007話 タクティカ国の王都到着
切り立った岩場を迂回しながら、僕たちは山越えを続けていた。黒猫のスピカは軽やかな足取りで鼻歌を歌いながら、さっさと先へと登っていく。身軽な黒猫が少し羨ましい。
僕は約5日分の食料を詰め込んだ巨大なリュックを背負い、必死に岩場をよじ登る。雪が積もった岩は滑りやすく、一歩間違えればそのまま急斜面を転げ落ちてしまう。だから足場を慎重に確認しながら、一歩ずつ進まなければならなかった。
「ハァ…ハァ…」
気温は低いのに、なぜか体温だけが無駄に上がって額から汗が滴る。戦闘能力のない僕にできるのはこれくらいのことだけ。だから多少きつくても、弱音は吐かないと決めている。
「おーい! ラルク、大丈夫か? 頑張れよ、男の子!」
最上部の岩場からスピカが元気に声をかけてきた。くそっ! こっちはリュックに大量の食材を背負ってるんだ。そんなに速く登れるわけないだろう!
「ラルク、大丈夫? 荷物持とうか?」
少し上の足場からネイが手を差し伸べてくれる。僕は彼女の手を取り、少し高い段差を勢いよく登った。
「ありがとう。でも大丈夫。荷物持ちは任せてよ!」
リュックの持ち手をしっかり握り直し、背負い直す。今の僕にできるのは荷物持ちくらいしかない。それでも、自分の非力さに悔しさを感じながらも、この役割だけは最後までやり遂げると心に決めていた。
モンスターと遭遇した時の戦闘要員はネイだ。だから、彼女にはいつでも動きやすい状態でいてもらう方がいいとスピカが言う。何度か小型のモンスターに襲われたが、ネイは難なく撃退してくれた。
彼女の左手には、先端に黄色い魔法石がはめ込まれた長杖が握られている。あれは村長が身につけていた形見の杖だ。休憩中に杖を見つめていた彼女の横顔はどこか寂しげだった。
「なに、彼女を見てんのかよ。発情期か?」
「なっ! んなわけあるか!!」
突然スピカにからかわれて、僕は思わず赤面してしまう。ネイには……聞かれていなかったみたいで、ほっとした。確かに年上で頼りがいのある綺麗な女性だけど、恋とか愛とか、そういう感情は……スピカが変なことを言うから、無駄に意識してしまっただけだ。
2日、3日、4日……雪の降りしきる山脈と森を幾つも越えていく。詰め込んだ食材で重かった荷物も、材料を消費するたびに軽くなり、やがて楽に持てるくらいになった。雪の積もる山道を重い荷物を背負って登ったおかげで、足腰が少し鍛えられた気がする。
道中の食事の用意と戦闘はネイが担当し、僕は荷物持ち。スピカは夜間、焚き木の番をしながら周囲の警戒をしてくれていた。だから昼間は、リュックの中で丸くなって寝ている。
不愛想だったネイとも、少しは会話のキャッチボールができる程度には仲良くなった。この数日で気づいたのは、彼女は極端な人見知りだということだ。最近では、共感できることがあると軽く微笑んでくれるようになった。その笑顔に、たまにドキリとさせられる。
切り立った崖の上に着くと、ネイが正面を指さした。地図で見たときは、南極大陸は小さな島国だと思っていた。しかし、目の前に広がる大地を高台から見下ろすと、想像していたよりもずっと広大だった。粉雪混じりの冷たい山岳風が頬を掠め、その先には大きな街が見えた。
「ラルク、あれが王都だ」
白い雪に覆われた森の中に浮かび上がる、緑に囲まれた美しい景色。ついに到着した、あれがタクティカ国の王都……。巨大な城壁の内側は結界のおかげか緑豊かな大地と発展した街並みが広がり、遠くには大きな城が建っていた。僕は思わず故郷のアルテナの街を思い出した。
「もう少しだ、行こう」
そうして僕たちは、長い旅路に想いを馳せながら王都へ向けて山道を歩き続けた。
