10 その顔は反則でしょ
いつもお読みいただきありがとうございます!
これで本編は完結です。
修道院が襲撃されてから一カ月半後。
とうとう王都で裁判が始まった。
とはいっても、会計係の子供を誘拐したのと修道院に襲撃をしたのとで、十分ブラックウルフズを罪に問えるため私の証言の必要はなくなってしまった。
騎士団の内通者はメガネの先輩ではなかった。彼は単に私を追いかけて殺そうとした男を取り逃がしてしまっただけだった。気に病んで走り込みを毎朝やっているらしい。なんと真面目な人だろうか。
内通者は、ノアがある時から怪しいと思っていた同僚だったようだ。ノアたちが食堂に入った時にコソコソついてきて、気を抜いて何か話さないかと会話を盗み聞きしていたんだとか。
ノアはチャラチャラしているように見えて尾行を撒くのも変装もうまく、内通者はなかなか私の居場所の手がかりが掴めなかったようだ。しかも、ノアはわざと遠回りして帰って私を匿っている場所の攪乱までしていた。
内通者は、金蔓の宗教組織がブラックウルフズのやり方に呆れて手を引きそうだったので焦り、手荒な真似に出たというわけだ。
「いやぁ、今日は誰も猟銃で殴らなかったね。ブラックウルフズのメンバー、頭の悪い言い訳してたけどさ」
裁判を傍聴した帰り、騎士服姿のノアと並んでベンチで買ったサンドイッチを食べる。
これを食べたら、勤めていた食堂に私の事情をやっと説明しに行くのだ。裁判とこのために私は王都に再びやって来た。
「院長にも散々からかわれるんですよ、それ」
ロランを猟銃でバカスカ殴ったことは、日数が経った今でも院長にからかわれている。
「いやぁ、だって大事なところ殴って終わりかと思ったら……猟銃が曲がるんじゃないかっていうほど頭や背中まで殴るからさ。後輩騎士が引いてた」
ノアは面白がりながらも、私からちょっと距離を取って足を閉じる。
「仕方ないじゃないですか。ロランが変なこと言うから」
「でもさ、あんな怖いことがあった後でプロポーズされたら、ちょっとはときめくんじゃない?」
「お金目当てですよ。私が結構貯金してたのロランは知ってたはずなので」
思い出すと苛々してきて、サンドイッチを勢いよく頬張る。
家族を失った私は、給料や残った遺産を堅実に貯めていたのだ。
「クレアちゃんは偉いねぇ」
「お金目当ての浮気した人になんか、もうときめきませんよ」
「それはそうだね。でも、良かったの? これから勤め先だった食堂に行くけどさ、その後は修道院に戻るのでいいんだ?」
「はい、あそこでの生活が楽しいので。ただ、お金も貯めたいから仕事は欲しい……麓の村で仕事しようかな」
「あの猟銃さばきならさ、第二の院長みたいになって魔物の素材売りに下りたら? ホーンラビットは数多いでしょ」
「うーん、それも一つの手ですね」
「院長、結構荒稼ぎしてた時期あったよ。ホーンラビットを駆逐しかけてやめてた」
「うわぁ、想像できます」
エセシスターであるし、食べるものと寝る所には困らないがお金は貯めておきたい。
そんな会話をしながらサンドイッチを食べているノアを見上げる。
「ん? どしたの? 気が変わったなら、食堂でもう一回雇ってくれって頼んでみる? あそこがダメでもいくつか紹介できるよ。やっぱり賑やかな王都に住みたいってなったらね」
「王都には就職で出てきただけなので、そんなに思い入れがないんです」
「そっかぁ、あ、クレアちゃん。ソースがついてるよ」
そんな言葉とともに、ノアの指が唇の端に触れる。
え? と思う間もなく、唇の端のソースが拭われた。
うわぁ、なにこれ、手慣れている。指で直接触られたのに嫌じゃない私も大概だけど。
「うーん。このサンドイッチ、ずっと美味しいと思ってたんだけど、クレアちゃんの料理食べた後じゃああんまり美味しくないかも」
指で触った後のさらなる攻撃がそれか……。
ノアには二度、料理を出した。
一カ月経った様子見の時と、襲撃があった後で院長が「動いたら腹が減ったねぇ」と言い出した時だ。
