第43話 あの人に初体験を奪われました
冒険者ギルドの重たいドアを開けると、夕方近いせいか受付カウンターの四席の前には冒険者が列を作っていた。
騒がしい館内の様子に、何処かのフードコートの様子に似ているな、とも思ってしまう。
▽冒険者ギルドの職員の業務に関して(資料)冒険者ギルドの状況 を参照。
冒険者ギルド本館に併設の酒場では、既に馬鹿騒ぎを始めている者も居れば、ラウンジで駄弁っている者も居る。
ラウンジの丸テーブルに座っているのは、大抵がメンバーに達成報告を任せて待っている残りのパーティーメンバーだろう。
「今日の狩りはどうだった?」
「リーダー遅いな、受付嬢を誘ってるのかな」
など、色々な声が聞こえてくる。
中には
「ねえ、あの人格好良くない?」
「良い女は居ねえかな」
「あれは『紅のマーメイド』だ。女が好きな奴らだからやめとけ」
「あ、クレストさんだ」
なんて声も聞こえてくる。
えっ、俺?
声の主を辿ってみれば、昨日武器屋で会ったサーヤさんと仲間が二人が座っていた。
依頼の貼られた掲示板コーナーに向かうには、彼女達の隣を通らなければ不自然だ。
それに避ける理由も無いので、ごく普通に歩いて横に来た時に彼女に会釈する。
「期待の新人と顔見知りなの?! 凄い!」
「手が早いっ! 羨まし過ぎっ!」
と彼女の仲間がサーヤを弄る。
「昨日、矢を買いに行って、武器屋で会っただけよ。
パーティーには入ってくれないから」
と残念そうな顔をするサーヤさんだが、
「えっ? 入ってくれると思ったの?」
と何をこの子?と残念な子を見るような視線が前衛と思われる女性からサーヤさんに注がれた。
「ソロでやるから、魔物はうっかりアッサリ狩って事後申請するって言われたの」
確かに昨日そんなことを言ったな。
「確かにメンバーは欲しいけど、私達じゃ釣り合わないわよ。
彼はいわゆるサラダレッドよ。分不相応ってやつ?」
「意外と可愛いし。うん、欲しいけど。
でアブラゲットって何?」
欲しいと言ったのは小柄な女性だ。こちらは魔法使いだろう。
その前に、サラダレッドもアブラゲットも違ってるから。その辺に居る冒険者の誰か、指摘してあげてよ。
受付カウンターでの処理が終わったのか、軽鎧を纏った女性が四つある席の空いた椅子に座る。
これで『紅のマーメイド』のメンバーが揃う。
「何を話していたの?」
と来たばかり女性が尋ねると、
「リーダーお帰りなさい」
「リーダー、ありがと。
サーヤがクレストさんに振られて傷物に」
「いつもすまないねぇ」
と三者三様の言葉が彼女達のリーダーに掛けられ、リーダーと呼ばれた軽鎧の女性が額に手を当てる。
「振られたって、メンバーに誘ったの?」
「そう、勢いで? 武器屋で会ったから」
「はぁ、サーヤの考えは分かるわよ。
でも、うちもメンバー募集は掲示板に貼ってあるんだから、そっちで対応するわよ」
と冷静な判断の出来るリーダーだと感心する。
「それにサガルヘッドだからと言って、女に誘われてホイホイ付いて来る種馬みたいな男は要らないのょ」
「ごめんなさぁぃ」
「そこよねぇ。仕方ないわ~」
「五人目も乙女希望…クレトンなら女装も可?」
最後のセリフは聞かなかったことにしよう。
それにクレトンって何よ?
クレソン? クルトン? どっちと間違えたの?
頼むから文字数だけ合わせるのはやめようね。
それにサガルヘッドってどれだけ頭下げてるんだろうね?