—タクティカ国 王都—
高さ7~8メートルはある強固な防壁に囲まれた王都の入口では、入国審査の長い行列ができていた。僕たちもその最後尾に並ぶ。大抵の国では、入国の際に個人カードか出国証明の提示が求められる。未成年は出国証明、成人後は個人カードかギルドカードの提示が必須だ。けれど僕は、個人カードを発行される前に国外追放されてしまった。つまり、自分を証明する手段がない。……困ったな。
そのことをネイに話すと、「……問題ない」とあっさり返された。なにか裏技でもあるのだろうか? やがて僕たちの順番が回ってくる。最初にネイがカードを提示し、フードを下ろす。すると門番の衛兵が「あっ……!」と驚いたように目を見開いた。
「ネイ様、生きておられたのですね!」
その声を聞きつけ、門の脇にある衛兵詰所からも次々と衛兵が駆けつけてくる。彼らは口々に親しげな言葉をかけ、ネイは少し困ったような顔をしながらも応対していた。どうやら、ここにいる衛兵たちはみなネイのことをよく知っているらしい。
「ところでネイ様、そちらの少年は?」
1人の衛兵が僕のことを尋ねた。
「この少年は私の連れです。船の事故でこの島に流れ着き、身分を証明するものがありません。ですが、私が保証しますので、仮の入国許可証を発行していただけないでしょうか」
ネイがこれまで聞いたことのない長さの台詞を口にしたことに、僕は少し驚いた。それは衛兵たちも同じだったようで、みな目を丸くしていた。ネイの言葉により、僕は仮の入国許可証の発行を許され、彼女と共に王都へと足を踏み入れることができた。衛兵たちの態度と入国手続きの速さから、ネイがこの都市で非常に高い地位にあることが伺えた。
発行された金属製のカードには、僕の名前・性別・年齢が記されており、保護者欄にはネイの名前が刻まれていた。一方、彼女のカードの裏面には「冒険者ランク:A」「職業:女性魔術師」と記されていた。これは冒険者としての身分を証明するものだろう。確か、冒険者ランクは6段階で、最上位がSS、その下がS、そしてA。……Aランクは上から3番目、Dランクが最下位になる。つまりネイは、上位ランカーのA級女性魔術師というわけだ。
A級ともなれば、世に名を馳せる英雄に近い実力の証明になる。彼女は国からも認められた、中〜上位に位置する実力派冒険者なのだ。僕は改めて、彼女の凄さを実感した。
関所を抜けて防壁の内側に足を踏み入れた瞬間、空気がふわりと変わる。それまでの冷気が嘘のように、ぽかぽかとした温暖な気候に包まれた。どうやらこの王都にも、あの集落と同じように気候を調整する結界が張られているようだ。
「みゅにゃぁ……着いたにょか?」
寝ぼけた声と共に、スピカが僕の背中のリュックからひょっこり顔を出す。だらしなく僕の肩に体を預け、「あ”~~~~」と盛大なあくびをした。寝ぼけて落ちるんじゃないかと不安になるが、スピカは器用に僕の服にしがみつき、しなやかにバランスを保っていた。
ネイの案内で、僕たちは街の大通りを歩いていく。この街の住人は金髪の人間種が多く、時折、銀髪の古代妖精種と思われる人物の姿も見かける。そんな中、黒猫を抱えた黒髪の僕は明らかに異質な存在だったようで、通りすがる人々が物珍しそうにこちらを見てくる。
視線が刺さる。……どうしても慣れない感覚だ。かつての出来事が心に影を落としているのだろう。他人の視線をただの好奇心として受け止めることができず、不快な注目として感じてしまう。集落と比べて人通りが多く、その分だけ視線の圧も強まっていた。
