weak or strong?
夢をみた。
よく覚えていないけれど、楽しい夢だったと思う。
少なくともそれをみていただろうその時に、間違いなく楽しいと思っていたから。
そう告げると後輩は目を丸くしてこう言った。
「うっわー、水上先輩ってば超ラッキー」
「バーカ。日頃の行いがいいって言うんだよ、こういうのは」
「えー、だからそれがラッキーってことっスよ!試合の前の夜なんて、俺、絶対悪夢ですもん」
試合直前の練習はおおよそ10分ほど。
基礎の反復練習やボールの感覚、芝の感触に慣れるために与えられている短いながら重要な時間の一つだ。
ジャージ姿のまま始めるそこにはもちろん監督やコーチの姿も見えるが、まだ試合まで時間があるせいか、
ぴりぴりとした空気はまだどこにもない。
適度な緊張、適度な興奮。
適度すぎておかしすぎると笑ったのは、誰だったか。
「へー、お前が悪夢ねえ……」
「酷……。俺が人間じゃないよーな言い方……」
「お。それくらいはお前でもわかるのか」
「……タクーーーーーーっ!水上先輩がいじめるーーーーーーっ!!」
そんな中では私語もさほど咎められない。
組んだ練習相手同士、こんな会話もいつものことで。
そして水上がいつも組まされるストレッチ相手に軽口をたたくのも、叩かれたサウンドバックみたいな顔をして藤澤がこんな風に泣きつくのも、冬賀学園サッカー部の試合前にはよく見られる光景だ。
「はいはいはい……いいから黙ろう。うん。相手の人、いつものことながらびっくりしてるし、お前はただでさえ声がでかいんだから……」
「じゃあ俺がイジメられてても、タクはなんにも思わないの?」
「……それはまた意味が違うけど……。水上先輩も程々にしてくださいよ~……ほんっとにこいつってば妙なとこ馬鹿なんですから」
「そりゃ今更だなー。なあ?馬鹿澤?」
「水上先輩っ!……竹巳もそれ酷い!!」
盛大で派手なタックルをかまされて俺は不機嫌なんだ、と顔中でかでかと書いた葛西竹巳が大きなため息を一つ。
それを見て更に楽しそうに笑った水上と、更に声を上げて抗議する藤澤にやる前から異様にテンションが高いと思っているのであろう敵チームからの視線がビシビシと突き刺さる。
はっきり言えばそのまま放置しておきたい状況でもあるのだが、そうはいってもいられないのがサッカー部キャプテンの渋沢だった。
「ほら、いい加減にしないか。水上も、藤澤も少し静かに……」
「あ?俺は別にうるさくしてねーだろうが」
「元凶の一つが言える言葉じゃないだろう?」
「そんなことないっす!俺は水上先輩にちょっかいかけられただけで!」
「バーカ。お前がちょっかいださせてんだろうが。もうちょっと頭使え、頭!」
懲りずにまた喧々囂々とやり続ける二人に、渋沢は葛西と共に深いため息を一つついて。
「水上!藤澤!グラウンド10周!」
「「え」」
「さっさと行かないなら追加でもう10周でもいいが?」
にっこり笑えばそれ以上反論は返ってこなかった。
それでも静かに走るというよりは、責任を擦り付け合いながら怒鳴りあっているといったほうが正しい気もするが、とりあえず先ほどまでのけたたましさだけはない。
「お疲れ様でした、キャプテン」
「いや……葛西も大変だったな。試合前だっていうのに……まったくあの二人ときたら」
「まあ……あれが二人なりのリラックス方法かもしれませんけどね」
「……確かに」
渋沢は堪えきれず小さく笑った。
「アレだけ派手にやりあっても、結局一番コンビネーションプレイが抜群なのはあの二人だしなあ」
「しかも言葉なしでやっちゃいますからね。練習してないようなのまで。……水上先輩、わりと誠二のこと気に入ってるみたいですし」
「藤澤もだな。なんだかんだいいながら、水上によく懐いてる」
しみじみと呟く渋沢に、葛西も笑い出した。
「そういえばさっきの話、夢の話らしいですよ」
「夢?」
「試合の前の日にみる夢の話。ちなみに誠二はプレッシャーに弱いんだか、それとも逆夢は縁起がいいっていうのを地でいってるのかわかりませんけど、必ず悪夢なんですよね」
「……へえ、そうなのか」
葛西があきれたように肩をすくめる。
「おかげで試合の前の日だっていうのに夜中でも必ず叩き起こされて、子供みたいにしがみつかれますから。……まあ、本気でその時は怖がってるんで、夢の内容は聞いたことないんですけど」
「藤澤らしいな」
「でしょう?ホントに……」
「そういえば水上はいつもいい夢を見るみたいだな。試合の朝はいつも機嫌がいいんだ」
時折、手や足なんかをお互いに出しつつも真面目に走っている二人を目で追いながら渋沢が呟いた。
いつもは朝に弱くて、完全に目が覚めるまでは少し不機嫌で物にあたったり、イライラしていたりする水上だが、試合の日の朝は機嫌がいいらしく少しだけ笑ったり、返事が早かったりすることを思い出しながら。
「どんな夢なんでしょうね?水上先輩の夢って」
「さあ……それは俺も聞いたことがないからわからんが……」
ふと渋沢の声が曇る。
それに気づいた葛西が小さく首をかしげた。
しかし渋沢は大したことじゃないんだと言う。
「キャプテン?」
「いや、本当に大したことじゃないんだ。俺の勘違いかもしれないしな」
「……それってどういう……?」
「上手くいえないんだがな、ただそういう時の水上は――」
「渋沢!ちょっといいか?」
監督からの声に、渋沢はスマンと笑った。
「いえ。二人のほうは俺がみておきますね。ズルなしできっちり走ってもらいますから」
「ああ。頼むな」
誰よりも適任だろうと思いながら、渋沢はすぐに監督の元へと走り寄った。
その間に監督と話すであろう、今日の相手の弱点とか、攻める方法などを考え、頭の中にまとめておく。
そうこうする間に、また渋沢の脳裏を過ぎったのは今朝の水上で。
今朝の、いい夢をみて機嫌がいいはずの水上の姿で。
(やっぱりその機嫌がいいはずの水上って……ほっとしているみたいなんだよな)
おはようと声を掛けた渋沢を振り返ったときのあの一瞬。
眠りから覚めた水上がまず真っ先に見せる、あの目。
(いい夢みてたなら、なんであんな目になるんだろうな……?)
まるで夢が夢だとわかって、こっちが現実だと気がついてほっとしたみたいに。
そうはいっても夢の内容など聞いたことがないし、そもそもそんな目を見せるのは本当に一瞬だけで、後は先ほど話したとおり水上の機嫌はいいのだから勘違いという可能性もあるのだけど。
「お呼びですか?監督」
「ああ、渋沢。それで今日のフォーメーションだが……」
それでも渋沢は、試合の朝必ず見るそれが勘違いだと今も断言できずにいる。