004話 その手の温かさ
妖精種の女性に案内されてから、かれこれ30分ほど歩いただろうか。古びた遺跡を抜け、さらに雪深い森の中へと進んでいく。やがて木々の切れ間が開け、視界の先に小さな集落が現れた。 石と木材を組み合わせた家々はどれも古風だが、どこか落ち着いた雰囲気が漂っている。田舎町のような――そんな懐かしさすら感じる光景だった。……ここが、この人の住んでる場所なのかな。そう思った時、前を歩く妖精種の女性がふと口を開いた。
「……名前。私はネイ。聖域を守る者だ」
振り返ることもなく、まるで義務のように名乗るその声は、どこか遠い。
「僕はラルクと言います」
「俺様はスピカだ!」
スピカが胸を張るように答えたが、ネイはそれに返事をすることなく、歩を進める。会話はそこで終わり――お互いの距離感だけが宙に残された。……冷たい人だな。でも、悪意があるって感じじゃない。
やがて集落の入口に差しかかる。大きな木製の門の前には、銀髪で細身のエルフの門番が2人、長槍を手に立っていた。金属製の鎧に身を包み、鋭い視線をこちらに向けている。……衛兵、だろうか。アルテナの兵士に比べると、どこか華奢な印象だ
「……少し待て」
ネイは短く言って門番に近づき、静かに何かを伝えているようだった。2人の門番は僕たちにちらりと視線を向け、わずかに眉をひそめる。やっぱり……歓迎はされてないんだな。
ネイが振り返り、手招きする。合図だろうか。僕たちは指示に従い、門の内側へと足を踏み入れる。その瞬間、空気が変わった。道行く人々がちらりとこちらを見る。視線が合えば、すぐに逸らされる。ある者は肩をすくめ、またある者はわざと道を避けて通る。……この反応は……完全によそ者を見る目だ。僕はローブの襟をぎゅっと掴み、下を向いた。その中で、ただひとつ、スピカの尻尾が誇らしげに揺れていた。
集落の中に足を踏み入れると、外とはまるで別世界のような空気が流れていた。肌を刺していた冷気が和らぎ、どこか温もりを感じさせる――そんな不思議な感覚に包まれる。
「……結界が張ってあるな」
スピカが空を見上げ、周囲をぐるりと観察して呟いた。確かに、ここは周囲の景色とまるで違っていた。豪雪地帯の中にぽっかりと浮かぶように、緑豊かな集落が広がっている。木製の柵を境にして、外は雪と氷の世界、内はまるで春のような空気。これがスピカの言う“結界”の境界なのだろう。
ネイの後をついて、僕たちは集落の中を歩く。通りすがる住人たちは皆、銀の髪と長い耳――妖精種だ。その目が、僕たちにじっと向けられる。興味、警戒、不安――入り混じった視線が、確かに僕に突き刺さる。……また、これだ。
不意に、故郷の光景が脳裏に蘇る。大聖堂から牢獄へ引き立てられたあの日。人々の軽蔑と好奇の視線。罵声こそ無かったが、その沈黙が何よりも心を抉った。また、同じ目で見られてる……。両手で耳を塞ぎたくなる。いや、気付けばもう塞いでいた。自分の鼓動と呼吸の音だけが耳に残る。その時、肩を誰かに掴まれた。
「……大丈夫か?」
はっとして目を開けると、目の前にはネイがいた。無表情のまま、まっすぐに僕の目を見つめている。彼女の瞳からは、感情を読み取ることができなかった。けれど――冷たさは、なかった。
気まずさを覚えた僕は、反射的に視線を逸らす。 そして、足元のスピカと目が合った。スピカもまた、心なしか心配そうに見上げていた。
「……気にするな。黒い髪の人間が珍しいだけだ。敵意はない」
ネイはそう言いながら、そっと僕の手を握った。
「……え?」
思わず戸惑って腕を引こうとしたが、意外にもその手はしっかりと力強く、ビクともしなかった。細身に見えて、鍛えられた冒険者のような握力。それでも、痛くはなかった。どこか、拒絶されていないという実感が、胸の奥に広がっていく。ネイは言葉を足すことなく、そのまま歩き出す。僕は、その手に導かれるように、無言のまま後を追った。
