(閑話)赤い甲冑は正義の印
儂は第三騎士団、副団長のスオーリー・デュラン。今年を最後に引退をするつもりじゃ。
リミエンにから少し離れた森の奥に新しい魔王が出現し、魔物約千体を連れて王都に侵攻の可能性が高くなっておると、巫女姫様の予言が出されたのは、つい先日のことだ。
前々からこれに関する予言は時折出されていたが、ここに至ってようやく『魔熊の森』が禍の震源地だと特定されたのだ。
儂は第三騎士団の三分の一を率い、先遣部隊として森の手前に陣を張った。
「良いか、無理をせず、敵の集結地点を探してくるのじゃ。
今はこの奥がどうなっておるのか全く予想も付かん。
必ず生きて戻り、儂らに情報を伝えてくれ!」
斥候隊の中でも優れた者を集めた『ニンジャー部隊』は、音も立てずに『魔熊の森』へと侵入していく。
緑と茶色と黒に染められた装束は、町に居れば目立つことこの上無いのだが森に入れば上手い具合に偽装が出来る。
隣国キリアス王国が過去に召喚した勇者がもたらしたと言われるこの『迷彩柄』は、一部の若者達に圧倒的な支持を受けて様々なパターンが販売されている。
かく言う儂も、白と灰色の迷彩柄の寝巻きを長年愛用しておる。
『ニンジャー』とは勇者の世界に実在する、高度な戦闘能力を持つ隠密工作部員を示す言葉じゃ。
空を飛び、水の上を歩き、分身、隠れ身、身代わりの魔法を使い、更には飛び道具と暗器のプロである。
さすがに我々ではそこまでの能力を全て身に付けることは不可能であるが、憧れと尊敬の念をもって優れた斥候部隊員をそう呼ぶことにしたのじゃな。
そんなことはどうでも良いが、九ヶ月後に退役と言うタイミングでのこの作戦、儂は最後の花道として歩くことになるのか、それとも死の道となるのか。
この赤い甲冑は国王より頂く最高の栄誉『クリムアーマー』には僅かに劣るものの、それでも買うには大銀貨一千枚の束が幾つも必要だと言われておる。
騎士団長の纏う『クリムゾンアーマー』(通称クリムアーマー)は真紅の鎧であり、その韻をもじって死神の鎧を意味する『グリムリーパーアーマー』略して『グリムアーマー』とも呼ばれている。
その鎧を纏った者は決して負けを許されず。
敵を殲滅するまで戦うことが求められるのだが、その為に装着者の能力を大幅に引き上げる機能が組み込まれている。
副団長である儂はクリムアーマーには劣るものの、真紅と呼ぶには僅かに薄いが鮮やかな赤い甲冑を身に纏う。
騎士団長の死神の鎧対し、この鎧は正義の鎧を意味する『ジャスティスアーマー』などと言う赤面するような恥ずかしい名前で呼ばれている。
国王には何度もこの名称を変更するよう直談判をしたのだが、いつも笑って逃げるのだ。
『良いではないか。
騎士団長が悪い奴にとって死の象徴なら、副団長は反対の生命の象徴…そのままだと女性的なイメージか、天界のイメージ…天使になるぞ。
エンジェルアーマーとか呼ばれてみろ。
その方がもっと恥ずかしいぞ。我もそんなのは恥ずかしくて呼びたくもない』
この話の後で、常に正しき者を守る為に着るこの鎧は正義の印!として、おもしろおかしく広がってしまったのだ。
あのクソ国王めっ!
