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苦手な方はご注意ください。

贄なる娘は女神となりて

作者: 星河雷雨



 その(いただき)に、女神が降り立つとされる、山の中腹。

 

 濃い霧に隠されるようにして、私の暮らす村はあります。


 冬には雪に閉ざされるその村では、人々は少数の驢馬(ろば)山羊(やぎ)、そして野鶏(やけい)を飼い、高所に適した野菜や穀物を育て、生活をしています。驢馬は荷物の運搬に、山羊はその乳を搾り、野鶏は肉と卵を取るために。


 乳と卵は、私たちが山の麓にある町で買い物をする際の、お金の代わりにもなります。年老いた野鶏と山羊は肉となり、人々の食卓を豊かにしました。


 時には、若い山羊を潰すこともありましたが、その肉が、普段の私たちの食卓には上ることはありません。若い山羊を潰すのは、特別な時だけです。

 

 それは、誰かが結婚する時。誰かが、亡くなった時。あるいは今日のように、村の守り神のための、儀式などを行う時だけでした。


 崖に面した細い道を、私を乗せた籠を担いだ男たちが、ゆっくり、ゆっくりと進んでいきます。その後に、潰した山羊と、野鶏を担いだ男たちが列をなして続き、山頂を目指します。


 籠からは外が見えませんので、外の事情は、音と気配で探るより他はありません。耳を澄ませば、カラコロと、小石が崖を転げ落ちる音が、聞こえてきました。


 山頂に向け、道はどんどんと、細く、険しくなっていきます。人一人歩くのさえ困難な細道を、揺れる籠の中、ただ運ばれているだけの状態は、不安と恐怖を誘います。


 次第に早まってくる鼓動を治めるべく、私は口の中で、小さく祝詞を唱えました。


「――天空を舞う、偉大なる両翼。全能なる女神、リューテミフィア。その慈悲と叡智を持って、我らが魂を導き給え」


 その祝詞は、私の村の守り神、女神リューテミフィアを讃え、救いを求める祝詞です。





 私の村では、村の守り神である、女神を信仰しています。


 遥かなる高天を舞う、大鷲の化身。女神リューテミフィア。


 今日は十年に一度行われる、女神リューテミフィアへと、供物を捧げる儀式を行う日なのです。


 若い山羊を十頭、野鶏を二十羽程潰し、山の頂上に運び女神へと捧げます。空を舞う女神を、地上へと呼ぶのが、巫女の役目となるのです。


 儀式は夜に、行われます。巫女は夜通し女神を呼び続け、朝を待ちます。


 そして、巫女として儀式に挑んだ娘は、その日を境に、村へは帰ってこなくなります。国の王の、妃の一人となるからです。


 巫女となった娘は、神聖な存在となります。


 その神聖な存在である娘を、王が妻として娶ることで、国の繁栄が約束されるのだそうです。


 私は、その巫女に選ばれました。


 今日の私は、とてもおめかしをしています。土色の髪を、村の女たちの作った組紐と共に、幾筋もに分けて編み込み、普段は目立つそばかすも、白い岩を砕いて作った白粉で隠されています。


 黄土色の瞳だけは誤魔化せませんでしたが、朱色の顔料で目の周りを縁どっているので、普段よりは、まだ見られたものになっているはずです。


 リューテミフィアの色とされている、青と、白と、黒の布で作った綺麗な服を着て、まるで何処かの国の身分の高い娘のように、大切に籠に乗せられ、男たちに担がれているのです。


 いえ。今日の祭りが終わったら、私は本当に、高貴な身分となるのです。


 山の頂で一夜を過ごした翌朝には、王家からの使いがやってくることになっています。今乗っている籠よりも、さらに豪奢な籠を、村では見たこともないような、美しい男たちが担いでやってくると聞いています。


 しかも、王自らが家臣に混じって巫女を迎えに来るのですから、巫女となることはまことに誉であると、村の娘たちは、そう親に言いきかされて育つのです。


 十年前の儀式の時、巫女がその籠に乗って山から下りる姿を、私は遠目に見ていました。王の乗った籠と、巫女を乗せた籠。担いでいる男たちの容姿まではわかりませんでしたが、籠はとても、豪奢で美しいものでした。