あぁ、でもノアとはもう会うこともなくなるのか。
修道院にいればもしかしたら少しは会えるかもしれない。いや、王都にいた方がいいのかもしれないが、何となく今日の裁判傍聴での言動でこの人は単なる街の見回り担当の騎士ではないのだろうと勘づいた。何人もの騎士がノアに挨拶して敬意を払っていたし、ノアの上司らしき人の胸の勲章の数がすごかった。
「修道院に来れば、いつでも食べられますよ」
「クレアちゃんは院長たちと家族になりたいの?」
こんなことを聞いてくるのは、ロランとの会話を聞いていたからだろう。
「私、ずっと一人って嫌だったんです。疲れて暗くて寒い部屋に帰るのも、虫が出て一人で淡々と退治するのも、悩んだ時も嬉しい時も誰にも話を聞いてもらえないのも」
焦ってロランと家族になろうとしたこともあったけれど、私はあの修道院で温かさを知ってしまった。
第二王子をたぶらかして婚約解消させた毒婦ローラだろうと、王子に対して魅了の力を暴走させた魅了のアリアがいようと関係ないのだ。
追加で聞いた話では、通常王族や高位貴族は魅了耐性をあの内通者のように当たり前に持っている様だ。内通者は高位貴族でも王族でもないので例外である。
しかし、アリアと学園で一緒だった第一王子には珍しいことに魅了耐性がなかった。王子がアリアに近づいて接触してそれが発覚したのだ。
男爵令嬢でしかなかったアリアは第一王子からなるべく逃げようとしたが、執着されて恐怖で魅了の力を暴走させたのだという。
アリアは厳しく処罰されそうなものだが、実は第一王子の父が国王ではなく別人だったことがこれまた判明した。魅了耐性を持っていないのを訝しんだ者たちによって王妃の不貞が暴かれたため、アリアの処罰は修道院行きで済んだのだそうだ。
あの二人には壮絶なドラマがありすぎる。私の猟銃振り回しなんて可愛いものだ。
でもあの二人といたら、私は思いやりと愛情を感じたのだ。
「疲れて帰って部屋に一人で真っ暗って嫌だよね~」
「ノアさんはこれからどうするんですか」
「んー、もう一件お仕事を片付けないといけないんだよね。ほら、猟銃でボコボコにされた元恋人くんが女の子に騙されてたじゃん? あれ、宗教組織から逃げ出した女の子なんだよね。騎士団が追ってる詐欺の常習犯。あの女の子を捕まえたら、宗教組織の内情も分かってあっちも潰せそう」
「え……ロランがそんな人に引っかかってたなんて……しかも宗教組織も結構マズイことやってますね……」
「ブラックウルフズとくっつくくらいだからね。普通ではないよ。子供生まれたら強制的にその子供も入らされるし」
「修道院の方がいいです」
「それは言えてる」
今回の裁判はブラックウルフズと騎士団の内通者に関してのみで、宗教組織は関係ない。
「それが片付いたら、また修道院でクレアちゃんのご飯を食べさせてもらおっかな」
あぁ、やっぱり、この人は単なる見回りの騎士ではないのだ。急にそう突きつけられた気がした。
同じベンチに座っているのに遠く感じて、思わず唇を噛む。私の表情変化はすぐにバレた。
「え、そんなに嫌? なんか、ごめん」
「あ、いえ……ノアさん、騎士団の上の方の人みたいだし、もしかしてお貴族様かなって」
「いやいや~、ド平民だよ。父は俺が三歳の時に蒸発、母に育てられて早く恩返ししたかったのに、騎士団でやっと給料出たら母は病気で死んじゃうし。だから家族欲しいってよく分かる」
サンドイッチを私より先に食べ終わったノアは、悪戯っぽく笑いながら私を眺める。
「次の仕事が片付いたら、もう潜入紛いの仕事はしなくていいんだ。今回かなり大立ち回りして目立っちゃったし。だからさ、終わったら修道院のクレアちゃんに会いに行ってもいい?」
これはどういう意味なんだろう。
修道院に訪ねてくるのに許可なんていらないのに。
「それはいいに決まってますけど……お疲れ様会をするってことですか? 彼女さんがいい顔しないでしょう」
「あ、そうやって探っちゃうんだ? ちょっと嬉しいかも」
サンドイッチで両手が塞がっているところに、ノアが顔を近づけてくる。
