第37話 保護者となる
家を買い、その後で騙されるようにメイドを雇うことになったのはもう良いとしよう。
メイドさん達とキャッキャウフフな生活も…要相談だけど送れないことはない訳だし。
だが更にその後でレイドル副部長から聞かされたリタの話は驚いた。まさかリタが『黒羽の鷲』に襲われていたなんて。
今まで甘い汁を吸っていたくせに何様だと思うのだが、そんな連中だからこそリタに利用されていたのだろう。
スラム街に引き込まれれば、身なりの良い女性など誰も助けてくれないだろう。黒羽がどんな目的でリタをスラム街に連れて行ったのかは聞きたくもない。
レイドル副部長達が黒羽を退治したらしいけど、怪我をしなくて何よりだ。
スラム街か…多分骸骨さんのお金を使ったところで無くすことなんて不可能だろう。
政治家が頑張っても、就労意欲の無い人は居るわけだし、理由があってスラム街に流れて行くしかない人も居るだろう。
目の前に困っている人が居れば助けるかも知れないけど、ちょっと俺には難し過ぎる問題だ。
俺が出来るのは、リタが治癒魔法の普及の立役者となるのを祈ることだけだ。
自分らしくない政治分野の話に気が重くなる。
こう言う時はぱっと明るく騒ご…グスン、一緒に騒ぐ仲間が居ない。
バルドーさんや業者さんの皆は利害関係にあるから騒ぐ仲間とは違うし。
人間の体を得てボッチを実感する日がこんなに早く来ようとは。更に気を重くするなんて恐るべき異世界の洗礼!
時刻は四時のおやつの時間を少し前頃だし、ちょっと冒険者ギルドに行って依頼を見てみようかな。
だって近所の子供達に『あのお兄さん、いつも遊んでる!プー太郎だよ!』と思われたく無いからね。
冒険者ギルドに向かう途中、屋台で木の葉に包まれた持ち帰り用のドライフルーツ盛り合わせとジュースを買い、ドライフルーツは肩掛け鞄に仕舞い、ジュースを飲みながらぼんやりと通りを眺める。
こうして見ていると、今まで気にしていなかったけど小さな子供も働いてるんだ。
ここには労働基準法で子供の就労を規制してなんかいないから当然か。その前に義務教育さえ無いからね。
時代や国によって子供と大人の境界なんて違うし、子供を取り巻く環境も違う。
日本でも元服なんてあったし、現在でも十四歳で責任年齢になる。
この辺りの国では十四歳だともう普通に働き始めている。働いていないのは、一部の人が通う学校の生徒ぐらいだろうか。
そう言えばドワーフ、エルフ、ケモミミの姿は全然見ないな。
この街は他の種族には暮らしにくいのか、それともテリトリーから出て来ないだけなのかな?
俺も見た目は人間なんだけど、ステータスではハーフエルフだ。
だからエルフが存在しているのは間違いないんだよな。
俺にはエルフの要素なんて皆無だけどさ。
そう言えば、今更だけど俺の種族については誰も何も言わないんだよね。
ハーフエルフが当たり前の存在なのかな?