 その籠に乗せられ、私も明日、山の麓にある町のさらに向こう、王都へと運ばれていくのです。後宮に入り、王の妃となるために。


 後宮に入ることになるため、もう二度と家族には会えなくなってしまうのですが、そのことに関しては、私にはもう、何の未練もありませんでした。


 私の両親は、私が生まれてすぐの頃に、亡くなっています。今一緒に暮らしている家族は、亡き両親の、遠い親戚に当たる者たちです。


 家に置いて貰ったことには感謝していますが、その恩はすでに、十分過ぎる程に返していると、私は思っています。水汲みや家畜の世話は、すべて私がしているし、家事だって、ほとんど私がこなしていたのですから。


 己の両手に視線を向ければ、この年頃の娘とは到底思えないような、荒れた皮膚が目に入り、私は思わず、その手を服の袖で隠しました。


 もう二度と、家には帰れなくてもかまわないのです。十年前、姉のトーリャがいなくなってからは、早くどこかの家へと嫁ぎ、今いる家を出ることばかりを考えてきました。


 けれど私はあまり、美しくはありません。髪も瞳も黒が美しいとされる村の中で、私の髪の色は乾いた土色。瞳は黄土色。肌は白いですが、鼻と頬全体に散ったそばかすが、その唯一の美点を台無しにしています。


 私を貰ってくれる人など、いるのだろうか。そう思っていたところに、この巫女の話が舞い込んできたのです。

 

 儀式が終われば、私は王の元へと嫁ぎます。私は一刻も早く儀式を終え、後宮に入りたいと思っていました。早く家を出たいから、というだけではありません。

 

 後宮にはすでに、私の姉トーリャが入っているからです。

 


 


 トーリャは私の、年の離れた実の姉で、十年前までは二人共に、今の家で暮らしていました。


 姉は十年前に巫女に選ばれ、王の妃となるため、私を置いて家を出て行ってしまったのです。


 ですが、巫女は当初姉ではなく、別の者が務めるはずでした。


 誰が巫女になるかは、占いで決まることです。私が巫女となることも、占いで決まりました。


 祭りが近づく頃になると、村の大人たちが集まり、石占いをします。十年前は、その占いの結果、巫女役は村で一番、驢馬と山羊を持っている家の娘に、決まった筈でした。


 ですが、何故か祭りの直前で、巫女役は姉に変わってしまったのです。その理由は、当初選ばれていた娘が体調を崩し、祭りの日までには回復しそうもないから、というものでした。


 姉が巫女に選ばれたと聞いた時、私は姉に泣き縋り、行かないでと、無理を言って姉を困らせました。

 

 ちょっとくらい体調が悪くたって、そんなもの、どうとでもなるだろうと、当時の私は思っていたのです。こうして巫女となり、実際にその役目をこなしていると、余計にそう思えてしまいます。


 巫女の役目は、着飾り、籠で山頂まで運ばれ、一晩そこで、女神を呼ぶ祝詞を唱え、過ごすだけ。


 山頂で過ごす夜はとても寒さが厳しいでしょうから、確かに体調が悪ければ、厳しくはあるのかもしれません。ですが、それでもどうにかすることは出来たはずです。


 その娘だって、巫女となることをとても喜んでいたのですから、無理をしてでも勤め上げれば良かったのです。そうすれば、翌朝には王家からの使者が来て、後宮に連れられて行ったあとは、きっと甲斐甲斐しく世話をして貰えたのでしょうから。


 それでも、今更そのことに文句を言っても仕方ありません。姉はすでに、後宮に入っているのです。今は、姉と同じく私も巫女になれたことを、喜ぶべきなのでしょう。


 だって、今夜一晩巫女としての務めを果たせば、早くて明日には、後宮にいる姉に会えるのですから。


 私が姉との再会を想像し微笑んでいると、ふいに籠が止まりました。どうやら、山頂に着いたようです。籠がゆっくりと地面に降ろされると、男たちの去って行く足音が聞こえました。


 籠は翌朝、王家からの迎えが来たあと、再び村の男たちが取りに戻る手筈となっています。山頂の夜は冷えるので、もし、体調が悪くなった時には、巫女は籠へ戻ることが許されています。そのために、籠を残していくのです。