大通りの片隅にある、小ぢんまりとした宿屋に入ると、ネイが宿泊の手続きを済ませてくれた。2階に案内され、部屋に入る。中はベッドが2台とテーブルが1つ置かれた、こじんまりとした空間だった。
……え、同室なんだ。もちろん僕に部屋を選ぶ権利なんて無い。お金も無いし、今さら文句を言う筋合いもない。けど、20歳前後の女性と15歳の男が同じ部屋って、世間的に見たらどうなんだろう。そう考えてしまった自分に苦笑する。よく考えれば、ここまでの旅でも僕たちは身を寄せ合って眠っていたじゃないか。たぶん、こんなことを気にしてるのは僕だけだ。変な雑念を振り払おうと頭を振っていると、ネイが荷物をベッドの上に置きながら言った。
「私はこれから城に行ってくる。ラルクたちは、ゆっくり休んでて」
「う、うん。わかった」
そう言い残し、ネイは静かに部屋を出て行った。僕は窓際へと歩き、大通りを進んでいく彼女の後ろ姿を、しばらく見送った。
「なぁ! 街を見て回らないか?」
窓際に飛び乗ったスピカが、きらきらした瞳で僕に声をかけてくる。……正直、あまり気が進まない。5日間の山越えよりも、街の人たちの視線の方がよほど堪える。それを理由に断りたいところだけど、スピカにはそんな言い訳は通じない。
「なぁ〜なぁ〜、行こうぜ〜! ラ〜ル〜ク〜!」
スピカは僕の肩に飛び移り、両手の肉球で僕の左頬をふみふみ押してくる。可愛いけど……しつこい。
「……分かったよ」
いつまでもこの宿に閉じこもっているわけにもいかないし、いずれは仕事を探さなくちゃいけない。個人カードが無い僕にできる職は限られているけど、日雇いの仕事くらいなら見つかるかもしれない。重たい腰をようやく上げて、街を歩く支度を始める。――髪だけは、フードで隠しておくしかないな。
フード付きのマントを深く被り、スピカと共に街の大通りへと繰り出した。道の両脇には露店や屋台が立ち並び、目新しい商品や香ばしい匂いのする料理がずらりと並んでいる。けれど――無一文の僕らには、見ているだけで精一杯だった。
「うまそうだなぁ。人間種の作る食い物って、見た目からして反則だよな。おい、見ろよ! あの滴る肉汁!」
「……スピカ、やめよう。見てるだけで腹が減るし、虚しくなる」
ため息まじりに言いながら、歩き続ける。この大通りは、僕の故郷と同じくらいの広さで、街の人々でそこそこ賑わっていた。氷に閉ざされた大陸の中とは思えないほど、結界によって気候は温暖に保たれていて、薄着の人々もちらほら見かける。……結界って本当にすごいな。もしかして、どこかに専門の魔術師が常駐してるのかもしれない。
大通りの露店街を抜けたところで、右手に見えてきたのは冒険者ギルドの看板だった。――そうだ、これ。懐かしいな。故郷にもあった、冒険者が集まる場所。仕事の斡旋、依頼の掲示、情報交換――冒険者にとっての拠点とも言える施設。一応、公共施設ではあるけれど、軍事への介入は禁止されている。僕が小さい頃に授業で習った話だと、昔は国家間の戦争にも関わっていたらしいけど、今ではそうした依頼は暗黙のルールでタブーとされているらしい。
どこのギルドもたいてい酒場を併設していて、冒険者同士がランクごとに交流しやすいよう工夫されている。パーティーを組む相手を探すのにも便利な場所だ。そんな施設をしげしげと見つめていた僕に気づいたのか、スピカが弾んだ声を上げた。
「なあなあ、入ってみようぜ! 面白そうじゃん!」
うん、確かに――ちょっと興味もある。軽い好奇心に背中を押されて、僕は冒険者ギルドの扉を開けてみることにした。
ギルドの中は想像以上に広々としていて、大勢の冒険者たちで賑わっていた。正面の巨大な掲示板には、モンスター討伐や物資の収集、護衛依頼など、様々な任務がずらりと並んでいる。受付カウンターには4人の受付嬢が忙しそうに対応し、奥の酒場スペースでは、仲間たちと食事を楽しむ冒険者たちの笑い声が響いていた。
