第38話 家庭教師を雇おう
俺は現在十八歳でほぼ無職、勿論未婚だが二児の保護者となった。
さてこんな状況になった訳だが、ロイとルーチェに遊び呆けていると思われるのは格好が付かない。
保護された二人だって俺のことを訊かれて『遊び人?』とか言いたくないだろう。
だからきちんと仕事をして、きちんと育て上げるのが大人の俺の責任だと思う。
将来的には石鹸やシャンプーの工場を作って二人に任せるつもりだが、まだ目途は全然立っていない。
急ぐ必要は無いので暫くは二人に栄養を十分に摂らせ、体を丈夫にしてもらわないと困る。
それが終われば、読み書き計算を教えるつもりだ。
この世界では子供達を無料で教育する公共の場はほぼ存在しない。慈善事業で運営された寺小屋があった日本がある意味異常なのかも知れない。
ノートに鉛筆に消しゴム。これに相当する安価な物が無いのも問題だし、テキストも無い。
貴族階級、大商人クラスでないと読み書き計算を教える人材も確保出来ないだろう。
まだ大人になりきる前に冒険者登録をして、街の外に出たとたんに色々な理由で命を落とす者、手脚を失う者は少なくないらしいが、中にはチャンスを掴む者も居る。
それ以外の方法だと、成り上がるにも読み書きが出来なければ商売なんて出来はしない。
だから飢える人が多くなる。
でもこの世界は教育なんて一般市民には必要のないものだと認識している多くの馬鹿に支配されているのが事実だ。
そんな奴らに義務教育の必要性を訴えても無駄である。だから俺の手が届く範囲で出来るだけのことをやれば良いのだと、前世の記憶がそう訴えかける。
スライムとしてこの世界にやって来た俺には、まだこの世界に馴染めない要素が幾つかある。
その最たる物が、一部に残る奴隷制度である。
幸いと言うかリミエンには奴隷商は存在しないらしいが、大手商会には伝手があるのか何人かの奴隷に荷運びさせているのを見た。
ただし、この世界の奴隷制度を完全否定する訳ではない。
終身刑の犯罪者を刑務所の中で遊ばせておくより、鉱山などで働かせる方が余程生産的なのは事実だからだ。
それに社会的保障も近代的な銀行も無いのだから、どうしても金銭的理由で奴隷になるしか生きる道が無いって人も少なからず存在すると聞く。
俺が保護した二人も、下手をすればいつ奴隷に成っていてもおかしくなかったのだ。
話は少し逸れるが、有名どころの冒険者パーティーの下には、その傘下に入ろうとする者達が集まり、いつしか互助グループ的な物が形成されることが稀にある。
そのグループは個人的な集まりであるので、ギルドと区別するために『クラン』と呼ばれている。
冒険者ギルドが認定した金貨級以上の冒険者は、ある程度の人格と社会性を兼ね備えている。
そのような冒険者が作るクランは、今は詳細を省くが良い意味でも悪い意味でも領主クラスから一目置かれる存在となる。
金貨級未満の冒険者のクランも存在するが、まあ予想通りろくでもないとか。
クランでは少人数のパーティーでは為し得ない大型の魔物を討伐すると、その獲物の運搬に奴隷達を用いるのだ。それ以外にも格安な労働力確保に奴隷達を雇うそうだ。
奴隷になった者でもクランに雇われれば勝ち組である。そこで剣なり魔法なり戦う手段を身に付け、冒険者として活動することも夢ではないのだから。
長々と説明したが、要は俺には子供達二人を奴隷にするつもりは無いと分かってもらいたいだけだ。
後はちょっとした社会に対する愚痴だな。
▽
子供達がベッドで休むのを確認してから、俺が向かったのは商業ギルドの『人材派遣部』だ。
ドアを開けると事務室に居た部長のメイベル部長が目敏く俺を見付けて、すぐに手招きする。
そして挨拶もそこそこにして応接室へと連行された。
客の首根っこを掴んで歩くのはどうしてなのか、後でゆっくり彼女に説明して貰いたいところだが。
「まさか本日二度も来て頂けるとは予想外です。
今度はどのようなご用件でしょうか?
まさか私の顔を見に来てくれたの」
「子供を二人保護しまして」
「かしら…いけずねぇ…はい? 子供を?」
「えぇ、スラムからの保護です。法的に何か問題は?」
そう言った俺の顔を見て、メイベル部長が両手を上げてオーバーなリアクションを取る。この辺りの反応は欧米の人と変わらないな。
「…はぁ、それはまた奇特なことを。犬猫ならまだしも。
法にはそんな事に規制はありませんよ。
スラムの人を殺すか虐待すれば拘束されますけど、保護なんてボンクラ文官の想定外ですからね。
保護した女性にイヤラシい事をするなら別ですが。過去に例がありますからね。
それで?」
犬か…やっぱり番犬を一匹飼おうかな。
世話は子供達に丸投げすれば良い。ペットの飼育は情操教育にも良いと言うし。
でも甘えん坊の猫も捨てがたいな。
「俺、こう見えて冒険者ですし、ボチボチ冒険者の仕事をしようと思いまして」
「噂はこちらにも届いております。
触るな危険人物。ナイフのように尖って、触る者皆傷付ける、とか。
新人にぼこられて大銀貨級の信頼がガタ落ち、ざまぁとの話ですわ」
なんだよそれ?