 そして、巫女はこれから夜が来るまで、外へと出てはいけない決まりとなっています。扉を開けても、いけません。それは山頂に一人置いて行かれた巫女が、恐怖と家族恋しさに、村へ帰ってこないようにするためだそうです。


 夜にさえなってしまえば、足元すら見えないような暗い中、崖に面した細い道を、歩こうなどと思う者は、そうそういないからです。


 それでも、これまでに、その決まりごとを破ってしまった娘たちもいたそうですが、その娘たちのいずれも、今度は村の男たちに荷物のように担がれ、再び山頂へと戻されてしまったそうです。


 ですから、ほとんどの娘たちは、大人しく夜を待ち、儀式を終え、王の後宮へと入るのです。村へ帰っても、また戻されてしまうのなら、禁を破る意味がないからです。


 私の場合は特に、今の家族に未練はありませんし、むしろ、早く後宮にいる姉に会いたいと思っているくらいです。


 早く夜に、そして明日になってくれればいいのに。そう思ってさえいるのです。


 ですが、まだまだ夜には、なりそうにありません。籠の壁には隙間があるため、多少の光は入ってきます。その光の入り具合を見れば、まだ外が、相当に明るいことがわかりました。   

 

 私は祝詞を唱えながら、夜が来るのを、静かに待つことにしました。

  

 



 くしゅん、という自らが立てた小さな音で、私は目を覚ましました。どうやら祝詞を唱えている内に、寝てしまったようです。


 籠の中は、すでに完全に闇と同化しており、空気は冷え切っています。私は扉を開け、籠の外へと出ました。


 外の空気は、籠の中のよりも更に冷たく、吐く息は、村を取り巻く霧のように、真っ白です。


 私は一度、寒さにぶるりと身震いをしました。それからふと空を仰ぐと、そこには村で見るよりも一段と美しい、夜空が広がっていました。


「……綺麗」


 しばらく夜空に見入っていた私は、自らに課された役目を思い出し、慌てて視線を、夜空から地面へと移しました。


 山頂の僅かな平地には、石造りの祭壇があります。その祭壇の前には、血を抜かれた山羊と野鶏たちが、積まれて置かれていました。


 私は、積まれた山羊と野鶏の前に、膝を突きました。それから祭壇に向けて一礼し、姿勢を正した状態で両目を瞑ります。


 そして、ゆっくりと息を吸いました。


「――天空を総べる、全能の神。女神リューテミフィアよ。我が声に応え、天より降り立ち給え」


 その言葉を、何回が繰り返した時でした。


 バサっという、大きな羽音が、私の真上から響いてきました。


 思わず空を見上げれば、満天の星が光る夜空を背に、白い大きな鷲が一羽、上空を旋回しています。とても、大きな鷲です。こんなにも美しく大きな鷲は、今まで一度も見たことがありません。


 ただの鷲ではない。私は、そう確信しました。


「……女神リューテミフィア」


 私のその呟きが聞こえたかのように、鷲はどんどんと、地上に近付いてきます。


 鷲が近づくほどに、地上には強い風が吹き荒れました。大きな翼が起こす、嵐のような風です。


 私の目の前、祭壇の上に降り立った大鷲は、大人の男よりも更に大きく、白い羽毛と、天空の青を写した鋭い瞳をしていました。

 

