7 バレた?
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院長の嘘か本当か分からない話でしんみりしてしまい、アリアの話までは聞けなかった。
「シンクレア。様子を見に来るノアと仲が良さそうだけど、あーいう男はやめといた方がいいよ。ミステリアスな男は妻帯者か浮気者って決まってんだ。でも、ミステリアスな女はイイ女だよ」
雨が降りそうな雲の下、手を振って帰るノアを見送って修道院の中に戻ると院長にそう言われてしまった。
院長の意見では、ミステリアスな女性は良くて男性はダメらしい。
ノアは初対面の時からチャラチャラしていたが、どうにもそれは演技のような気も最近はしている。ここに来るまでの二日間、馬車で一緒だった時、眠ってしまってふと目を覚ますと彼は鋭い目で馬車の外を警戒していた。
その横顔はチャラチャラしている時よりも数段カッコよかった。
ノアのことも怪しいと思って最初こそ緊張したが、ちゃんとこの人は守ってくれているんだなと安心したのだ。
今回会いに来てくれたのも嬉しかった。事前に話は聞いていなかったので驚いたが、それよりも嬉しいという感情が大きい。ロランと会えた時よりも心は弾んでしまっている。
匿われている状況だというのにそんな浮ついた気持ちを見抜かれたような気がして、少し慌てる。
「そ、そんなんじゃないですよ。ただ、ブラックウルフズの捜査状況が気になるだけで。私は巻き込まれただけですし……」
「ならいいけどね。シンクレアの料理はノアには渡さないよ」
「あ、もしやノアさんがご飯食べて帰るのが嫌ですか? 院長の分は一杯作りますから安心してください」
母と姉に囲まれているとこんな感じなのだろうか。
ロランと付き合っている時の「早く結婚しなくちゃ」という変な焦りはもうない。なぜロランのことが好きだったのかも思い出せないくらいだ。
どうして私は彼にあれほど甲斐甲斐しく尽くしていたのだろう。何も返ってこないのに。
でも、ここではやったらやった分だけ返ってくる。
院長が神を信じないと叫んでいても、思いやりと愛情が確かにここにはあった。
***
「内通者が分からないまま裁判に進むわけにはいかないから、あぶり出しを行う」
クレアの様子を見て帰って来てから上司に呼び出されたノアは、視線を一瞬床に落とした。できれば目撃者であるクレアを危険に晒す真似は避けたかった。
「シスター・ローラに囮作戦を開始すると伝えろ。そして、シスター・アリアの腕輪の制御を特別に三十パーセント解除する。ノア、今度お前はわざと尾行に気づかない振りをしろ」
「対象を危険に晒しませんか?」
「今回で一網打尽にすればブラックウルフズは終わりだ。これ以上の被害を防ぐために危険に晒すことはやむを得ない。しかし、彼女は大切な証人だ。絶対に殺させるな」
ノアは「はい」と承諾しながらも、体の横で拳を握りしめた。
一件目の目撃者は、人身売買らしき現場を目撃していたが殺された。目撃内容もあいまいだったが、騎士団の判断も甘かった。二件目の目撃者は、匿うかどうか上が判断しかねているうちに殺された。
この二件目で騎士団の内通者の存在が浮き彫りになったのだ。
次にクレアの様子を見に行くのは、一週間後に設定された。
囮作戦を行うとはいえ、あまり騎士団の仕事を欠勤するとノアが怪しまれる。
麓の村には協力者もおり、修道院にはあの二人もいるから大丈夫だろう。
ノアは、街の見回り担当の平騎士だと思われていなければいけない。
ブラックウルフズと宗教組織だけならこれほど手こずらなかったが、騎士団の中に内通者がいるのは厄介だ。しかし、クレアの件で内通者らしき騎士もかなり絞り込めた。
宗教組織は共同生活をしていて、怪し気な壺を売ったり、お札を売ったりするくらいだった。しかし、女性信者とトップがトラブルになって、新聞社にたれ込まれる前に頼まれて女性信者を始末したのがブラックウルフズだ。そこからこの二つの関係ができたのだ。
宗教組織のトップは女癖が悪く、女性信者とトラブルになるとブラックウルフズが始末したり、売ったり、薬漬けにしているという話だ。
これに関しては噂のみで確たる証拠がない。
だが、ブラックウルフズは元チンピラ集団で脇が甘いので、クレアの証言で有罪にできれば余罪はいくらでも問える。
その日の仕事を終えて、クレアが住んでいたのよりも広い集合住宅に帰り、ベッドに入る直前のことだった。
扉が何度かノックされる。
こんな時間に一体何事だと一抹の不安を覚えて、慌てて扉を開けた。
薄暗い廊下には、家主の老婆が立っていた。
「あんたの部屋から水漏れしてないかい?」
