プロローグ
「「この物語は破綻している……。」」
目の前の出来事に青年2人は仲良くならんで呆然としていた。
これまで培ってきた常識や読んできた物語を含めても、今起こっている出来事はあまりに刺激的。だからと言って完全に想定外とは言えない状況ともいえた。学園に入ってからというもの軽微なでも見逃せない違和感が2人に蓄積されていった。その違和感が解放された状態が現状と言えなくもないからである。
呆けた瞳に飛び込んでくるのは見目麗しい貴族のご令息やご令嬢たちが激しい罵り合う。また一方では激しい取っ組み合いを繰り広げている。
広がった醜態はちょっとやそっとの時間では解決しそうにないと考えるのは、この場にいる事件と呼ぶに相応しい事態を目の当たりにしたら全員に当てはまるだろう。
問題の導火線に火がついていたのは何年も前の話。なのでここでは、ついに起こった最初の爆発からの出来事を綴ろう。
「婚約を解消する!」
高らかと宣言する王子。実際に目にしたことは無いし、どの国でも有史以来このような事態が起こったのは極めて稀なはずだが、決して少なくない人が知っている光景だろう。ようは悪役令嬢ものの導入でよく見るそれである。
多くの人は驚きに表情を浮かべる。政略結婚といえばの王家に属する人間が国の意志を考慮せずに一方的な婚約解消に打って出たのだから。そんな中でも冷静に王子を見据える2人の男女がいる。
(やっぱり、これは乙女ゲーの世界だったんだ!)
そう胸を撫で下ろした彼女は、なんの因果か過去の記憶を持ちながら異世界転生してきた。記憶があるということは何か使命を帯びているのではないかそんな風に思って過ごすも、大いなる存在からの干渉はないため、自分のことを第一に幼少期を過ごす。
ただ8歳になり入園するときに自分が主人公でないということに気がつく。時同じくして絶世の美少女が聖女という称号を提げてやってきたのだ。生まれながらの聖女ではなく7歳の時、神官たちが天啓を受け聖女であると認定された。
学園は平民貴族の区別なく受け入れている。しかし内部では余計な諍いを回避するため身分でクラスを分けていた。聖女は平民の出身であるが、将来が考慮され貴族と同じクラスへと編成された。
平民+聖女+美少女、さらに天真爛漫な性格というスペックを鑑みるに聖女こそ主人公であり、彼女は物語のモブ転生であることを悟ったのだった。
聖女を主人公だと考えた時、ライトノベルやマンガの悪役令嬢に描かれる乙女ゲームのような世界だと類推できた。
彼女は特別その手のものに詳しいわけではないが、大量の情報が溢れる前世を生きていた以上ほんのわずかでも情報は持っている。入園以来悪役ルートの回避で、不必要な悲劇を迎えないように動いていた。
(原作を知らないから怖かったけど、私は間違えてなかったんだ……。)
安堵するのは、いわゆる断罪イベントに巻き込まれることを回避するために勤しんできた時間や、少なくない気苦労が無駄になってしまうように思えて怖かったのだ。
(私は今日、無用な労力から解放される!)
そう人知れず拳に力を込める。
(第一候補の展開ではないなぁ……。)
やや想定を裏切られたものの状況の推移を落ち着いて観察できている彼は、こちらもまた前世の記憶を持って生まれた異世界転生者。
彼は転生する時の記憶がないため、世界を救うような大それた偉業を担う存在として生まれたきたのではないのだろうと思っていた。異世界転生というジャンルが台頭して久しい今、八百万の中にいるであろう異世界転生の神もうっかり有象無象を転生させてしまうこともあるのだろうと。
でもある程度の無双的な出来事は起こせるのではないかと期待したものだったが、この世界の生活水準は十分高く、娯楽もコンシューマーゲームやソーシャルゲームのようなものはないが、ボードゲームはもちろんのことテレビはあるので夢想に終わった。
不自由ない生活があるのはすでに主人公が超人的な活躍をした後の世界であるのではないかと考えさせた。
しかしこちらも彼は入園の際に、いわゆるギャルゲーのような世界なのではと思わせる人物を目撃する。彼もまた特別その手のものに詳しいわけではないが、彼女と同じくマンガやアニメで見た設定に近しいものがあったからそう思っていた。
メカクレ+ダウナーの平民がやってきたのだ。詳細は伏せられていたが、なんの力もない子供が貴族と同じクラスに配属されるなどあり得ないことは判る。入園の後英雄の魂をもち、勇者の資格者であるらしいことが聞こえてくる。そして、微弱ながら魅了の魔眼を持っているということだったので、これはR18のそれだと確信に近い考えがよぎっていた。
それからというもの常にとはいかなかったものの、付かず離れず勇者の卵を観察してきた。彼は爽やかな美男子で一部男を除いて関係を構築。勇者の愛称で親しまれていた。その中で、フリーの娘から婚約者持ちの娘まで広くてを広げてハーレムを形成していく姿が確認できた。聖女の動きが気にならないわけではなかったが、手持ちの情報からするに主流はギャルゲーのそれだという結論に至っていた。