 その瞳が一度瞬きをしたと思えた、次の瞬間。私の目の前には、一人の美しい女が立っていました。


 白く輝く豊かな髪に、青い瞳。肌は、まるで夜空のような色をしています。とても、人間とは思えない美貌です。


 驚きました。まさか本当に、女神が現れるとは、思ってもいなかったのです。今私の目の前にいるのは、おそらく、いえ、きっと。女神リューテミフィアに違いありません。


 女神にまみえたという感動に、私の身体は、細かく震えはじめました。目頭は自然と熱くなり、唇は、女神を讃える祝詞を、勝手に紡ぎ始めます。


 信仰の対象である女神ですが、けれどそれはあくまで、偶像に過ぎません。過ぎないと、これまで私は思ってきました。


 ですが、それは間違っていたのです。何故なら私の目の前には、実際に女神が降り立っているのですから。


 私はしばらくの間、美しき女神の姿を見つめたあと、慌てて地面に伏すようにして頭を下げました。私如きが女神のお姿を目に入れるのは、大変な不敬です。


 しかし姿は見えなくなっても、目の前の存在が放つ気配は、なおも圧倒的なものです。その威圧的なまでの強い気配が、これが夢ではないことを、私に教えてくれました。


 幻ではない、本物の女神リューテミフィアが、私の目の前におられるのです。


 しかし、感動に打ち震えていた私に告げられた女神の言葉は、私のその感動を、粉々に打ち砕きました。


「……お前、前回喰った巫女によく似ているな」


 女神の放ったその言葉に、私の身体は、凍り付いたように動かなくなりました。


 周りからは一瞬にして音が消え、私の頭の中には、先ほどの女神の言葉だけが、繰り返し響いています。

 

 喰ったとは一体、どういうことなのでしょうか。


 女神に捧げる肉は、山羊と野鶏です。女神が実際に食べるとしたら、それらの肉である筈です。


 私はわずかに地面から顔を上げ、女神に問いました。


「どういう……意味なのでしょうか? 女神様。巫女を食ったとは……」

「ああ……そう言えば、巫女本人は知らないのだったな。お前たち巫女は、私の血肉となるために捧げられた、供物なのだよ」


 こともなげに告げられた女神の言葉に、私は息を呑みました。


 もし……もし、女神の言葉が真実だと言うのなら――。


 先ほど女神が言った前回喰った巫女とは、私の姉、トーリャということになります。


「そんな……」


 私はてっきり、姉は後宮で暮らしているものと思っていました。


 姉も私と同じ、特別美しくはありません。王の渡りはないかも知れませんが、それでも、巫女を務めた者は、後宮から途中で放り出されることはないと聞いていました。


 自由に生きることはできませんが、食うに困らない生活を送れているのだと、信じていたのです。


「……姉さん」


 私の呟きを拾った女神が、感心したように、「ほう」と息を吐きました。


「そうか。前回の巫女、あれはお前の姉だったか。どうりで似ているはずだ」


 のろのろと、地面から顔を上げた私の目に、女神の美しくも残酷な笑みが映りました。とても、とても、美しい微笑みです。目の前の神を称する何かが、人を喰らう化物だと知ってもなお、心を奪われるほどに。


 その美しい弧を描く唇が、私の見ている前で、突如歪に崩れました。そしてその輪郭を、紅い舌が妖しくなぞります。


「……ならば、お前もまた美味いのだろうなあ」


 あっ、と思う間もありませんでした。


 一瞬にして女神の美貌は変容し、山羊どころか、驢馬さえも一飲みに出来そうなほどに大きく開けられた口が、私を頭から飲み込んでしまいました。


 真っ赤な口の中に入った私は、何ら抵抗する術もなく、するっと女神の喉を通り、易々と胃の中へと納まりました。


 ちゃぷん、という水音を聞いたが最後、私の意識は、そこで途切れてしまいました。



 

























「ああ……満腹だ……」


 満足そうな誰かの呟きに、眠っていた私の意識は起こされました。ですが、この声の主は誰なのでしょうか。


 とても、美しい声をしています。


「やはり人の肉は、どの獣の肉よりも美味よのう。しかも今回の贄は、ことさらに美味かった……」


 今回の贄。その言葉を聞いた時、私はこの声の主が何者かを悟りました。いいえ、思い出しました。


 そうです。これは女神の声。私を食べた、女神の声です。


 何故、食べられたのに、まだ生きていられるのかはわかりません。ですが何らかの事情で、死を免れたのだとしたら、一刻も早く、この場から逃げなければなりません。


 私は懸命に、自らの手や足を動かそうと、試みました。けれど、私の意志を受け、思い通りに動くはずの手足は、無言を貫いています。


 手も足も、まったく動きませんでした。それどころか、力を籠めることすらできないことに気付き、私は絶望しました。


 やはり私は、生きてなどいない。女神に喰われ、女神の腹の中で、身動きも取れず、声を上げることもできず、ただ物思うだけの存在になってしまったのだと、絶望しました。


 ああ、ああ。どうして、どうして。


 巫女になることは誉であると、そう言われて育って来たのに。務めを果たせば、姉に会えると思って挑んだというのに。会いたいと望んだ姉さえも、すでに女神に喰われていたなんて。


