第51話 匂いで釣れた
商業ギルド『人材派遣部』で我が家のメイドとなるシエルさん、ロイとルーチェの家庭教師を務めてもらうオリビアさんと対面し、二人と契約を結んだ。
契約内容は難しくて俺も理解出来ていない部分があるけど、シエルさんについては最大四十年の間、俺に仕えてくれることになる。
とは言え、女性なので結婚して他の町に引っ越すこともあり得るし、いつ退職しても構わない契約になっているのは理解出来ている。
オリビアさんの様な家庭教師は一年毎の更新らしい。家庭教師としての役目を終えれば、そのままバイバイするか、本人との合意があれば違う役目で雇用延長が可能だとか。
家令のブリュナーさんが四十七歳と本人も言うように後何年かすれば老齢と呼べる時期(平均寿命が分からないので六十代中頃と想定)なので、もしオリビアさんを教育して、後を引き継いでもらえるのならそれも良いと思う。
でも恐らくオリビアさんは貴族の出なので、政略結婚を押し付けられる可能性もある。
それも考えて後任となる人の候補は複数を確保しておこうと思う。
今確かなのは、今度は彼女達のサポートを受けながら暮らすようになること。
それ以外の先のことは何も分らないが、もし彼女達にサポートが必要になれば俺もサポートするし、もし何かの重要な選択を迫られた時には彼女達の意思を尊重し、邪魔をしないようにするつもりだ。
雇用関係と言っても、それが人の優越とは思わない。今の俺自身が貯めたお金で雇った訳でも無いので、それが当然だろう。
宝くじに当たったからと言って、その人が偉くなる訳でもないだろ?
この考えは、全員が揃った時に機会があればいつか話そう。骸骨さん関係の部分の良い言い訳が思い付かないけどね。
◇
『人材派遣部』を出てから、メイベル部長を連れて…と言うより勝手に付いて来るのだ…レイドル副部長の下を訪れ、三日後から我が家に入居できることを確認した。
それからラゴン村から出て来たミレットさんの話を二人に聞かせ、どの部署に問い合わせれば良いのかと訊ねてみた。
少し考えた後にレイドル副部長が市街地の地図を出してくるように部下に指示を出す。
先日大声で副部長を呼んだ若手職員が地図を持って来た。
「副部長、この後デートなので帰って良いでしょうか?」
「…来客中に聞くか?」
「いえ、すみま「構わんぞ」せん…良いので?」
「長い話になる前に、自然と立ち去る技術も世渡りには必要だ。
後で小言の三つ四つぐらいは言うかも知れんが」
…それを聞いて帰れると思う?
彼に同情を覚えながら、商業ギルドには絶対に就職しないと心に誓う。
「では、今日はお先に失礼します!」
「帰るのかょっ!」
冗談はさて置き、哀れな職員の持って来たのはさすが『不動産部』だけあって、かなり詳細に作られた地図で驚いた。
その地図上に、問題の屋台の位置にピンを刺すように指示されたので、記憶を頼りに位置を特定してピンを刺す。
赤い玉が付いたピンの刺された位置を見て、
「屋台の出店には、確か『交通事業部』と『外食産業部』の双方が絡む。
『環境保全部』も入るが、アイツらゴミ専だから本件には関係が無かろう」
ゴミ専? 『環境保全部』は酷い言われようだな、環境だって大切ですよ!
ISO14某と言う、高いお金を認証団体に渡すだけのアレが在るぐらいなんだから。
「『交通事業部』が屋台を出しても良い範囲を提示し、『外食産業部』が出店内容を調べて調整する、そんな流れだ。
『交通事業部』は人通りの多い場所や時間帯のデータを収集していて、その中から屋台を出しても支障の少ない場所を選定する」
たまに見る道路の通行量調査をやる部門なんだね。
「『交通事業部』が提示した範囲を調べんことには始まらんが、これはすぐに調査出来る。
こいつらには客層と出店位置を考えて、わざと儲けの出ない場所に追いやるような厭がらせをする脳味噌を持ち合わせていないから、黒幕は当然『外食産業部』だな」
腕組みをしてレイドル副部長が唸る。それを聞きながら、メイベル部長が不思議そうな顔をし、
「屋台の位置の指定に、市民権のグレードって関係あったかしら?
グレードが低いから屋台しか出せない人が居ると思うんだけど」
と呟く。
「他部門の詳細な規定は熟知していないが。
公平な商売を保障すること、適正な商売する意欲のある者には利益を最大限にもたらせること、顧客に対して誠実な商売をさせること、これが商業ギルドの役割である。
それに対して嫌がらせのような出店位置か」
「この件は本来の商業ギルドの役割から外れている、そう言うことですね」
そこでレイドル副部長の目が細まり、怖い顔になる。
「クレスト君、よくここに報告をしてくれた。
この件はこちらで承った。
言っておくが、この件に限らず、くれぐれもどこのギルドに行っても事を荒立てないように。
新しい商売の風を吹き込む程度で勘弁してくれ。
特にウチには頭の硬い連中が多いからな」
かなり棘のある言い方に少しイラっとしたが、確かに腹が立ったからと言って怒鳴り込むのは子供のやることだな。
商業ギルドの内部に問題があると彼らが考えたのなら、ここは二人に任せて俺は身を引くべきだろう。
「そのミレットさんとやらに同情するのは良いけど、手を出すのはダメよ」
メイベルさんよ、どう言う意味でそれを言ってるのかな?
まさか俺が節操なく女性に手出ししているとでも?
