私の異能は魅了だなんてもんじゃない
恐ろしい魔女め、悪女めと罵られて婚約破棄をつきつけられている。
なんとも大衆娯楽的なシーンだな、と冷静な自分を感じながら、いきりたつ護衛たちを宥める。
私は今現在、多忙なところをなんとか区切りをつけて王都に帰還し、王陛下の生誕祝いの夜会に出ているところ。
前線に赴いた私が戻ってきたのは八か月ぶりだ。
なので、婚約者ががなり立てる悪行の数々はただの虚実でしかない。
ぱちん!と大きく音を立てて扇を閉じる。
そうして掌にぱし、ぱし、と打ち付けながら私は不機嫌を隠しもせずに言う。
「まずは八か月ぶりの帰還を祝っていただきたいものですわね。
スタンピートへの対応、その後始末の最中にようやっとなんとか時間を作って王都まで戻った婚約者へ、労いではなく罵倒を叩きつけるだなんて。
なんともおつむの足りない殿方だこと。
こんな方が婚約者だなんて私、それだけで恥ずかしくて表を歩けそうにありませんわ」
「なんだと!?
貴様、前線だなどと言うが、大した異能でもないくせに。
魅了だかなんだかいう、男を誑かすことにしか使えぬクズの異能を」
「ああ、そこが間違っておりますのよ」
「私の異能は「催眠」です。
目を合わせさえすれば対象は全て思うがまま。
ただし私の目にも相手の目にも特殊な文様が浮かぶため、異能を使っていることがたちどころに分かる、というもの。
対象の人数とて限定されておりませんから、前線の惨状に慄く医師たちに「いつも通りの病院だ」と思いこませ、麻酔が足りなくなれば「麻酔が効いて痛くない」と思いこませ。
精神が高揚しっぱなしで眠れぬ兵にも催眠を施しましたわ。よく眠れるように。
そうやって可能な限り軍が円滑に回るようにと従事したのです」
そうだそうだ、と、軍の役職持ちでもあった貴族男性や令息から声が上がる。
あらあの方、一度催眠をかけた覚えがあるわ。義足は馴染んでおられるようで何よりね。
ぽかんとした顔の元婚約者に、よく分かるようにと己の目を扇子で示してみせる。
「私の目に浮かぶ文様は白く発光するのだそうです。
いくらシャンデリアが輝いていても見えると思いますけれど。
それで、私の目に文様はおあり?
男を誘って閨に入る時だけしか使っていないとして、従軍中にそんな暇はございませんわよ。
それで、婚約破棄でしたかしら。
よろしゅうございます。お受けしましょう。
従軍するので留守にしますと差し上げた手紙をちいとも読まなかったか覚えてもおらずに、虚実で婚約者を陥れ有利にことを運ぼうとする男と婚姻など冗談ではありませんから」
思ったままに勢いのまま口にする。
父母?少し離れたところで硬直している。
なので、仕方ないなと扇子を持った手を軽く上げる。
「今まさに婚約破棄したばかりの私ではございますが、もらっていただける殿方。
いらっしゃいましたら手を挙げてくださいます?」
そこから、私は思った以上の求婚を受けて大変な目にあうことになった。
スタンピートの鎮圧で活躍したので爵位を賜ったから、という求婚もちらほらあった。
跡継ぎが従軍した結果亡くなったので跡継ぎになるのだが婚約者がいないのでぜひにだとか。
そこをまとめてくださったのが我らが王陛下である。
紳士ならばスマートに挙手のみして後日手紙を送れと笑いながらまとめてくださり、元婚約者とその右腕にしがみついていた見知らぬ令嬢を引っ立てろと宣言した。
二人は近衛に縄を打たれて連行されていった。
翌日から私はまた前線へ戻った。
スタンピートは大方片付いたけれど、強い個体がまばらにいたりするのでまだ少し間引きや確認に時間が必要なのだ。
ちなみに。
これが終わっても、催眠の異能は大変便利なのであちこちに呼ばれる。
犯罪被害によって精神的に限界を迎えつつある被害者に、その犯罪の記憶を封印させてひとまずの手当をすることだってよくあることだ。
あるいは心の病を抱えた人を催眠にかけて、心の病を抱えた原因を喋らせて治療の一助にしたり。
医者では出来ないことを助けるためにこの異能はあると言っても差し支えない。
もちろん私以外にも催眠の異能持ちはいる。
だけど、数が足りないのだ。
スタンピートの間、私がメインで前線を支えたのは、その間も本国の中で必要とされていたから。
貴族令嬢で、一番手が空いている私が、高貴なるものの義務として戦場に行くのは当たり前のことである。
そういえば元婚約者は大いに勘違いしている。
魅了の異能の持ち主は、犯罪奴隷を扱う労働請負商として大いに役立つのであるということ。
どれほどの異常者であっても、魅了の異能で従えてしまえば大人しく従順で思い通りに動かせるようになる。
そして魅了の異能は、目を介さなくてもいい。
己の血を一滴飲ませる。それだけでいいと言われている。
と言っても、この情報は私が催眠の異能持ちだから知っていること。
大きな違いはそこですねと学んだからだ。
故に労働請負商をする魅了の異能持ちは客人には茶も酒もふるまわない。
清く澄んだ水だけを出す。
血の一滴も入っていませんよと言う証のためだ。
まったく、異能持ちはそれなりにいるのだからある程度の知識は持っていて欲しいもの。
催眠と魅了を取り違えるだなんて、五歳くらいまでだわ。
しかも婚約者の異能を勘違いするなんてもっと有り得ない。
私の異能が血筋に混じることを期待しての婚約だったのにね。
これからどうなるかは分からないけれど、異能持ちでもなければ大した才覚もなかったあの方がどうなるかなんて予想がつきすぎるわ。
自分のことを過大評価なさっていただろうし。
ま、沈む船でしょうね。泥船とも言うかしら。
私を捨ててその後婚約話が来るわけもないし、家を出る予定だった第二子の方が家を継がれるのでしょうね。
なんて色々考えながら仕事をこなす。
最近は物資が追い付いてきたから従軍した医師たちも麻酔をきちんと扱えるし、睡眠薬も充実してきたから、仕事は減ってきている。
念のために、スタンピートが完全に収束したと確定するまでは前線かしらね。
結婚に関する話は諸々両親に丸投げさせていただこう。
催眠の異能を血筋に入れたいという家は多いのだし、そこから可能な限り良い縁をとするだけなのだから簡単でしょ。
横の繋がりでろくすっぽ考えずに婚約を結んだ前回と違って、今回は陛下も注目なさっているのだから、また適当に選んだら突っ込みが入るし。
そういうわけで、私はただのほほんと前線で過ごすことにした。
貴族令嬢としては血腥い日々ではあるのだけど、それでも王都で釣書に囲まれてぐったりするよりはよっぽど気楽。
出来ればそこそこいい感じの関係でいられる旦那様がいいわねぇ、なんて考えながら、注射が何より苦手な患者に注射を怖くないと思わせる催眠をかけるのだった。