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第36話 王宮から脱出できるのは、五人だけ

 ――瞼が、開いた。

 ほんのわずかだった。

 けれど、その変化を、リアンは見逃さなかった。

 息を吸う音が、耳に届く。


「……っ」


 喉の奥が、熱を帯びた。


「よかった」


 声に出たのは、それだけだった。

 抑えたつもりの言葉の裏で、胸の奥から熱いものがせり上がる。


(……間に合った)


 そう思った瞬間、視界が滲みそうになって、リアンは小さく息を整えた。

 紫の瞳が、ゆっくりと焦点を結ぶ。

 最初に映ったのは、すぐ傍にある顔だった。


「……リアン……?」


 かすれた声。

 確かめるように名を呼ばれて、リアンは、はっきりと頷いた。


「ああ」


 それだけで、よかった。

 ティアラは、まだ状況を掴めていない様子で、視線を動かす。

 天蓋。

 白い壁。

 そして、周囲に集まっている顔。

 クラウス。

 少し後ろに控えるユラ。

 目を潤ませたままのリリス。

 窓際に立つレイヴン。

 皆の存在を、ひとりずつ確かめるように見渡してから、ティアラは小さく息を吐いた。


「……私……」


 言葉を探すように、唇が動く。

 少しの沈黙のあと、ティアラは申し訳なさそうに眉を下げた。


「皆に、迷惑かけちゃったみたいだね。ごめんなさい」


 その言葉に、真っ先に反応したのはリリスだった。


「迷惑なんかじゃないよ」


 声が、わずかに震えている。


「目、覚めて……ほんとに、よかった……」


 堪えていたものが、瞳の縁に滲む。

 リリスは慌てて瞬きをして、袖で目元を隠した。

 ユラも、深く息をついてから頷く。


「本当によかったです。意識が戻られて……」


 静かだが、心からの安堵が滲む声音だった。

 リアンは、ティアラへ視線を落とし、短く答えた。


「ああ」


 それ以上の言葉は、いらなかった。

 その空気を、切り替えたのはクラウスだった。


「さて」


 軽く肩をすくめるが、声音は冗談めいていない。


「感傷に浸っていたいところだが、そうもいかないな」


 クラウスの視線が、室内を一巡する。


「ティアラが目覚めた今、ここに留まるのは危険だ。

 一刻も早く、王宮を出る必要がある」


 リリスが、不安そうにティアラを見る。

 ユラも、状況を察したように表情を引き締めた。

 窓際のレイヴンが、静かに口を開く。


「父上は……おそらく、もう気づいている」


 その言葉を裏づけるように、リアンは息を吸い直した。


 窓は閉じられていない。

 だが、外の気配が、どこからも届いてこない。

 夜の冷気も、城下の風の流れも、

 すべてが、分厚い光の向こうに隔てられている。


(……城全体が、光の膜に包まれている)


 王宮そのものが、巨大な結界の内側にある。

 王の光魔法が、城を丸ごと覆い、内と外を、完全に切り離していた。


 その事実を、改めて突きつけられる。

 だからこそ――

 断定ではない。だが、レイヴンの声には、迷いがなかった。


 リアンは、何も言わずに頷いた。


(……時間は、もう残されていない)