失礼、迷彩柄の話からおかしな話に繋がってしまったようだ。
言いたいのは、この恥ずかしい名前の鎧を纏う以上は魔王や魔物の大軍が相手であったとしても、引くわけには行かぬと言いたかったのだ。
それが例え儂の命を奪うことになってもだ。
だが九ヶ月程この作戦開始が遅ければ、儂はここで命を散らすこともなく、孫に囲まれて静かに暮らすことが出来たのだ。
軍人と言え、命が惜しくなっても仕方あるまい。
『魔熊の森』にはその名の通り、赤い毛皮に包まれた大きな熊がボスとして君臨しておる。
だがこの赤い熊は、人間を目にしようが逃げも隠れも攻撃もしてこぬのだ。
平気な顔で蜂蜜を漁り、木の実を食べ、鹿を狩るのだ。
まるで人間など取るに足らぬと言わんばかりだ。魔熊は手出しさえしなければ問題ない魔物と儂もそう認識しておる。
だがうっかり攻撃してしまえば、大木さえ薙ぎ倒す両手の一撃で背骨を砕かれ、熊のくせに火山噴火のように吐き出す焼けた石で死体は粉々になってしまうのだ。
最初はこの魔熊が魔王化したのかと思われていたが、予言では別の生き物が現れ、魔熊はこの地を離れたと言われている。
あの魔熊でさえ魔王に敵わぬと逃げ出したと言うことか。
その様な相手には騎士団長以外に手が出せぬであろう。故に騎士団長が魔王と存分に戦えるように場を整えるのが我々の任務となる。
『ニンジャー部隊』が森に入ってから三日が過ぎ。
無事に彼らが帰還し、千体もの魔物が潜む地点を発見してきたのだと安堵したのがもたらされた報告は予想を大きく裏切った。
「この森には危険な魔物は確認されませんでした」
「そうか、ご苦労…なっ!なんだと!?」
「危険性のあるのはオーク程度かと。
それより、幾つか大規模な破壊の跡が残っていたので既に何者かによって殲滅をされたものとしか…」
「それは出現した魔王によってもたらされのではないのか?」
「言え、ブーツで踏みしめた跡が残っておりましたので、人間で間違いありません」
「千体もの魔物を倒した者が居るとして、その者は魔王をどうしたのだろう」
「近くに小さなダンジョン跡があり、かなり壁が破壊されていた為、恐らくはそこで魔王が倒されたかと。
そこにも同じブーツの跡が残っておりましたので、同一人物かと」
巫女姫様の予言は魔王と魔物の軍隊の出現だった。
その危機は間違い無く訪れていたものの、巫女姫様の予言にも出て来ぬ何者かによって事態は既に終息していたのだ…なんと言うことか。
これでは我々騎士団の存在意義さえ疑われかねん。
他国との戦争が行われなくなって二十余年、主に三つの部隊で構成された軍は目立った成果を上げることもなく、規模を縮小しながら維持を続けて来た。
時折出没する盗賊団、山賊の類いの討伐、定期巡回による街道周辺の魔物駆除程度でしか存在意義を見出せん軍に、一部では不要論まで出始めている。
コンラッド王国の北には長い年月に渡り内戦を続けるキリアス王国があり、北西から南西に掛けては二つの独立国がある。
三国と国境を挟んで向かい合っていると言うのに軍が不要だとは呆れて物も言えんが、そう言われてもおかしくない状況にあるのも事実だろう。
多くの若者達が軍には属せず、冒険者に登録して多数の魔物を討伐する成果を上げている。
中には幾つもの冒険者パーティーを傘下に集め、人の力では討伐不可能と言われるような魔物を仕留めて凱旋した猛者もいる。
そう言う輝かしい部分だけに光を当てるのは宜しくない現状であるのだが、市民は常に英雄を求めるのだから仕方ない。
巫女姫様の予言は我々軍人にとって大きな成果を上げるチャンスであったのだ。
この戦争の為に、民には申し訳なくも治癒魔法の使い手を軍に取り込むこともした。
だが蓋を開けてみれば既に敵は居ないと言われて、一体我々にどうしろと?
儂も戦闘の跡を見に行ったが、何とも無惨なものよ。
大地は抉れてぐちゃぐちゃになり、森は焼失しかけた跡が見られるが、慌てて消火したのか樹や地面に激流の痕跡が残っている。
他には何かのオブジェのように大地から土の柱が突き出ていたりと、大規模な攻撃魔法が連発されたのだと窺い知れた。
これ程までの魔法の使い手が居たのも驚きであり、そのような人物が人知れず魔王を倒し、魔物の軍勢を討伐していたことに驚き。
これを見て儂に出来るのは、
「討ち漏らしが居るかも知れん。暫くこの近辺の警戒を継続するように」
と各隊長に指示を出すことだけだった。
ここまで有り得ないレベルの攻撃魔法を使う奴が討ち漏らしなどするわけがない、結果は空振りに終わるだろう。
そう考え、儂はこの場の指揮を後から来た団長と交代すると、一個小隊を連れてリミエンに赴いたのだ。
当然伯爵にも予言の話と本作戦の予定は伝わっておる。故に儂が現地で見たことを直接伝え、安心させてやる必要があったのだ。
伯爵は儂の報告に安堵したものの、『魔熊の森』の騒動によって一部に魔物の生息域の変化があったことを懸念していた。
彼の元には三件の事故と一名の冒険者の死亡が報告されていると言う。
領主の中には冒険者を野蛮な連中と蔑み認めぬ者も居ると聞くが、リミエン伯爵は毎日冒険者ギルドからの報告を聞くのだと言う。
恐らく領軍の任務の一部を冒険者に肩代わりさせる考えなのだろう。
「誉れ高き正義の鎧をリミエンの民にも良く見せてやって頂きたい。
その赤き鎧を目標にする若者がリミエンに出るかも知れませんから。
それと、このコインですが…」
伯爵の手には、キリアス王国の闇に葬られたレアコインが握られていた。
「今、リミエンにこれを持ち込んだ若者が逗留しています。勇者の縁者かも知れませんね」
これが切っ掛けで儂はあの面白い青年と出会うことになったのだ。