チェック柄がトレードマークの、昭和のアイドルロックグループのデビュー曲の歌詞みたいなことを言うな。
まさか転生者が広めたのか?
「…まあそれはいいや。別に危険でも怪我させるつもりも無いけど」
ペットを飼う話も、俺の噂についても、両方纏めて今は置いておこう。
「それで俺が居ない間、二人の面倒を見てもらいつつ、読み書き計算を教えてくれる人を雇いたい」
寺小屋の設立なんて無理だろう。
場所、建物、教師、テキスト、食事など揃える物が多くて面倒くさい。
生徒を集めるにしても、子供達は働いているだろうから、その分の売り上げが落ちたり作業が滞るとごねる親が居るだろう。
市民に知恵を付けたくないと考える馬鹿が居るかも知れない。
そんな訳で、二人に家庭教師を付けてあげようと思う。
子供の可能性は無限大だ。それを伸ばしてやるのが大人の責任だからね。
メイベル部長が職員を呼んで何かのファイルを持って来させると、それをパラパラと捲り、何かを考えている。
「勿論、家庭教師を手配することは可能です」
「ありがとうございます」
「いえ、それが私共の仕事ですから。
それにしても、どうやって保護をしたのかしら?
子供達も簡単には付いてこないでしょうし。
小狡い人物ならそのまま奴隷商に直行ですよ。公式にはこの街にはありませんが、需要があれば…ですからね。潰してもまた出来るので。
それに不正な人買いで無ければ、犯罪記録には残りませんからね」
奴隷商に子供を売るのも未成年略取じゃない?
騙して連れて行くなら詐欺だし。犯罪記録ってステータスにあったやつだよね?…判断基準が不思議だな。
と考えつつ、スリを見付けてからの下りを簡単に説明する。
「多分大丈夫とは思いますが、教会に連れて行ってお祈りさせなさい。
神の赦しが得られれば、その子に犯罪記録が付くことは無いと思います。
何故そうなるのかは分かりませんが、罪を罪と思わなくなった人物に犯罪記録は付されるものです」
何と言うか、流石は異世界!
全くもって意味不明な謎原理だな。
この世界には本当に神様が実在しているのかも知れないね。それなら早めに教会に行こう。禊ぎは必要だよね。
「それで、その二人に知識を与えてどうなさるおつもりですか?」
目的の半分は二人を自立させること、半分は自分の為でもあるが、馬鹿正直に教えて信じて貰えるかな?
「俺自身は目立たずノンビリ暮らしたいんです。
それで…」
「ちょっと待って。
遮って言うのもなんですが、こう言うのは若者言葉で、おまゆう、ですか?」
メイベル部長の目が笑っていないのが余計に辛い。分かっているから、そこは聞き流してくれよ。
「俺は自分が欲しい物を作ってくれる人が欲しいんで、いずれはその二人に任せてみるのも良いかなと。
勿論他の適性があるなら、そちらを優先しますし。
それで二人が自活できるだけ稼げるようにしてやりたいんです」
石鹸、シャンプー、後は適当に何かを開発して、工場の売り上げで二人の生活費を賄えられるのが理想だ。それで足りなければ他にも何か作らせよう。
トリートメントや化粧水とかはどうだろう。それらが無理でも、アロマオイルなら作れるだろう。
行く行くは経営者を任せたい。全ては将来の俺が隠居生活を送る為に!
そして日本での生活に近付く為に!
「…それは色々と矛盾がありますわ。
物を作って売るには、在住する町の市民権が必要です。子供が売る物にはお目こぼしもありますが。
冒険者が外で狩った魔物をギルドに卸すことは例外的に認められていますが、何かを作って販売することは市民権を持たない限り出来ません」
「そうなんですか。知らなかったです」
「はぁ…常識ですわ」
そんなイレギュラーな異世界常識なんて知らんがな。
市民権を持たない限り商売できないとか、自由競争の妨げにしかならないだろうな。
上位市民権を持つ人達が下位の市民権を持つ人達に偉そうにしたりとか、簡単に想像がつく。
合法的に市民の中にカースト制を作り上げてるって訳だよ。
それに下位の人に良いアイデアがあっても製造も販売も出来ないから上位の人に頼まないと…これは一発逆転の芽まで事前に摘み取る悪手にしかならない。
バルドーさん達に教えた皮剥き器と薄切り器は大丈夫なのか?
気になるから後で打ち合わせの結果を聞きに行こう。
「明後日の夕刻の鐘の以降に一度メイドさんと教育係の件を聞きに来ます。子供好きな人をお願いします」
「明後日ですか? 随分と気が早いのですね」
「募集期間を長くして候補を増やすより、メイベル部長のお勧めの人に連絡を取って貰った方が良いかなと。
それに家の引き渡しが五日後の午前なので、その日から来て貰おうと思ったら早めの方が良いでしょ?」
「なるほど、つまり私への挑戦状ですね。
いいでしょう、それまでにある程度の候補を揃えておきます。御用命ありがとう御座いました。
また人材が必要になれば相談にお越し下さい」
「ありがとうございます。じゃあ帰ります」
メイベル部長が良い笑顔で部屋を出た俺を見送った。
「よっしゃーっ! これでノルマ達成よ!」
と騒いでいるのを聞きながら廊下を歩く。
そう言えばお金の話が出なかったのは、俺なら踏み倒さないと信頼してのことか?
特に気にもしていないけど、金持ちの考えって皆そうなのかな…?
ギルド会員番号で自動引き落としが出来るの便利だし凄いよね!