「何も探ってません」
「今の文脈で彼女って関係なくない?」
「潜入紛いのことをやってたなら忙しいでしょうし、終わったなら彼女さんとゆっくり過ごしたらいいじゃないですか」
「こんな仕事してたら彼女いないし。俺としては料理の上手な彼女が欲しいんだけどな」
距離を詰められたので、ノアの顔とは違う方向に体ごと向きを変える。
ロランの時の様にはいかない。
なにせ、私はシスター・シンクレアなのだ。新しいクレアなのだ。チョロくない、チョロくない。
この鼓動の早さは……気のせいよ、気のせい。なんだか暑くなってきた。サンドイッチに辛い物でも入っていただろうか。
「料理が上手な人は星の数ほどいますよ」
「星の数ほどはいないよ。あと、元恋人には平気で猟銃振り回す度胸のあるエセシスターの子とかいいよね」
「該当する女性は半分くらいに減りましたね」
「半分ってすごく多くない? エセシスターってそんなにいる? じゃあ……俺に彼女がいるかをサンドイッチをちびちび食べながら探ってくれる子もいいよね」
ちびちびと言われたので、大きな口で頬張ると笑われた。
「さらに半分になりましたね。ノアさんは綺麗な顔をしてますから、何人も彼女がいると大抵の人が思いますよ」
「何人もって失礼だなぁ。結構俺は一途よ? ピンクブロンドで、あのアクの強い院長とアリアちゃんと仲良くできる子がいいよね。退屈しなさそう」
飲み込んで、サンドイッチをやっと食べ終わる。咀嚼しながらちらとノアを見ると、相変わらず笑いながら私を眺めている。
この笑顔を見ていると、父親が蒸発して母親が病気で亡くなった人だなんて思えない。いろいろ隠してきたんだろう。
基本はヘラヘラと笑っているけれど、花屋の従業員の格好をして連れ出してくれたし、修道院までの道中も、襲撃の日もちゃんと守ってくれたのだ。この人がいなかったら、私は訳も分からず川に浮いていたかもしれない。
「それって、私のことですか?」
「うん。ダメ?」
ここで上目遣いになって「ダメ?」って聞いてくるのは反則ではないだろうか。長い金髪が無駄に映えるのも反則だ。思わず俯いた。
私はシスター・シンクレアだ。断じてチョロい女ではない。
王都に出てくる前、院長とアリアにかけられた言葉を思い出す。
「まぁ、ノアのことが気になるって言うなら止めはしないけどね」
「そんなんじゃないです」
「そぉかい? なんか、ノアを見る目つきがこう……色っぽい気がするんだけどねぇ」
「ち、違います! 長い金髪が羨ましいだけです」
「ノア、隠し事多そうだからおすすめしない。いつもヘラヘラしてる男は単純バカか、複雑で闇が深いかのどっちか」
「アリアさんまで!」
「まぁまぁいいんだよ、恋っていうのは止められないのさ。ここぞという時は駆け落ちでも押し倒すのでも何でもしちまいな」
「院長、さっきと言ってることが全然違う」
「ま、よく考えたらシンクレアはうちの料理人だから駆け落ちはダメだねぇ。押し倒してもここに住むんだよ」
おかしなやり取りまで思い出して、俯いた状態で顔に熱が集まり始める。
「……春までなら待ってます」
「区切るね」
「散々待たされて振られるのは、もう嫌なので」
「まぁ、うん。あはは。でも、良かった」
ノアにしては歯切れが悪い。
ゆっくり顔と視線を上げると、なんとノアは口に手を当てて顔を赤くしていた。
さっきまでヘラヘラ余裕そうに笑っていたのに。そんな、ダメじゃないって言われて嬉しいという表情をするのはさらなる反則だ。
ヘラヘラしているのは感情や任務を覆い隠すためで、この表情がノアの本当の心の内なのだろう。
ズルい。
そんな嬉しそうな顔を最後の最後に見せるなんて。
日が陰って冷たい風が私たちの間を抜けていく。
ロランに振られた時は寒くなかったが、季節が進んでだんだん寒くなっているはずだ。
それでも、私の体はちっとも寒くなかった。
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