 そうして姉のことを考えた私は、喰われる直前、女神が私に言った言葉を思い出しました。


 巫女本人は知らない。私たち巫女は、女神の血肉となるために捧げられた、供物なのだという言葉を。


 その言葉を信じるならば、村の大人たちは、女神に喰われると知っていて、私たちを巫女として、儀式へと挑ませていたということになります。


 とても信じられない、信じたくなどないことですが、もし、そうだとしたら……前回急に巫女役が姉に変わったことにも、納得ができます。前回巫女に選ばれたのは、村で一番、驢馬と山羊を持ってる家の娘でした。親は、村の有力者です。


 体調を崩したことが、理由ではなかったのかもしれません。本当のことを知っていた娘の親が、姉に巫女役を、押し付けたのかもしれません。


 そういえば、姉が巫女に決まった夜。家の食事が、いつもより豪華だったような気がします。そのご馳走は、私や姉にも、珍しく分けられました。その豪華な食事は、姉を売った対価の、一部だったのかもしれません。


 そして……もしかしたら、そこには王家も絡んでいるのかもしれません。いえ、おそらくは、そうなのでしょう。何故なら儀式の翌朝、王家の籠は、実際に山へとやってくるのですから。


「さあて。少し眠るか……」


 色々と考えていた私でしたが、不意に女神が発した言葉を聞き、我に返りました。


 女神は一つ、大きな欠伸をしてから、宣言通り、そのまま祭壇の上で眠ってしまいました。元より、私の声は女神に聞こえていないようでしたが、女神が眠ってしまったことで、私の心にも、今の自分の状況を、冷静に考える余裕が生まれました。


 一体何故、私はこの女神に丸ごと食べられてしまったというのに、今もこうして女神の声が聞こえ、考えることができているのでしょうか。


 声が聞こえるだけで女神の姿は見えませんが、考えることができるということは、やはり私はまだ、生きているといっても、よいのかもしれません。いえ、身体はすでにないのですから、存在している、と言った方がより正確でしょうか。


 何故でしょう。以前、村に寄った旅人に、お前には術者としての才能があると言われたことがありましたが、そのせいなのでしょうか。


 何分怪しい旅人でしたので、誰もその話を本気にはしていませんでしたが、今のこの状態を考えれば、あの旅人の言っていたことは、本当のことだったのかもしれません。


 ですが、だからどうだと言うのでしょうか。私は意識があるだけで、声を出すこともできず、動かす身体もありません。


 もし、このままずっと、意識だけがある状態が、永遠に続いていくのだとしたら……。


 絶望のあまり、私は声なき声で泣きました。女神に喰われただけではなく、死ぬことさえ許されないなんて。そんなの、あんまりではないですか。


 泣いて、泣いて。泣きつかれた私の意識は、やがて暗くて暖かい、女神の中に沈んでいきました。














「女神、リューテミフィアよ。起きておるか?」


 どれほどの時が、過ぎた頃でしょうか。女神に呼びかける声が、私の意識を再び呼び起しました。


 誰の声でしょう。その声の人物は、もう一度、「女神、リューテミフィアよ」と女神に呼びかけました。ですが、女神が目を覚ます気配はありません。


 私が代わりに返事をできれば良かったのですが、しかし、私は声が出せません。動こうにも動けません。仕方がないので、私はそのまま、女神の中で事の成り行きを見守っていました。


「なんだ……寝ておるのか。まったく。毎回毎回、余をこのようなところにまで呼びつけおって」


 言葉の意味を考えるに、どうやらこの声の主は、翌朝来ることになっていた、王その人のようです。


「陛下。女神に聞かれたら大事です」

 

 もう一人、王とは別の人物の声が聞こえてきました。こちらは、王の家臣でしょうか。少々声が震えています。

 

「心配するな。ほれ、あのように寝こけておるではないか。おお、おお。腹が丸々と大きくなっておる。あの中に、今回の巫女が入っておるのだな。若い娘を喰らうなど、女神どころか、まるで邪神じゃな」