一つ予想出来るのは、キリアスが侵略戦争をしていたから、あちこちの国の女性に子供を産ませた可能性があるってことだね。
それにハーフって表示も怪しいもんだ。クォーターでもワンエイスでも、順血統でないって意味で混血ならハーフって表示されてるのかも知れないし。
他種族のことは機会があればケルンさんにでも聞いてみようか…でもこれもデリケートな問題だったら気まずいな。
この世界じゃ何が地雷になるか分からないから、気になったからと言って何でも聞くのは得策ではないか。
などと考えながら街を見ていると、おっと、スリを発見。まだ小さな子供なのに…。
俺がそれに気が付けたのは、何となくスライムの視覚情報をオンラインにしていたからだ。たまにこうして視覚情報を共有化して、脳が処理に慣れるように訓練している。
聴覚情報の共有化は冒険者ギルドと商業ギルドで実践しているが、それ程大きな負担にはならなかった。
これは聴覚情報を脳のマルチタスク化で処理するスキルが既に実用レベルに達しているからだろう。
今までに何度か視覚情報を網膜に映し出してきたが、情報量が多いのか、それとも脳に負担が掛かりすぎるのか、僅かな時間しか情報共有が出来なかったのだ。
もし常時視覚情報をスライムとオンライン出来れば、背後からの不意討ちも防げるし、視力二・ゼロを大幅に通り越したクリアビジョンが確保出来る。
そう出来るようになるまでには、まだかなり訓練が必要だろうけど。
そんな考え事をしているとあの子を見失うか。
ジュースを飲み干してコップを返却し、子供が走って行った方へと道を急ぐ。幸いなことに、革袋を取られた男性はまだ気が付いていないようだ。
事を荒らげないように…すれ違いざまにスライムを一匹、男性に付着させておく。
これで男性の居場所が分かるようになるし、男性の周囲の音も聞こえるようになる。
うちのスライムは優秀だな。何度見ても耳なんて何処にも無いのに不思議な生き物だよ。
よし、俺は子供を追うのを優先しよう。
何度か角を曲がり、慎重に足を進める。子供の足にしては速いと思うが、やはりリーチの差はいかんともしがたい。
追っているうちに、徐々に街の様子が見窄らしいものに変化してきた。ここら辺はスラムと呼ばれる区画に繋がっているようだ。
次の角を曲がったところで、肩で息をしている子供を発見。足音を消してすぐ後ろへ回り、その子の隙を突いて革袋を回収する。
「あっ! ばか、返せ! それは俺のだ!」
勿論それが嘘なのは分かっている。
だからその子にはマジックバッグから取り出した小さな革袋を渡してやる。中には銀貨が十枚ぐらいは入っている。
これくらいはしてもバチは当たらないだろう。
呆気に取られたように俺を見る子供に、
「足りないかも知れないけど、今日はそれで勘弁してくれ。
それと、パンでも食うか?」
と言って、アイテムボックスから焼き立てパンを取り出した。
余程お腹が減っていたのか、迷う素振りも見せず、「うん」と返事をすると俺の手から奪うようにパンを取って急いで食べ始めた。
さっき買ったばかりのドライフルーツも出してやる。
「うまいか?」
「うん」
「そうか」
「衛兵に突き出さないの?」
「面倒くさい」
「ありがと…」
同じことを繰り返さなければ生きていけない状況が改善されない限り、衛兵にこの子を突き出したところで何も解決にはならない。
だから面倒くさいのだ。
この子は俺が衛兵の下に連れていくのを面倒くさがっていると思っているだろう。だけど俺の真意を言っても理解されないよね。
そう考えながら食べ終わるを待つ。これって犯人隠避になるのかな?
いや、まだ被害者男性は革袋を盗られたことに気が付いていないから、まだ犯罪は成立していない…ことにしよう。
「この革袋は俺が拾ったことにして、あのおっさんに返してきてやるょ」
「どうして?」
スリをしないと生きて行けない子供達がいるのは知っている。僅かばかりの金銭を渡したところで何の解決にもならないことも分かっている。
そう言う社会の構造の歪みに巻き込まれると、簡単には抜け出せなくなると言うことだ。
だがこのまま俺が立ち去れば、いずれこの子は取り返しの付かないことになるのは明白だ。
それを防ぐにはどうすれば良い?
衣食住と安定した収入が無ければ、人はまともには生きていけない。だからそれを用意してやる必要がある。
これはテストケースだな、と独りごちてから、
「もしさ、俺が何かの工場を建てたら、そこで働いてくれるか?」
と質問をする。
これが俺に出来る一つの小さな解決策だ。この糸を掴むも離すもこの子次第だ。
「オレでも雇ってくれるの?」
「働く気があるなら雇ってやる。まだ先の話だけど。
それより、お前の家族は?」
「…父ちゃんは盗賊に殺されたらしい。
母ちゃんは働きに出てて、そこで死んだって聞いた。
あとは妹が待ってる」
異世界アルアル孤児だな。魔物だけでなく、人も襲ってくるのだからこの世界もタチが悪い。
「よし、ならお前らは今日から俺の子分だ。
毎日飯を腹いっぱい食わせてやる」
「ほんとかっ?」
「子供に嘘を付くほど腐ってないさ」
この子は俺が垂らした糸を掴むことを選んだんだ。それなら俺はここから出してやることに迷いは無い。
蜘蛛の糸ではなく、クレの糸…か。この糸が炭素繊維並の強度であることを祈ってくれ。
「半分は妹に食わせてやれ。
俺はささっと革袋を返してくる。それが終わったらここに来るから」
まだ石鹸の工場も絆創膏の研究所の設立も目途は立っていないが、これで工員の確保は成功だろうか?
