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『影を纏う拳 ~氷の少女と辿る世界への道~』  作者: number four


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第1話 『桜舞う四月、影と氷の出逢い 』

四月。日本の学生にとって、この月は「期待」と「絶望」が交互に襲いかかるラッシュアワーのような時期だ。


……いや、正確に言えば、それは「期待」という名の集団幻想と、「絶望」という名の現実認識の周期的な交代劇だ。


校門へと続く坂道には、これでもかと言わんばかりに桜の花びらが舞っている。リア充どもはこの光景を見て「綺麗」だの「ロマンチック」だのと騒ぐのだろうが、俺に言わせれば、これは回避不能な連打コンビネーションだ。視界を遮り、鼻腔をくすぐり、春という名の浮ついた空気を強制的に吸い込ませようとする。


「……チッ、目に刺さる」


俺、黒河くろがわ 慎しんは、低い声で毒づいた。


身長175センチ。ボクシングで徹底的に研ぎ澄まされた肉体は、制服越しでもその「硬度」を主張している。鋭利な顎のライン、そして何より、周囲を威圧するこの三白眼。昨夜も深夜までジムでトレーニングをしていた。サンドバッグを叩く音だけが、俺の心を落ち着かせる。


人は俺を見て「怖い」と言う。だが、それは俺にとって都合がいい。最初から距離を置いてくれるなら、無駄な人間関係を構築する必要がない。効率的だ。


俺が歩くだけで、校門付近の喧騒が波が引くように静まり返る。一年生たちは俺を見て道を開ける。まるでモーゼの十戒だ。ただし、神の奇跡ではなく、俺の目つきの悪さが紅海を割っているだけだが。


「慎! おはよー! 相変わらず『全人類敵です』みたいな顔してんな!」


背後から強烈な衝撃。振り返らなくてもわかる。親友——いや、「親友」という概念を俺に押し付けてくる男、佐藤タケシだ。ラグビー部の主将で、とにかく声がデカい。体重は俺より20キロ重く、この朝の体当たりは既に日課と化している。


友情とは何か。それは互いの同意なく一方的に押し付けられる社会的契約なのではないか。俺はそんなものに署名した覚えはないのだが。


「タケシ、やめろ。脊髄が折れる」


「ははは! お前、12月22日の冬至生まれだからって、そんなに闇を背負わなくてもいいだろ? 今日から二年生だぜ! 新しいクラスメイトもいるし、もっと笑えよ!」


「笑う理由がない」


「お前なぁ……まあいいや。でも今年こそ彼女作れよ? その顔でその体なら、絶対モテるって」

モテる、か。実に安直な言葉だ。


モテる、か。実に安直な言葉だ。


恋愛市場において、外見は確かに重要なファクターだ。だが、それは必要条件であって十分条件ではない。俺のこの目つきと、人を寄せ付けないオーラは、恋愛における致命的なデバフ効果を持つ。まるでRPGの呪い装備だ。攻撃力は高いが、全てのステータスにマイナス補正がかかる。


俺はため息をついた。俺の中には、理不尽を許せない熱い衝動と、すべてを冷淡に切り捨てる理性が同居している。それは常に俺を孤独の淵へと追い込む。人との距離の取り方がわからない。いや、わかろうとしていないのかもしれない。


孤独は選択だ。俺はそう自分に言い聞かせてきた。だが、本当にそうなのだろうか。それとも、傷つくことを恐れて、最初から戦場に立つことを拒否しているだけなのか。


……くだらない。考えるだけ無駄だ。


2年B組。俺の席は窓際の一番後ろ。


これは偶然ではない。意図的に選んだ戦略的ポジションだ。影に潜むには絶好の場所。教師の視線から逃れ、クラスメイトとの不必要な接触を最小限に抑える。ラノベの主人公がよく座る「窓際最後列」は、実は社会的孤立を望む者にとって最適解なのだ。


教室に入った瞬間、俺の視線はある一点で釘付けになった。


……いや、「釘付けになった」という表現は正確ではない。正しくは「視界に入った異質な存在に、思わず視線が吸い寄せられた」だ。


そこには、一輪の「毒を秘めた百合」のような少女が座っていた。


星野ほしの 雪乃ゆきの。


完璧な黒髪ロング、凛とした立ち振る舞い。制服を着こなす姿は、まるでファッション誌から抜け出してきたようだ。だが、彼女がただの日本人ではないことは、その「瞳」が証明していた。


