(閑話)利用者第一号はスーパー冒険者
私はジョルジュ・ウィンスト。『シャリア伯爵領』の海沿いの町『バレオ』を拠点とする貿易商の三代目だ。
祖父が命を賭け金として始めた貿易商だが、父は祖父と共に航海した船長や航海士達を上手く使い、ウィンスト貿易商の名を大きく飛躍させた。
無理が祟ったのか、予定より早く父が病気を理由に引退して私が当主となったのだが、三代目である私の評価はどうも芳しく無い。
命知らずと恐れられながらも、奇跡的に一度も大きな事故に遭わず新たな販路を開拓した祖父、祖父の手腕を受け継ぎながらより安全で安定した事業を行い、規模を拡大させた父。
そんな二人と比べられれば、父の真似をするだけの私が評価をされる筈も無いので、私の評価については何も思わない。
だが今の私はとても納得出来ない事案を抱えてリミエンにやって来たのだ。
数日前の海運ギルドでの会合で、
『我々貿易商は現状に甘えすぎている。
取り扱う商品の品目を増やして、もっと船を出す回数を増やすべきだ!』
と最大手の座を狙うある貿易商がそんな提案をしてきたのだ。
この大陸から二千キロメトル程南下すれば、そこは熱帯地方の入口である。
コンラッド王国には無い様々な植物が生い茂り、見たことも無い魔物や野生動物が棲息する。
子供の頃に二回程南の大陸に行ったのだが、往復二ヶ月の過酷な船旅を体験した私は、もう二度とあの船に乗るつもりは無い。
だが他の貿易商達は平気な顔で船に乗っては、何に使うのか分からない樹脂や椰子の実、苦いだけの木の実等を時々コンラッド王国に持ち込むのだ。
これらの品は今のところ大きな取引には至っていないので、ざまあ見ろと内心ベロを出しているのは内緒だ。
また、コンラッドから東に向かうと、そこは高地と湿地の多い大陸で、そこにもコンラッド王国には無い植物が何種類か確認されている。
そちらの現地民はパンに出来ない穀物を主食として食べているらしいので、全く話にならない。
そちらから来たもので使えるのは、トウモロコシが唯一と言えるだろう。
やはり香辛料、サトウキビに勝る商品はそう簡単には見つからない。
地味だと言われようが、堅実な商売こそ私のモットーなのだ。
そんな状況であるのに、扱う商品を増やせとは馬鹿としか思えない。
用途の分からぬ物を運んでも、儲けにならないどころか船の錘になるだけだ。
それに海は我々の予想も出来ない事態を引き起こすことがある。闇雲に海に出ては命を縮めるだけなのだ。
そんな提案をするなど、何を焦って狂っているのだろう、そう思っていたのだ。
だがその会合から数日後、何故か私にリミエン方面に海運業ギルドの支部設立の命令が下されたのだ。
最大手争いをしている二社は王都で、ウィンスト家の他に大手と言われる貿易商は工業製品の製造が盛んな町に割り振られているのだ。
そちら方面なら新しい物を欲しがる者も居るだろう。
しかしリミエンの主産業は農産物だ。
このような土地で、海運業ギルドの支部を設立して一体どんなメリットがあるのだ。
あからさまな嫌がらせにも程があるが、白金のカードを持つ者の指示には従わざるをえない。
私の不在中に家族が厭がらせを受けるのを恐れて、渋々ながら家族と共にリミエンを訪れることにした。
リミエンは現伯爵の代に変わっても特に目立った発展も無ければ衰退も無い、無難な治政が行われている。
言い換えれば面白みも何も無い町だ。
周囲にはまだ手付かずの平地が多く残っている。農地でなくとも産業となる物を始める余地は十分にあるのに、実に勿体ない。
勿論開拓には費用も掛かるし、魔物に襲われる可能性もあるが、リスクを恐れていては発展は望めまい…いや、それは私にも言えることか。
まさか白金カードの連中はそれを私に分からせる為にここへ派遣したと?