 王の言葉に、私は愕然としました。ですが、心のどこかでは、やはり、と思っていました。


 やはり、やはり王家は知っていたのです。


 巫女は、女神の生贄。生きながら喰われる運命なのだと、知っていたのです。   


「陛下。村への報酬を、籠に詰め終わったようです」

「ふむ。間違って、余分に詰め込んでなどいないであろうな」

「もちろんにございます」

「村の奴らに、豪勢な報酬などいらんわ。貧しい村とはいえ、村の娘を僅かな報酬で、贄にすることを了承しておるような奴らだ」


 王の言葉に、家臣たちが頷く声が聞こえます。


「だがまあ……あ奴らのおかげで、この国が女神の脅威から逃れられていることも確か。そういった意味では、感謝せねばならんの」


 王と、家臣たちの笑い声が重なりました。感謝感謝と言いながら、馬鹿にしたように、嗤っています。


 ああ……なんということでしょう。


 山頂に籠を残しておくことも、私たちを思い遣ってのことなどでは、なかったのです。翌朝、籠に残された王家からの報酬を、受け取るためだったのです。


 私たちを女神に喰わせた、その見返りの報酬をーー。

 

 私の中から、再びふつふつと、怒りの感情が湧いてきました。その怒りは、先ほど感じたものよりも、さらに強いものでした。


 ああ――。


 叫びたい。この怒りの感情を、目の前にいるだろう男たちに、ぶつけてしまいたい。


 私の意識が、怒りと悲しみのために叫んだ時、女神の口から声が出ました。


「おお……おおおお!」


 その声を聞いた王ともう一人の男が、びくりと身を震わせます。その無様な様子を、私の失くしたはずの瞳は、ちゃんと捉えていました。


「め、女神リューテミフィアよ。目覚めたか。いつも通り、捧げものはここへ置いておく。今日はほれ、珍しい宝玉を持って来たぞ」


 王が合図をすると、家臣たちが籠の中から、沢山の捧げものを出しました。その捧げものの一つを手に取り、王が女神へと見せてきます。まるで己の妃の機嫌を取るかのようなその態度に、私は乾いた笑いを零しました。


「……知っていたのですね、あなたは。私が。これまでの巫女が。この邪神の如き女神に、喰われてしまうことを」


 あの、村への報酬と、女神への捧げものを降ろした空の籠を、あたかも巫女を乗せているかに見せ、私たちを騙していたのですね。


「お、お前は……リューテミフィアではないのか⁉」


 王の顔色は、真っ青です。家臣たちは、我先にと逃げ出しました。その後を、王がよろよろとした足取りで追いかけていきます。


 私は思わず、逃がすものか、と声を上げました。


 気付けば私の目の前に、王の後ろ姿がありました。身体が動いたのです。


 女神の身体はいつの間にか、あの大きな鷲の姿に変わっていました。


 両翼を大きく動かせば、風が巻き起こり、逃げ惑う王や家臣たちの足を掬います。けれど、無様に転んだ王たちは、なおも逃げようとあがいています。


 私は大きく口を開け、王の身体を口の中に閉じ込めました。じたばたと口の中で暴れられましたが、構わず飲み下します。


「ひ、ひいいいぃ!」


 王を目の前で喰われた家臣たちから、悲鳴が上がりました。私は次々と、その家臣たちを嘴で刺していきました。本当は王のように丸飲みにできれば良かったのですが、もうお腹がいっぱいだったのです。


 考えてもみれば、女神は王の前に私を喰っていますので、さすがに限界だったのでしょう。

 

 その場にいた者たちをすべて始末したあと、私は村へと帰りました。いまだ女神に、起きる気配はありません。起きて来る前に、すべてを終わりにしなければなりません。


 村に着いた私は、まずは姉を身代わりにした家の娘と、その両親を殺しました。次に、私の家の者たち、それから、村の大人たちを順々に。


 子どもたちを、殺すつもりはありません。彼等は、何も知りませんでした。私は彼等に、もう儀式は辞めるように言い残し、山を下りました。





 山を下りるのに、苦労はしませんでした。山肌に沿って滑空し、麓の町の上空を飛び、私は一息に、王都を目指しました。


 家々が整然と立ち並ぶ都を抜けると、ひと際大きな、朱色の建物が見えてきました。あれが、王城でしょう。


 王城に着いた私は、王族を探し、城の中を飛び回りました。どうやら王家は、この女神と何らかの契約をしていたようで、誰が王族で、誰がそうでないのか、私には自然と判別することができました。