嵐の前の空を思わせる、深く、澄んだスチールグレーの瞳。


日本人の父と、ウクライナ人の母を持つ彼女は、陶器のように白い肌を持ち、クラスの誰よりも異質で、誰よりも美しかった。


美しさとは残酷だ。それは本人の努力とは無関係に、遺伝子という名のガチャによって決定される。そして、その美しさは周囲との間に見えない壁を作る。彼女の周りには誰も近づけない。いや、近づこうとしない。


美しすぎるものは、人を遠ざける。それは俺の「怖すぎる目つき」が人を遠ざけるのと同じ構造だ。ベクトルは違えど、結果は同じ——孤立。


俺の視線に気づいたのか、彼女はゆっくりと顔を上げた。その動きさえも優雅だ。まるで計算されたかのような、無駄のない所作。


「……黒河くん。その野性味溢れる視線を私に向けないでいただけるかしら。少し、空気が汚れる気がするわ」


声は鈴の音のように清涼だが、その内容は鋭利なナイフそのものだ。


ああ、なるほど。彼女は俺と同じタイプか。


美辞麗句で人を遠ざけるタイプ。言葉という武器で、自分の周りにバリアを張るタイプ。俺が物理的な威圧感で距離を作るなら、彼女は言葉の刃で距離を作る。手法は違えど、目的は同じだ。


「……自意識過剰だ、星野。俺はただ、外の桜が散るのを見ていただけだ」


嘘だ。


俺は確実に彼女を見ていた。だが、それを認めることは、俺が「興味を持った」という事実を認めることになる。そして、興味を持つことは、関わることへの第一歩だ。それは避けねばならない。


「そう。なら、あなたのその『影』も一緒に散らせばいいのに。見ていて不愉快だわ」


彼女はそう言い捨てると、机の上に置かれた一冊のノートに目を戻した。そこには日本語の文字に混じって、キリル文字が美しく並んでいる。まるで芸術作品のように丁寧な文字。


彼女の誕生日が1月13日、ウクライナの「マランカ(旧正月)」の日であることを、俺は後で知ることになる。だが、この時点では、俺はただ一つのことを理解していた。


——この女は、厄介だ。


「おいおい、お前もう喧嘩売られてるじゃん」

タケシが小声で言った。


「……気にしない」


だが、心の奥では、あの冷たい瞳に何かが引っかかっていた。


あの目は、俺が知っている。鏡の中で何度も見た目だ。孤独を選んだ者の目。いや、孤独を選ばざるを得なかった者の目。


「はい、注目! 新学期早々、あんたたちの死んだ魚のような目を見たくないわよ!」


教室のドアが勢いよく開き、一人の女性が飛び込んできた。


担任の田中ヴィクトリア先生。英語担当であり、彼女もまたウクライナの血を引く。金髪に青い目、そして誰よりも情熱的。この学校で最も自由奔放で、最も恐ろしい教育者だ。


教師という職業は、基本的に権力の非対称性の上に成り立っている。だが、ヴィクトリア先生はその権力を「教育」という大義名分のもとに、容赦なく振るう。ある意味、最も正直な教師だ。


「さあ、新しい一年の始まりよ! みんな、今年は去年より成長しなさい! 特に慎とタケシ、あんたたちは停学寸前だったこと忘れてないわよね?」


「「はい……」」


俺とタケシの声が重なる。


去年、校外で絡まれて喧嘩になったことがあった。正当防衛だったが、学校側は認めなかった。暴力は絶対悪——それが学校の論理だ。文脈を無視し、結果だけを見る。実に形式的で、実に日本的だ。


「慎! お前のその目はボクシングのリングに置いてこい! それと雪乃! あんたも氷のオーラで教室を冷蔵庫にするのはやめなさい!」


ヴィクトリア先生は教卓を叩き、ニヤリと笑った。その笑顔には明確な企みがある。教師の経験則が、何かを察知したのだろう。


「12月22日の闇の王子と、1月13日の雪の娘。あんたたち二人には、今年の清掃委員を任せるわ。放課後、体育館の倉庫を片付けなさい! 二人で協力してね♪」


「「……は?」」


俺と雪乃の声が再び重なった。


……最悪だ。


これは明らかに意図的なマッチングだ。教師という立場を利用した、強制的な人間関係の構築。ヴィクトリア先生は、俺たちが似ていることに気づいているのだろう。そして、「似た者同士なら、何か変化が起こるかもしれない」という、実に楽観的で、実に無責任な期待を抱いている。