いや、あんな脂ぎったスケベ爺共にそんな知性は皆無だろう。
リミエンに到着した日の夜、妻と娘は気分転換と食後の散歩の為に宿を出た。
リミエンは比較的治安は良い方だと聞いていたが、夜と言う時間帯、そして迷子の娘、その二つが揃えば良からぬ人物を招くのは仕方あるまい。
しかし娘があわや人攫いに連れ去られそうになったところで、黒い髪の青年に救われたと言うのだ。
その青年は見るからに急いでいた様子で、妻の名前を聞いたが自分は名乗らずに去って行ったのだとか。
しかし娘を助ける時に、戦うでなく金貨二枚を人攫いに渡したと言うのを聞いて、私はその黒髪の青年が人攫いの仲間ではないかと疑っている。
今日、商業ギルドで海運業ギルドの支部設立の話が終わった後、衛兵詰所に行って彼の事を話そうと思っていた。
だが、まさかその本人が子供を二人連れて総合受付に居たのだから驚いたなんて物ではない。
妻と娘は彼を信用している様子だが、
「レイア、彼が何か芝居を打ったという可能性もまだ残っている。
そう簡単に信じてはいかん」
と妻を諫める。
彼に私が警戒していると教える事になるが、寧ろ今後彼の接近を遠ざけるにはこの方が手っ取り早いだろう。
思案顔の彼だったが、
「一つだけ種明かしをしておきますよ」
と言うと肩掛け鞄から二枚の金貨を取り出し、目の前で左右にちらつかせるのだ。
何故、今ここで金貨を?と思っていると、手渡された二枚に違和感を覚えた。
明らかに軽く、触感もおかしい…。
私の怪訝な顔を見て、これは偽物以下の玩具であり、金貨なんて普通は目にしないから簡単に騙せると言って彼は和やかに笑うのだ。
鉄に金色の紙を貼り付けた幼稚な玩具か。
しかもデザインまで違うのだから、これは本当に呆れるしかない。
彼の知恵と度胸は認めるが、それで疑惑が完全に消えた訳ではない。
「信じてください、としか言えませんが、無理に信じてとは言いません。
急いでいたとは言え、疑わしい行動を取ったのは事実ですから」
これは詐欺師が使うセリフではないか、と思うのだが、私が見ても彼は綺麗な目をした好青年に映る。
子供達だけでなく妻まで彼を信用しているのだから困ったものだ。
娘のエカテリーヌは既に彼の連れていた女の子と仲良く遊び始めており、過去に勇者が広めたと言われる合体ポーズを決めて満足げだ。
子供達の間では、友達同士になった時にこれをやるのが定番らしいのだ。
それを見て息子のジェフもやりたそうでソワソワしている。
「ロイも二人で遊んでな。
ちょっとこの人とお仕事の話をしてるから」
と彼から声を掛けたので、私もジェフに遊んで来るようにと手を離した。
彼は名前をクレストと言い、まだ二十歳ぐらいに見えるのだが、驚くことに格闘と言う戦闘手段で銀貨級の冒険者となっているのだ。
手脚を使った戦闘手段であり、一般的には野蛮人と蔑まれることもあるのだが、彼にそんな雰囲気は無く、寧ろ高度な教育を受けているのが分かるのだ。
恐らく剣や槍の適性が無く、仕方なく格闘を選ぶことにしたのだろうが、それでも腐ることなく努力をして銀貨級に到達したのだろう。
冒険者ギルドも彼を信用しているからそのカードを預けるのだ。
これで騙されるのなら私はそこまでの男かもな、そう自虐的な思いが沸いてくる。
「失礼『シャリア伯爵領バレオの町』で海運業を営んでいるジョルジュ・ウィンストだ」
と自己紹介をし、彼の話を聞くことにする。
どんな弁明をするのかと思えば、海運ギルドが貿易をしていると知るなり態度が一変したのだ。
「椰子の実が大量に欲しいと御願いしたら、取り扱ってもらえます?」
とすぐに欲しいと言わんばかりだ。
彼に尻尾があれば、恐らく激しく振られているだろう。
私としては人攫いの話の落とし所を知りたかったのだが、彼にとってはそのような疑惑は椰子の実にも劣ると言うことか。
本当に根っからの商売人のようだな。
話が長くなりそうだと感じ取った妻は、さっとこの場を離れた。
自分の居る世界とはまるで違うレベルの話になると感じ取ってのことだろう。
良く出来た妻なのだが、彼の相手を私一人に押し付けるなど少々薄情ではないのか?
しかし椰子の実など欲しがってどうするのだ?