 生贄を捧げることで、自分たちの安寧を得ていた王家の人間を、許すつもりはありません。王は知っていました。知っていて、私たち村の娘を、女神への供物としていたのです。


 一体これまで、どれだけの娘たちが、女神に喰われたのでしょうか。女神リューテミフィアを奉る儀式は、もう何百年と村で続いて来たのです。


 私を。姉を。村の娘たちを。


 村と王家は、女神の生贄とし続けて来たのです。


 私は逃げ惑う者たちの中、王家の血を引く男を一人見つけ、嘴で刺しました。それからは、男も女も、老人も青年も次々と。王家の血を引く者は、すべて殺していきました。きっとこの白い羽毛を持つ身体は、村人や王族の血で、真っ赤に染まっていたことでしょう。


 王家の血を引く者が、残り一人となった時。私の目の前に現れたのは、この惨劇に怯え、涙を流す幼子でした。その瞳には、恐怖と、絶望が浮かんでいます。


 きっと、女神に真実を知らされた時の私も、彼と同じ瞳をしていたはずです。

 

 そのことに気付いた瞬間、私が先ほどまで感じていた烈火の如き怒りは、まるで霧が晴れるかのように消えてしまいました。


「……もう二度と、弱き者を犠牲にするな」


 私は幼子にそれだけを告げると、再び空へと飛び立ちました。





 私は途中、川で血を洗い流してから山の頂へと帰り、祭壇の上へと降り立ちました。


 王家を失った国が、今後どうなるかはわかりません。ですが、きっとどうにかなることでしょう。必要とあらば、あの生き残った幼子が、新たな王家を再建すれば良いのです。


 私は一瞬だけ、あの涙に濡れた顔をした幼子のことを考えたあとは、いまだ目覚めない、女神のことを思いました。


 女神は今も、眠り続けています。それどころか、内側を探ってみても、気配を見つけることさえできませんでした。もしやこのまま、女神が目覚めることは、ないのかもしません。ですが、その方がきっと、この国のためなのでしょう。


 問題は、今は私が主導権を握るこの身体を、どうするべきかということです。


 私としては、この女神の身体を生かすつもりは、まったくありませんが、そこはさすがに神。ちょっとやそっとのことでは、この身体は死にそうにはありません。


 仕方がないので、私はこのまま何も食べないという消極的な方法で、この女神の身体が朽ちるのを待つことにしました。


 とはいえ、それは大分先のことになりそうです。


 これから飲まず食わずの生活を送ったとして、神であるこの身は、有にあと千年は持つはずです。もやはこの身体は私の身体でもありますので、自ずとそのことがわかりました。


 まったく。何も食わずとも千年持つ身であるというのに、十年毎に生贄の娘を食べていたのですから、この女神は、本当にろくでもない神ですね。王の言っていた通り、邪神という言葉が、この女神にはピタリと当てはまります。


 私が、私を見ながら舌なめずりをした時の女神を思い出しながら、立腹していると、突如強烈な眠気が襲ってきました。慣れない身体で、無理をし過ぎたせいなのかもしれません。


 あるいはこれが、眠っていた女神が、目覚める兆しなのでしょうか。


 私は眠気に抗おうとしましたが、結局は負けてしまいました。


 身体を起していることが辛く、私は翼を畳み、祭壇の上に身を屈めました。そしてそのまま目を閉じます。


 声すら出せない眠気の中、私は祈りました。


 どうかもう二度と、女神が目を覚まさぬよう。


 そして、できることなら。夢の中でも良いから、もう一度だけでも、姉さんに会えますようにと――。


 

























 