「先生、それは……」


「文句は受け付けないわ。決定事項よ。さ、ホームルーム始めるわよ!」


俺は雪乃を見た。彼女も俺を見ていた。その目には明確な拒絶の意思が込められていた。


ああ、俺たちは確かに似ている。


人を遠ざけることに長けた、孤独のプロフェッショナル同士だ。


放課後。体育館の隅で、俺たちは黙々と作業をしていた。


沈黙。


それは、言葉を必要としない関係性の証明でもあるが、俺たちの場合は単に「話すことがない」だけだ。正確には「話したくない」のかもしれない。会話は人間関係の潤滑油だが、俺たちにはその潤滑油が必要ない。いや、必要としたくない。


重いマットを軽々と持ち上げる俺を、雪乃は冷ややかな目で見守っている。彼女は小さな箱を運んでいるが、その動きは機械的だ。まるでプログラムされたロボットのように、感情を排除した効率的な動き。


「意外ね。その乱暴な目つきの割に、仕事は丁寧なのね」


彼女が口を開いた。


これは皮肉か? それとも純粋な観察か? 彼女の言葉は常に多層的だ。表面的な意味と、その裏に隠された本音。まるで暗号のように。


「……無駄な動きが嫌いなだけだ。ボクシングと同じだ。効率的に動く」


俺は短く答えた。


これは真実だ。ボクシングは無駄を削ぎ落とすスポーツだ。余計なモーションは隙を生む。人生も同じだ。余計な人間関係は、心に隙を作る。


「ボクシング? あなたにとって、そんなに大切なものなの?」


彼女の声に、わずかな興味の色が混じった。


俺は手を止めて、窓の外に沈む夕日を見た。オレンジ色の光が体育館を染めている。まるで、この空間だけが世界から切り離されたかのような、奇妙な静寂。


「ああ。俺にとって、ジムは第二の家なんだ」


第二の家——いや、もしかしたら、第一の家よりも居心地がいい場所かもしれない。


「学校や家で抱えるクソみたいな理不尽も、あそこでサンドバッグを叩いている間だけは忘れられる。そこでは、強さだけが正義だ。言い訳も嘘も必要ない。ただ、拳を振るだけ」


俺は続けた。


「人間関係は複雑だ。言葉の裏を読み、空気を読み、相手の期待に応える。疲れる。だが、ボクシングは単純だ。強ければ勝つ。弱ければ負ける。それだけだ」


雪乃は少しだけ、そのスチールグレーの瞳を揺らした。初めて見せる、人間らしい表情。計算されたバリアに、小さなヒビが入った瞬間。


「……第二の家、ね」


彼女は小さく呟いた。


「私には、そんな場所はないわ。日本にいても、母の故郷を思っても、常に私は『半分』でしかない。どちらにも完全には属せない。永遠の異邦人よ」


その声には、わずかな寂しさが滲んでいた。


ああ、やはり俺たちは似ている。


俺は「孤独を選んだ」と自分に言い聞かせてきた。だが、彼女は違う。彼女は「孤独を選ばざるを得なかった」のだ。アイデンティティの分裂。どちらにも完全には属せないという、存在論的な孤独。


俺の孤独は自己選択の結果だが、彼女の孤独は存在そのものに刻まれている。


どちらが辛いのか。俺には分からない。


「なら、俺のジムに来てみるか?」


俺は言った。


なぜそんなことを言ったのか、俺自身にも分からない。だが、言葉は既に口から出ていた。


「お前のその氷みたいな性格も、三ラウンドも動けば溶けるだろ」


「……ふん。冗談にもなっていないわ」


雪乃はそっぽを向いた。


だが、その耳の先がわずかに赤くなっているのを、俺は見逃さなかった。


「でも……」


「でも?」


「少しだけ、興味はあるわ。あなたの"第二の家"がどんな場所なのか」


その言葉に、俺の心臓が一度、強く跳ねた。

……まずい。


……まずい。


これは、関わりの始まりだ。俺が避けてきた、人間関係という名の泥沼への第一歩だ。

だが、不思議と、嫌な気分ではなかった。


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