……温かい。船内で感じたスピカの体温も、こんなふうに優しかった。つらいときに誰かの体温が、こんなにも心地よく沁みるものだなんて、思ってもみなかった。不意に、ネイが立ち止まり、そっと手を放す。そこは、集落の中でもひときわ大きな二階建ての建物の前だった。
「……着いた」
ネイが扉をノックすると、中から現れたのはエルフの男性。彼女と何やら言葉を交わしたあと、にこやかに僕たちを迎え入れてくれた。
「ここで待ってて」
案内されたのは、やや広めの部屋だった。家具や装飾の少ない簡素な空間に、僕とスピカは椅子を並べて座り、静かに彼女を待つ。とりあえず牢屋でなかったことに、ほっと胸をなで下ろす。しばらくして、小柄な老婆とネイが部屋に入ってきた。僕は立ち上がり、自然と頭を下げる。
「少年がラルク。そこの動物がスピカ」
あまりにあっさりした紹介に、思わず肩の力が抜ける。老婆は僕の全身を、まるで舐めるようにじっくりと見つめた。
「悪意のある人間ではなさそうじゃの。ワシの名はフェイル。この村の村長をしておる。さて、そなたたちはこの島に流されてきたと聞いたが?」
僕は、これまでの経緯をできる限り丁寧に話した。破壊神の加護を持つせいで、故郷を追われたことも。するとネイが補足するように、僕の胸を指さす。
「隷属の印が刻まれている」
僕はローブの襟元を少し下げ、鎖骨のあたりを見せた。そこには赤黒い魔法陣のような刻印が、くっきりと浮かんでいる。……この印が、どういう意味を持つのか、名前からおおよそ察しはついた。
「ほうか、ほうか。それは難儀じゃったのう。すまぬが、確認させてもらおうかの」
フェイル村長は僕の前に立ち、ゆっくりと右手を差し出す。その手が淡く光を放つと、半透明の長方形の石板のようなものが目の前に現れた。これって……。
ラルク ♂ 15歳
加護:破壊神の加護
特殊才能:不死状態 魔族隷属 意思超越
成人の儀でみた光景が、目の前に小さく表れた。大聖堂で表示された内容と、まったく同じだった。周囲の視線、冷たい反応――あのときの光景が脳裏にフラッシュバックする。ああ、やっぱり現実なんだ。僕は……いったい、何者なんだ。
そのとき、フェイル村長が僕の手を取った。もう片方の手で、甲を優しくさすってくれる。その手は深い皺に覆われていて、長い年月を生きた証のように見えた。
「辛かったのう、辛かったのう……」
そう言って、村長はぽろぽろと涙をこぼす。――なぜ? 僕なんかのために?
思わず戸惑った。けれど、次の瞬間、気づく。僕自身も涙を流していた。……なぜだろう。自分でも理由が分からない。けれど、きっと村長のその涙が、言葉が、触れてくれた手が、すべて僕に向けられたものだったから。それが胸の奥に、じんわりと染み渡っていく。
スピカやネイの温もり――そしてフェイル村長の優しさ。押し殺してきた怒りや悲しみが、頬をつたう涙と一緒に流れていく。……僕は、この世界で生きていてもいいのだろうか? その問いに「いいよ」と答えてもらえたような、そんな温かさが胸を満たしていた。涙を止めることなく、僕は村長の手を握りしめ続けていた。
その後、フェイル村長の勧めで風呂を借りることになった。そういえば、もう7日以上も船に揺られていたのだ。寒冷地を航行していたとはいえ、自分でもわかるほど体は汗臭い。試しにスピカを誘ってみたところ、「ふざけんな! 俺様は女だって言っただろうが!」と一喝され、頬を引っかかれた。いやいや、さすがに猫に欲情する趣味はないって……。
しばらくして、僕らを家に招いてくれた妖精種の男性が、「湯が沸いた」と声をかけに来てくれた。名はガタル。フェイル村長の孫だと自己紹介してくれた。浴室に入ると、そこには石造りの立派な風呂があり、湯船には乳白色の湯がたっぷりと張られていた。優しく香る薬草の香りが鼻をくすぐり、自然と気持ちがほぐれていく。
