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ELVES《エルヴス》―命の器の継承者―  作者:
Resonance/空白の少年編

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第1話『人生のはじまり』

第一話『人生のはじまり』


「いってぇ……」


 ティプスタンは左目を押さえながら、焚き火の前へ座り込んでいた。


 じんじんする。


 目の周囲が熱い。

 触れるたびに鈍い痛みが走った。


 完全に青アザだった。


 原因は、目の前に立っているエルフの少女。


 名を――ルベッカという。


「謝罪します」


 ルベッカは淡々と言った。


 焚き火の赤い光が、彼女の銀縁眼鏡をかすかに照らしている。


 白い肌。

 細い顎。

 静かな青い瞳。


 整った顔立ちは綺麗だった。


 けれど――どこか冷たい。


 感情の揺れが薄いせいか、人というより精巧な人形みたいに見えた。


 夜風が、長い青髪のポニーテールをさらりと揺らす。


 その隣では、ウサギ耳のようなヘアバンドを着けた少女が腹を抱えて笑っていた。


 ミミリルである。


 橙色の髪は肩辺りでふわふわ跳ねていて、緑色の瞳は楽しそうにきらきらしている。

 

 そばかすの残る顔立ちは幼く、ぱっと見では十歳前後にも見える小柄さだった。


「いやー! びっくりしたゾ!」


 ウサ耳がぴこぴこ跳ねた。


「笑い事じゃないよ!」


 ティプスタンは思わず声を荒げる。


「いきなり殴られたんだよ!?」


 ルベッカは眼鏡をクイッと押し上げた。


「しかし、裸の男女が同じテント内にいた場合。危険と判断するのは自然です」


「自然かな!?」


 ミミリルはさらにケラケラ笑う。


 ぱちっ、と焚き火が爆ぜた。


 火の粉が夜へ舞い上がる。


 ルベッカは小さくため息をつき、ミミリルへ視線を向けた。


「それよりも。詳細な説明を求めます」


「ティプスタンはウチのスプリで生まれたんだゾ!」


「…………」


 沈黙。


 夜風だけが草原を抜けていく。


 ルベッカは腕を組んだ。


「……なるほど。理解しました」


 だが、すぐに眉を寄せる。


「しかし……なぜ今、能力を使う必要があったのですか?」


 ミミリルがもじもじした。


 同時に、ウサ耳がしゅんと垂れる。


「やってみたくて……」


「相変わらず好奇心の塊ですね。あなたは……」


 呆れたようにルベッカが息を吐く。


「いや、ちょっと待ってよ」


 ティプスタンが身を乗り出した。


「スプリってなに? 生まれたってどういうこと?」


 ルベッカは静かに頷く。


「ネクロクレイマンの分裂能力です」


「ネクロクレイマン?」


「種族名です」


 ルベッカは淡々と説明した。


「ネクロクレイマンは、一定年齢に達すると、自身の身体から新しい個体を生み出せます。その分裂行為を“スプリ”と呼びます」


「僕は……ネクロクレイマン?」


 ティプスタンは自分の手を見る。


 指を曲げる。


 開く。


 ちゃんと動く。


 感覚もある。


 自分の身体だ。


 なのに――


 妙な違和感があった。


 借り物みたいだった。


 ミミリルが胸を張る。


「ティプスタンはウチの分裂で生まれたんだゾ!」


 分裂。


 その言葉が、妙に重く胸へ落ちた。


 ティプスタンは、自分の頬へ触れる。


 ぺた。

 ぺた。


 確かめるように。


 額。

 鼻。

 顎。

 首。

 肩。


 ちゃんと熱がある。


 ちゃんと生きている。


 でも。


「……僕の、体」


 言葉にしても、実感は追いつかなかった。


 その様子を見ていたルベッカが、静かに鞄へ手を入れる。


 取り出したのは――手鏡。


 だが、普通の鏡ではない。


 銀色の縁には細かな紋様が刻まれている。


 持ち手の根元には、小さな紫色の魔石が埋め込まれていた。


 焚き火を受けて、淡く妖しく光っている。