一方の革袋をすられた男だが、あの後に少し歩いてから革袋が無い事に気が付いたようで、慌てて自分の通った道筋を逆戻りし始めた。
俺は裏通りに繋がる小路が大通りに合流するポイントに到着すると、タイミングを見計らって、
「この革袋が落ちていましたよーっ!
落とした人はいませんか?」
と大声を上げ、革袋を掲げてアピールする。
俺の声が聞こえたようで落とし主の男性が急いでやって来るなり、
「それは俺のだ!」
と言って革袋を奪おうとした。
特徴が無いから本当に彼の革袋かを疑う素振りを見せると、中に入っている物を言いだしたので素直に返す。
一日一善ならぬ、一日一偽善だな。
無事に革袋を返すイベントをクリアして、男の子と別れた場所に戻ると女の子が来てパンを食べていた。
これで将来の労働力、二人目をゲットか?
青田買いにはまだ早過ぎるかも知れないが。
食料を誰かに取られないかと心配してスライムを一匹男の子に付けておいたが、横取りする人は居なかったようでほっとした。
男の子が俺に気が付く。俺の後ろに誰も居ないことを確認しているのは、恐らく俺が衛兵を連れて来ていないかと心配してのことだろう。
「あの、食べ物、ありがとう!」
と無邪気な笑顔を見せる女の子。
スラムでの生活にまだ染まっていないような感じだな。ここに来てそんなに日が経っていないのだろう。
「お兄さんが泊まってる宿屋に行こう。荷物はある?」
「ないのっ!」
二人が何も持っていないと両手を上げる。雨風が凌げる場所があれば良いってわけか。
辛かっただろうな、なんて事を言ったところで、これが単なる同情だと言うのは分かっている。
この兄妹と同じような状況にある人達は他にも沢山居る。二人を助けたのは同情と気紛れと自己満足の為か。
これがベストの選択とは思えないが、でもこれしか思い付かなかったから、今はこれで良かったと思うことにする。
まだ宿屋の部屋が空いていれば良いけど、無ければ床に毛皮を敷いて寝袋で寝れば問題無い。骸骨さんのアイテムボックス様々だ。
兄の名前はロイで十歳、妹の名前はルーチェで八歳。リミエンに来る前は近くの村でお爺さんと暮らしていたが、訳あってその村で暮らせなくなってリミエンに来たそうだ。深くは聞かないでおこう。
二人を『洗浄』で綺麗にし、ルーチェを背負い、ロイと手を繋ぐと道中で見付けた雑貨店に入る。
年齢差が十歳ぐらいだから、少し歳の離れた弟妹に見えるだろう。
二人分の全身コーディネート一式を店員さんにお任せでお願いする。古着と中古の靴だが今着用している物よりは遥かにマシだ。
後は泡の実やタオル、歯ブラシ代わりの木の皮、コップと水筒など細々とした物を買い揃える。
子供サイズの古着でも程度の良い物だと高い。新品が千円でお釣りがくる日本の子供服がどれだけ安いのかと、未婚なのにそんな事を考えてしまう。
『南風のリュート亭』に到着すると、宿のご主人に迷惑料込みで大銀貨を何枚か握らせてお湯を沸かしてもらうと二人を湯浴み場へ。
魔法で綺麗にしてあるけど、保護した子供達だと聞くと、お店としても衛生面で気になるだろう。
まだ子供なので、大きなタライが浴槽替わりになる。泡の実をこれでもかと使ってたっぷり泡立て、二人の体を綺麗に洗う。
二人とも入浴してスッキリしたことで嬉しそうにしているが、俺はガリガリに痩せた体を見て複雑な心境になると同時に、この二人を幸せにしてやりたいと思った。
どの件で魔王認定されたのか分からない骸骨さんのお陰で俺は金には困らなかったけど、それが無ければ俺だってこの子達と同じ道を辿っていたかもしれないからな。
借りていた二階の部屋を二人に使うように言い、受付に行ってまた三階の部屋を借りる。
まさか出ていったばかりでまたこの部屋に戻ってくるとはな。この部屋が空いていて良かったよ。