 遥か眼下に望む、人々の営み。


 霧で覆い隠された、かつての村。


 それらを飛び越えた私は、山の頂に降り立ちました。


 あれから、千年以上が経ちました。ですが、今日もこの身が、朽ちる気配はありません。


 あとになって分かったことですが、民は王族の圧政に相当苦しんでいたらしく、あの日山から下り、王族をほぼ皆殺しにした私を、民を守った護国神として奉ることにしたのだとか。


 いくら邪神の如き神とて、神の身はやはり、人とは違うのです。神の身体は、何も食べ物だけで出来ているのではありません。


 いつの間にかこの国の護国神へと祀られていた私の命は、人々の信仰と感謝の心が、繋ぎとめていたようです。


 この話を私にしてくれたのは、あの日生き残った、王族の幼子でした。


 私が眠りについてから二十年後、一人の若者が、私を訪ねてきました。その若者の呼びかけにより、私の意識は、再び目覚めました。


 私を、目覚めさせた人物。それが、あの時の幼子だったのです。


 王族の血を持つとはいえ、継承権など期待できない王の庶子だった彼は、あれから国を再建し、私の元へ来た時には、民に慕われ、敬られるような立派な王となっていました。


 村に残した子どもたちも、あれからすぐに山を下り、麓の町で暮らすようになったそうです。


 再会した日から、彼は生贄ではなく、彼の国で取れた作物を、毎年私の元へ捧げに来ました。私はその作物には手をつけませんでしたが、彼は毎年、私に供物を、自らの手で運び続けました。


 その儀式は、彼が年老いるまでずっと続き、彼の死後は、彼の子孫である王が、私の元へと一人、供物を捧げに来ました。


 そのあとも、そのあともずっと――。


 彼等王家は、国と民の幸せを祈り、私に供物を捧げ続けました。





 村の娘を、女神の贄としていた、村と王家。 

 

 私が憎んだのは、生贄となることを知っていた村の大人たちや、当時の王家です。ですがもう、あれから千年以上の時が経っています。その二つともに、すでにこの世には存在していません。


 それに、自らが望んだわけではありませんが、私はすでに神の身です。そこで私は、あの幼子の血を引く、この国の新しい王家と契約をし、この国の人々が私に頼らなくなるまで、護国神として、国と民を見守っていくことを約束したのです。


 王家の守護の元、今この国に生きる人々は、豊かな暮らしを営んでいます。険しい山々の麓には、今や、広大な都が広がっています。しばらくの間、人間が創り出したその堂々たる景色を眺めていた私は、ふいに視線を、自らの足元へと向けました。


 するとそこには、傾斜の厳しい山道の中腹を、私がいる頂上に向かい登って来る、一人の少年の姿がありました。小さな身体で、大荷物を背負っているためか、随分と辛そうな足取りです。


 彼は昨年、若くして王となった、まだ十にも満たない子どもです。それでも彼は、王となったその年に、一人でこの山を登り切りました。私の前に供物を捧げ、王として、国と民の幸福を、私に祈りました。


 子どもにはこの山道は辛いから、大人になるまで、もう来なくて良いと言ったのに。それでも彼は、今年再び、山を登って来たようです。


 私が少年の姿をじっと見つめていると、突如少年が足を滑らせ、転びました。前のめりに転んだので、下まで落ちることはありませんでしたが、どうやら今ので、足を痛めた様子です。仕方がないので、私は少年を、迎えに行くことにしました。


 私は大きく翼を広げ、山腹でうずくまる少年の元へと向かうため、頂きから飛び立ちました。すると、遠目に私の姿を見つけたらしき少年が、上空を仰ぎます。


「――――。」


 少年の唇が動き、私の名を呼びました。今はもう、少年以外には知る者のいない、かつての私の名前です。その呼び声に応えるべく、私は地上へと向かい、旋回を始めました。


 ゆっくり、ゆっくりと。私の起こす風で、少年が吹き飛ばされぬよう。柔らかな風に乗り、大きな円を描きながら、少年の元へと近づきます。


 間近に見えてきた少年の顔には、眩いばかりの笑みが、浮かんでいました。唇は弧を描き、光を受けとめた黒い瞳は、夜空に浮かぶ星の如く、キラキラ、キラキラと、輝いています。


 その、見惚れるほどに美しい輝きの中には、白く大きな鷲が、青空を背に、両翼を広げている姿が映っていました。



 終

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