 ティアラは、リアンに支えられたまま、皆のやり取りを見ている。

 その瞳に、不安が浮かぶのを、リアンは見逃さなかった。

 だからこそ、決める必要があった。

 どうやって。

 どこから。

 その時。


「……なら」


 穏やかな声が、静養室に落ちる。

 レイヴンではない。

 クラウスでもない。

 全員の視線が、同時に向いた。


「僕に、考えがある」


 そう言ったのは、ルカだった。

 その一言で、室内の空気が引き締まった。

 クラウスが、ルカへ視線を向ける。


「聞かせてくれ」


 促しは短い。

 だが、冗談めいた軽さはなかった。

 ルカは一度、ティアラの様子を確かめるように見てから、静かに口を開いた。


「父上の結界は、城の外への直接的な移動を強く遮断している。転移も、強行突破も、たぶんすぐ感知される」


 レイヴンが、わずかに顎を引いた。


「……その通りだ」


 否定はない。

 むしろ、続きを促すような沈黙だった。

 ルカは続ける。


「でも、城そのものの構造まで、完全に封じているわけじゃない。特に、空気の流れに関わる部分は」


 リリスが、小さく首を傾げる。


「空気……?」


「換気塔だよ」


 ルカは、指先で上を示す。


「王宮の上層部にある、古い換気経路。今はほとんど使われていないけど、完全には塞がれていない」


 クラウスが、低く息を吐いた。


「なるほどな……」


 理屈としては理解できる。

 だが、それが実行可能かどうかは別だ。

 レイヴンが、慎重に言葉を選ぶ。


「風に乗って、結界を抜ける……ということか」


「正確には」


 ルカは、首を横に振った。


「結界を抜けるんじゃない。結界の“流れ”に、紛れ込む」


 一瞬、誰も言葉を発しなかった。

 理解が、遅れているわけではない。

 その発想の方向性に、意表を突かれていた。

 レイヴンが、ほんのわずかに目を見開く。


「……結界を壊さない、という選択か」


「うん」


 ルカは頷く。


「反発も、歪みも起こさない。ただ、気づかれにくい場所を通るだけ」


 リアンは、無意識のうちに息を詰めていた。


(……王の光に、逆らわない。いい考えだ)


 それは、力ではなく、感覚の勝負。

 風属性の王子らしいやり方だった。

 クラウスが、短く笑う。


「悪くない。いや……かなりいい」


 その視線が、ティアラへ向かう。


「問題は、彼女をどう運ぶかだな」


 リリスが、思わず一歩前に出る。


「私が、支えます……!」


 必死さを滲ませた声だった。


 ティアラは、申し訳なさそうに視線を伏せかけた。

 リアンは、そのまま静かに言った。


「俺がティアラを抱いていく」


 その言葉に、ティアラは小さく頷いた。

 レイヴンが、室内を見渡す。


「城内移動なら問題ない。換気塔までなら、俺も転移魔法を使える」


 クラウスが確認する。


「そこから先は?」


「ルカの風に乗る」


 ルカが、深く息を吸う。


「成功するかどうかは……正直、確実とは言えない」


 それでも、視線は揺れなかった。


「でも、今ここに留まるよりは、ずっといい」


 静養室に、短い沈黙が落ちる。

 リアンは、その沈黙の中で、ひとつだけはっきりと理解していた。


(……選択肢は、もう一つしかない。)