数日ぶんの垢を落とし、体をしっかり洗ったあと、ゆっくりと湯船へ身を沈めた。温かさが全身に染みわたり、体の芯まで血が巡る感覚に思わず安堵の吐息が漏れる。……久しぶりに感じる、この上ない幸せと安らぎ。
湯に浸かりながら、ふと今日の出来事が頭をよぎる。――フェイル村長の前で、まるで子どものように泣きじゃくったこと。涙が枯れるまで、なんてのは大げさかもしれないけど、今思うと少し恥ずかしい。村長には、どこか母親のような無条件の優しさを感じた。たった一日の出会いだったはずなのに、なぜこんなに心が救われたのだろう。
僕が風呂から上がると、スピカが入れ替わりに入っていった。猫なのに風呂が好きとは……なんだか人間くさいところがある。やっぱり喋れるだけあって、普通の動物とはひと味違うのかもしれない。広間へ戻ると、ネイがいた。目が合った瞬間、なぜか少しだけ気まずさを感じる。だが彼女はいつもの無表情のまま、特に気にする様子もなく僕の腕を引いて奥の部屋へと案内した。
そこは、この家の中でも一際大きく、天井まで5メートルはあろうかという広々とした空間だった。正面には荘厳な神像があり、壁には幾つかの美しい絵画が飾られている。どこか大聖堂を思わせるような、神聖な雰囲気に満ちていた。
「その像は、この島に古くから伝わる守護神・カノプス様の像じゃ」
背後から声がして振り向くと、フェイル村長が立っていた。彼女は神像を見上げながら、静かに語り出す。この世界は、創造神と破壊神という二柱の神によって創られたと伝えられている。そして、創世の時代。創造神はこの大陸を守るため、守護神・カノプスを生み出したという。だがやがて、破壊の渇望に囚われた破壊神が創造神を打ち倒し、カノプス様もその手に堕ちた――そう、古い書物には記されているのだという。
守護神カノプス様の名は初耳だったが、創造神と破壊神にまつわる伝説は、誰もが一度は聞いたことのある御伽話だ。生きとし生けるもの全てが星となり、この世界が消滅寸前まで追い詰められたという話――だが最終的に、天界の使者と数多の守護天使たちの手によって破壊神は討たれ、世界は新たに生まれ変わったのだと教えられてきた。
「この大陸に伝わる書にはな、他国では語られない、少し変わった記述が残っておるんじゃ」
フェイル村長はそう言って、さらに話を続けた。それは驚くべき内容だった。なんと、創造神と破壊神はもともと同じ存在――つまり、一柱の神の二つの側面に過ぎなかったというのだ。この村では、禁忌とされる破壊神さえも創造神と同様に“神”として崇めているという。
「ラルクや。お前がこの村に来たのは、もしかすると……運命だったのかもしれんな。この村には、お前を大切に思ってくれる者が、きっと少なくないじゃろう。どうだ、この地で暮らしてみんか?」
僕は、村長の言葉に言葉を失った。これまで“悪”と教わってきた破壊神が、“善”の象徴である創造神と同一だという話――そんな常識を覆すような価値観に触れて、頭が混乱していく。それでも、一番心を揺さぶられたのは、その後の言葉だった。
証明するものを何ひとつ持たない、異国の浮浪者の少年を、この村が受け入れてくれるという。それは、まるで――「帰ってきていい」と言われたような温かさだった。
「い、いいんですか? ……もしよければ、お願いしたいです」
迷う暇もなかった。反射的に、心の底から湧き上がる気持ちが口をついて出ていた。村長は僕の言葉に静かに頷き、優しく微笑んだ。僕は思わず深く頭を下げた。胸が熱くなっていた。こんなにも嬉しい気持ちになったのは、いったい何年ぶりだろうか。
――こうして僕とスピカは、南極大陸のタクティカ国にある遺跡近くの、小さな集落で暮らすことになった。
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