殻は硬く、中には汁と果肉が入っているが、取り立てて美味い物ではない。
確かに傷にならないので運搬はラクだが、単価は安く、重くて嵩張るだけの最悪の果物だ。
「椰子の実から油が採れますよね?」
とまるでオリーブからオリーブ油が採れるように当たり前のように言うが、そんな話は聞いたことが無い。
そもそも何故彼が私の知らない椰子の実の事を知っているのだ?
何処で教育を…キリアス出身とカードに書かれていたが、キリアスとは戦乱の中にありながらも、そのような知識を有しているのか?
いや、知識が豊富故に戦乱になるのか?
「あの、貿易船に乗ることは出来ます?」
何を好き好んであんな物に乗りたがる?
波で揺れて死ぬほど気持ち悪いし、碌な物も食べられずに二ヶ月も汚い船室で過ごさねばならないのだ。
しかも周りは臭くて知性の無い野蛮人ばかりだ。風が無ければ船は進まない。
こんな物に、このボンボンを乗せられる訳が無い。
それに一人の為にどれだけの食料と水が必要なのか知っているのか?
何? マジックバッグを持っているって?!
しかも風の魔法が使えるだとっ?!
…彼を雇うことが出来れば、船の旅がどれ程ラクになることか。
しかし椰子の実の為に、そこまでして…そんなに価値があるものか?
彼から内緒だと教えられたのは、椰子の実の油を使った、使いやすく汚れ落ちの良い洗浄剤の開発だった。
その為にマジックバッグを貸し出し、かつ料金は前払いすると言うのだ。
それなら嵩張るだけの椰子の実でも何も問題無く輸送出来る。これは乗るしかないが、そこまでして私に利益をもたらせる理由が判らない。
彼が椰子の実の他にも欲しいと言うのが、まずブラバ樹脂だ。今まで誰も見向きもしなかった商品だ。
こいつはコンラッドの南部地方にも自生しているらしいので、候補から外して良かろう。
サトウキビは国が取扱っている品だから私では無理だな。
キャッサバはただのマズい芋だろ?
カカオは苦いだけで食用にはならない。
ザクロは東に行く奴らに任せよう。
チア、キヌア、マカ、アマランサス、シアバターは初めて聞く名前だ。現地民が食べている不思議な植物なのだろう。
しかし、この人は冒険者ではなく、商業ギルドに登録した方が良かったのでは?
身分証明書が欲しいのなら、商業ギルドでも発行してもらえる…いや、確かに冒険者ギルドならキリアス出身の人でも登録可能だが、商業ギルドは信用の無い者は登録出来なかったな。
だが、これだけの知識があるのなら、その辺の商店など赤子の手を捻るように簡単に潰すことも、乗っ取ることも可能だろう。
どうも彼の考えが理解出来ない。そう思っていると、
「俺が欲しいと思った物を誰かに作って貰って、それが買えるようになれば満足なので、商売で儲けるつもりは無いんです」
と言うのだ。
そう言われても、簡単には信じられないのだが、
「あの世にお金は持って行けませんから。
お金は世の中で回ってこそ価値があるんです」
と観念したような顔で言う。
そう言うことか…この人は本当に死に掛けたことがあるのだろう。
そんな目に遭わなければ、この歳でこんな考えに至る訳はあるまい。
だからお金に執着せず、好きな事をやって、太く短く生きるつもりなのか。
しかも洗浄剤で得た利益を使って次の商品の研究を始める計画まであるのなら、彼と付き合っていれば色々と楽しませて貰えるだろう。
ちょうどこのギルドに海運業ギルドの窓口を開設する予定だったのだ。
利用者の第一号として手続きは私が行うのだ。私に取っても彼の存在価値は計り知れないものになりそうだ。
これだけの話を聴かされれば、私のお腹もいっぱいになってくる。
そろそろ話を終わりにしませんか?
はい? 片道一週間ぐらいの場所で椰子を栽培して、そこに工場を作って現地雇用すると?
しかも椰子の実から油を採るだけでなく、食品を作り、燃料にして、さらに灰まで利用可能ですか?
貴方、何処のスーパー冒険者なのですか?
今まで椰子の実を投げ棄てて来た私達は土下座して、椰子の実様にお詫びするしかないじゃないですか!
こうなれば、一口どころか有り金全部、貴方の計画に注ぎ込みますよ!