――これが冒険者ギルドか。初めて足を踏み入れたけれど、活気があって、なんだか明るい雰囲気だ。僕の中ではもっと荒くれ者が酒を浴びて殴り合っているような、物騒なイメージだったけど……ちょっと違ったみたいだ。
「おお、見ろよ! 1000万ゴールドの討伐依頼だってさ。こりゃすげぇ」
掲示板の一角に貼られた高額依頼に思わず声が漏れる。それはS級冒険者専用の、超危険かつ超高報酬の討伐任務だった。
「へっ、俺様だったらこんな依頼、チョチョイのチョイで片づけて、億万長者になってやるっての」
僕の肩の上で、スピカが鼻を鳴らしながら得意げに言い放つ。……いや、どこからその自信が出てくるんだ。そんな軽口をたたいた直後、背後から不機嫌そうな声が飛んできた。
「おい、ボウズ。冒険者ナメてんのか?」
――え? 振り向く間もなく、筋骨隆々の男が2人、僕に絡んできた。重そうな鎧を身につけた、いかにも前衛職といった風貌の戦士たちだ。1人がいきなり僕の胸倉を掴み、力任せに持ち上げてくる。
「ちょっ、ちが――それ、僕じゃ――」
焦って否定するも、言葉がうまく出てこない。今のは、僕じゃなくて……スピカの独り言なんだけど! さらに悪いことに、持ち上げられた衝撃でフードがずり落ち、黒髪があらわになる。
「見ねぇ顔だな……余所者か? ここはガキが遊びで来る場所じゃねぇんだよ!」
男はそう怒鳴りながら、僕の体を乱暴に壁際へと叩きつけた。――ごつん、と鈍い音がして背中に痛みが走る。その瞬間、スピカは僕の肩からピョンと跳ね、人混みの中へと軽やかに逃げていった。……おい、逃げたな、こんな時に限って!
「おいおい、大口叩くイキがったガキには――ちょっと“教育”が必要だな」
もう一人の男が指をボキボキと鳴らしながら、じり……じり……と、間合いを詰めてくる。その圧に、僕は1歩、また1歩と後ずさった。周囲にいた冒険者たちも、騒ぎを聞きつけて集まり始めた。あっという間に僕たちの周りには人だかりができ、ざわめきと視線が容赦なく降り注ぐ。
――なんだ、この状況は。冷やかし、無関心、面白がっている視線。誰も止める気なんてない。頭の奥がキィンと痛み、胸の奥で何かがギュッと収縮する。
「これ……人前で、ボコボコにされるやつ、だよな」
唇が震える。足も、心も、凍りついて動かない。口を開こうにも、声が出ない。言い訳も、抗弁も、全て喉の奥で詰まっていく。ああ、もう……駄目だ。ふと、心が勝手に過去へと逃げた。あの日――成人の儀式の日から、僕の人生はどこか狂ってしまったんだ。あの”破壊神の加護”。あれは本当に、僕に何かを「与えて」くれたのか? むしろ全部を壊してしまっただけじゃないのか? 誰かの笑い声が耳に刺さる。
「このガキ、ビビってやがる! ギャハハハハッ!」
気づけば、また胸倉を掴まれ、足が地から離れていた。持ち上げられた体が宙に浮き、逃げ場はどこにもない。――ああ、これが限界なんだな。
視界が滲む。恐怖が、悔しさが、悔いが、喉の奥に詰まって何も言えない。目を閉じる。殴られる覚悟を決めた瞬間、心にひとつの言葉がよぎった。
もしかしたら……僕って、世界一、不幸な人間なんじゃないだろうか。
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なんだこのギルド、ネカマしかいない!? Ψ異世界転移したら仲間が全員ネカマだった件Ψ
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