「していないはずですが……念のため一緒に確認してもらえますか?」
緊急事態の合言葉だ。老婆を部屋の中に招き入れて扉を閉める。
「伝言だよ。すぐに『あの場所』に向かいな」
「分かりました」
短い言葉を理解し、すぐに着替えると「修理を頼んできます」と聞こえよがしに言ってから走る。
あぶり出しの前に情報が漏れたのだろうか。
まさか、これも罠だろうか。騎士団に内通者が二人以上いるのかもしれない。ついでに言えば、ノアの行動も監視されていて疑われているのかも。
周囲を警戒しながら、馬をつないでいる場所まで行って飛び乗った。
***
「なんだか、一雨きそうだねぇ」
「え? よく晴れていますよ?」
よく晴れた空を見上げながら、狩りから戻って来て葉巻を手に休憩していたローラ院長が呟く。
「アタシの勘はよく当たるんだよ」
院長の鼻と口から吐き出された煙が部屋を漂った。
以前勤めていた食堂にも喫煙者はいたので、煙には慣れている。
私は雲の限りなく少ない空を見ながら、鍋をかき混ぜていた。
この前シチューを作って好評だったので、今回はさっぱり系の鍋にして野菜をたっぷり入れ、鍋料理を食べ終わったらシチューにまた戻ろうと思っているのだ。
あまりシチューが続くのも飽きるから、その次は手間はかかるが揚げ物だ。皆でホーンラビットの焼肉パーティーもいいかもしれない。
「では、洗濯物を取り込まないといけないでしょうか……あ、あれは……?」
麓の村のあたりで、ピンク色の煙が立ち上り始めた。
今日はお祭りでもあっただろうか、聞いていない。白い煙ではないけど、まさか火事?
「火事でしょうか? それにしては煙の色がおかしいですけど……」
「火事じゃないねぇ。ふぅ、一服はここまでか。アリア、ちょいとシンクレアを頼んだよ」
「え?」
「院長。合図が」
ちょうど、アリアが土を払って手袋を外しながらダイニングに入って来たところだった。
困惑する私をよそにアリアは院長とアイコンタクトで意思疎通をすると、厨房にいる私の手を引いて裏口へ行こうとする。
「ローラ院長? 一体何が? それに鍋が……」
「予想よりも早く居場所がバレちまったみたいだね。麓の村の人間がそう知らせてきてる。そうさね、山小屋に隠れな。火は止めといた方がいい」
院長の表情は変わらないのに、雰囲気が鋭くなったのを感じて私は慌てて言われた通りに火を止める。
バレた? なんで分かるの? 他の緊急事態かもしれないのに?
山小屋とは、森の近くにある小屋のことだ。ピクニックと称してそこまで行って皆でランチを食べることもあった。バーベキューもしようとしたが、ホーンラビットや獣が匂いに釣られてやってきて食事の邪魔なので残念ながらできていない。
「い、院長も一緒に行きましょう! もし本当に彼らが来るなら危ないです!」
この修道院へのルートは、麓の村を通るかホーンラビットたちのいる森を抜けるしかない。森を抜けるのはそれだけで危険なので、村を通る一択なのだ。
院長の言うことが本当なら、あのガラの悪い連中が目撃者の私を狙ってここまで来たのだ。
院長は立ち上がると、壁に立てかけていた猟銃を肩に担ぐ。
「大丈夫さ、神様が後ろについてんのに修道院でシスターに乱暴するバカはいないよ」
「神様はいないって、院長は散々言ってるのに……」
「ま、終わったらシンクレアのうまい鍋を食べるとするかね。まずは、狩りの時間だよ」
無言のアリアにぐいっと手を引かれる。農作業で鍛えている彼女の力は意外にも強かったが、わずかに震えていた。
いつも冷静に見えるアリアもこの状況が怖いのか。
彼女に手を引かれて山小屋に向かおうとして、足が動かなかった。
スカートの中で自分の足が小刻みに震えている。その振動がアリアとつないだ手にまで波及していた。
「あ……」
急に思い出してしまった。私に助けを求めて縋って来た老人。
修道院生活が思ったよりも快適ですっかり忘れていた。
ノアが言ってた。目撃者は裁判で証言されないように今のところ全員殺されてるって。
「大丈夫」
見上げると、アリアがベールをぐいっと顎下まで外していた。
「私についてきて」
この時、アリアの素顔を私は初めて見た。目元だけ見えていた時でも綺麗だったが、ベールを外しても彼女は綺麗だった。
ローラ院長は派手で華やかな容姿だが、アリアは儚げな美しさだ。
それにしても、先ほどからアリアの声が幾重にも重なって聞こえる。心地いいその声はくわんくわんと耳から頭にまで到達してじんわりと痺れまで感じる。
不思議と震えが収まって、足を踏み出せた。
アリアはそんな私に笑いかけ、ベールを元通りにして裏口から出て山小屋に早足で向かう。