リーダーまでサラブレッドを間違って覚えてるのか。確かに普段使わない言葉だし。
と言うか、その言葉も勇者から伝わった言葉なんだろうな。
「クレストさん、ごめんなさいね」
「いえいえ、メンバーの仲が良さそうで何よりです」
冗談半分で言われているので怒ることでもない。仲間内でのコミュニケーションみたいものだろう…仲間…グスン。
それ以上の会話のネタがこちらに無いので、
「何かソロで請けられる依頼を見てきます」
と手を振ってその場を去る。
仲間を集めるのなら、俺のコントロール可能な相手か、同じ知識のある人が良い。
ロイ達が大きくなれば、と思わないでもないが、まだあの子達に将来の事を話すのは早過ぎる。
俺と同じ知識、つまり転生か転移か召喚でこの世界に来た日本人だな。
だけど、そんな人が居るかどうか安全に知る術が無い。
日本人にしか分からない暗号を掲示してメンバー募集と言う方法もあるが、それを見て集まってくる人が全員まともな人である保障が無いのが痛いところだ。
仲間集めに関しては、いつか考えることになるだろう、その時に対処しようと先送りだ。
ラウンジを通り越し、依頼の貼られた掲示板の前に立つ。
掲示板はソロ用、パーティー用と大別されており、更にどちらも受領可能なランクで分けられている。
俺が見るのはソロ用の銀貨級以外のコーナーだ。
まだ防具が出来ていないので、戦闘が生じる依頼は素通りして街中での依頼をメインに探してみる。
このカテゴリーだと冒険者と言うより日雇い労働者かボランティア、またはシルバー人材派遣かと言いたくなるような依頼が多い。
冒険者の中には読み書き出来ない人も多く居るから、読み書き計算の必要な依頼は基本的に商業ギルドに出されるからだ。計算なんて論外だろう。
そんな依頼の中で人気の無いものはずっと残り続け、悪さをした冒険者にペナルティとして無料でやらせたり、スラムの住民に発注するそうだ。
建設現場での肉体労働は町中の作業の中では高収入な部類であり、体力自慢の冒険者には人気がある。
不人気なのは高所作業、糞尿の処理、下水道の清掃・点検だ。
これらは一定期間放置されると、スラム街の住民総掛かりでの一大イベントになるらしい。
それを聞くと、敢えて自分がやらずに一大イベント開催のために放置しておく方が良さそうな気がする。
やりたいと言う意味でない方向で気になるのが『下水道の清掃・点検』だ。
ちょうど今朝、借家を見に行った時に下水道が破損したら大変なことになると思ったばかりだ。
水道局みたいな部門が管理しているのかと思っていたら、不人気依頼として放置されているのだから、普通に『これ、ヤバくねえ?』と思うだろ。
恐らく下水道の中には大なり小なり、ゴミが流れ込んでいるだろう。町の通りには側溝があって、馬糞などをそこに流して清潔に保っているのだ。その側溝がこの下水道に直行しているのだ。
大きなゴミは放置すると詰まりの原因になるので取り除かないとマズいだろうが、この作業って衛生的に大丈夫なのか?
まさかスラムの住民を病気にさせて、数を減らそうって政策なんじゃないかと疑ってしまう。
そうでなくても、下水道で危ない菌を体や衣服に付着させて町に戻るのだ。危険なんてものじゃないだろ。
とりあえず、この依頼は『怪しい』『危険』と心の中にメモしておこう。
流石に現段階では俺でもこの依頼に手を出そうと思わない。
とは言え、使える魔法の中には『洗浄』と、他に『殺菌』と言うのがあって、『殺菌』は指定範囲を殺菌出来るのでこの依頼向けか。
『洗浄』と『殺菌』を上手く使えば、汚れる事も何かに感染することも無く作業可能だと思うけど、漂う臭気だけはシャットアウトは出来ない。
それならガスマスクでも作ろうかな。
この世界なら自然素材か魔物素材で作れそうな気がする。
ガスマスクが出来たら、感染防止用の防護服を作ろう。
魔道具があるんだから、フレッシュエアも供給出来るだろうし、服の中の温度調節も出来るだろう。
そうなるとだ、魔道具屋さんも見に行かなきゃね。
で、だ。そこまで考えてからふと思う。
下水道って絶対何処かの御屋敷の抜け道が繋がっているよな、と。
馬糞やら一般家庭から排出される廃棄物が諸々流されている下水道を使って脱出する貴族の皆様、ザマアだぜ!
それにしても、浄化槽も無く糞尿垂れ流しの下水道なら、そこから立ち上がる臭気だって凄まじくなると思うが。
通りを歩いていても、側溝からそんな臭いは漂っていないのが不思議だ。
日本の道端の側溝でさえドブの臭いがするのに。
きっと何処かにウルトラファンタジーなギミックが仕掛けてあるに違いない。
それか下水道の中は無数のスライムで埋め尽くされていて、流れて来た物を我先にと吸収しているかだ。
うちの三匹のスライムがとんでもない食欲を見せるから、それもあり得るな。
他に気になる依頼はないかな?