 彼は、顔を上げる。


「行こう」


 そのとき、窓際にいたレイヴンが、一歩だけ前に出た。

 言葉はない。

 ただ、ティアラへ向けて、静かに手を伸ばす。

 淡い光が、指先に宿った。

 それは王の光とは違う、澄んだ、温度を持たない輝きだった。

 空気が、わずかに震える。

 ティアラの身体を中心に、薄い膜のようなものが広がっていった。

 光は、外へ滲まない。

 呼吸の気配も、魔力の揺らぎも、すべて内側へと閉じ込められる。


 リアンは、思わず視線を落とす。


 ――感じない。


 すぐ傍にいるはずなのに、精霊特有の反応が、完全に消えていた。


「……遮断か」


 クラウスが、低く呟く。

 レイヴンは、短く頷いた。


「移動中に、感知されると厄介だ」


 それだけだった。

 だが、その一言で十分だった。

 ティアラは、不安そうに瞬きをする。

 レイヴンは、視線を逸らしたまま、淡々と告げた。


「苦しくはならない。必要な分だけ、閉じている」


 リアンは、その光の層越しに、ティアラの手を強く握った。

 守られている。

 それは、今この瞬間だけではない。

 この先の選択まで含めて――そう思えた。


 ここまでは、全員が同じ方向を向いていた。


 だが――


「待って」


 空気を切ったのは、ユラの声だった。

 静養室に集まる視線を受け止めたまま、ユラは一歩、前に出る。


「……私は残ります」


 迷いはなかった。

 静養室に集まる視線を受け止め、ユラは静かに続ける。


「私は、王の命により、ティアラ様を回復させる役目を任されています。この部屋の判断は、私に委ねられているはずです」


 淡々とした口調。

 だが、それは事実だった。


「誰かが様子を見に来ても、すぐには通しません。容体の確認が必要だと言って、話を引き延ばすこともできます」


 時間を稼ぐ。

 それが、何のためか――誰もが理解した。


「私がここにいれば、ティアラ様は、まだこの部屋にいると……そう思わせられるはずです」


 ティアラが、言葉を失う。

 続いて、窓際に立っていたレイヴンが前へ出た。


「俺も残る」


 短く、切り捨てるような言葉だった。


「父上の結界は、城全体を覆っている。だが、光の反応は均一じゃない」


 レイヴンの指先に、淡い光が宿る。


「俺の光で、この静養室を包む。ティアラの反応が、まだここにあるように見せかける」


 クラウスが、低く息を吐く。


「時間稼ぎ、か」


「ああ」


 レイヴンの声は、揺れなかった。


 リアンは、唇を噛みしめた。


(……残る、という選択)


 逃げること以上の重さを持つと、分かっている。


「……すまない」


 それでも、口をついて出た。

 レイヴンは、ほんの一瞬だけ視線を向ける。


「謝るな。俺が選んだ道だ」


 ユラも、静かに頷いた。


「ここは任せて、行ってください」


 それは命令ではなく、願いだった。


 ルカが、低く告げる。


「……時間がない」


 もう、迷う余地はない。

 残る者と、行く者。

 道は、ここで分かれた。


 レイヴンの光が広がる。

 静養室の輪郭が、王の結界と同質の光に溶け込んでいく。


 外から見れば。

 ここにはまだ、精霊が眠っている。

 そう、誤解させるために。


 リアンは、振り返らなかった。


(……背負わせてしまった)


 その重さを、忘れないために。

 彼は、前を向いた。


 脱出するのは、五人だけだ。

 それぞれの選択を抱えたまま。



 アストレアの間は、静まり返っていた。

 白と金で統一された広間に、風はない。

 だが、光だけは絶えず満ちている。

 天井から床へ、柱から玉座へ――

 王の魔力そのものが、城と同調するように巡っていた。

 玉座に座す王は、微動だにしない。

 その姿は、像のように静かだ。

 だが。

 王の指先が、わずかに動いた。

 光の流れが、ほんの僅かに揺れる。

 城全体を覆う結界の中で、ひとつの反応が変化した。

 静養室。

 精霊が眠るはずの場所から、光の反応が増している。

 強く主張するものではない。

 だが、確かに――存在を示す変化だった。

 王は、ゆっくりと瞼を開く。

 黄金の瞳が、虚空きょくうを捉える。

 その視線が向く先に、特定の人物はいない。

 光そのものを見据えているかのようだった。


「マティアス」


 低く、感情を削いだ声が広間に落ちる。

 柱の影から、側近が一歩進み出た。


「は」


 王は、静養室の名を告げない。

 必要がないからだ。


「精霊の様子を見てこい」


 それだけだった。

 命令は短く、余分な言葉は一切ない。

 マティアスは、即座に膝を折る。


「畏まりました」


 一礼し、広間を辞していく。

 その足音が消えても、王は動かない。

 再び、光が均一に流れ始める。

 城は、まだ覆われている。

 精霊の反応も――

 今のところは、そこにあるように見えていた。


 それが、どこまで“正しい認識”なのかを――

 王自身が、確かめる必要はないと判断するまでは。



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