006話 墓標
◇◇◇◇◆◇
目の前の獣は、俺様の“睨み”の前に身動きが取れない。な~んだ、この程度か。もう少し高い能力値かと思ったが、所詮はザコか。1匹だけなら余裕だな。
獣は怯えの伺える眼で睨み、全身の毛を逆立てながら「グルルルル……」と唸り声を上げている。ぷぷぷ……怖がってやがる。今にも逃げ出しそうだな……まっ、逃がさないんだけどな。
「何故この大陸に来たかは知らないが、たかだか精神獣の分際で俺様の縄張りに土足で入って来るとは良い度胸だな」
俺様が1歩脚を踏み出すと、獣はジリジリと後ずさりを始める。獣は虚勢にしか見えない威嚇をしているが明らかに怯え逃げる隙を伺っている。当然、俺様から目を逸らす事は出来ない。何故なら目を逸らした瞬間に訪れる確実なる死が見えるからだろう。
獣は意を決したように炎を司る上位魔法【紅蓮双旋】を使用して来た。螺旋状に回転する2個の火球が俺様目掛けて猛スピードで向かって来る。そして獣は上位魔法を使用すると同時に前足を踏みしめ、近くの建物へと向かって走り出す。
あの獣は物体の直角を使い【空間転移】を行うと聞いた事が有る。俺様がそれを許すと思うか? ……馬鹿が! 所詮は脳味噌の無い精神獣だな。
せっかくよさそうな場所をみつけたのに邪魔しやがって……!
俺様は自慢の大口を大きく開き、火球を飲み込む。さらに走り去ろうとしている獣を追い込み、回り込む。そして腹部にある“もう1つの巨大な口”で獣の全身を覆い尽くし、喰らいついた。
グッチャゴリゴリ……グッチャグッチャ!
そのまま咀嚼し、嚙み砕き、血と肉と骨と、そして魂を喰らう。余すことなく、その存在のすべてを喰らい、自身へと吸収する。思考がないはずの獣の恐怖心が、俺様にダイレクトに伝わる。脳味噌が無い癖に、本能で恐怖を感じるらしい。くくっ……お笑いだ。
俺様の存在を感じ取れなかった糞ザコには嫌気がさす。もう少し強いモンスターなら、俺様の気配を察知して遭遇前に逃げ出せただろうけどな。少し持ち直したアイツの心に余計な痛みを与えやがって……くそ! クソ! 糞!
……くだらない! ほんっっとうにくだらない! ……ティンダロスか、いずれ滅ぼせばいいかなぁ。
◆◇◇◇◇◇
目を覚ますと、焚き木の炎がユラユラと揺らめき、陽炎のように揺らいでいた。雪深い森の洞窟の入口らしき場所で、厚手のローブに包まれている。隣で寝息を立てる人に気付いた。薄暗い中、目を凝らすとネイが肩を寄せて眠っていた。
そうだ、思い出した。巨大な獣に襲われ、村は破壊され……村長が――。自分の無力さ、不甲斐なさに怒りが込み上げる。僕は何度も拳を地面に叩きつけた。かろうじて痛みを感じる。この痛みは、まだ心が壊れていない証拠だ。
拳が血まみれになると、白い2つの手がそっと包み込んだ。ズキズキと痛む拳に添えられた冷たい掌に、僕の血が伝う。目を覚ましたネイは悲しげに首を横に振る。その頬を一筋の涙が伝い落ちた。それを見て、僕も自分が泣いていることに気付く。つい先日、一生分泣いたと思っていたのに……まだまだ僕の涙の源泉は枯れていなかったのだ。
僕はネイを無表情で冷淡、感情が薄い女性だと感じていた。それが今、目の前で涙を流している。その理由はきっと、僕と同じだ。……いや、同じわけがない。彼女の方が村の人々と強く結びついていて、その分だけ悲しみも大きいはずだ。あの圧倒的な力に対して、自分がどれほど無力な存在かをまざまざと思い知らされた。生き延びるために逃げるしかなかった状況で、彼女は僕を守るため、多くの同胞を見殺しにしたのだ。彼女は僕以上に悔しく、苦しい想いを抱えているに違いない。それでも彼女は自分の気持ちを抑え込み、僕を落ち着かせようとしている。
「ごめんなさい……」
言葉はただただ、誰にともなく零れ落ちた。彼女は何も言葉を返さず、僕の拳を両手で優しく包み込んだ。僕たちは雪の降りしきる森の洞窟で身を寄せ合い、互いの手を握り締めて泣いた。
やがて夜が明け、朝日が昇り始める。結局、一睡もできなかった。昨夜、村を襲った獣が僕たちを追ってくることはなかった。ネイに促され、高地にある高台へと登る。彼女は太陽の位置を頼りに、集落のある方角をじっと見つめた。
集落のあたりからは、まだいくつもの煙が立ち上っており、すぐに発見できた。目視できる範囲では、あの巨大な獣の姿は見当たらない。僕たちは覚悟を決めて、集落への道を歩き始めた。