(ハーレムを形成してたんだけどなぁ……。)
レディースコミック的展開が進む中勇者を盗み見ると、グッと目を瞑っていてその表情を窺い知ることはできない。
視線を王子一向へと戻すと、
「あい分かりましたわ。」
婚約破棄を叩きつけられた、令嬢が応える。その表情には一点の曇りもなく、それどころか晴れやかに微笑んで見せていた。
自分もまた望んでいたかのような立ち振る舞いは予期していなかった王子は、呆気に取られてしまう。
ーー束の間の静寂。
次第に王子の呆けた顔は紅潮していく。
「わ、私をバカにしているのか!」
自分から切り出して了承を得たというのに腕を強く振り怒りを隠さずに大声を上げる。場の沈黙が一層王子の言動を小物だと演出する。
令嬢は震える王子を不思議そうに眺める、何が気に障ったのか理解できない様子。愛など最初から存在していなかった。最近では顔を合わせるのも必要最低限。聖女に現を抜かしていたのは隠されていたが、王家に関係を持つ家であれば公然の秘密。昔に親が取り付けた婚約など枷以外の何ものでもない。
「バカにするつもりなど少しもありません。ただ私を縛り付ける鎖が外れた、それを喜んでいるのかもしれませんね。」
細めた目はあさっての方向を見つめている。
自分を視界にすら入れない相手に王子はより強い怒りを覚え拳を握り、令嬢を睨みつける。
二の矢を放たない王子を見かねて、取り巻きの一人が耳打ちをする。王子はある程度の平静さを取り戻し、婚約破棄の理由を語り出す。
「学園に勇者……、いやそう呼ぶのも忌まわしい、あの男がいる間お前は私に目もくれず奴との交流に耽っていただろう。その中で親密な関係になったことは知っている。私の婚約者でありながら、だ!王子たる私に不埒な女が嫁いでくるなど悍ましい。聖女こそ私の伴侶に相応しいのだ!」
言葉を紡ぐにつれ語気は荒くなる。英才教育を施されてきた令嬢に、理性で感情を制御できない王子は非常に滑稽にうつる。
それに彼女が王子の言うところの親密な関係というものになった事実はないため、情報収集の力も大したことがない彼が哀れに思えていた。
哀れだからといって、ありもしないことをさも事実のように語られたままでは沽券に関わるため、受け手に回り続けることはしない。
「事実無根の噂話で私の名誉を傷つけられるのは愉しくありませんわ。私と勇者様とは友人。やましいことはございません。」
「もしかして」と続けるとドレスの裾を翻し、会場のある人物に近づく。
「殿下が邪推はなぜかしら?もしかして貴女、手篭めにされました?」
悪戯な笑みを聖女に向ける。国の利益を考えると聖女を敵に回すのはまずい行為であるのは十分承知した上での発言。
王子と勇者と違い、彼女と聖女は友人としての付き合いがあるため、冗談だと理解したのだろう。聖女は微笑み返し、首を振り否定する。
「あらそうでしたの。殿下はトイレの落書き程度のゴシップで私を糾弾されたのかしら?」
笑みをそのまま殿下を見据える。令嬢の顔を見た王子の赤い顔がより一層赤みを帯びる。
先ほどの笑顔とは違う明らかな嘲笑。どんなバカでも判る明確な敵意に怒鳴り散らす。
「不敬だぞ!不敬だ!お前は、私の国から出ていけっ!今、すぐにぃ!」
肩を竦める令嬢。その仕草に王子は言葉にならない怒声を浴びせ続ける。喚く王子の姿に会場の興は削がれ、どう転んでも王子の失態以外の問題に発展しないだろうという空気が広がる。
ここで終われば、断罪フラグをへし折ったのに難癖をつけてくる王子に辟易とする悪役令嬢モノに見えなくもない。
けれどまた一つ事件が起こる。
「これはいい機会かもしれません。私は、貴方との婚約を解消します!」
会場のどこかから、婚約破棄宣言する声が聞こえてきた。聞こえてきてしまったのだ。
国のトップを担うかもしれない人間が我儘で婚約破棄できるのだ、自分だってできてもいいのではないか?と考える人が出てきても仕方ない。こともない。
ただ1人程度に収めてほしかったものだ。
「「俺もだ!」」
「「私も!」」
便乗者のバーゲンセール。国を担う可能性が高いものたちが恋愛脳になってしまったのはなぜなのか。
相手の出方を伺いながら会話する親たちのもと育った彼らに訪れた平民という風が誑かしてしまったのだろうか。
どんな理由があるにせよ、会場は混沌を極める。
((一体何が起こっているんだ……。))
転生者2人であっても落ち着いていられる状況ではなくなってしまった。
一番混乱しているのは婚約破棄を申し出た者でも、受けた者でもない。
俺だって聖女様と。私も勇者様と一緒に。とあちこちで聞こえてくるたびに目を白黒させている、あの2人だろう。
小説に書かれない異次元の光景に立ち尽くす異世界転生者2人はこう言わざるをえなかった。
「「この物語は破綻している……。」」