「クレストさんがお勧めするパン、興味あるわね。私も食べに行ってみようかしら。
レイドルの分もお土産買ってくるから、後は任せたわ。
じゃあ、道案内をよろしく頼むわね」
そう言うとメイベル部長が俺の腕を取り、機嫌良く歩き出した。
オカンと同じぐらいの女性に腕組みされても嬉しくないし、邪魔なのだが。
拘束を振り解き、文句を垂れる彼女を無視してミレットさんの屋台へと脚を進めると、俺がさっき誘われたより強力な誘因力を持つ薫りに引き付けられる。
「くっ! こんなに! 私もうダメ、理性失いそう! 早く口に入れて!」
と四十過ぎのキャリアウーマンがのたまう。
セリフだけ聞けば何やら色気のあるシーンに思えなくもないが、ここに居るのは単に食い意地の張ったおばさんだからね。
そして匂いの先には、予想外の光景が広がっていた。
「なんじゃこりゃ!
どえらい高いパンだと思ってたら、この何とも言えん薫りがたまらん」
「美味しいわ!
でも高いけど…明日は居ないのよね?
なら、もう一枚焼いて!」
なんと屋台の前に行列が出来ていたのだ。
しかもミレットさんの隣に、見たことのある串焼き屋とドライフルーツ屋のオッチャンズが並んで作業しているのだ。
どうやら早速コラボ商品を開発したらしい。あんたら、フットワークがやたら軽いな。
「クレストさん、これはどう言うこと?」
「俺にも何だか?
とりあえず、パンを買ってから考えましょうか」
どう言うことか、俺が訊きたいよ。
二人で行列に並び、新たにラインナップに加わった肉巻きパンとフルーツパンを、メイベル部長は全種類を二人分買い求めた。
本当に律義にお土産を買って帰るなんて、どう言う関係だろうね?
人の事より味見が先だな。肉巻きパン、フルーツパンの順に三分の一だけ食べてみる。
バターの塩っけと薫りが肉汁とドライフルーツの甘酸っぱさに合っていて、どちらも美味い。
お値段だけは残念ことになっているが、これは致し方ないだろう。
だが新しい味を体験した客からは不満の声は出ていないようだ。
俺達の後に並んだ二人で売り切れになったらしく、
「本日のパンはこれで終了です!
お買い上げありがとうございました!」
とミレットさんが笑みを浮かべた。
オッチャン二人はそれと同時に撤収を始めた。
どうせ聞いたところで、格好付けて「売れ残りを分けてやっただけだ」とか言いそうだ。
火を落として片付けを始めたミレットさんが、
「クレストさん、お金はお返しします。
頼まれて焼いたパンを火力の弱い隅に並べておいたら、薫りが強くなったのかお客様が来てくれたんです。
そのお客様が、『高いけど美味しい。値段だけの価値はあるぞ!』って宣伝してくれて。
それから串焼き屋のおじさんが来て、クレストさんの言ったようにパンに肉を巻いて食べたら、すぐに屋台から在庫を持って来て肉巻きパンを売り始めたんです」
バターの薫りなのか、それとも並べられたパンに目を惹かれたのか。
鰻や焼き鳥が匂いで客寄せするのと同じ原理だったのかもね。
こんな人気商品になってしまったら、独占出来ないじゃないか。
これから彼女の取れる選択肢は、何処かにお店を出すか、定期的に屋台を出すか、レシピを売るか、のどれかになるだろうな。
ミレットさんの所で卵とバターをどれぐらい生産出来るのか分からないけど、リミエンに売りに来る経費だけでもかなり売り上げを食い潰すだろう。
飛脚、ペリカン、黒猫、エトセトラ…お手軽に利用出来る業者も無ければインフラも整備されていないからね。
「メイベル部長、ブリュナーさんにミレットさんの住所を教えてあげてくれませんか?
卵とバターを購入したいんです。
他にも売ってもらえる食材があれば、コックとしてのブリュナーさんに一任したいんですけど」
「分かったわ。ミレットさんの了解が貰えたらそうするわ」
「お願いします。後はお任せしても?」
「ええ、部署は違いますが、商業ギルド職員として間違いなく対応します。ご安心を」
そう言うメイベル部長の顔は、商業ギルドに居る時よりキリリとしていたのは何故だろう?
こう言う現場対応に遣り甲斐を感じるタイプの人なのかな?
人のことをとやかく考えるのは良くないか。
今日はだいぶ遅くなったから、子供達が心配しているかも知れないね。
◇
そして案の定、宿屋に戻るとルーチェが抱き付いてきた。俺の帰りが遅いので、一階でウロウロしていたらしい。
ロイは食堂でウェイター役を買って出たそうだ。つまみ食いはしていないよね?
ちゃんと身奇麗にしているから誰にも文句は言われなかったとか。宿屋のご主人も筋が良いと褒めていたし。
少し遅くなったけど、三人で夕食をとる。ミレットさんのパンも二人に分けてやると、大絶賛していた。
「良いお知らせだぞ!
あと二日我慢したら、ちゃんとしたお家に住めるようになるからな。
それまで、もう少しこの宿屋で我慢してくれよ」
「おうちで暮らせるの? やったー!」
「期待してろよ。
それと俺は明日も貯水池での仕事だから、夜まで居ないから」
「宿屋のお姉ちゃんが遊んでくれた!
でもエマお母さんがいい!
また一緒にお出かけしよーょ!」
「エマさんがうんって言ってくれたらね」
まさかルーチェちゃんにこう言えとロイから指示が出てるんじゃ?
チラリとロイを見るが、知らんぷりして鳴らない口笛を吹いてやがる。
「ロイ兄ちゃんにそう言うように、言われたのかな~っ?」
「うん、聞かれても言わないようにって」
「ロイ…後で説教な」
「ちっ…失敗か。でも僕もエマお母さんがいい」
エマさんは子供達に大人気か…まさか俺より好かれてんじゃないかな?
嫌われるより遥かにマシだけどさ。