 中央の鏡面は、ただの透明なガラスだった。


 ルベッカはそれを掲げ、小さく呟く。


「――リフレクト・アクティベート」


 次の瞬間。


 紫色の魔石が淡く輝いた。


 手鏡全体に紫色の光が走る。


 すっと表面が変質し――


 ガラスだった部分が、“鏡”へ変わった。


「確認してください」


 ルベッカはそれを差し出す。


 ティプスタンは少し躊躇いながら受け取った。


 ひやり、と冷たい。


 鏡は思ったより重かった。


 そして――


 そっと覗き込む。


「……」


 映っていたのは、ひとりの少年。


 赤い髪。


 短く整えられたショートヘア。


 茶色い眉。


 二重まぶたの奥にある、栗色の瞳。


 少し日に焼けたようなくすんだ肌。


 まだ大人ではない。


 けれど子供とも言い切れない。


 そんな曖昧な年頃に見える少年だった。


 見たことのない顔。


 でも――


「……これが、僕?」


 なぜか。


 どこか懐かしい気もした。


 不思議な感覚だった。


 ティプスタンは鏡の中の自分の頬へ触れる。


 鏡の“自分”も、同じように触れた。


 その様子を――


 ルベッカは眼鏡の奥から、じっと観察していた。


「ネクロクレイマンの誕生に立ち会うのは初めてですが」


 静かな声。


「生まれたばかりだというのに、流暢に話し、行動もできるのですね」


 ティプスタンは鏡から目を離し、少し困ったように笑った。


「それが……変なんだ」


「変?」


「記憶が……ないんだよ」


 言葉を探しながら続ける。


「自分が何をしてきたのか、とか。どこで生まれたのか、とか……そういうのは全部、空っぽで」


 拳を軽く握る。


「でも、言葉は分かるし。物の名前も分かるし……どうすればいいかも、なんとなく分かる」


 少しだけ間を置いた。


「……自分の人生だけ、抜け落ちてるみたいなんだ」


 ルベッカはゆっくり頷いた。


「それは――アイデンティティ・ブランクですね」


「アイデンティティ……?」


「自己史欠損とも呼ばれます」


 ルベッカは眼鏡を軽く押し上げる。


「いわゆる逆行性健忘の一種です。過去の出来事――つまり“自分の人生の記憶”だけが欠落している状態」


 ティプスタンは静かに聞いている。


「しかし、言語能力や知識、常識といった“意味記憶”は保持されている」


 ルベッカは少しだけ言葉を選んだ。


「簡単に言えば――」


「“自分の物語だけを失った状態”です」


「…………」


 ティプスタンはもう一度、鏡を見る。


 名前はある。


 身体もある。


 考えることもできる。


 でも――


 その“続き”だけが、どこにもない。


 空っぽだった。


 そこでミミリルが言った。


「これからいっぱいワクワクする物語を作っていくんだゾ!」


 ニシシと笑う。


 ウサ耳がぴこぴこ揺れていた。


「……そっか」


 ティプスタンは小さく笑った。


「そうだよね」


 不安はある。


 けれど――


 なぜか、怖くはなかった。


 ミミリルは立ち上がり、くるりと回る。


「ウチはさっき二十歳だったんだゾ!」


「だった?」


 ティプスタンは目を瞬かせた。


 ミミリルの見た目は、どう見ても十歳前後だった。


 小柄ではあるが、完全な子供には見えない。


「スプリしたら半分くらい若返った!」


「若返った!?」


「スプリを使用すると、使用者は身体年齢が若返ります」


 ルベッカが補足する。


「スプリ元を“ルート”。分裂した側を“ブランチ”と呼びます。あなたはミミリルのブランチ個体ですね」


「ブランチ……」


「あなたの身体年齢としては……十四歳前後、といったところでしょうか」

 

 ルベッカは静かに頷いた。


「もっとも、ミミリルはドワーフ型ネクロクレイマンですから、身体変化が比較的小さいのですが」


「ドワーフ型は若返っても見た目あんま変わんないんだゾ!」


 ミミリルが胸を張る。


「服がちょっとブカブカになったくらい!」


「そ、そうなんだ……」

 