…何々、貯水池に大量発生した浮草の回収か。
放置すると取水口を塞ぐトラブルを起こすやつだな。
ボートに乗って回収するのかな? こりゃ大変そうだけど、面白そうだな。
貯水池は街から五キロの地点で送り迎えあり、昼食付きか。
おーっ、これなら移動も楽だし良いじゃん。
行列が一番短かった右端の列に並び、俺の番になって、
「依頼を受けたいので処理をお願いします」
とカウンターに座る受付嬢に依頼票を渡す。
四人の受付嬢が座っているのだが、どうやら今日はエマさんは座っていないようだ。
日によって居たり居なかったりするのかな。多分バイトみたいにシフトを組んでるんだろう。
「クレストさん、昨日ぶりね。ミランダと申します」
並んだ先に居たのは、昨日俺の侵入を止めた姉御肌の受付嬢だった。
「あ、昨日はご迷惑かけてすみませんでした。今日はよろしくお願いします」
と頭を下げてお詫びする。
「昨日も謝ってもらってるし、気にしていないわ。
それに武闘派冒険者なのに随分と丁寧なのね。フフッ、ギャップ萌えしそうね」
俺が武闘派冒険者って?
まだ何も依頼こなしていないのにさ。それとも昨日の件でそんな話になってるの?
冒険者だから嘗められるよりは良いけど、ちょっと心外だなぁ。でも実力は認められてるってことだよね?
「では依頼票とギルドカードをこちらに…あら、浮草の? 変わった依頼を受けるのね。
…はい、これで初めての依…初体験の受付完了よ。
あら、ごめんね、エマの代わりにクレストさんの初体験を奪っちゃったわっ!
最初は痛いかも知れないけど、ガンバって。
そのうち痛くなくなるから。
でも明後日には腰が立たないかもね」
「はぁ、まあそうで」
何も初体験とか…確かにそうだけどさ、声だけ聞いたら勘違いしそうな事を嬉しそうに言い直さなくて良いじゃん。
それにこの依頼で何が痛いんだよ?
腰が立たないとか、そんなの無いからさ。
「あんた、ノリが悪いわょ。もっと慌てなさいよ。
明日は遅れずにギルド前に来てね。来なかったら職員全員からデコピン一発ずつ貰うか、私にディナーを驕るかになるわよ」
「了解です。遅れずに来ます」
ミランダさんからギルドカードが返ってくる。まるで病院での保険証的な扱いだな。顔は知っていても毎月確認しなきゃならないんだよね。
「今日はエマは早上がりなの。今着替えてるわよ。
何とかマップを作成するんだとかで。
ちょうど良いわね。クレストさんと行けそ」
「あーっ、クレストさん!」
「うね…て、エマ…あんたねぇ」
ミランダさんの言葉を遮ってエマさんが二階の階段を走り降りて来た。
「来てくれてて良かった。食べ歩きマップのサンプルを作るの手伝って下さい!
口頭だとイメージが伝わらなくて、領主様の許可が出なかったんです。
クレストさん、今から食事に行きましょう!」
「昨日の今日で、もう領主様に言ったの?」
「はい! 手紙を届けに行った際に、いつも世間話をしてくださるので」
意外と気さくな領主なんだな。市民権のせいで領主には良いイメージは無かったんだよ。
「あら、そんなに堂々と食事のお誘いを?
あんた達、もうそんなお付き合いしてたのね。
お姉さん、妬いちゃうわ」
「ちっ、違います、まだそんな…」
「誤解です! エマさんは可愛いけど、まだお付き合いまでは行ってなくて…」
「はいはい、ご馳走様。さっさと行きなさい。
あんたら、今メッチャ注目浴びてるわよ」
「ハイィ、行ってきましゅ!」
「朝帰りでいいからねっ!」
顔を赤くしながらエマさんが俺の手を引っ張ってギルドを出る。
俺達に色々な声が掛けられたが、概ね子供を見送るような面白半分のものだったので無視で構わないな。
「坊主、最初は優しく動いてやれよ!」
「クレストはまだ経験無いからねっ!」
そんな事を言う人も居たけどね。