六話
聖堂を出たアイリスの頭上には、雲に覆われた空があった。今日も雪を村に降らしている。降雪量が少ないため、屋根から雪を下ろすことはあまりしなくてよかった。
「お前は」
「ジオルさん、ですか」
旅人は、昨日と違う格好で掃除道具を両手に持っていた。白と黒の、男性用の信徒の服だ。見事なくらい違和感がある。単純に似合ってない。
昨日は背負っていた金属の板がなかった。置いてきたのだろう。
「変な目で見るなよ。聖堂の掃除のために服を貸してもらってるだけだ」
無一文の旅人が聖堂の世話になるには、聖堂の手伝いをしなければならなかった。仕事内容によっては、金を貰うこともできる。
「そんな目、してましたか」
「してた。てか、お前も祈りに来ていたのか」
ジオルから僅かばかりお香の匂いがした。祈りに参加していたようだ。
「はい。祈りの日は必ず来てます。この日の祈りが最も天に届きやすいといわれてますから」
「あのさ、なんでさっきから敬語なの」
「あなたは客人として迎えられました。なら、それ相応に対応するのも一つの礼儀です」
「礼儀、ね。それさ、強制なの? よかったら敬語やめてくれないかな。最初の印象があるから、なんか気持ち悪い」
「気持ち悪いとはずいぶんね。人の礼儀にそんなこと言ってると、天の祝福はないわよ」
「切り替え早いなおい」
「私も違和感があったから、ちょうどよかったわ」
アイリスは、ジオルに会ったら聞いてみようと思っていたことがあった。
「ジオルさん。何か記憶の手がかりになるもの見つけたの? 寮の図書室でいろいろ調べてたみたいね」
どこで知ったかはいわない。首から提げていたペンダントを何気なくいじりながら、彼がどんな反応をするか見逃すまいと見つめた。
「何もなかったな。ま、気長にやるさ。慣れてきたらどこかの町にでも行って、情報を集めるつもりだよ」
気になるような変化はなかった。
「記憶が戻るといいわね。仕事、がんばってね」
ジオルに手を振って、アイリスは帰ることにした。今日は午後から仕事があった。
祈りの日は、ほとんどの仕事場が休む。アイリスが働く牧場も休みなのだが、生き物を相手にする仕事のため、交代制になっていた。前回の祈りの日に休んでいたアイリスは、今回行かなければならなかった。
「アイリス」
後ろを振り向く。マティウスがいた。
いつも自信のない顔をしているが、今日はどこか違った。
「あ、あのさ。今日、司祭様が何かいってたみたいだけど、どんなことをいわれたの」
「なんでもないことよ」
ジェラルド司祭には、誰にも話してはいけないと言われた。
「今晩、聖堂に来いって言われなかった?」
「まさか」
「僕は聞いてないよ。見ていただけだ。だけど、前回の祈りの日、同じように誘われて行ったマーガレットは、次の日から元気をなくした」
そのことならアイリスも知っていた。
「ダリア君と喧嘩別れしたからじゃないの」
マーガレットとダリアは、アイリスと同じ年。二人は付き合っていた。
「別れは、マーガレットが切り出したらしい。喧嘩の原因はそれだよ。ダリアも、詳しいことは何も知らないんだ。僕は祈りの日の夜、何かあったんだと思った。マーガレットは何もなかったの一点張りだけど」
「偶然よ。本当に何もなかったかもしれないじゃない」
「だったら、何をしていたのか答えてくれてもいいだろ」
「司祭様が何かしたとでもいうの」
「……だと思う」
「ありえないわね」
アイリスは一蹴する。
「仮に本当だとして、あなたはどうしてそのことを今まで黙っていたのよ。どうして私だけに言うの」
「皆に言うべきだと思った。けど、司祭様に、聖堂に悪魔扱いされたらって考えると、黙っているしかなかったんだ。だけど、今度は君と思ったら、伝えなくちゃと思って」
「いい加減にしてよ。司祭様がそんな理由で人を悪魔扱いするなんて、本気で思ってるの」
村に来たばかりのころ、アイリスは嫌われていた。
罪の民。ダエーワの食い残し。
生き残ったことを罪に感じていた幼いアイリスは、心無い人たちの言葉と板ばさみになっていた。その闇に光を照らしてくれたのはジェラルド司祭だった。ジェラルド司祭が優しく接してくれたことで、少しずつではあるが、アイリスは村に受け入れられていった。
アイリスにとってジェラルド司祭は恩人だ。
いくら友人でも、許せない。
「私、仕事あるから」
「アイリス。待って」
「ついてこないで」
追いかけようとするマティウスに、冷たい拒絶の言葉を投げて、アイリスは背中を向けた。
仕事へは、行きも帰りもマティウスに会わないよう、いつもと違う道を通った。