 ティプスタンは曖昧に頷いた。


 その時。


 夜風が吹き抜けた。


「うっ……寒っ」


 裸の肌へ冷気が刺さる。


 草の匂い。

 土の匂い。

 火の熱。


 全部が妙に鮮明だった。


 ルベッカが視線を向ける。


 焚き火の光が銀縁眼鏡へ映り込んだ。


「提案があります。ちょうど私達は近くのククルシアという街へ向かっています。そこで服を調達しましょう」


「冒険者登録もするんだゾ!」


「冒険者登録?」


「うん! 冒険者になって世界を冒険するんだゾ!」


 ミミリルの目がきらきら輝く。


「なんか……楽しそうだね」


 ミミリルは拳を突き上げた。


「ワクワクするゾ!」


 そのときだった。


 東の空が、ほんの少しだけ明るくなる。


 夜の色がゆっくりほどけ、地平線の向こうから淡い光がにじみ始めていた。


「……朝ですね」


 ルベッカが空を見上げる。


 やがて――


 山の向こうから太陽が顔を出した。


 金色の光が世界へ流れ込む。


 草原が輝く。


 遠くの森が朝霧の中から姿を現す。


 消えかけた焚き火の炭が、赤く瞬いた。


「…………」


 ティプスタンはただ立っていた。


 胸の奥が静かに揺れる。


 言葉は出ない。


 ただ、目の前の世界が光に満ちていくのを見ていた。


 そして――


 ティプスタンの視線が、遠くの空へ引き寄せられる。


 そこにあったのは。


 巨大な山。


 いや――山脈そのものだった。


 無数の峰が空へ突き刺さり、山々が腕のように大地へ広がっている。


 朝の大気の向こうで、その輪郭は蜃気楼のように揺らめいていた。


 中心には、ひときわ巨大な山。


 ティプスタンは息を呑む。


「……あれ」


 ようやく呟く。


「あれは?」


 ルベッカはわずかに目を細めた。


「あれは――星落ちの山」


「通称『グラン・エルヴス』です」


 ティプスタンはその名前を胸の中で繰り返す。


 グラン・エルヴス。


 ルベッカは静かに続けた。


「惑星エルヴス。この世界で最も大きな山です」


「エルヴス……」


「そして、あの山から五つの巨大山脈が大地へ伸びています」


 遠い地平を指差す。


「その姿から、“星腕山脈”と呼ばれています」


「ヒトデみたいなんだゾ!」


 ミミリルが元気よく言った。


 ティプスタンはぼんやりと山を見つめる。


 遠すぎて細部は見えない。


 太陽の光の中で揺らめいている。


 それでも確かに、そこにある。


 胸の奥が静かに満たされていく。


 理由は分からない。


 でも――


 なぜか、懐かしい気がした。


「……僕」


 無意識に、言葉が漏れる。


「ここを……知ってる……?」


 自分でも意味が分からなかった。


 見たことがあるはずがない。


 記憶なんて、どこにもないのに。


 なのに胸の奥が、微かに熱を帯びる。


 鼓動が一度だけ強く鳴った。


 そして――頭の奥で、何かが引っかかった。


『――ヴ……』


「……え?」


 声?


 違う。


 風の音だったのかもしれない。


 次の瞬間には、もう消えていた。


「どうかしましたか?」


 ルベッカの声で、ティプスタンは我に返る。


「……ううん。なんでもない」


 ぱちっ。


 焚き火の最後の炭が弾け、静かに火が消えた。


「行きましょう」


 ルベッカが言う。


 朝日が銀縁眼鏡のレンズを一瞬だけ光らせた。


 ミミリルが拳を上げた。


「出発だゾ!」


 ティプスタンはもう一度だけ、遠くの山を見た。


 星落ちの山――グラン・エルヴス。


 その名前を胸へ刻みながら。


 三人は、街へ向かって歩き出した。


 

☆2話に続く☆

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