噴き出た。
男が腕を引き抜く。
血にまみれたミミリルの身体が崩れ落ちる。
耳も、だらりと垂れた。
「ミミリル!!」
ティプスタンが叫んだ。
地面へ倒れた小さな身体が、ビクビクと痙攣している。
男はつまらなそうにその様子を見下ろした。
「くだらん」
完全に興が削がれた、という顔だった。
その時――
「やれやれ……」
しわがれた声が森の奥から響いた。
「ちょっと見せてくれるだけで良かったのじゃがのぉ〜」
ゆっくりと現れたのは、男と同じ赤銅色の肌と目をした老人だった。
片眼鏡。
白髪に長い髭。
杖をつき、腰は曲がっている。
だが。
顎髭の男とは、明らかに違った。
その場にいるだけで空気が重くなる。
森が息を潜めたような圧迫感。
言葉にできない異様な威圧感。
獣人の少女は異常なほど震え出した。
ティプスタンはなぜか老人から目を離せない。
(なんだ、こいつ……)
老人がティプスタンの視線に気づいた。
ただ、こちらを見ているだけで、ティプスタンの全身から嫌な汗が噴き出す。
ルベッカでさえ、呼吸を整えるので精一杯だった。
理屈ではない。
格が違う。
その張り詰めた空気を破ったのは、獣人の少女だった。
彼女は震える手で、腰にさげた革袋を掴むと、老人へ向かって投げつけた。
「……これ、だろ」
老人は片手でそれを受け取った。
獣人の少女はガクッと力尽きたように気絶した。
「ふぅむ…」
ゆっくりと袋の口を開いて中をのぞく老人。
「どうです?」
顎髭男が言った。
老人は、しばらく無言で中身を眺め――やがて鼻を鳴らした。
「ガラクタばかりじゃのぉ〜」
その一言で、場の空気が落ち着きを取り戻した。
顎髭男は肩をすくめる。
老人は地面に倒れて痙攣しているミミリルへ視線を向けた。
「可哀想にのぉ〜」
感情の見えない声で呟く。
「無駄死にじゃったのぉ〜」
そして革袋を、ポイッと獣人の少女の足元へ投げ返した。
「行くぞい」
「はっ」
二人はそれ以上何もせず、森の奥へと去っていった。
やがて気配が完全に消え、森に静寂が戻る。
だが、誰もすぐには動けなかった。
「……ミミリル」
最初に声を出したのはティプスタンだった。
震える手で、彼はミミリルの身体を抱き起こす。
「ミミリル……!」
返事はない。
ルベッカもすぐに駆け寄る。
「ミミリル、返事をしてください。ミミリル!」
冷静であろうとしたが、その声は明らかに揺れていた。
反応はない。
ぴくぴくと痙攣していたウサ耳も、次第に動きを失っていく。
ティプスタンの頭が真っ白になる。
どうすればいい。
何をすればいい。
分からない。
分からないのに、胸の奥だけが焼けるように熱かった。
腕の中のミミリルは、動かない。
顔からはどんどん血の気が引いていく。
その小さな身体を見つめながら、ティプスタンは歯を食いしばる。
「……嫌だ」
掠れた声が漏れる。
「こんなの、嫌だ」
ギュッとミミリルを抱きしめるティプスタン。
その瞬間――
ティプスタンの意識はプツッと途絶えた。
☆四話に続く☆