ネイは周囲を警戒しながら獣の気配を探り、ゆっくりと先頭を進む。僕の包帯を巻かれた右手は、彼女に強く握られていた。彼女は常に僕を守ってくれている。そんな彼女に比べて、完全にお荷物の自分が情けない。昨日の子供のように泣いていた姿はどこへやら、力強い表情を見せる彼女。その横顔はいつもの凛々しいネイだった。
道中、何度かモンスターに遭遇したが、彼女は上位魔法であっさりと倒していく。昨夜の獣との戦闘を目の当たりにしていたからわかる。スピカが言っていた通り、彼女はかなりの実力を持つ冒険者だ。
やがて、僕たちは集落に辿り着いた。スピカが言っていた結界はすでに消え去り、温暖だった気候も消え、集落の緑は降り積もる雪に覆われている。そして、昨日の惨劇も真っ白な雪に隠され、辺りには静寂が漂っていた。
丸1日を費やし、僕と彼女は生存者の捜索を続けた。逃げ延びた者もいるのかもしれないが、この集落に生存者は1人として見当たらなかった。散らばるのは、多数の肉片と、人の形をした消し炭の残骸ばかり。五体満足な亡骸など1つもなく、凄惨な光景が広がっていた。
僕たちは程よい大きさの石を探し出し、遺体を土葬して墓標を立てる。彼女はナイフを使い、1つ1つに名前を刻んでいった。どうして名前がわかるのか尋ねると、彼女は「精霊に聞いた」と教えてくれた。わずか1晩で、かつて集落があった場所は自然石の墓標が並ぶ集合墓地へと変わった。
目に見える範囲の埋葬を終え、改めて思い返す。僕にとっては、たった3日間の出来事がまるで夢のようだった。温かい人々とのふれあいが確かにあったのに……今、そこにあるのは名前の刻まれた無数の墓石だけ。そして、その墓石群を見つめる少女の悲しげな横顔が、夕日に染まって影を落としていた。
「……ありがとう。手伝ってくれて」
「うん」
重ねる言葉が見つからなかった。励ましや慰めの言葉など薄っぺらく感じて、口にできるわけがなかった。
夜も更けてきたので、僕が借りていた家で休むことにした。ネイは僕を守るためか、一緒に家までついてきた。村の奥にあるその家は無傷で残っていた。扉を開けると、ベッドの上の掛け布団がこんもり盛り上がり、中の何かがゴソゴソと動いている。僕とネイは思わず身構えた。
「何かいる! モンスターか?」
そう思った瞬間、掛布団の中からヒョコっと黒い生き物が顔を出した。
「……ラルクか?」
その黒い生き物は、昨日いつの間にか逸れていたスピカだった。珍しい黄金色の瞳と人語を話すことですぐにスピカだと分かった。
「スピカ! よかった、無事だったんだな!!」
「お、おう! まぁな」
スピカは元気そうに鼻をフフンと鳴らした。上手く逃げ隠れていたのだろう。生きていてくれて、本当に良かった。集落を守っていた結界がなくなったせいか、周囲の気温は下がり、石造りの家はとても寒かった。僕は冷え切った室内を温めようと暖炉に薪をくべ、スピカが魔法で火を灯した。
その間にネイは有り合わせの材料で食事の支度を始めていた。そういえば丸1日、何も食べていなかった。気を張っていたせいか、今になって強い空腹を感じていた。ネイの料理の腕はスピカよりも格段に上で、あっという間に夕食が完成した。食事をしている最中、ふとネイが口を開いた。
「ラルク、王都へ行こう」
「……王都?」
この島の中央にあるタクティカ国の王都のことは聞いたことがあった。確か、ネイの家も王都にあると言っていたはずだ。突然の提案に、答えに詰まってしまう。
「ああ、ここでは生きてはいけない」
“生きていけない”――その言葉の重みが、僕の心に深く沈み込んだ。
「……うん」
彼女の言う通りだ。僕がこの場所に残ってもどうにもならない。僕は彼女の提案に頷くしかなかった。情けないけれど、どうすればいいのか自分でも分からなかった。この島に来た当初は自由だと思っていたけれど、何もない自由ほど無意味で価値のないものはないと気づいたのだ。
「タクティカ国の王都か。なあ、ラルク、行こうぜ。ここにいても、その姉ちゃんだって辛いだけだ」
スピカの言葉に気づいた。僕は自分のことしか考えていなかった。多分、一番辛いのは彼女なんだと思う。
「そうだな、行こう。行くよ、ネイ」
「……うん」
その夜は狭いベッドに二人と一匹、体を寄せ合うように布団に包まった。結界が壊れて気温は氷点下にまで下がっていた。最初は緊張していたけれど、昨晩ほとんど眠れていなかったうえに、肉体的にも精神的にも疲労が限界だったのか、すぐに深い眠りに落ちていった。
翌朝、村に残っている物資で旅の準備を整えた僕達は、タクティカ国の王都へと向かう事となった。
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