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七話

 アイリスは一度家に帰って、夕食をすませて聖堂へ歩いていた。

 念のため、祈りの日に着ている服に着替えた。

 手に持ったランプで暗い夜道を照らす。人のいない道はとても静かだった。雪を踏む音が大きく聞こえる。

 夜の聖堂は、特徴の尖った屋根は闇の向こうに消えて、不気味さがあった。正門はしっかりと閉じられている。聖なる場所は、無言でアイリスを見下ろしていた。

 昼間、マティウスの言っていたことが頭を過ぎる。マティウスの怯えているような、けれど真っ直ぐな目は、嘘を言っているようには見えなかった。


「そんなわけない」


 呟くことで頭から追いやる。

 アイリスは聖堂の裏手に回った。扉をノックする。


「――はい」


 迎えたのは、ランプを持ったフィローネ・アグタリアだった。


「あれ、司祭様は」

「奥で待ってるわ。さあ、入って」


 信徒の服を着ているが、雰囲気が少し違う気がした。夜のせいにして、アイリスは堂内に足を踏み入れる。

 裏手の入り口は、司祭がよく出入りする礼拝場の左奥の扉に繋がっている。司祭が寝泊りしている部屋もある。知識では知っていても、実際に見るのは初めてだったアイリスは、フィローネの後ろを、足場を確かめるように進んでいった。

 礼拝場は闇が濃く、ランプの明かりが小さくなったように感じられた。


「こちらですよ」


 てっきり礼拝場に何かあるのかと思ったが、フィローネは祭壇を横切った。礼拝場の奥には、祭壇を挟んで左右二つの扉がある。一つは、裏口にも通じる左奥の扉だ。フィローネはもう一つの扉を開けた。

 右奥の扉が開けられるのは、今日が初めてだ。いつもは鍵が閉められていた。

 先頭を歩くフィローネが照らし出したのは、地下へと続いている階段だった。幅は人ひとり分くらいしかない。外壁があってわからないが、急な弧を描いているから、もしかしたら螺旋状なのかもしれない。

 アイリスは壁に手を当てて、転ばないように気をつけて階段を下りた。

 地下についても開けたところに出ず、狭い通路が続くだけだった。空気は意外に暖かい。

 ランプを翳して、壁を見る。磨かれた石の壁だった。足元も、おそらく同じ材質なのだろう。掘られたとは思えないほど、綺麗な石の通路だ。


「この部屋に司祭様はおられます」


 フィローネが扉を開ける。明るい、開けた場所に出た。

 広い部屋のようだった。壁にはランプの火が燃えていて、部屋全体を淡く照らしている。暖かい光の中で、ジェラルド司祭はアイリスに微笑んだ。

 ジェラルド司祭だけではなかった。男女の信徒が何人もいた。誰も会話せず、何人かは俯き、何人かは笑顔を張り付かせていた。アイリスが天界教に感じていた神秘さは、どこにもなかった。異様な光景だった。


「よく来てくれましたね。アイリス」

「司祭様……これはいったい」


 アイリスは、信徒の服を着た者たちの中に、信徒ではない者を見つける。


「……マーガレット……どうしてここに」


 マーガレットは視線を逸らした。いたのはマーガレットだけではない。インス、ケミニ、ウォーロック、エオリカ。友人や、一緒に牧場で働いている人もいた。

 得体の知れないものが、身体の奥から喉へ這い上がるような感覚に襲われる。

 突如、後ろで扉が閉まった。驚いて肩を跳ね上げる。フィローネが扉の前に立ち、微笑んでいた。


「アイリス。さあ、こちらへ」


 アイリスは動かなかった。


「司祭様。見せたいもの、とは」


 ジェラルド司祭が歩み寄る。ずい、っと顔を寄せてきた。薄暗いためか、微笑みの顔がとても怖く感じられた。


「美しい」

「司祭、様……?」

「私はね、アイリス。あなたが成長していく姿を見るのが、とてもとても嬉しかった。なぜなら、美しい女性へとなっていくからです。肌理の細かい白い肌。指の間をすり抜ける金色の髪。私を見つめる碧い瞳。本当に、あのとき追い出さなくてよかったと思いました」


