一話
「や、奴らが、ダエーワがきたぞ!」
「みんな逃げろお!」
惨劇は、一つの悲鳴から始まった。
疫病のように伝染して、あっという間に全体へ広がる。
連続する鋭く重い金属音。
反響する絶叫。乱暴な、何かが潰され、砕かれる音。
残酷の交響曲。
八歳の少女――アイリス・オルティアンは、父親に抱えられていた。傍らには母親もいる。両親は必死の顔で外を目指していた。
硬い岩盤を掘って作られた地下居住地。ランプの火に照らされた通路は迷路のように入り組み、数十箇所に家族が暮らすことのできるドーム型の部屋が設けられている。小さな集落だ。
温かい雰囲気に包まれた営みが育まれてきたが、今は恐怖の舞台と化している。
広いところでも大人三人分しかない通路に人が詰め、我先にと出口へ向かっていた。外へ通じる大きな通路は東西南北の四つがあった。しかし、東と南から襲撃され、そちらから逃げることはできない。残り二つの出口へ集中し、通路は役割をほとんど成していない。
そこへダエーワと呼ばれるものたちが追いついた。
鉛色の輝きを放つ四足歩行の金属の塊は、出口を目指して集まっていた人々を側面の通路から、後ろから襲う。
尖った触手のようなものが、球体型のボディから折り畳み式で伸びた。触手は鋭く動いて、人間の身体をやすやすと貫いた。細い外見とは不釣合いの強度があるようで、勢いあまって岩盤に突き刺さった。
一瞬の停止。
頭や首、心臓を貫かれた人が力を失って倒れた瞬間、混乱が頂点に達した。
集団が爆発的に散った。
多くの人が出口を見失い、違う方向へ走り出す。恐怖の狂気が、人々を包み込んでいた。
後方にいたオルティアン親子は、ダエーワに前と後ろを塞がれてしまっていた。
ダエーワが、人を殺しながら迫る。
アイリスの父親が横の通路に気づき、逃げ込んだ。
とにかくダエーワから離れようと、奥へ走る。
いくつもの居住部屋があった。どこか出口の通路へ繋がっている通路を探した。
「お、お父さん……」
腕に抱かれたアイリスが不安な声を漏らす。
最も奥の部屋に着いたオルティアン親子は、冷たく未来を阻む岩の壁を見て愕然とした。行き止まりだった。
母親が夫の袖を掴む。
「あ、あなた」
「くそ!」
悔しさを声に出したとき、父親の目に通気孔が見えた。子どもが誤って入らないよう天井近くに掘られていた。
近くまで駆け寄って、アイリスを抱き上げる。
「ここに入りなさい」
「怖いよ。お父さん」
「いいから入るんだ」
「お願いよ。アイリス。言うこと聞いて」
両親に急かされて、アイリスは怯えながら、暗い通気孔に入った。子ども一人分の狭い入り口をしばらく行くと、中は広くなっていた。
アイリスが完全に入ったところを見て、父親は言った。
「いいかいアイリス。よく聞くんだ。ずっと奥に行きなさい。そしたら外に通じている。外に出たら山を下りなさい。いいね」
「いやだ。私も一緒にいる」
「アイリス! ――返事は」
「……わかりました」
反響して聞こえた娘の声に、父親は見えないとわかっていても、いい子だ、と優しく微笑んだ。
妻へ振り向く。
「扉を固定しよう。ありったけのものを運ぶんだ」
「はい」
アイリスが一番安全になったためか。母親の表情に活力が僅かばかり戻っていた。
「この棚を運ぼう。そっちを持ってくれ」
いち、に、の合図で棚を持ち上げる。収納されていた食器などが落ちていく。
閉めた扉の前に置いて、開かないようにする。いろんな物をとにかく積み上げた。
父親と母親は、息を潜めた。ダエーワが去ってくれるのを必死に祈って待つ。
遠巻きにキカイが迫る金属音と、逃げる人間の悲鳴が聞こえる。
音が大きくなる。惨劇の元凶が着実に近づいている。
ダエーワの触手が棚を貫いて、ランプの明かりに照らされて鈍く光った。奥で抱き合う親子に、その切っ先が向けられた。
触手が引かれた次の瞬間、破砕音と共に、無機質な丸いフォルムを鉛色に輝かせて、金属の化け物が現われた。
バリケードがいとも簡単に押し倒され、破壊される。ダエーワの赤いレンズが、キュウ、とオルティアン夫婦を捕らえた。
「お父さん! お母さん!」
両親の危機を感づいたのか。通気孔内からアイリスの声がした。かなり奥まで進んでいるようだった。
「大丈夫だ!」
「行きなさい、アイリス!」
父親は咄嗟に近くの棍棒を手に取った。家族を守る一心からの行動だった。
突進したダエーワが、尖った触手を伸ばした。