 突然、ジェラルド司祭に抱きしめられた。優しいものではなかった。ジェラルド司祭の腕は力強かった。


「やっ……何する、ですか」

「ああ、いい匂いだ」

「離してください。司祭様。お願いです」


 いくら言っても、ジェラルド司祭は腕の力を緩めてはくれなかった。


「――ッ!」


 押し倒されて、硬い床に頭をぶつけた。上にジェラルド司祭が乗って、両腕の自由を奪っている。そんなアイリスを見下ろして、フィローネは笑みのまま言う。


「大丈夫ですよ。そのまま身を委ねなさい。そうしたら、あなたも私たちの仲間です」


 信徒たちも、友人も、誰も助けようとしない。ただ黙ってみているだけだった。

 ジェラルド司祭が、胸に顔を埋めた。


「柔らかい。もう、いいですね。はじめますよ。アイリス」


 何を、と聞かなくても、太ももに当たる感触でわかった。悪寒が一気に駆け巡る。

 必死になってジェラルド司祭を退かそうとした。がむしゃらに暴れる。


「いや、いや!」

「大人しくしなさい。また、みんなから疎まれる存在になりたいのですか」


 両腕の自由を奪っているジェラルド司祭が、抵抗するアイリスに言葉の杭を打ち込んだ。


「罪の民が、ダエーワの食い残しが、この村に受け入れてもらったのは誰のおかげです? 誰が率先してあなたを認めてあげたおかげですか? さあ、アイリス。誰ですか。言うのです。ほら、いいなさい、いいなさい、いいなさい!」

「ひっ……う、し、司祭様のおかげです」

「そうです。私のおかげです。いい子ですねアイリス」


 耳を舐められて怖気が走った。しかし、アイリスの抵抗する意志は弱まっていた。涙を流して顔を逸らすだけだった。


「腕を押さえていなさい」


 男性の信徒二人が、ジェラルド司祭の代わりにアイリスの腕を押さえた。


「いやああっ!」


 恐怖で再び暴れようとしたアイリスだが、身体の自由は奪われていた。


「静かにしなさい。うるさいのは嫌いです」


 アイリスは頬を強く叩かれた。

 目の前では、ジェラルド司祭が不気味に笑みを浮かべている。


「なにも心配はいりません。マーガレットも最初はあなたと同じように暴れていましたが、今は従順に私を受け入れてくれます。もうすぐ、あなたも仲間になれますよ。もうこれで、あなたを疎く思う者はいなくなるのです」


 泣いているアイリスの頬にキスをして、司祭の手が、アイリスの服を掴んだ。そのとき、アイリスは男の声を聞いた。


「無責任だが。わりぃな、助けるぜ」


 ジェラルド司祭の体重も、体温も、息遣いもなくなった。男たちの会話が聞こえる。


「何をするのです! ――あなたは。どうしてここに!」

「あ? ああ、ちょっとした知識欲だ。この地下がどういうもの知りたくてな。忍び込んでたらお前らが来たから、まぎれるしかなかったんだ。一つ、聞いていいか? この施設の奥。お前は見たことあるのか」

「見たのですか」

「面白いもの置いてるな。あれ、お前のものか。何なのか知ってるのか。その顔、知ってるな?」

「帝国が所有するものです。気軽に触れていいものではありません」

「なるほど。だいたいわかった。んじゃ、世話になったな」

「行かせると思いますか」


 アイリスの弱まった意思で見る視界が、鮮明になっていく。

 仰向けのアイリスの目に、信徒の服を着た旅人が映った。彼は誰かと対峙しているようだった。

 ジオルは言った。


「お、帰ってきたみたいだな。起きれるか」


 ゆっくりと身を起こす。ジェラルド司祭が今まで見たことないほど、顔を怒りに歪めていた。


「司祭様……」

「アイリス! こちらに来るのです」


 ジオルは視線を向けずに言う。


「どうする? 正直、お節介で助けただけだ」


 残された何かに縋る目を、ジェラルド司祭に向ける。


「司祭様、どうして私にあんなことをしたのですか。わけを教えてください」

「黙って私のもとに来なさい。ダエーワの食い残し! お前のような人間が普通に暮らせるのは誰のおかげだと思ってるんだ!」

「あ―――」


 目の前が真っ暗になった。

 すべての周囲の音が遠くに聞こえる。


「命令だ。アブラクサス、ソフィア。来い!」


 衝撃音。


「魔の者か!」

「さあて、どっちだと思う? こいつは金属の塊だ。殴られたら痛いどころじゃすまないかもしれないぞ。それとも、聖術でも使うかい。しさいさま?」

「くっ……!」

「ソフィア、彼女を警護しろ。通してもらうぜ。死にたくない奴は道をあけろ!」


 信じてきた大切なものに、心を踏み躙られた。

 天界教を信じてきた故郷は、金属の悪魔――ダエーワに襲われた。

 命からがら逃げてきて辿り着いた村で、生き残った罪悪感に押しつぶされそうになる心を支えてくれたのは、天界教だった。そして、孤独から救ってくれたのは司祭様だ。

 しかし、救ってくれた恩人は、信じてきた教えの聖なる場所でアイリスを汚そうとした。救いを求めるアイリスに、黒くよどんだ言葉をぶつけた。

 アイリスは、何も考えられなくなった。

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